毛利元就は大内家側についてから、尼子家側の国人(こくじん)を片っ端から倒して勢力を拡大していきました。「裏切り者」の毛利家の行動に業(ごう)を煮やした尼子家は、元就を倒すべく当主自らが大軍を率いて攻め込む決断をしました。
尼子家が攻め込む少し前に、元就のもとに尼子家の右筆(ゆうひつ、本来は文章の代書人だか秘書官でもある重要な職務)であった男が転がり込んできました。男は些細(ささい)な失敗を尼子家にとがめられて所領を没収されたことに腹を立て、今後は毛利家に味方したいと述べました。
「スパイではないか?」という周囲の声をよそに元就は男を歓迎し、尼子家の来襲が近づいて軍議を開くたびに、男の前で「今度の戦いでもし尼子家にA地に陣取られたら、大内家との連絡が絶たれて大変なことになる。何としてもB地に陣取ってもらうようにしなければ」と繰り返し言いました。
ところが、尼子家が来襲する直前に男は姿を消しました。周囲の心配どおり、男は尼子家のスパイだったのです。それ見たことかと家臣が抗議する前で、元就はニヤリと笑って言いました。
「これで尼子家はA地に陣取るだろう。だが本当に陣取られたら困るのはB地の方だ。この戦い、我が軍の勝ちだな」。
※上記は今回までの内容に関連する映像です。尚、講座のすべてに関する映像も配信しております。




いつも有難うございます。
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まさむね はじめてコメントいたします。
黒田先生の歴史ブログをいつも読ませていただいております。
先生のわかりすく、誠実な歴史物語は日々の楽しみとなっています。
これから進む平安時代の源氏物語や道長のあたりの解説が楽しみです。
これからも頑張ってください。
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まさむねさんへ
黒田裕樹 ご訪問並びにお言葉有難うございます。
道長につきましては、第5回歴史講座の後で紹介させていただくことになると思いますし、源氏物語も国風文化の中で取り上げさせていただく予定です。
ご期待に応えられるかどうか分かりませんが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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元就は尼子家のスパイ作戦を見抜いて、わざとニセの情報を流したのでした。戦いは大内家の援軍もあって毛利家が勝利しました。1540年から41年にかけて行われたこの合戦は、吉田郡山城の戦いと呼ばれています。
大勢力の尼子家に勝った毛利家は武名(ぶめい)を大いに挙げ、それまでの支配地にも良い影響を及ぼしたのと対照的に、負けられない戦いを落としてしまった尼子家の評判はガタ落ちとなり、それまで尼子家側についていた国人の多くが大内家側に寝返ることによって、尼子家と大内家との立場が逆転し、尼子家の勢力が衰えるきっかけになりました。
その後も元就は尼子家に攻勢をかけ続け、多少の紆余曲折(うよきょくせつ、ものごとが順調に運ばずに複雑な経過をたどること)はあったものの、1566年に尼子家は元就によって滅ぼされてしまいました。
さて、元就は戦いで勢力を拡大する一方で、自分の足元を固めるために、有力な豪族である吉川家(きっかわけ)や小早川家(こばやかわけ)に自分の息子を養子に送り込みましたが、その経緯には複雑な事情がありました。
※上記は今回までの内容に関連する映像です。尚、講座のすべてに関する映像も配信しております。




いつも有難うございます。
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marihime 黒田さんこんばんは♪
今日も楽しく拝見させていただきましたσ(゚ー^*)
尼子氏を破滅に追いやる過程を詳しく話してもらえるともっとよかったなと思いますけど欲張りすぎですね(*^_^*)
次も楽しみにしています。
応援のポチ
marihimeさんへ
黒田裕樹 いつもブログへのご訪問並びに応援有難うございます(^o^)丿
> 尼子氏を破滅に追いやる過程を詳しく話してもらえるともっとよかったなと思いますけど欲張りすぎですね(*^_^*)
新宮党の謀殺事件などエピソードは他にも色々ありますが、全体のバランスなどを考えて今回は割愛しました。いずれは本編などで別の形で紹介できたらいいですね(^^♪
いつの間にか
オバrev 福岡の息子の所へ行っている間に、毛利元就の話はどんどん進んでいましたね(/;゚∇゚)/ ア、アレー!
しかも、阿修羅展を見に行く時間もなかった(T_T)
相変わらず、分かりやすいです。特に動画で見るとなおいっそうよく分かります・・・自分がいかに知らなかったかということが(汗)
大内氏という名前は日本史の教科書にもでていたと思いますし、記憶の彼方に残っているんですが、尼子氏ってのは全く始めて聞く名前でした。
小早川さんは私の知り合いにも何人かおられます。
あの元広島カープの小早川毅彦(広島市出身)は、小早川隆景の末裔に当たるそうです。
また、歌手の吉川晃司はこの吉川家の末裔だそうです(^^)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 福岡の息子の所へ行っている間に、毛利元就の話はどんどん進んでいましたね(/;゚∇゚)/ ア、アレー!
> しかも、阿修羅展を見に行く時間もなかった(T_T)
相変わらずお忙しそうですね。お身体にはくれぐれもご注意下さい。
> 相変わらず、分かりやすいです。特に動画で見るとなおいっそうよく分かります・・・自分がいかに知らなかったかということが(汗)
いえいえ、私も始めはゼロからのスタートだったんですから、これからどんどん理解して下さい(^^♪
> 大内氏という名前は日本史の教科書にもでていたと思いますし、記憶の彼方に残っているんですが、尼子氏ってのは全く始めて聞く名前でした。
大内氏は応永の乱(1399年)で有名な大内義弘もいますからね。戦国武将としての大内氏はもうしばらくしたら登場しますよ。尼子氏は家臣の山中鹿之介の方が有名かもしれませんね。
> 小早川さんは私の知り合いにも何人かおられます。
> あの元広島カープの小早川毅彦(広島市出身)は、小早川隆景の末裔に当たるそうです。
> また、歌手の吉川晃司はこの吉川家の末裔だそうです(^^)
小早川毅彦氏のことは(私もカープファンですから)知っていましたが、吉川晃司は知りませんでした(^^ゞ
昭和60年の紅白での暴走も血筋なのでしょうか?
吉川家は元就の妻の一族でしたが、家臣の方から「当主に不満を抱いたので、元就の次男である元春(もとはる)を新たに養子に迎えたい」という申し出がありました。元就はこの申し出を承諾し、縁組に反対する家臣が切腹する中で「順調に」家督を継ぐことに成功しました。
一方、小早川家では幼い当主が病気によって目が不自由となり、このままでは戦国の世を渡っていくのは厳しいということで、これも家臣の方から「元就の三男である隆景(たかかげ)を新たに養子に迎えたい」との申し出がありました。元就はこの申し出にも快諾し、縁組に反対する家臣が殺されていく中で「順調に」家督を継ぐことに成功しました。
こうして養子先からの申し出という「幸運」によって、武勇名だたる吉川家と、強力な水軍を持つ小早川家を自身の血統で固めることができた元就は、安芸国の支配力をますます強めていくのですが、いくらなんでも話がうますぎると思いませんか?
真相は闇の中ですが、犯罪捜査の鉄則である「事件後に一番得をした者を疑え」から考えれば、謀略を得意とする元就に対して、どうしても疑いの目が向いてしまう結果ではありますね。




いつも有難うございます。
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かすやぶひ いつもお世話になってます。
毛利家の展開もおもしろいですね。
元就の息子まで謀略に使い、領土を拡大させたのですね。 たしか元就の妻は実家がのっとられて自殺かなんかで死んだような記憶があります。
ブログ友達ありがとうございます。勘違いでリンクを貼りたかったのですが、私はリンクに登録しています、すみません。
アキ ぶはっ
な、なんだか文章に若干の悪意が見えるのは気のせいでしょうかwww
現世にもこういう要領の良い人、いますよね~。
本人の意向はどうかわかりませんが、わからないようにうまくやってるのがまた腹立たしい!
うぅ・・・憎い(苦い過去あり?ww)
かすやぶひさんへ
黒田裕樹 > いつもお世話になってます。
> 毛利家の展開もおもしろいですね。
有難うございます(^o^)丿
> 元就の息子まで謀略に使い、領土を拡大させたのですね。 たしか元就の妻は実家がのっとられて自殺かなんかで死んだような記憶があります。
妻の自殺の件は私は初耳ですね。確かにショックだったのかもしれませんが…。
> ブログ友達ありがとうございます。勘違いでリンクを貼りたかったのですが、私はリンクに登録しています、すみません。
いえいえ、私もリンクさせていただきますので、よろしくお願いしますm(_ _)m
アキさんへ
黒田裕樹 > ぶはっ
> な、なんだか文章に若干の悪意が見えるのは気のせいでしょうかwww
おそらく気のせいではないでしょうか(笑)?
「疑わしきは罰せず」とはいえ、うますぎる話はどうも…ですよね(^^ゞ
> 現世にもこういう要領の良い人、いますよね~。
> 本人の意向はどうかわかりませんが、わからないようにうまくやってるのがまた腹立たしい!
> うぅ・・・憎い(苦い過去あり?ww)
最後の行は「私も同じ」だったりして(笑)。
とはいえ、要領だけで世の中は最後まで渡れるものではないですからね。
なぜか、現代にも通じるような~
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
この話を読むと、いつも、近未来の日本の
最悪のシナリオを頭に浮かんでしまいます。
小早川家、吉川家が、近未来の日本にならないことを祈るばかりです。
①家の中から、内部分裂を起こし、
気がついたら、他国の領土。
②しかも、自分の家の領主は、他国出身者。
③しかも、何の証拠もない。
これを現代に置き換えると
① 日本の国の中で、内部分裂し、他国に友好的な人間が実権を握る。
② 自国のほうから、領土を差し出すと言ってくる。
③ 気がついたら、自国のリーダーは他国出身者。
④ 国際法上何の問題もない。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
歴史の教えは何も近現代史だけとは限りません。