毛利元就は、安芸国(あきのくに、現在の広島県西部)の国人(こくじん、地方豪族のこと)から、彼一代で中国地方のほぼ全域と北九州の一部を支配するまで勢力を拡大した稀代(きだい)の英傑(えいけつ)でした。そんな彼の生涯を象徴するのにふさわしい言葉があるんですが、何か分かりますか?
それは「謀略」(ぼうりゃく)です。数多くの戦国武将の中で、元就ほど謀略に満ちた生涯を送った武将はいないのです。なぜそう言い切れるのかを、彼の生涯をたどりながら考えてみましょう。
毛利元就は、安芸の国人である毛利弘元(もうりひろもと)の次男としてこの世に生を受けました。当時は長男が家督(かとく)を継ぐ、つまり跡継ぎになるのが原則でしたから、次男坊であった元就は、本来であれば毛利本家を継ぐことができず、当時住んでいた城の名前から「多治比(たじひ)殿」と呼ばれて一生を終えるはずでした。
しかし、長男の毛利興元(もうりおきもと)が25歳の若さで急死して、跡を継いだ興元の長男の幸松丸(こうまつまる)も9歳で死亡するという「幸運」があったので、結局元就が家督を継ぐことになりました。もっとも、元就が後継となった際には反対者もいましたし、他家から養子をもらってはという声もありましたが、元就はこれらの者を「反逆者」とし、「戦上手」(いくさじょうず)とうたわれた実力で「処分」しました。
こうして27歳で毛利家当主となり、吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に入城した元就は、内心で「重大な決意」をしていました。
※上記は今回までの内容に関連する映像です。尚、講座のすべてに関する映像も配信しております。




いつも有難うございます。
様々な展開を経たうえで家督を継いだ毛利元就でしたが、彼の領地は安芸国の一部に過ぎず、いわゆる「弱小勢力」でしかありませんでした。一方、当時の中国地方は主に東半分を尼子家(あまごけ)が、西半分を大内家(おおうちけ)が領有していました。このうち、勢いがあったのは尼子家の方で、大内家は窮地(きゅうち)に立たされていました。
毛利家は、元就が家督を継ぐまでは尼子家側についていましたが、元就が当主の座につき、自己の意思で毛利家を支配できるようになると、こう宣言しました。
「我が毛利家は尼子家を見限り、今後は大内家に味方する」。
元就のこの決断が、どれだけ常識はずれで、実にとんでもないものなのか、皆さんはお分かりですか?
「寄らば大樹(たいじゅ)の陰(かげ)」ということわざがありますが、それまでの毛利家は、大勢力の尼子家に味方すればこそ領地が保障されていたのですから、まさに尼子家という「大樹」に寄り添って生きてきたといっても過言ではありませんでした。
それなのに、尼子家側から大内家側に寝返るという元就の決断は、当然尼子家の怒りを買うことになり、下手をすればすぐにでも滅ぼされてしまいかねないという、極めて危険な行為でした。一体元就は何を考えていたのでしょうか?
※上記は今回までの内容に関連する映像です。尚、講座のすべてに関する映像も配信しております。




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とまと 随分、ご挨拶が遅くなってしまいましたが・・・
ご訪問者数1万人突破、おめでとうございますヽ(^o^)丿
毎日コツコツと記事を積み上げられいて、その真面目さを、見習わなければ…と、いつも反省しております。
とまとのブログの更新は、きまぐれですから(^^;
いつも勉強させて頂いております。
ありがとうございます。
これからも、ますます、黒田先生不安が増えることを祈って・・・応援のぽちヽ(^o^)丿
↑「不安」が増えてどうする!?
「ファン」の間違いですm(__)m
大変失礼いたしました(^^;
とまとさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
私の場合は、一日の文章量が少ないのでコツコツ積み上げているように見えるだけです(笑)。
とまとさんのような、一から皆様を感動させるような文章力がうらやましく思います。
こちらこそ、とまとさんのブログを参考に、少しでも皆さんに理解力が得られやすい内容を目指していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m
marihime 黒田さんこんにちは☆
最初に、10000超えおめでとうございますを言うの忘れてましたゴメンなさいネ・・・(´_`illi)
歴史講座の映像、楽しく拝見させていただきました。
ケンシロウ こんにちは。
講座の様子拝見させていただきました。
蒲郡の弘法大師は子安弘法大師でしたか。
山の頂上に奉られているので
近くまで行けば何処からでも見えますよ。
機会があれば温泉もありますので
是非行ってみて下さいな。
marihimeさんへ
黒田裕樹 いえいえ、お気持ち有難く思います。映像がお気に召したようで光栄です。まだ始めの方ですので、これからもよろしくお願いしますね(^_^)v
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 蒲郡の像は大きいですから、確かにどこからでも拝めそうですね。
温泉ですか。特に寒い季節は良さそうです(笑)。
貴重な情報を有難うございますm(_ _)m
ぴーち こんばんは!
動画拝見させていただきました♪
本当によく通るお声ですね~^^
ただ、前回の動画も拝見させていただいていて
思ったのですが、参加していない分際で
この様な事を書くのは、おこがましいのですが、
定点カメラ?は、あと一歩前での撮影は
叶いませんか?
後ろのボードの字や地図、写真が
もう少しはっきり見えたらなと、勝手なわがままな思想に
駆られてしまいました^^;
それとこちらは、本当に関係ない話で恐縮ですが、
中学の時の理科の先生に黒田さんが似ているな~と懐かしく拝見させていただいてました^^
とても、はきはきした口調に、背格好も似ています。
良い先生でした^^
それでは、凸
てっちゃん中尉 こんばんは、てっちゃん中尉です。
今回も動画、拝見させていただきました。
見事なご教授でした。高校までの歴史の先生たちの教え方では、そのように、本当の時代の流れを教えずに、表沙汰になったことを広く浅くかじっていくような半ば、教科書どおりの授業でした。
今回の講義で、「教科書とは教育の一手段にすぎない」ということばをつくづく実感することができました。薩長同盟の存在の背景は全くもって知りませんでした。良い勉強になります。
本当にありがとうございます。
早く学校の教壇に復帰できるよう心よりお祈り申し上げます。今後とも、ブログに立ち寄らせていただきます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 動画拝見させていただきました♪
> 本当によく通るお声ですね~^^
有難うございます。以前にも書きましたが、通る声に産んでくれた両親に感謝ですね(^_^)v
> ただ、前回の動画も拝見させていただいていて
> 思ったのですが、参加していない分際で
> この様な事を書くのは、おこがましいのですが、
> 定点カメラ?は、あと一歩前での撮影は
> 叶いませんか?
> 後ろのボードの字や地図、写真が
> もう少しはっきり見えたらなと、勝手なわがままな思想に
> 駆られてしまいました^^;
なるほど…。あまり近づきすぎると自分がアップになってしまうので、引いたほうが良いかなと思ってました。カメラは仰るとおり固定していますので…。確かにもう少し前にしてみるべきかもしれませんね。
> それとこちらは、本当に関係ない話で恐縮ですが、
> 中学の時の理科の先生に黒田さんが似ているな~と懐かしく拝見させていただいてました^^
> とても、はきはきした口調に、背格好も似ています。
> 良い先生でした^^
先生というものは、良くも悪くも印象に残るものです。光栄な話ですね(^^♪
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 > 今回も動画、拝見させていただきました。
> 見事なご教授でした。高校までの歴史の先生たちの教え方では、そのように、本当の時代の流れを教えずに、表沙汰になったことを広く浅くかじっていくような半ば、教科書どおりの授業でした。
> 今回の講義で、「教科書とは教育の一手段にすぎない」ということばをつくづく実感することができました。薩長同盟の存在の背景は全くもって知りませんでした。良い勉強になります。
何度か書かせていただいておりますが、教科書どおりの授業では本当の理解は得られません。流れを理解せずに暗記させようとすれば、生徒にとっては苦痛以外の何物でもありませんから、生徒のためにもなりません。そんな状態から「分かりやすくて理解しやすく、かつ楽しい授業」にどうやって導いていくかが、教師の腕の見せどころだと思います。
> 本当にありがとうございます。
> 早く学校の教壇に復帰できるよう心よりお祈り申し上げます。今後とも、ブログに立ち寄らせていただきます。
有難うございます。皆様のご支援も教師復帰への道しるべとして、しっかりと受け止めていきたいと思います。
実は、元就には元就なりの「計算」があったのです。大内家側につくことを決断した元就の内心の思いを代弁してみましょう。
「巨大な尼子家についていれば、俺がどれだけ頑張っても結局は尼子家の手柄になり、いずれは俺の出番はなくなる。だとすれば思い切って大内家について、俺の実力で尼子家の領地を切り取り、毛利家を大勢力にしてみせよう。そのうえで尼子家を滅ぼし、あわよくば大内家も乗っ取ってやろう」。
皆さんは、元就のこの言葉を聞いて、正直どう思われますか?
巨大な尼子家に対して、一つの国すら満足に治めていない弱小地方豪族に過ぎない毛利家の当主の決断です。普通ならば「何を大風呂敷を広げているのか?」と耳を疑いますよね。ところが、元就はこの後、生涯をかけて自身の決断を本当に実行してしまうのです。
何が元就をそこまでの大成功に導いたのでしょうか?
そんな元就のカギを握ったのが、まさに「謀略」でした。この後、元就は自己の謀略の才能をフルに活用して勢力を拡大していったのです。




いつも有難うございます。