学問や文芸の世界でも新しい動きが始まりました。和歌の世界では、西行(さいぎょう)が出家後に諸国を渡り歩くなかで「山家集(さんかしゅう)」をまとめたり、後鳥羽上皇の勅撰(ちょくせん、天皇や上皇の命令で歌集などを編集すること)によって「新古今(しんこきん)和歌集」が、藤原定家(ふじわらのさだいえ、もしくは「ていか」)や藤原家隆(ふじわらのいえたか)らによって編集されたりしました。
新古今和歌集は、平安時代までの伝統を受け継ぎながらも技巧的な表現や洗練された歌風が広く受けいれられ、武士の間にも広まりました。鎌倉幕府3代将軍の源実朝もその一人で、万葉調の歌を集めた「金槐(きんかい)和歌集」を残しました。なお「金」は鎌倉の「鎌」の偏(へん)を、「槐」は大臣の別称を表しています。
また藤原定家は、発表から約200年が経過して写本によって内容が異なっていた紫式部(むらさきしきぶ)の「源氏物語」を校訂(こうてい、古書などの本文を諸本と比べ合わせて正すこと)したほか、彼がまとめた写本は後世の人間に配慮して新たなフォントを開発し、文字の連綿(れんめん)を廃して読みやすくするという工夫もしています。
現代の私たちが源氏物語を気軽に読むことができるのは、定家の功績であると言っても差し支(つか)えないでしょう。
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「保元(ほうげん)物語」や「平治(へいじ)物語」などの軍記物は語り物の形態による新しい形式をもち、なかでも平氏の興亡をつづった「平家物語」は、琵琶法師(びわほうし)によって平曲(へいきょく)として語られたことによって、文字の読めない人々にまで広く親しまれました。
説話文学としては、院政期に成立した今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)とともに「日本三大説話集」と称される「古今著聞集(ここんちょもんじゅう)」や「宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)」が成立しています。
随筆としては、鴨長明(かものちょうめい)が天変地異や戦乱が続く世の中の無常さを「方丈記(ほうじょうき)」にまとめたほか、鎌倉時代末期には吉田兼好(よしだけんこう、別名を兼好法師=けんこうほうし)による独自の広い見聞や観察眼によって「徒然草(つれづれぐさ)」が生まれました。
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また、関白九条兼実の弟で天台座主(てんだいざす、延暦寺の最高位の僧職のこと)の慈円(じえん)は、承久の乱(承久の変)の直前までの道理による独自の歴史論を展開した「愚管抄(ぐかんしょう)」を著しました。
一方、武士の間でも承久の乱後に学問を好む風潮が高まったことで、北条泰時の甥(おい)にあたる北条実時(ほうじょうさねとき)が、鎌倉の港であった金沢(かなざわ)の地に私設の図書館となる「金沢文庫(かなざわぶんこ)」を建て、和漢の優れた書を集めて学問に励みました。また、鎌倉時代中期までには幕府の歴史を編年体でつづった「吾妻鏡(あづまかがみ)」も成立しています。
なお、鎌倉時代の末期には宋の朱熹(しゅき)によって広まった儒学(じゅがく)の一つである「宋学(そうがく、別名を朱子学=しゅしがく)」が伝わりました。宋学における臣下として守るべき道義や節度などのあり方を示した大義名分論(たいぎめいぶんろん)は後世に大きな影響を与え、当時の討幕運動に対する思想的な支柱となりました。
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度会家行は著書である「類聚神祇本源(るいじゅうじんぎほんげん)」の中で、従来の本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)に対して、逆に仏が神の化身(けしん)としてこの世に現れたとする神本仏迹説(しんぽんぶつじゃくせつ、別名を反本地垂迹説)を唱えています。
鎌倉幕府成立前に起きた源平の争乱によって、東大寺の大仏殿が消失するなど奈良の諸寺は大きな被害を受けましたが、その復興のために重源(ちょうげん)が大勧進職(だいかんじんしょく)として必要な資金を集めたことで、南宋の寺院を基本とした大仏様(だいぶつよう)の建築形式で東大寺が再建されました。
大仏様は天井を張らずに全体的な構造美を示すことによって、大陸的な雄大さと豪快な力強さを表現しており、代表的な遺構(いこう、昔の建造物における残存物のこと)として東大寺南大門(なんだいもん)が挙げられます。
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また、平安時代以来の我が国の伝統建築様式である和様(わよう)に大陸伝来の様式を巧みに取り入れた折衷様(せっちゅうよう)も生み出されました。河内(かわち、現在の大阪府河内長野市)の観心寺金堂(かんしんじこんどう)などが代表例として挙げられます。
仏像彫刻では、東大寺や興福寺の再建に参加した奈良仏師(ならぶっし)の運慶(うんけい)・湛慶(たんけい)父子や快慶(かいけい)らによって、奈良時代の彫刻の伝統を受け継ぎながらも写実的で力強くかつ豊かな人間味あふれる名作を残しました。
当時の代表的な作品としては、東大寺南大門の金剛力士像(こんごうりきしぞう)などが挙げられます。この他、一般には「鎌倉大仏」と呼ばれ親しまれている鎌倉の高徳院(こうとくいん)の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)も鎌倉時代につくられたとされています。
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絵画では、平安時代末期に始まった絵巻物(えまきもの)が引き続き盛んにつくられ、人物の一代記を描いた「一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)」や、合戦における戦いぶりを描いた「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」、「平治物語絵巻(へいじものがたりえまき)」などの作品が生まれました。
また、個人の肖像(しょうぞう)を写実的に描いた似絵(にせえ)もつくられ、藤原隆信(ふじわらのたかのぶ)・信実(のぶざね)父子による名作が生まれました。この他、高僧の肖像画である頂相(ちんぞう、または「ちんそう」)も鎌倉時代の中頃から始まりました。
宋や元の書風が伝えられた書道では、伏見(ふしみ)天皇の皇子であった尊円法(そんえんほう)親王によって平安時代以来の世尊寺流(せそんじりゅう)を基本とした「青蓮院流(しょうれんいんりゅう)」が新たに創始されました。
工芸面においては、武家政権の影響を受けて武器や武具の製作技術が進歩したことで、刀剣では備前(びぜん、現在の岡山県南東部)の長船長光(おさふねながみつ)や京都の粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)、鎌倉の岡崎正宗(おかざきまさむね)らが名作を残しました。
また、宋の青磁(せいじ)や白磁(はくじ)が輸入されたことで、尾張(おわり、現在の愛知県西部)の瀬戸焼(せとやき)や常滑焼(とこなめやき)、備前の備前焼といった陶器(とうき)の生産も盛んとなりました。
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