これらの現象が、平安中期より広まり始めた「末法(まっぽう)思想」そのものであると人々に強く信じられたことで、救いを求める人々の期待に応えるかのように新しい仏教が鎌倉時代に相次いで生まれ、広く信仰を集めました。
いわゆる「鎌倉仏教」とも呼ばれる新しい仏教は、それまでの加持祈祷(かじきとう)や学問とは異なり、内面的なものを重視しながら武士や庶民(しょみん)などの幅広い階層を中心に広まったのが大きな特徴でもありました。
美作(みまさか、現在の岡山県北東部)の武士の家に生まれた法然(ほうねん)は、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)で天台宗(てんだいしゅう)を学んだ後に下山(げざん)すると、一心に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を唱えれば誰でも極楽往生(ごくらくおうじょう)への道が開かれるとする「専修(せんじゅ)念仏」の教えを説(と)きました。いわゆる「浄土宗(じょうどしゅう)」のことです。
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法然は「選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)」という著書を残しています。また、浄土宗の総本山(そうほんざん、中心となる寺院のこと)は京都の知恩院(ちおんいん)です。
法然が流された頃に、彼の弟子として同じく越後(えちご、現在の新潟県)に流されたのが親鸞(しんらん)でした。貴族の出身である親鸞は天台宗の僧となって比叡山延暦寺で修行を積みましたが、やがて自力での修行に限界を感じると山を下りました。
下山後に法然と出会った親鸞は、彼の弟子として研鑽(けんさん)を積む間に師の教えをさらに徹底させて、阿弥陀仏(あみだぶつ)の存在を信じて心に念ずるだけで(つまり、念仏を言葉で唱えることにこだわらない)極楽往生できるとしました。阿弥陀如来(あみだにょらい)の救いを信じる心を強調した彼の教えは「浄土真宗(じょうどしんしゅう、別名を一向宗=いっこうしゅう)」と呼ばれています。
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現代のお坊さんはどの宗派の人も結婚できますが、これが広まったのは明治時代以降のことであり、それ以前の僧は浄土真宗を除いて戒律を守っていましたから、当時の親鸞の特異性がうかがえます。
この他にも、親鸞は自分の煩悩(ぼんのう、身心を悩ませ苦しめる心の作用のこと)の深さを知っている人間(=悪人)こそが、自らが阿弥陀仏による救いの対象となることを知ることができるとする「悪人正機(あくにんしょうき)」を説きました。
親鸞は越後への流罪の後も関東地方で30年以上留まって布教を続ける一方で「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」という著書を残しました。親鸞の没後に弟子の唯円(ゆいえん)がまとめたとされる「歎異抄(たんにしょう)」も有名ですね。ちなみに、浄土真宗の総本山は京都で東西に分かれた本願寺(ほんがんじ)です。
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「阿弥陀仏様はとてつもなく偉大なお方であり、善人と悪人の違いや仏の道への信心の有無に関わらず、私たちはすべて極楽往生ができる」と考えた一遍は、全国を行脚(あんぎゃ)しながら念仏札を配ったり、踊念仏(おどりねんぶつ)によって信者たちと集団で念仏を唱えたりしながら教えを広めました。
踊念仏には、人間にとって捨てきれない煩悩(ぼんのう)をひたすら踊ることで燃え尽くすほどに発散させようとする狙(ねら)いと、極楽往生できることがすでに決まっていることに対する喜びや感謝の気持ちを表現するという意味が込められているとされています。
全国を遊行(ゆぎょう、僧が布教や修行のために各地を巡り歩くこと)して布教を広めたことで一遍は「遊行上人(しょうにん)」とも称され、また彼に従った人々は「時衆(じしゅう)」と呼ばれました。一遍は死の直前に自己の所有していた経典などをすべて焼き捨てましたが、彼の弟子たちによってまとめられた「一遍上人語録(いっぺんしょうにんごろく)」が江戸時代に刊行されています。
一遍の教えは「時宗(じしゅう)」と呼ばれ、主に地方の武士や農民の支持を受けました。時宗の総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺(しょうじょうこうじ)です。
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やがて法華経(ほけきょう)のみが釈迦(しゃか)の正しい教えであると確信した日蓮は、難しい法華経の経典が読めなくても「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」という題目(だいもく)を唱えれば救われると説きました。いわゆる「日蓮宗(にちれんしゅう、別名を法華宗=ほっけしゅう)」の始まりです。
浄土宗や浄土真宗のように静かに念仏を唱えたり(あるいは心の中で信心したり)するのではなく、自らが法華経を信仰していることを周囲に広めるという意味から、題目を唱える際には団扇太鼓(うちわだいこ)をドンドンと打ちながら「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と大声を張り上げるという形式が主流となりました。
日蓮は法華経のみがこの世の中を救うことができるとし、それ以外の宗教は邪教(じゃきょう)であり、邪教を信じれば自身や国を滅ぼすことになると他の宗派を激しく攻撃するとともに、折伏(しゃくぶく)という強い信念で転宗させようとしました。このような排他性を持つのが日蓮宗の大きな特徴のひとつです。
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日蓮は「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」など多数の著書を残しています。また、日蓮宗の総本山は山梨県の久遠寺(くおんじ)です。
ところで、鎌倉を中心とする関東の武士の間で大きな勢力を持っていたのは禅宗(ぜんしゅう)でした。坐禅(ざぜん)によって自らを鍛(きた)え、布団(ふとん)の上げ下ろしや洗濯(せんたく)など、日常生活のなかで「自分のことは自分でする」という様々な厳しい修行を重ねることが武士の気風(きふう、気性や気だてと同じ意味)に合っていたからです。
鎌倉時代に我が国にもたらされた禅宗には二つの宗派がありましたが、それぞれ対照的な広がりを見せることになりました。栄西(えいさい)による「臨済宗(りんざいしゅう)」と、道元(どうげん)による「曹洞宗(そうとうしゅう)」です。
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先述したように禅宗が武士の気風に合ったこともあって臨済宗は幕府の保護を受け、後には京都に大本山(だいほんざん)となる建仁寺(けんにんじ)を建立しました。臨済宗では、座禅に打ち込みながら師から示される公案(こうあん、設問のこと)を解くために懸命に努力するなかで悟りを開くという「公案問答(こうあんもんどう)」を説きました。
栄西が亡くなった後も臨済宗は幕府の保護を受け、南宋から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)や無学祖元(むがくそげん)が招かれました。蘭渓道隆は5代執権の北条時頼に招かれて鎌倉の建長寺(けんちょうじ)の開山(かいざん、ここでは初代住職という意味)となり、無学祖元は8代執権の北条時宗に招かれて、同じく鎌倉の円覚寺(えんがくじ)の開山となりました。
栄西が残した著書は「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」の他に「喫茶養生記(きっさようじょうき)」も有名です。実は、現在のようなお茶を飲む習慣を広めたのは栄西であるといわれており、喫茶養生記のなかで茶の薬効(やっこう)などが紹介されています。なお、喫茶養生記は3代将軍の源実朝(みなとものさねとも)が二日酔いで苦しんでいる際に、一杯の茶とともに献上されたものです。
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道元は越前(えちぜん、現在の福井県東部)に永平寺(えいへいじ)を建立して開山となり、名誉や利益を求める心である名利(めいり、または「みょうり」)の念を捨てて厳しい規律のもとに修行を行うことで、北陸地方を中心に布教を続けました。
道元は「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」という著書を残しています。なお、曹洞宗は道元の弟子にあたる瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)によって飛躍的な発展を遂(と)げたことで、現在では道元と瑩山紹瑾が「両祖(りょうそ)」と称されているほか、瑩山紹瑾が開いた総持寺(そうじじ)が永平寺と同格の大本山とされています。
ちなみに、総持寺はかつて能登(のと、現在の石川県北部)の輪島(わじま)にありましたが、明治時代に火災で焼失した後に、現在の横浜市鶴見区に移転しています。
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6人の開祖はそれぞれが天台宗を学んだことで、厳しい修行の中から選び取られた「一つの道」のみによって救われると説いています。
例えば浄土宗や浄土真宗あるいは時宗は「念仏」を、日蓮宗は「題目」を、臨済宗や曹洞宗は「禅」を自らの道としています。
それまでの仏教は、厳しい修行を積むとともに長大かつ難解な経典を読破(どくは)しなければならなかったのに対して、念仏や題目もしくは禅といったいわば「簡略版」で問題ないとした鎌倉仏教の分かりやすさが武士や庶民に門戸(もんこ)を開放し、幅広い支持を受けたと言えるでしょう。
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また、同じ頃に法相宗(ほっそうしゅう)の貞慶(じょうけい、別名を解脱=げだつ)も山城(やましろ、現在の京都府南部)の笠置寺(かさぎでら)にこもって厳しい修行を続け、明恵とともに南都仏教の復興に力を注ぎました。
その後、律宗では俊芿(しゅんじょう)が宋に渡って戒律を学び、京都の泉涌寺(せんにゅうじ)を復興して新たに天台・真言・禅・律の諸宗兼学(けんがく)道場とすると、後鳥羽(ごとば)上皇をはじめ天皇や公家あるいは武家など多くの信者を得ました。
この他、奈良の西大寺(さいだいじ)を復興した律宗(りっしゅう)の叡尊(えいぞん、別名を思円=しえん)やその弟子の忍性(にんしょう、別名を良観=りょうかん)らは、戒律を重んじるとともに貧しい人々や病気を救済して治療したほか、土木工事などの社会福祉事業に力を尽くしました。
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