安政(あんせい)5(1858)年旧暦6月に我が国とアメリカとの間で結ばれた「日米修好通商条約」を皮切りに、我が国はイギリス・フランス・ロシア・オランダとも同様の条約を結びましたが(これを「安政の五か国条約」といいます)、その内容は「相手国に領事裁判権を認めること」や「我が国に関税自主権が認められない」など、著しく不平等なものでした。
まず領事裁判権は別名を「治外(ちがい)法権」ともいいますが、これは、外国人が在留する現地の国民に危害を加えた場合に、その外国の領事が自国の法によって裁判をする権利のことです。
例えば、アメリカと日本のうち、アメリカのみが領事裁判権を認められた場合、アメリカの国民が日本で罪を犯しても、アメリカの領事が自国の法によって裁判を行いました。
しかしその一方で、日本の国民がアメリカで罪を犯せば、アメリカの法で裁かれてしまうため、日本にとって極めて不利となったのです。
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例えば、国内において100円で販売されている商品に対し、外国の同じ商品が60円で買える場合、関税を30円に設定して合計90円での販売となれば、十分対抗できることになります。
このためには関税自主権が必要となるのですが、日米修好通商条約によって我が国には認められませんでした。このため、外国の安い商品が低い関税で輸入されることで、国内の産業が大きな打撃を受けるとともに、関税による収入が見込めないことで、我が国は二重の苦しみを味わうことになってしまったのです。
さらには、この条約に基づいて始まった貿易によって、準備不足だった我が国は大きな混乱状態に陥ってしまいました。
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貿易は大幅な輸出超過となり、輸出品の中心となった生糸の生産量が追いつかず、国内で品不足となったことで物価を押し上げた一方で、外国製の安価な綿織物の大量輸入は、農村における綿作(めんさく)や綿織物業を圧迫することになりました。
これらのことは、もし開国あるいは貿易に向けて何年も前から入念な準備を行っていれば、そもそも発生しない問題だったのです。
事態が起きてから対策を練るという、いわゆる後手に回ったことで対応に苦悩していた幕府をさらに困らせたのが「我が国と外国との金銀の比価の違い」でした。
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しかし、幕府は自身の信用で一分銀4枚を小判1両と交換させていました。つまり実際の価値を度外視した「名目貨幣(めいもくかへい)」として一分銀を使用していたのですが、こうした「価格」と「価値」との違いが外国には理解されず、また幕府の外交技術や経済観念の乏(とぼ)しさもあり、アメリカ総領事のハリスが主張した「銀の価値による交換」が強引に行われることになってしまいました。
すなわち、メキシコドル4枚を日本で一分銀12枚という「価値」を基準に交換し、それを日本国内において金3両で両替すると、小判を海外に持ち帰ってメキシコドル12枚という「海外の金銀相場」で交換したのです。
日本を経由するだけで手持ちの資産が3倍になるという、錬金術師(れんきんじゅつし)顔負けのカラクリによって、銀貨を日本に持ち込んで小判を安く手に入れる外国人が続出し、その結果として我が国の金貨が大量に海外に流出してしまいました。その被害は10万両以上ともいわれています。
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貨幣の価値が下がれば物価が上昇するのは当たり前です。しかも、好景気時に貨幣における金の含有量を下げて文化を向上させた先述の「元禄小判」と違って、貿易による値上がりで景気が悪化していた時期に貨幣を改鋳したことから、物価がますます上昇して悪質なインフレーションとなり、庶民の暮らしは大きな打撃を受けるようになってしまいました。
貿易開始に伴う庶民の生活の困窮(こんきゅう)ぶりに拍車をかけたのが、相次ぐ天災の発生や疫病(えきびょう)の流行でした。日米和親条約が結ばれた嘉永7(1854)年から安政年間(1850年代後半)にかけて、我が国では大地震が連発しました。いわゆる「安政の大地震」です。
特に、安政2年旧暦10月2日(1855年11月11日)夜に発生したマグニチュード6.9~7.4と推定される「安政江戸地震」では約1万人が犠牲になったとされ、水戸藩の学者であった藤田東湖(ふじたとうこ)が倒壊した自宅の下敷きとなって圧死しました。
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なお、コレラの被害はその後も続き、文久(ぶんきゅう)2(1862)年には江戸で約7万人が死亡したほか、明治初期にも何度も流行して多数の犠牲者が出ています。
こうした流れを受けて、庶民の怒りは外国に対する反感となり、貿易を行っていた商人や我が国に在留(ざいりゅう)する外国人が襲(おそ)われるようになり、これがそのまま攘夷(じょうい)運動の激化につながったほか、世相(せそう)の不安が農村では百姓一揆の、都市では打ちこわしの多発を招き、これらに対応しきれない幕府の権威はますます下がっていきました。
そして、これらの幕府によるとてつもなく大きな失政のツケが、明治維新後に誕生した新政府にも大きな負担となったのです。
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政府による血のにじむような努力の末、領事裁判権が明治27(1894)年に撤廃され、関税自主権が明治44(1911)年に回復するなど、半世紀以上もの時間をかけてようやく条約改正を達成することができました。
しかし、条約改正の道のりは決して平坦ではなく、特に我が国にとって深刻だったのは、諸外国から「国家の基本法たる憲法もないような野蛮な国家とは条約改正の話し合いに応じられない」と突き放されたことでした。
このため、我が国は約7年という長い歳月を費やして「大日本帝国憲法(=明治憲法)」を発布したのですが、こうした努力は、本当は不要なものでした。
なぜなら、我が国には長い歴史に根差(ねざ)した「不文憲法」がかねてより存在していたからです。
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しかしその一方で、イギリスのように「マグナ・カルタ」や「権利の章典」などといった、議会決議や裁判所の判例、国際条約、あるいは慣習などのうち、国家の性格を規定するものの集合体として存在し、憲法典としては制定されていない「不文憲法」を採用している国家も存在しています。
ひるがえって、長い歴史を持つ我が国では、604年に聖徳太子(しょうとくたいし)によって制定された「憲法十七条」や、鎌倉時代に北条泰時(ほうじょうやすとき)によってつくられた「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」、あるいは明治元(1868)年に明治天皇が神前にてお誓いなされた「五箇条の御誓文(ごせいもん)」など、イギリスと同じような「不文憲法」として対応できる法令が存在していました。
さらには、我が国最古の歴史書である古事記や日本書紀によって知られている、天照大神(あまてらすおおみかみ)が御孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)にお与えになられた「我が子孫(=天皇)が日本を治めることは永遠である」という意味の「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」は、我が国の国体(こくたい、国家としての体制のこと)の中心であると同時に、不文憲法の根幹をなすものです。
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かくして我が国は、まるで屋上屋(おくじょうおく)を重ねるように、本来は全く不必要な大日本帝国憲法を制定し、さらにそれを「不磨(ふま)の大典」としたことによって改正の機会が奪われ、やがてその「欠陥」が明るみに出てしまった「統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)」の問題が大東亜戦争の一因と化してしまいました。
さらには我が国の敗戦に伴い、GHQ(=連合国軍最高司令官総司令部)から「日本国憲法」なるものを押し付けられたばかりか、制定後約75年にわたって一字一句改正されていないという異常事態を招いているのです。
一つの政治の失策が、我が国のみならず世界の歴史をも大きく動かしたことになりますが、これらの教訓から私たちは何を学べばよいのでしょうか。
実は、先述した「庚子」→「辛丑」の流れ、すなわち「昨年から今年」を俯瞰(ふかん、広い視野で全体を見渡すこと)することで、今の我が国の置かれた現状を理解するとともに、今後の針路を見出すことも可能になるのです。
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昨年行われたアメリカ大統領選挙において、民主党のバイデン氏が当選して今年から大統領に就任しましたが、選挙における開票作業などをめぐって様々な問題が発生するなど、就任当初から何かと周辺が騒がしくなっています。
また、昨年は新型コロナウィルス感染症が世界中に蔓延(まんえん)しましたが、その大きな原因と考えられる中華人民共和国自体は世界中の混乱をよそに着実に国力を拡大し、GDP(=国内総生産)はアメリカに次ぐ世界第2位となり、そのアメリカを追い抜こうとする勢いです。
一方、我が国のGDPは30年以上も横ばいが続いているのみならず、平成22(2010)年頃に中華人民共和国に追い抜かされてからその差は開く一方で、現在では3倍以上の格差となっています。さらに、GDPの大きな差はそのまま防衛費(=軍事費)の差につながりますから、中華人民共和国の軍事力は量的に我が国を大きく上回っており、アメリカにも迫りつつあります。
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もしこの状態がこのまま続いて、どこかの国がある日突然ペリーのように恫喝(どうかつ、人をおどして恐れさせること)外交を行えば、果たしてその頃の我が国は外国に対抗できるだけの国力を持ち得ることができるでしょうか。
さらには、これだけ危機が迫っている現状であるというのに、国会において我が国の具体的な安全保障や経済対策を論じることなく、それこそ枝葉末節(しようまっせつ、本質から外れたつまらない細かな部分のこと)な内容に終始する政党政治が本当に必要でしょうか。
もはや我が国は「モリカケ」や「桜」などにこだわっている暇(いとま)は全く存在しないのです。それなのに、結果的に我が国に幕末期のような大混乱を再び引き起こそうとする政党が存在するのであれば、もはや「百害あって一利なし」としか言いようがありません。
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新型コロナウィルス感染症の蔓延は世界中に大きな不幸をもたらしましたが、それが「庚子」の年に起こったことで、我が国が一丸となって国難を乗り越えようとする、すなわち「これまでとは全く異なる動きが発生する中で将来に備える」ことができるのではないでしょうか。
アメリカの動きが世界の安全保障に大きな影響を与えるなか、さらなる困難が予想される「辛丑」の年に、我が国は「これまでとは異なる新たな絆を構築し、信頼できる仲間とともに辛い時期を共に乗り越える」ことができるようにしなければなりません。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言います。今からでも国民の一人ひとりが幕末期の動乱などの歴史に学んで力を蓄(たくわ)え、来るべき大変革の時代に思いを馳(は)せるべきでしょう。
それらをしっかりと啓発するのが「歴史講演家」である私の責務であると自覚し、またそのことを誇りに思って、皆様とともに学び、考えつつ、我が国の未来を切り拓(ひら)く「志士」の仲間に加わりたいと願っております。
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