人間社会の現実をありのままに描写する自然主義が、作者自身を写しとるだけの私小説へと変化していったのに対し、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)や菊池寛(きくちかん)らは雑誌「新思潮」を発刊し、知性を重視して人間の心理を鋭くえぐり出した理知主義の文学を発表して「新思潮派」と呼ばれました。
芥川龍之介の代表的な作品には「羅生門(らしょうもん)」「鼻」「杜子春(とししゅん)」「河童」などがあり、現代の国語の教科書にも採用されています。
菊池寛の代表的な作品には「恩讐の彼方に」「父帰る」などがあります。また、菊池は大正12(1923)年に月刊誌の「文藝春秋」を創刊しています。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
一方、雑誌「スバル」では独自の唯美(ゆいび)主義を主張した「耽美派(たんびは)」があらわれ、永井荷風(ながいかふう)が「腕くらべ」を、谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)が「痴人(ちじん)の愛」を著しました。
また、横光利一(よこみつりいち)や川端康成(かわばたやすなり)らが新しい感覚と表現を主張した「新感覚派」もこれに続きました。
詩では、高村光太郎(たかむらこうたろう)や萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)らが口語による自由詩を発表し、短歌では伊藤左千夫(いとうさちお)門下の斎藤茂吉(さいとうもきち)が島木赤彦(しまきあかひこ)らとともに「アララギ派」を確立しました。
この他、俳句では河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)らが従来の五七五調の形にとらわれない新自由律俳句を開拓しています。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
大正時代には、庶民の娯楽としての読み物である大衆文学も流行しました。大正14(1925)年に大衆雑誌の「キング」が創刊され、たちまち100万部を突破する売れ行きとなりました。
大正11(1922)年には「サンデー毎日」が創刊され、週に一回発行される週刊誌も人気を集めたほか、関東大震災後には「現代日本文学全集」のように一冊1円で販売する「円本(えんぽん)」や岩波文庫などの文庫本も登場しました。
その他の大衆文学としては、鈴木三重吉(すずきみえきち)が創刊した児童文学雑誌「赤い鳥」を基本とした北原白秋(きたはらはくしゅう)らによる童謡(どうよう)運動が始まったり、中里介山(なかざとかいざん)の「大菩薩峠」や吉川栄治(よしかわえいじ)・直木三十五(なおきさんじゅうご)らの時代小説、あるいは江戸川乱歩(えどがわらんぽ)らの探偵小説などが人気を呼んだりしました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
音楽では、山田耕筰(やまだこうさく)が本格的な交響曲の作曲や演奏を行い、大正14(1925)年には我が国初の交響楽団である日本交響楽協会を設立しました。
その後、大正15(1926)年には日本交響楽協会から近衛秀麿(このえひでまろ)が脱退し、新交響楽団を立ち上げました。現在のNHK交響楽団のルーツです。この他、声楽家ではオペラ歌手の三浦環(みうらたまき)が国際的な名声をつかみました。
大正から昭和にかけては、文部省唱歌や童謡も人々の間で親しまれるようになりました。前述の山田耕筰も「この道」「からたちの花」「赤とんぼ」「ペチカ」「待ちぼうけ」など数多くの作品を残しています。なお、これは蛇足(だそく)ですが、山田耕筰は関西大学の学歌も作曲しています。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
美術では日本画の横山大観(よこやまたいかん)や下村観山(しもむらかんざん)、安田靫彦(やすだゆきひこ)らによって、大正3(1914)年にそれまで解散状態だった日本美術院が再興され、現代も続く院展(=日本美術院主催の展覧会のこと)が開催されました。
なお、横山大観は「生々流転(せいせいるてん)」、下村観山は「白狐(びゃっこ)」などの作品が有名です。
洋画では、大正3(1914)年に文展から分離した民間の美術団体である二科会の梅原龍三郎(うめはらりゅうざぶろう)や安井曽太郎(やすいそうたろう)、あるいは春陽会(しゅんようかい)の岸田劉生(きしだりゅうせい)らが活躍しました。
岸田劉生は娘の麗子(れいこ)を描いた作品で知られており、また二科会が開催する二科展は芸能人がしばしば入選することで有名です。
また彫刻では、詩人でもあった高村光太郎の「手」が知られています。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。