明智光秀が織田信長を討った理由として昔から挙げられている説のひとつに「怨恨説」(えんこんせつ)、つまり光秀が信長に深い恨みを抱いていたというのがあります。小説や映画、テレビドラマなどで昔から様々に描かれてきておりますが、実はこれらは江戸時代以降の講談などの史料をもとにつくられており、信用できるものではありません。
また、光秀が本能寺の変の直前に信長から毛利家(もうりけ)征伐のための出陣を命じられた際に、領国である丹波国(たんばのくに、現在の京都府中部および兵庫県東部など)を没収されたという説もあり、光秀がこの仕打ちを恨んでいたといわれています。新たな領地は毛利家を倒して自力で奪え、という信長の激励(?)であったとされていますが、これも変な話です。
光秀は信長の家臣でありながら、この頃には既に一国を領する大名でもありました。いくら主君とはいえ、これから攻めようとする光秀に対して、何の落ち度もないのにいきなり領国を没収するということが果たして可能なのでしょうか。まして「領国を没収=路頭に迷わす」という厳しい条件の下で戦わせようという滅茶苦茶な作戦を、あの信長が採用するとは考えられません。
ではどうしてこのような怨恨説が有力とされてきたのでしょうか?
※上記は今回までの内容に関連する映像ですが、収録後に記事の文章を一部変更しております。また、講座のすべてに関する映像も配信しております。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
智里 おぉ!!
動画がついてる~(*´▽`人)
歴史的事件の講座なんで面白いですよね。
文章でも十分に分かりやすいのに、映像があることによって、もっと分かりやすくなりました。
1度、リアルで黒田さんの講座を受講してみたいな。
marihime 黒田さんこんばんは☆
「本能寺の変」についての講座、随分熱が入っていていいですね。
戦国時代の最大のミステリーですから、面白い講座だと思います。
美濃土岐一族の中で1番の出世頭だったので、私も色々調べましたが、歴史の表舞台に出てきた頃の光秀と、晩年の光秀には生き方に違いがあるようです。
光秀の人間性も含めて解明していただければいいなと思います。
あっ、一族だから甘くしてくれなんてことはいいませんから、存分に切り込んでくださいね(*^_^*)
映像観させていただきました。
なかなか迫力がありよかったですσ(゚ー^*)
動画付きとは(驚)
オバrev 黒田先生 動画付きとは素晴らし(・∀・)イー!!
やっぱ文章にはない迫力がありますね。
しかし、光秀怨恨説は作り話?
となると裏で手を回している人間がいるんですか。
信長と光秀ははめられたのか・・・(´ε`;)ウーン
たぶんそれは、○○じゃないかな(^^)
こみー こんばんわ~。
講座の動画、とってもわかりやすいですね(*^_^*)
このボクにも理解できるような感じですよ~(笑)
世の普通の先生よりわかるかもしれません。
生で受けてみたいですね(^-^)b
智里さんへ
黒田裕樹 確かに本能寺の変の講座ということでお越しになった方も多かったようです。
次回以降につなげられればいいのですが…。ひとえに私の実力次第ですからね。
北海道まで出かける機会がないもので…。とはいえ体ひとつでどこでも講義は出来ますから、いつかは実現してみたいものですね。
marihimeさんへ
黒田裕樹 光秀の人間性ですか…。心理面においては突っ込んだ話が出来たと思いますので、今後にご期待下さいね。
私の講義や授業は「迫力があってナンボ」ですから(笑)。聞かせないと始まりませんしね。
お言葉有難うございます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 講義においては、「聞く努力」だけでなく「聞いてもらう努力」も必要だと思います。今の自分にそれがあるかどうかは分かりませんが、参加者に「講義を受けてよかった」と常に思われるようになりたいものです。
裏で手を回している人間がいるかどうか…。今後の展開にご期待下さい(^^ゞ
こみーさんへ
黒田裕樹 一応、今春まで高校の現代社会と日本史の教師でしたからね(笑)。
現役高校生にお褒めの言葉をいただいて恐縮です。
北海道の次は福岡ですか…。確かに行ってみたいですね。
ふとかつ こんばんは。
講義の映像を拝見しました。分かりやすくて興味を持って聞けますね。黒田さんみたいな先生だったら子供達も歴史に興味を持ってくれるのでは!!
私も、是非“生”講義を受けてみたいです。
アキ スゴイ!
まだ1本目しか拝見していませんが、
ナニナニ、明智光秀ってワケもなく本能寺に乗り込んだのー?ウケルーww って感じです。
今日中に15本見られるかなー。
すごくわかりやすく、スーッと入ってくるのはどうしてだろう と考えたら、
声が通っていて、ハッキリお話されるから聞き取りやすいんですね。
これは歴史の勉強がおもしろくなります。
我々は、動機の見つからない不可解な事件が起こった際に、真っ先に「何か恨みがあったのか?」と考えがちです。そして、その動機がどうしても分からないときには、加害者が被害者に抱いたであろう「恨み」を勝手に想像したりすることはありませんか?
詳しくは後述しますが、信長と光秀との主従関係を冷静に見れば、光秀が信長に弓を引くなんて考えられません。にもかかわらず、その考えられないことが実際に起こってしまいました。だとすれば、信長は光秀に今まで受けた恩を仇で返すほどの恥辱(ちじょく)を与えていたのだ、と思いませんか?
すなわち、事件後に加害者の気持ちになって「逆算」したうえで「恨みがあったからこんな事件が起こったんだ」と自己満足して終わり、としてしまうことがよくあるのです。光秀の怨恨説も、こうした「逆算の論理」によって後世に考えられたものが大半であると推定されます。
しかし、光秀に諸説のような怨恨がなかったとしても、光秀が信長に対して「このままではついていけない」と考えてもおかしくない「流れ」があったことは私にも想像できます。この「流れ」をたどるために、光秀の半生を簡単に振り返ってみましょう。
※上記は今回までの内容に関連する映像ですが、収録後に記事の文章を一部変更しております。また、講座のすべてに関する映像も配信しております。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
kenちゃんマイド 歴史仲間3人を引き連れてはじめて講義を拝聴させていただきました。ありがとうございました。暑いなか、先生の大熱演、お疲れ様でした。仲間達もまずまず満足したと思います。明智光秀のその時の行動については、過去いろいろな説があり、これという決め手がみつかっていないのが現状です。新資料を見つけ出す事はたやすくありませんが、今後も研究してまたの機会に発表してください。期待しています。
ちゃてれ 第4回歴史講座お疲れ様でした。
動画観ました。
まさに熱演ですね、尊敬します!!
指し棒が素敵です(笑)
空茄 ちょっと太りました??
kenちゃんマイドさんへ
黒田裕樹 こちらこそ講座当日はお世話になりました。
皆様のご参加が、私をどれだけ勇気づけて下さったことでしょうか。お蔭様で自身でも納得のいく内容の講義ができたと自負しております。
今後もさらに研究を重ねて、いつの日か新たな内容で発表できればと思っております。
有難うございました。今後ともよろしくお願いいたします。
ちゃてれさんへ
黒田裕樹 塾の名物先生でもあるちゃてれさんにお褒めいただいて恐縮です(^^ゞ
指し棒は講義における私の身体の一部ですから(笑)。教師時代にも毎日使っていましたよ(^^♪
空茄さんへ
黒田裕樹 …鋭いご指摘ですね(^^ゞ
確かに増えてますかね(汗)。まぁ育ち盛りですから(笑)。
コメント有難うございますm(_ _)m
トレビアン・西です こんばんは。
光秀が信長を討った理由は諸説ありますが、結局何が真実か分りません。
しかし、数年前から考えていることがあります。
私は高野山で行をしました。
高野山に光秀の墓があります。
その墓石が割れるのです。新調しても割れるそうです。
私は光秀は高野山に恨みを持って死んだと思っています。
裏切られたのではないかと思っています。
実は、信長は高野山にも比叡山と同じように脅しをかけていました。
それ以来、高野山では信長に呪詛をかけていたとも言われています。
余談ですが、同じことを太平洋戦争の敵国にもしていたそうです。
信長が死んだ後、秀吉は高野山の中興の祖「木食上人」の弟子になりました。
そして高野山の復興のために多額の寄進をしています。
高野山における秀吉の影響がどれほどのものか、それは高野山真言宗の輪袈裟を見れば分ります。豊臣の家紋が入っています。
私は高野山が光秀をそそのかして信長を討たせた。
漁夫の利を得た秀吉が、高野山を加護したと思っています。これは私だけの意見ですが・・・。
トレビアン・西さんへ
黒田裕樹 こんばんは。長文の詳細なコメント有難うございます。
光秀の墓所の話は聞いたことがありますが、恨みを残して死んでいったということなのでしょうか…。
秀吉のお話ですが、私はむしろ秀吉は信長以上に高野山に強硬姿勢で臨んだと認識しております。
比叡山延暦寺の件を持ち出して、言うことを効かなければ同じように焼討ちするぞと脅して、高野山側が屈服し、その後は和解して仰るような影響を与えたということだと思います。
歴史は奥が深いですね。このあたりのお話も、いずれは取り上げていければと思います。
貴重なご意見に感謝いたします。