東海道(とうかいどう)・中山道(なかせんどう)・甲州道中(こうしゅうどうちゅう)・日光道中(にっこうどうちゅう)・奥州道中(おうしゅうどうちゅう)の五街道(ごかいどう)は江戸の日本橋(にほんばし)を起点とする重要な街道で幕府の管轄に置かれ、17世紀半ばからは道中奉行(どうちゅうぶぎょう)の支配を受けました。
五街道以外にも伊勢街道・北国(ほっこく)街道・中国街道・長崎街道などの脇街道が整備され、これらの街道には一里塚(いちりづか)や橋・渡船場(とせんば)・関所などの施設が設けられたほか、宿場(しゅくば、別名を宿駅=しゅくえき)が数多く置かれました。
宿場は街道が通る城下町の中心部の町に置かれ、それ以外は宿場町(しゅくばまち)と呼ばれた小都市として栄えました。なお、東海道には品川から大津まで53の宿場が置かれましたが、これらは東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)と呼ばれ、浮世絵(うきよえ)や和歌・俳諧の題材にも取り上げられました。
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幕府の継飛脚にならって、やがて各大名は江戸と国元の間に大名飛脚(だいみょうびきゃく)を置くようになり、また町人も町飛脚(まちびきゃく)の業務を開始するようになって、書状や小荷物を扱う飛脚問屋(ひきゃくどいや)ができました。
陸上交通では幕府や大名の御用通行(ごようつうこう)が優先されましたが、これらに使用される人馬は宿場の町人や農民が準備しました。これを伝馬役(てんまやく)といいます。なお、人馬が不足した際には助郷(すけごう)と呼ばれた村から補充しましたが、これは助郷役(すけごうやく)といわれました。なお、伝馬役あるいは助郷役については前回(第79回)でも紹介しています。
街道が整備されたことで宿場町はにぎわいを見せ、やがて伊勢参りなどの庶民の旅行が盛んとなりましたが、その一方で幕府は治安維持の目的から箱根(はこね)など各街道に関所を設け、江戸への武器の搬入(はんにゅう)や江戸から大名の妻子が帰国しないかどうかを厳しく見張りました。いわゆる「入鉄砲(いりてっぽう)に出女(でおんな)」のことです。
また、多くの兵が江戸へ攻め寄せることを防ぐために川に橋をかけないことも多く、特に大井川(おおいがわ)は船の移動も禁止されたため、川越人足(かわごえにんそく)による人力移動の手段しか認められませんでした。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」という言葉が今でも知られています。
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海上交通においては古代より発達した瀬戸内海航路に加えて、幕府や藩の年貢米(ねんぐまい)輸送を中心に江戸と大坂とを結ぶ航路が整備されました。17世紀前半からは菱垣廻船(ひがきかいせん)が、18世紀前半には樽廻船(たるかいせん)が南海路(なんかいろ)で定期的に運行され、主に大坂からの物資を江戸に運ぶ役割を果たしました。
また17世紀後半になると、江戸の商人であった河村瑞賢(かわむらずいけん)によって東廻(まわ)り航路(または「東廻り海運」)・西廻り航路(または「西廻り海運」)が整備され、全国的な海上交通網が完成しました。
東廻り航路は東北地方の日本海側から津軽海峡を経由して江戸へ向かい、西廻り航路は同じ東北地方から下関を通って大坂へ向かう航路でした。両方とも主として奥州や北陸の米の輸送を行い、江戸時代後期の西廻り航路には北前船(きたまえぶね)が就航するようになりました。
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