一ノ谷を放棄した平氏は、四国の屋島(やしま、現在の香川県高松市)に本拠をかまえました。屋島の北側には瀬戸内の海が広がっており、平氏は源氏が当然海を渡ってやって来るであろうと待ちかまえていたのです。ところが、ここでも義経が自慢のスピードで奇襲をかけてきました。
義経は嵐の中、少数の騎馬武者とともに荒海を馬ごと船出しました。ある意味自殺行為ともいえた義経の無茶な行動は、嵐だったのが逆に幸いして、極めて短時間で上陸を果たすことができました。そして、海岸伝いに浅瀬を馬で渡って屋島の背後に回り、安徳天皇がおられた御所を急襲したのです。
平氏にとって、安徳天皇と、天皇であることを証明する大事な三種の神器(さんしゅのじんぎ)は、自らの政権の正当性を証する重要な切り札であり、これらを源氏に奪われるのは絶対に許されないことでした。
人間はいきなり急所を狙われれば、誰だって避けようとしますよね。この場合の平氏も同じであり、とりあえず逃げるしか選択肢(せんたくし)が残されていませんでした。こうして平氏はまたしても大混乱となり、屋島も放棄せざるを得なくなったのです。
ちなみに、源氏の武者の那須与一(なすのよいち)が、平氏が所有する一艘(そう)の船に立てられた、日の丸が描かれた扇を見事に射抜いたとされる平家物語での有名なエピソードはこのときのものです。このエピソードこそが、後の平氏の運命を象徴していたように思われてなりません。




いつも有難うございます。
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ケンシロウ こんにちは。ご無沙汰しております。
この辺りの記憶を辿ることが出来ませんでした。
授業中に遊んでいたのかな?w
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 いえいえ、日本史についてすべての記憶をお持ちであるというのはなかなか大変ですし、お気になさることはないと思いますよ。
今回の講座で新たに記憶してくだされば幸いです(^^♪
ぴーち こんばんは!
那須与一にちなんで、私のところでは毎年、
弓道部所属の学生が集まり、与一が放った弓のように、船に向かって、矢を射る行事を行っているようです^^
実際には、見物に出向いた事はないんですけれどね!
平家落人村があり、そちらには何度か出向いた事があります^^
それでは、応援凸
また、お邪魔しますね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、那須与一や平家の落人の伝説は、様々なところで色々な施設や行事を残しているんですね。それだけ人々の心に深く印象付けられている、ということでしょうか。
応援有難うございます!
平氏はついに本州と九州とを結ぶ関門海峡(かんもんかいきょう)沿いの壇ノ浦(だんのうら、現在の山口県下関市)に追いつめられました。しかし、ここでの戦いは今までとは違って、完全な海戦となります。平氏は無敵ともいえる海軍を所有しており、一方の源氏は本格的な海戦は未経験でした。
ここまで驚異的なスピードにより、奇跡の連続で勝利を収めてきた義経といえども、さすがに苦戦するかと思われたのですが、何とここでも義経は完勝してしまうのです。いったいどんなマジックを使ったというのでしょうか?
義経は、平氏の軍船の操縦者をことごとく射殺し、敵の船を動けなくしてしまったのです。船の操縦者は非戦闘員であり、殺してはいけない、というより戦いにそもそも参加していないというそれまでの常識を打ち破る、まさに「コロンブスの卵」的な発想でした。
船が動かなくては勝てるはずがありません。かくしてあれほどの栄華を誇った平氏はついに海の藻屑(もくず)と消え、義経は会心の大勝利を収めたのですが、皮肉なことに、このときすでに義経には破滅の兆(きざ)しが見えていたのでした。
義経の活躍により、平氏は確かに滅亡しました。 「戦術」としては申し分のない完全勝利だったのですが、彼の兄である頼朝は、義経の「ある行為」に激怒しました。いったい義経のどんな行動に激怒したというのでしょうか?




いつも有難うございます。
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相模守高時 やはり軍事にいて義経の才能は日本の歴史上でも
特筆すべきものですね。
ただ、自分の立場がわからないというかKYというか。。。。。。
頼朝の登場で彼の人物像の核心に入っていくのでしょうか。
楽しみです。
智里 きたー!!
壇ノ浦の戦い!!
すごいよね~、当時ではおきて破りの戦いだっかたもしれないけど、それが普通と言えば普通なんだろうね。
ちゅーか、熊野水軍は出てこないの?
平家、源氏、両方についていたけど、平家についていた湛増が源氏側について勝利したんですよね。
この頃の歴史って、戦国時代の次に興味のある時代です。
常識を打ち破る!
タイクーン 黒田裕樹さん、こんにちは

もともと、「船の船頭は非戦闘員ゆえ、
射てはならない

という、当時の戦における「暗黙の了解」
を打ち破った、義経の発想は凄いですね~

おそらく当時の人達のなかには、「義経のやり方は卑怯だ

言っていた人もいたのでしょうかね~

さすらい こんばんは。
なるほど
平氏の軍船の操縦者をことごとく射殺とは
たいへんおもしろい話です。
義経の戦略による話は
さらにこの後波乱に及ぶのですね。
明日を待っています。
応援♪
相模守高時さんへ
黒田裕樹 > やはり軍事にいて義経の才能は日本の歴史上でも
> 特筆すべきものですね。
私もそう思います。講座にも書きましたが、おそらくは幼い頃の数々の経験が、彼に様々な戦術を身につけさせたのでしょう。
> ただ、自分の立場がわからないというかKYというか。。。。。。
> 頼朝の登場で彼の人物像の核心に入っていくのでしょうか。
> 楽しみです。
仰るとおり、次回からはあまり知られていない「義経の最大の欠点」が明かされることになります。
ご期待下さい!
智里さんへ
黒田裕樹 > きたー!!
> 壇ノ浦の戦い!!
> すごいよね~、当時ではおきて破りの戦いだっかたもしれないけど、それが普通と言えば普通なんだろうね。
そのとおりです。戦い方というのは時代によって変わるもの。その変化の扉をこじ開けたのが義経なんですね。
> ちゅーか、熊野水軍は出てこないの?
> 平家、源氏、両方についていたけど、平家についていた湛増が源氏側について勝利したんですよね。
> この頃の歴史って、戦国時代の次に興味のある時代です。
熊野水軍が味方についたことにより、源氏が有利になったのは事実ですが、今回は義経に関する講座ですので割愛させていただきました。お詳しいですね。このあたりの時代は智里さんに代行してもらいましょうか?(^^ゞ
タイクーンさんへ
黒田裕樹 > もともと、「船の船頭は非戦闘員ゆえ、
> 射てはならない

> という、当時の戦における「暗黙の了解」
> を打ち破った、義経の発想は凄いですね~

他人が思いつかないことを思いつき、涼しい顔で実行する能力も併せ持つ。まさに「戦術の天才」の名に相応しい義経の活躍ぶりですね。
> おそらく当時の人達のなかには、「義経のやり方は卑怯だ

> 言っていた人もいたのでしょうかね~

義経の常識破りの戦い方に批判があったのは確かなようですが、義経が没落した真の理由はもっと他にあるんですよね…。明日からの講座で明らかにされますよ!
さすらいさんへ
黒田裕樹 > なるほど
> 平氏の軍船の操縦者をことごとく射殺とは
> たいへんおもしろい話です。
当時の人々は「そんな手があったのか!」と感嘆したと同時に「卑怯者」と思ったかもしれませんね。
> 義経の戦略による話は
> さらにこの後波乱に及ぶのですね。
> 明日を待っています。
はい、また是非お越し下さい(^^♪
応援有難うございます!
えめる 勝つ為には、大きな事をやるためには、
ルールさえ破る必要がある、ということですね。
厳しい戦いの世界ですニャ。
勝ったのにお怒りを買ってしまったの?なんだろ?
出るくいは打たれるって感じ。中間管理職は辛いニャね(^^;
えめるさんへ
黒田裕樹 > 勝つ為には、大きな事をやるためには、
> ルールさえ破る必要がある、ということですね。
> 厳しい戦いの世界ですニャ。
確かに厳しいですね。でも、その厳しさがなかったら、平氏はこれほどまでにあっけなく滅びることもなく、戦いはもっと長引いていただろうと思われます。
> 勝ったのにお怒りを買ってしまったの?なんだろ?
> 出るくいは打たれるって感じ。中間管理章は辛いニャね(^^;
出る杭の話も当てはまりそうですが、もっと根本的な理由があるんですよ…。
明日をお楽しみに!