また、明治の中期頃までには九代目市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)や五代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)、初代市川左団次(いちかわさだんじ)らの名優が出て、歌舞伎は「団菊左(だんきくさ)時代」と呼ばれる全盛期を迎えました。
こういった背景には、文明開化や欧化主義といった極端な西洋化に反発するかたちでの伝統保存への気運や、演劇改良運動による歌舞伎の社会的地位の向上がありました。なお、明治22(1889)年には歌舞伎座が建てられています。
その後、歌舞伎は西洋演劇の手法が取り入れられ、坪内逍遥(つぼうちしょうよう)による史劇「桐一葉(きりひとは)」などがつくられました。
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新派劇では、川上音二郎(かわかみおとじろう)によるオッペケペ―節が大流行したほか、新聞小説や流行小説から題材をとるようになり、ますます発展しました。
日露戦争後には、坪内逍遥らが文芸協会を設立したり、あるいは小山内薫(おさないかおる)と二代目市川左団次らが自由劇場を発足させたりして、新劇(しんげき)と呼ばれた西洋の近代劇を上演しました。
なお、文芸協会の解散後には、島村抱月(しまむらほうげつ)や松井須磨子(まついすまこ)らが芸術座を結成しています。
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その後、明治20(1887)年に伊沢修二(いざわしゅうじ)を校長として東京音楽学校が設立され、本格的な音楽教育が始まりました。なお、東京音楽学校は現在の東京芸術大学音楽学部の前身にあたります。
やがて、日本人からも滝廉太郎(たきれんたろう)のような優れた音楽家が現れ、彼が作曲した「荒城の月」「箱根八里」「花」などは、現代に至るまで広く歌い継がれています。
また、日清戦争の頃には軍歌が流行したほか、学校の校歌や寮歌(りょうか)も愛唱されました。早稲田大学の校歌である「都の西北(せいほく)」や、旧制第一高等学校の寮歌である「嗚呼(ああ)玉杯(ぎょくはい)に花うけて」などが有名です。
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我が国初の官立公共図書館となった書籍館は、明治30(1897)年には帝国図書館となり、現在の国立国会図書館のルーツとなりました。またこの他にも全国で公開図書館が次々と設立され、国民に広く利用されました。
書籍館が開かれた同じ明治5(1872)年に、湯島聖堂の大成殿(たいせいでん)で博覧会が行われたほか、翌明治6(1873)年にウィーン万国博覧会が開かれたのをきっかけとして、内務省系の博物館(現在の東京国立博物館)と文部省系の博物館(現在の国立科学博物館)が設立されました。また、その後に全国各地で博覧会が開かれたことで、地方においても博物館が建てられました。
なお、当時の帝国図書館や内務省系・文部省系の博物館は、いずれも上野公園にありましたが、これは寛永寺(かんえいじ)の境内地(けいだいち)を公園化したものであり、現在の東京の芝公園や浅草公園も、それぞれ増上寺(ぞうじょうじ)や浅草寺(せんそうじ)の境内地がその由来であるなど、我が国で広大な敷地を持つ公園の多くは、大名屋敷の庭や大寺院あるいは神社の境内地を利用したものです。
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自然科学(特に医学)の発達によって、明治期には我が国でも近代的な病院がつくられるようになり、明治25(1892)年には北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)によって伝染病研究所が設立され、伝染病の予防と治療の施設が初めてつくられました。
また、佐野常民(さのつねたみ)らによって設立された博愛社(はくあいしゃ)は、明治20(1887)年には日本赤十字社と改称され、明治45(1912)年には明治天皇の皇后であられる昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)が国際赤十字に資金を寄付されました。
この資金は「昭憲皇太后基金」として、今でも世界各国の医療活動に幅広く活用されています。また現在の日本赤十字社の名誉総裁は皇后陛下であらせられます。
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