経済学においては、まずイギリス流の自由貿易を主体とした自由放任の経済政策を盛り込んだ経済学が導入され、その後はドイツ流の保護貿易や社会政策の学説が主流となりました。
法律学では、フランスのボアソナードが招かれて法典の編纂(へんさん)が進められましたが、民法典論争をきっかけにドイツ法学が我が国の主流となりました。
哲学においては、西田幾多郎(にしだきたろう)が西洋の哲学を踏まえつつも、伝統的な禅(ぜん)の思想に立った独創的な哲学体系を確立しました。
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その他、西洋の近代史学の影響を受けた実証的な研究も進み、帝国大学教授の久米邦武(くめくにたけ)がその先駆者となりましたが、その研究内容が伝統的な思想と衝突(しょうとつ)することもあり、久米が明治24(1891)年に発表した論文「神道は祭天(さいてん)の古俗(こぞく)」が神道家などからの攻撃を受け、翌年に教授の職を追われるということもありました。
自然科学では、様々な分野において、それぞれが世界の科学の進歩に貢献しました。例えば、物理学では田中館愛橘(たなかだてあいきつ)が地磁気の測定で、長岡半太郎(ながおかはんたろう)が原子構造の研究で成果を上げました。
また医学では、令和6(2024)年から新たに発行される我が国の千円札の肖像画(しょうぞうが)に採用された北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)が、ペスト菌など細菌学の研究や、伝染病研究所の創設などを行いました。
この他、志賀潔(しがきよし)が赤痢菌(せきりきん)を発見し、秦佐八郎(はたさはちろう)がサルバルサン(=梅毒の特効薬)の創製を行いましたが、この二人はいずれも北里柴三郎に師事しています。また、我が国の現在の千円札の肖像画で有名な野口英世(のぐちひでよ)が梅毒スピロヘータの研究を行ったことで知られていますが、彼も北里の伝染病研究所に所属した経験があります。
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また、下瀬正允(しもせまさちか)が研究した「下瀬火薬」が日露(にちろ)戦争の日本海海戦で使用され、ロシアのバルチック艦隊に壊滅的(かいめつてき)な打撃を与えました。
これら以外の自然科学としては、地震学では大森房吉(おおもりふさきち)が大森式地震計を作製し、天文学では木村栄(きむらひさし)が緯度変化のZ項を発見したほか、数学では菊池大麓(きくちだいろく)によって近代数学が導入されています。
この他、探検の分野においては、日本人として初めてチベットに入り、チベット学に貢献した河口慧海(かわぐちえかい)や、同じく日本人として初めて南極圏(けん)に到達した白瀬矗(しらせのぶ)などが知られています。
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