寺院に対しては、その宗派ごとに寺院法度(じいんはっと)を発令し、本山(ほんざん)や本寺(ほんじ)の地位を保障するとともにその下に末寺(まつじ)を組織して、全体に対して厳しく統制しました。これを本末(ほんまつ)制度といいます。
その後、4代将軍の徳川家綱(とくがわいえつな)の頃の寛文(かんぶん)5(1665)年には、宗派に関係なく寺院や僧侶全体を共通に統制するために諸宗(しょしゅう)寺院法度を出し、同年には神社や神職(しんしょく)に対しても同じように統制するために諸社禰宜神主(しょしゃねぎかんぬし)法度を発令しています。
なお、江戸幕府の設立の以前からキリスト教(=カトリック)に対する弾圧が厳しくなっていました。その詳細はいずれ後述しますが、幕府はカトリックの禁止を確実なものとするために、寛文4(1664)年に「寺請(てらうけ)制度」を設けました。
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この制度によって、国民は必ず周辺のどこかの寺院の檀家(だんか)にならねばならず、寺院への参詣(さんけい)や父祖(ふそ)の法要、あるいは付け届けを義務付けられ、これらに応じなければキリシタンとみなされるようになってしまいました。
檀家として登録された国民は原則として離脱を許されず、また婚姻や転居の際には所属する檀那寺(だんなでら)の証明書である寺請証文(てらうけしょうもん)が必要とされました。このように、すべての国民が信仰する宗教を幕府が把握(はあく)することで、カトリックの禁止を徹底させたのです。なお、寺請制度は別名を「檀家制度」あるいは「寺檀(じだん)制度」とも呼ばれています。
ところで、この頃までにカトリック以外にも幕府によって禁止とされた宗教があることを皆さんはご存知でしょうか。それは日蓮宗(にちれんしゅう)の不受不施派(ふじゅふせは)です。
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これは、権力者側から見れば国家による統制を受けないどころか、国家権力そのものを認めないという危険な思想になります。このため、日蓮宗の不受不施派はカトリックと同様に幕府の厳しい弾圧を受け、江戸時代にはカトリックとともに禁止されてしまったのです。
ところで、これまでに紹介した寺請制度は、幕府が禁教とした宗派を信仰させないようにするという宗教弾圧の性格を強く持っていましたが、それと同時に現代にまでつながる大きな恩恵となった重要な側面も持っていました。
それは、我が国における「政教分離の原則」の完全なる定着です。
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そんな宗教勢力に対して、焼討ちや反対勢力の皆殺しなどの思い切った手法で一掃(いっそう)したのが織田信長であり、豊臣秀吉もその政策を受け継ぎました。家康も二人にならって政教分離を進め、その遺志を継いだ江戸幕府によって「寺請制度」として完成したのです。
先述のとおり、寺請制度によって国民は必ずどこかの檀家にならねばならず、また離脱する自由も認められなくなった一方で、寺院側はそれこそ「何もしなくても」檀家の参詣や法要、あるいは付け届けで生計が立つようになりました。一見すれば「寺院が住民を支配している制度」ですが、その裏で国家権力が寺院に「権益」を与えて逆に統制することで、宗教が政治に関わる必要を一切なくしてしまったのです。
かくして、我が国では宗教が政治に関わることがいつしか「あり得ない」こととなり、政教分離の原則が完全に定着しました。そして、これらによる恩恵あるいは影響は、現代においてもなお続いているのです。
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寺院にとっても、周辺の住民が檀家となることで信者数が固定され、また幕府の保護を受けて経済的な安定を得ることができましたが、それは同時に、これまでのような熱心な布教活動が不要となったことで、仏教の本来の任務に対する情熱を失わせる結果をもたらしました。
このような流れを受け継いだことで、我が国では国民の宗教に対する意識が低下した結果、いわゆる「無神論者(むしんろんしゃ)」が増えており、日本人の宗教観のなさや宗教に関する無関心さが、宗教を重んじる外国人との間でトラブルを引き起こすなど国内外で問題となっています。
また、政教分離を強調するあまり、我が国古来の風習である「神道との関わり」のすべてが否定される傾向が見られ、内閣総理大臣や知事、市長などが公人(こうじん)の立場で神社に参拝したり、あるいは玉ぐし料を支出したりすることなどが憲法違反の疑いがあるとみなされています。
政教分離に至る歴史の重みを現代に生きる私たちがしっかりと受け止めるのみならず、日本人として当然に持つべき宗教観の育成も、我が国にとって重要な課題であると私は思います。そのためにも、宗教に対する知識や理解を深める一方で、杓子(しゃくし)定規な解釈で宗教との関わりを一切断(た)ったりすることがないよう、私たちは心掛けるべきではないでしょうか。
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