源義経(みなもとのよしつね)という名前を聞いて、「知らない」という人はまずいないでしょう。平氏(へいし)を滅ぼした実力者でありながら、悲劇的な最期を迎えた英雄として、今までに数え切れないほど小説や映画、TVドラマなどで紹介されており、我が国で五本の指に入るほど有名な歴史上の人物です。
しかし、義経の実像については案外ご存じない人が多いのではないでしょうか。実際、義経という人物の生き様ほど「ドラマチック」と呼ぶにふさわしいものはないのです。
義経は1159年に源義朝(みなもとのよしとも)の九男として生まれました。彼が後に「九郎(くろう)義経」と呼ばれたのはこのためです。ところで、彼が生まれた1159年は、時代の節目ともなった非常に重要な年でした。
この年には、天皇を退位した後に上皇(じょうこう)として政治の実権を握るという院政(いんせい)を始めた後白河上皇(ごしらかわじょうこう)の近臣内の勢力争いから「平治の乱」(へいじのらん)が起きました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
えめる 歴史講座、お疲れ様でした。義経の人物像がゆがめられて伝わったのはなぜなのかなという疑問。
今後の記事を読んでいけばわかるかニャ。楽しみにしています。
有名な5人???だれがいたかにゃ……。
義経。聖徳太子。信長。利休。あ、卑弥呼。
偏った知識でごめんなさーいっ(笑)
えめるさんへ
黒田裕樹 > 歴史講座、お疲れ様でした。義経の人物像がゆがめられて伝わったのはなぜなのかなという疑問。
> 今後の記事を読んでいけばわかるかニャ。楽しみにしています。
有難うございます(^^♪
今週土曜日まで続けますので、宜しくお願いしますm(_ _)m
> 有名な5人???だれがいたかにゃ……。
> 義経。聖徳太子。信長。利休。あ、卑弥呼。
> 偏った知識でごめんなさーいっ(笑)
いえいえ、人によって様々だと思いますから。
私の場合、5人というより3人ならすぐに挙げることができますよ。
そのうちの二人はえめるさんがお書きになっております(^_^)v
平治の乱の勝者となった平清盛(たいらのきよもり)は、政治上での発言力をますます高め、やがては平氏で朝廷内の要職を独占するという形で政治の実権を握りました。いわゆる「平氏政権」(へいしせいけん)の誕生です。
一方、義経の父である義朝は戦いに敗れ、逃げる途中に家臣の裏切りにあって無念の最期を遂げました。当時赤ん坊であった義経も母とともに捕らえられ、清盛の前に引き出されました。
ここで殺されてもおかしくはなかったのですが、絶世の美女であった義経の母が、清盛の愛人となることで義経は助命されたと伝えられています。このとき、清盛の継母(ままはは)の「死んだ息子に似ているから」との嘆願(たんがん)で、同じく殺されずに済んだ若者がいました。
助命された若者こそが、義経の兄である源頼朝(みなもとのよりとも)でした。頼朝・義経兄弟を結果的に生かしてしまった清盛の判断が、その後の平氏の運命を大きく狂わせていくのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
さすらい こんばんは。
五本の指に入るほど有名な歴史上の人物ですか。
義経の他に
黒田さんでしょ、私でしょ、あとは。。。(笑)
この辺の歴史ミステリーもたくさんあるんでしょうね。
楽しみにしてます!
応援♪
智里 ここから平家の運命が変わっていくんですね。
義経だけだったら、きっと歴史はそんなに変わってなかったんじゃないかな?
頼朝が北条政子と結婚して、北条に動かされてただけなんだろうね。
もし、頼朝が北条じゃなく静御前と一緒になってたら、歴史はもっと面白くなってたかも!
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 五本の指に入るほど有名な歴史上の人物ですか。
> 義経の他に
> 黒田さんでしょ、私でしょ、あとは。。。(笑)
その発想はありませんでした(^^ゞ
あとは…42年組と43年組から選びましょうか(笑)。
> この辺の歴史ミステリーもたくさんあるんでしょうね。
> 楽しみにしてます!
> 応援♪
明日から本格的なストーリーに入りますのでご期待下さい。
応援有難うございます!
智里さんへ
黒田裕樹 > ここから平家の運命が変わっていくんですね。
> 義経だけだったら、きっと歴史はそんなに変わってなかったんじゃないかな?
仰るとおりだと思います。頼朝・義経兄弟がそろったからこそ、平家の滅亡が早まったといえるからです。その理由は…これから分かりますよ(^_^)v
> 頼朝が北条政子と結婚して、北条に動かされてただけなんだろうね。
鋭いですねぇ。いずれ「頼朝伝」も紹介できればと思います。
> もし、頼朝が北条じゃなく静御前と一緒になってたら、歴史はもっと面白くなってたかも!
その発想はなかったです(^^ゞ
ただ、静御前では頼朝の「大出世」はありえなかったと思いますよ。その理由は…。
ぴーち こんばんは!
義経の母親はそんなに美しい方だったんですか!
しかも頼朝は死んだ息子さんに似ているから・・といういづれも、外見だけで判断されたというのも、かなり安易な印象を受けました。
それゆえに、自らの首を絞めることとなろうとは。。
物事を表面で判断した結果から出た、つまり「身から出た錆」だったということでしょうかね・・?
応援凸
来年の話をすると鬼が笑うというけれど、
笑うどころか、もしかしたら、また侍に斬られちゃいますわよw(もちろん、冗談ですw)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 義経の母親はそんなに美しい方だったんですか!
> しかも頼朝は死んだ息子さんに似ているから・・といういづれも、外見だけで判断されたというのも、かなり安易な印象を受けました。
> それゆえに、自らの首を絞めることとなろうとは。。
> 物事を表面で判断した結果から出た、つまり「身から出た錆」だったということでしょうかね・・?
義経の場合は自分の欲望からですから、まさに「身から出た錆」ですね。頼朝の場合は継母のわがままから出たものですが、例えば追放する途中で殺害することもできたわけですから、いずれにせよ清盛の油断が生んだ結果でしょう。
応援有難うございます。命が惜しいので(笑)、今年は大人しくします(!?)
えめる やはり世の中を動かしているのは、大もとを正せば女性だニャね。
しかも、美しくないといけない。
……あーあ。世の中って言うか、権力を持った男ってみんなそんなもの(苦笑)
現代にも通ずるのよね。権力者。エリートサラリーマン。
あれ、偏見が過ぎました。失言でした。でも送信。
えめるさんへ
黒田裕樹 えめるさんの仰るとおり、いつの時代も結果として世の中を動かしているのは女性なのかもしれませんね。
権力を持った男ですか。私には縁のない話ですが(笑)、一度権力の虜(とりこ)になると、自分の力でどうにでもなるとでも思っているんですかねぇ。あれ? 私も偏見かも(笑)。
およよのよ こんばんは。
信長や秀吉、家康が敵方の息子を赦さなかったのは(浅井万福丸だとか豊臣国松だとか)
このあまりにも有名な前例があったからなんですよね。
頼朝も義経も恩を仇で返すようなこともしなくていいのにな、と思うこともありますが当時の平氏に対する不満は凄かったから仕方の無い事でしょう。
でももしも頼朝、義経は仏門に入り、他の人物が平氏を倒していたら、後の戦国乱世も厳しさが少しゆるくなっていたのだろうか…と思うこともあります。
でも古代中国から裏切り等は一族皆殺しですし変わらなかったかもしれませんね。
コメント遅くてごめんなさい、でも返信してくれると嬉しいです。
およよのよさんへ
黒田裕樹 > 信長や秀吉、家康が敵方の息子を赦さなかったのは(浅井万福丸だとか豊臣国松だとか)
> このあまりにも有名な前例があったからなんですよね。
そのとおりです。これぞまさに「歴史に学ぶ」。残酷ではあっても、「殺るか、殺られるか」の世の中では致し方がないですね。
> 頼朝も義経も恩を仇で返すようなこともしなくていいのにな、と思うこともありますが当時の平氏に対する不満は凄かったから仕方の無い事でしょう。
彼らにとっては、生命を助けてくれた恩よりも、一族に対する恨みの方が深かったのでしょう。仰るとおり、仕方のないことです。
> でももしも頼朝、義経は仏門に入り、他の人物が平氏を倒していたら、後の戦国乱世も厳しさが少しゆるくなっていたのだろうか…と思うこともあります。
> でも古代中国から裏切り等は一族皆殺しですし変わらなかったかもしれませんね。
いずれ後の講座で書きますが、義経でなければあそこまであっけなく平氏が滅びたとは考えにくいんです。だとすれば、その後の世の中も相当変化したと思われます。
武士の世の中は厳しいですから、「一族皆殺し」も致し方ないかもしれませんね。
> コメント遅くてごめんなさい、でも返信してくれると嬉しいです。
いえいえ、受験生という厳しい環境にありながらのコメント、有難く思ってますよ(^_^)v