アメリカでは、モリソン号事件を教訓として、日本に対しては友好的よりもむしろ強硬(きょうこう)な態度で接した方がよい、と判断しました。
そこで1853年に、ペリーが黒船4隻(せき)を率いて浦賀(うらが)沖に現れ、黒船の威力を我が国に見せつけたうえで、翌年には日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を結ばせて強引に開国させ、さらに1858年には日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)を結ばせることに成功しました。
日米修好通商条約は、外国側の治外法権(ちがいほうけん=外国人が国内で罪を犯しても日本人が裁けないこと)を認め、我が国に関税自主権(かんぜいじしゅけん)を認めない(注:追記を参照)という、著(いちじる)しい不平等条約でした。
幕府はアメリカの他にもロシアやイギリス、フランス、オランダと同じような不平等条約を結ばされました。後の明治政府がこれらの不平等条約を改正するのに、実に50年以上の長い月日をかけているのです。




いつも有難うございます。
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さすらい こんばんは。
歴代の外務大臣の尽力は大きかったですね。
現代でも外交は
はっきりした態度をとって欲しいと思います。
応援♪
ぴーち 出ましたね!「太平の眠りを覚ます 蒸気船・・・・・・」
この時代は、外国人が国内で罪を犯しても
然るべき処罰は出来なかったんですか。
今は、日本で悪行を行った者がその罪を免れる為に自国へ逃亡すると
その罪が無効になってしまうようですが、それもなんだか怖い話ですよね。
また日本に入国する際、指紋を縫い合わせたりして
変えてくるんですもん。。そこまでして日本は良い国かな~?
たった四杯で、夜も眠れず・・・・・・
たまに濃いお茶も飲んでみたいと思う私です^^
では、応援凸
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 歴代の外務大臣の尽力は大きかったですね。
> 現代でも外交は
> はっきりした態度をとって欲しいと思います。
仰るとおりです。江戸幕府からの最大級の「負の遺産」を、よくぞ払拭してくれましたが、本来は「しなくても済んだ」ものですからね…。
現代では、逆に「苦労しないように」外交を続けているような気がします(´・ω・`)
応援、有難うございます!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 出ましたね!「太平の眠りを覚ます 蒸気船・・・・・・」
> この時代は、外国人が国内で罪を犯しても
> 然るべき処罰は出来なかったんですか。
そのとおりです。治外法権による最大の悲劇は、明治時代のノルマントン号事件ですね。
この事件がきっかけで、国民世論が一気に盛り上がりました。
> 今は、日本で悪行を行った者がその罪を免れる為に自国へ逃亡すると
> その罪が無効になってしまうようですが、それもなんだか怖い話ですよね。
> また日本に入国する際、指紋を縫い合わせたりして
> 変えてくるんですもん。。そこまでして日本は良い国かな~?
せっかくの指紋押捺が無意味になってしまいますね。
我が国はそれだけ「おいしい」国なんですよ。目先の景気変動しかみていない国民よりも、外国から見た方が、この国のありようがよく分かるかもしれないですね。
> たった四杯で、夜も眠れず・・・・・・
> たまに濃いお茶も飲んでみたいと思う私です^^
濃いお茶はもちろん、高級なお茶を飲みたいものですね(^^♪
応援、有難うございます!
いつの間に(゚Д゚)
オバrev げげっ!ちょっと忙しくて黒田先生のブログ見ないうちに、家光のころの話が、いつの間にか黒船来航になってるエー
それにしても、一旦結んだ条約を変えるっていうのは大変なんですね。
やはり外交においては主張すべきところは主張せんといけんのですねぇ。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > げげっ!ちょっと忙しくて黒田先生のブログ見ないうちに、家光のころの話が、いつの間にか黒船来航になってるエー
ご訪問有難うございます。一日2回の更新なので、ずいぶん時代が進んでしまいました(笑)。
> それにしても、一旦結んだ条約を変えるっていうのは大変なんですね。
> やはり外交においては主張すべきところは主張せんといけんのですねぇ。
そうなんです。ただ、主張しようと思えば、聖徳太子のようにあらゆる方向から情報を仕入れたうえで、国益にかなう決断力が必要でしょうね。江戸幕府はあまりにもドロナワ式でした…(>_<)
相模守高時 自らの意思で国を開いていたらどうなったでしょうか。
幕府はもっと早くぶっつぶれていたかもしれませんね。
関税自主権もさることながら、チョンマゲ、ハラキリの国の法律で裁かれるのは欧米諸国は嫌だったのでしょうね。
う~ん
h.hamauzu おはようございます。
不平等条約、
ふと、ブッシュ前大統領の顔が浮かんできたのはなぜだろう?
いまでも不平等だらけってことかも知れませんね・・・
ヒロキ 欧米諸国のように法制度が整ってない日本に治外法権は認められないっていうのが主張なんでしょうね。
考えてみれば、法制度が整ってない国に裁かれたら大変な事になりそうなので無理もないですが。。。
だから明治政府は必死に欧米諸国のマネをしたんでしょうね。
不平等条約を撤回する為にー。。。
相模守高時さんへ
黒田裕樹 > 自らの意思で国を開いていたらどうなったでしょうか。
> 幕府はもっと早くぶっつぶれていたかもしれませんね。
そうですね。つぶれるにしても、現実のようにボロボロになってつぶれるか、あるいは発展的に解散して、幕府組織を残した新政府が誕生したのか…。興味が尽きませんね。
> 関税自主権もさることながら、チョンマゲ、ハラキリの国の法律で裁かれるのは欧米諸国は嫌だったのでしょうね。
欧米諸国にとって、自分たちの認知した文化以外はすべて「野蛮」ですからね。信長クラスの指導者がいれば、武力などで黙らせることができたかもしれませんが…。
また、幕府は黒船来航の際に初めて、我が国の軍事力などの国力が諸外国よりかなり劣っていることを思い知らされました。いや、正しくは「分かっていたはずなのに無視し続けていた」のです。戦国時代に数十万の鉄砲と兵士を所有し、世界一の軍事力を誇っていたという、我が国のかつての面影は、もはやどこにも残っていませんでした。
そして開国以来、我が国は白人による植民地化と隣り合わせという危機のもと、不平等条約という大きなハンデを負いながら、血のにじむような努力で近代化を強引に進めなければならなかったのです。
幕末の大混乱がかえって国内の団結を生み、明治維新後に我が国が富国強兵(ふこくきょうへい)の道を一心不乱(いっしんふらん)に歩み、結果として短期間で世界の一等国にまでなったという事実があるのは確かです。
しかし、だからといって「しなくても済んだ苦労」をする必要はないはずですし、そもそも鎖国が「祖法」であるという有り得ない話や、我が国は海に囲まれて安全であるという根拠のない話を勝手に信じ込んだ幕府に、ほんの少しでも外交能力があれば、こんなことにはならなかったはずなのです。
なしくずしの「鎖国」は、結果として我が国にとって「痛恨」かつ「屈辱」の歴史をつくってしまいました。
これを「悲劇」といわずして何というのでしょうか?
(第2回歴史講座「『鎖国』という名の悲劇」はこれで終わりです)




いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
そうですよね。
鎖国がなければ違う歴史もあったでしょうね。
よく、織田信長や坂本竜馬、伊藤博文が
殺されていなければ日本は違っていた。。。
なんて歴史ミステリーなどやっていますが
そういうのも含めて鎖国も
日本が今日育つ基礎になっていたかも知れません。
もっと後で講義されると思いますが
太平洋戦争の愚かさは我々にも直接的に
感じることもできるのに
それ以前の日本の愚行や悲劇は
なかなかわかることができないので
こうした黒田さんのような講義は勉強になりますね。
応援♪
えめる 外からの情報を遮って、井の中の蛙と化してしまった日本。
一気に大海に投げ出されて、わらをもつかむ心境で必死に進んできたという感じなのかニャ。
ひと言で鎖国といっても、内情は実にドラマティックでした~。
現代でも、聖徳太子の精神を見習わなきゃね。
と、ここのおかげですっかり聖徳ファンになっている私です。
楽しく勉強させて頂きました。ありがとう。
さすらいさんへ
黒田裕樹 仰るとおりで、歴史というのはある偶然や、そのときの選択によって全く別物になってしまうことがあります。私たちの人生がそうであるように。
その意味でも、歴史から「この時に違った選択をしていれば?」という考えを持つことは、過去の教訓を生かす意味でも重要ですし、歴史勉強の醍醐味でもありますね。
応援有難うございます!
えめるさんへ
黒田裕樹 > 外からの情報を遮って、井の中の蛙と化してしまった日本。
> 一気に大海に投げ出されて、わらをもつかむ心境で必死に進んできたという感じなのかニャ。
> ひと言で鎖国といっても、内情は実にドラマティックでした~。
大海に放り込まれて生死の境をさまよいながら、良くぞここまで近代化ができたものだと先人の努力に敬服するとともに、「何もこんな目にあわなくても…」という思いもします。まさにドラマチックですね。ノンフィクションだけに重みがあります。
> 現代でも、聖徳太子の精神を見習わなきゃね。
> と、ここのおかげですっかり聖徳ファンになっている私です。
> 楽しく勉強させて頂きました。ありがとう。
そうですか。えめるさんもファンになって下さいましたか。
できることならば、聖徳太子の自作小説を是非書いて欲しいですニャ(^^♪
けん爺ちゃん こんにちは(^ワ^)
鎖国編、読ませて頂きました。
確かに、初期はシャムやルソンと盛んに
貿易してたのが、いつの間にか閉鎖的、硬直的な
国風に変わってしまいましたよね。
ペリーが来る事も、
1年前からわかっていながら、あの対応…
仰る通り、少しでも外交能力があれば
もう少しまともな対応も可能でしたでしょうに…。
キリスト教への警戒感から始まった鎖国状態は、
文物の流入制限・監視、幕藩体制の維持へと
意味合いが変遷していき、祖法と呼ばれるまでに至った訳ですね。
明治維新後、欧米視察団の大久保利通が
『我が国は100年は遅れている』
と嘆いた状況は、本当にしなくても済んだ苦労ですよね…。
清き流れより、田や沼が暮らしやすかったでしょうに…(- -)
ヒロキ むかしは海に囲まれてることで攻められにくかったですが、船の技術が上がってくれば話は別ですよね。
立地的にも日本は都合のいい場所だから、欧米諸国から狙われてますよね。。
けん爺ちゃんさんへ
黒田裕樹 コメント有難うございます。
仰ること、誠にそのとおりです。すべては江戸幕府の失政…。
いや、修正は可能だったんです。それをよってたかって潰してしまった上層部の無能…。
政治がダメだと、亡国の危機を招くという典型例でしょう。
このときは、明治維新で何とかカタチはつくれた。ひるがえって、現代はどうなのでしょうか。
国と国民の益になるための政策を考えている政党はあるのでしょうか…。
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > むかしは海に囲まれてることで攻められにくかったですが、船の技術が上がってくれば話は別ですよね。立地的にも日本は都合のいい場所だから、欧米諸国から狙われてますよね。。
仰るとおりです。「天然の防壁」が無意味になった瞬間に、我が国は欧米諸国の東アジアの侵略に向けての「格好の拠点」と化してしまったんですよ。
彼らの要望(というより脅迫)に反対する方法はただ一つ。彼らの攻撃力に対抗できるだけの防衛力を身につけること。しかし、現実はあまりにもシビアでした…。
得たものと失ったもの
オバrev 江戸時の鎖国によって得たものと失ったものがあると思います。
日本で通用しても世界で通用しない常識や外交力というものは、完全に思考停止状態が長年続いてしまって、我々の中に染みついてしまったんじゃないでしょうか。大きな損失でしょう。
それが未だに尾を引いていて、経済がグローバル化した今となって、さらに欠点がより大きくクローズアップされてきているような気もします。
当時、もっと海外と交流していたら、世界の情勢も把握できて、日本文化や思考も変わって、その後の大戦なども違う方向にいってたかもしれませんね。
逆に得たものは、日本独自の文化や、出る杭は打たれる、横並びで、ある意味平等で平和な島国根性?
オバrevさんへ
黒田裕樹 冷静かつ正確な分析、有難うございます。
>日本で通用しても世界で通用しない常識や外交力
まさに「日本の常識は世界の非常識」ですよね。鎖国のイメージを未だに引きずっているからなのか、この「原則」が分かっていない人が多いような気がします。国内向けと国外向けとで、アピールが違うのは当然だと思うのですが…。
こうして考えると、得たものよりも失ったもののほうがあまりにも多すぎるような気がしますね。なしくずしでなく、ビジョンを持った鎖国であればまだ良かったと思うのですが…。