延暦寺に大乗戒壇を設置させることに成功した最澄は、生前から「大乗戒」を盛んに主張していました。最澄は大乗戒によって「僧に対しても大乗仏教独自の戒律があっても良い」と考えたのです。
「戒律による細かいルールよりも、実質や中味を重要視する」最澄の考え方は、時代が下るにつれて「信心(=仏を信じる心)さえあれば、戒律そのものが不要である」という形に発展していきました。
そして、その流れのもとに堂々と結婚を公表し、子までなした僧が鎌倉時代に現われました。彼こそが浄土真宗(じょうどしんしゅう)の開祖である親鸞(しんらん)であり、若い頃に比叡山延暦寺で修行を経験しているのです。
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例えば、平安後期に浄土教(じょうどきょう)を広めた源信(げんしん)も、若い頃に延暦寺で修行した後に、阿弥陀仏(あみだぶつ)の極楽浄土に往生し成仏することを説きました。
源信の教えは鎌倉時代に浄土宗(じょうどしゅう)を開祖した法然(ほうねん)や、先述した親鸞に大きな影響を与えましたが、彼らも若い頃に延暦寺で修行を積んでいます。
さらには、同じ鎌倉新仏教で日蓮宗(にちれんしゅう)の日蓮、臨済宗(りんざいしゅう)の栄西(えいさい)、曹洞宗(そうとうしゅう)の道元(どうげん)といった開祖たちも、同じように若い頃に延暦寺で修行しているのです。
時宗(じしゅう)の開祖である一遍(いっぺん)も法然の孫弟子である聖達(しょうたつ)のもとで学んでいますから、最澄の影響を受けているといえるでしょう。
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一方、空海は自身が余りにも偉大であったためか、後世の仏教界に与えた影響は、最澄に比べると限定的と言わざるを得ませんが、それは先述のように「空海は今も生きている」からこそかもしれません。
また、先述したことわざの存在や、高野山あるいは川崎大師などに多くの人々が参詣し続けるなど、空海自身に対する人気は現代においても高いものがあります。最澄と空海はあらゆる意味で好対照であり、だからこそ「永遠のライバル」ともいえるのかもしれません。
そして、そんな二人を通じて平安前期の仏教史を学ぶことが、現代にもつながる様々な歴史を理解するのみならず、ひいては歴史を学ぶ大切さを私たちは深く知ることになるのです。
(※第77回歴史講座の内容はこれで終了です。次回からは、リニューアルした通史の明治時代の更新の続編を開始します)
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