明仁親王殿下はお健やかに成長されましたが、大東亜戦争が激しくなると、昭和19(1944)年に親王は栃木県の日光に疎開(そかい)なされ、終戦を迎えられた後に帰京なさいました。
昭和27(1952)年に立太子(りったいし)の礼が執(と)り行われると、昭和34(1959)年には日清製粉株式会社社長である正田英三郎(しょうだひでさぶろう)の長女である正田美智子(みちこ)が皇太子妃に立てられました。一般市民から将来の皇后陛下が立てられたのは史上初のことです。
お二人のご成婚式は同年4月10日に行われ、多数の国民から祝福を受けられました。また、当日のご成婚パレードの様子を生中継放送で視聴するために、当時高価であったテレビが一般家庭に普及し始めたとされています。
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新たな元号となった「平成」は、チャイナの古典である「史記」の「内平外成(内平かに外成る=うちたいらかにそとなる)」と、「書経」の「地平天成(地平かに天成る=ちたいらかにてんなる)」が由来であり、「内外(うちそと)や天地ともに平和が達成される」という意味が込められています。
昭和天皇の崩御から2年近い服喪(ふくも)の時を経た平成2(1990)年11月12日には、天皇陛下(現在の上皇陛下)のご即位の大礼が盛大に執り行われ、外国からも国家元首級の約70人を含む158か国、2国際機関の祝賀使節が訪れました。
また、同月17日には、中央奉祝大パレードと大提灯行列が盛大に行われ、国民がこぞって陛下のご即位をお祝いしたほか、22日深夜から23日未明にかけて、古来「瑞穂(みずほ)の国」の祭祀(さいし)権者でもあられる天皇陛下の重要な儀式である「大嘗祭(だいじょうさい)」が、厳粛(げんしゅく)に斎行(さいこう)されました。
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御年78歳(当時)の陛下は、同年2月18日に心臓の冠動脈のバイパス手術をお受けになり、3月4日に退院されたばかりでした。
大手術をご経験されたばかりのお身体でありながら、被災地に思いを寄せられ、式典へのご出席を強く望まれておられた陛下。そのお姿に、私たち国民の多くが感動するとともに、胸が一杯になりました。
「平和と安寧(あんねい)への祈り」をお続けになられる上皇陛下の大御心(おおみこころ)は、被災地のみならず、先の大東亜戦争における数多くの戦没者に対しても、強いご慰霊のご意思をお持ちになっておられることを、皆さんはご存知でしょうか。
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上皇・上皇后両陛下は、平成5(1993)年4月に全国植樹祭へのご臨席で、ご即位後に初めて沖縄をご訪問された後、平成6(1994)年2月には硫黄島(いおうとう)で、戦後50年にあたる平成7(1995)年7月から8月にかけては長崎・広島・沖縄・東京で、それぞれ戦没者をご慰霊されました。
また、戦後60年の節目にあたる平成17(2005)年6月には、サイパンを慰霊訪問されましたが、いわゆる「バンザイクリフ」までお出ましになられた際には、岸壁まで歩まれた後に、多くの方々が身を投げた海に向かわれ、黙祷を捧げられました。
さらには、戦後70年の直前にあたる平成26(2014)年には、6月に沖縄、10月に長崎、12月に広島と次々とご訪問され、70年の節目となった平成27(2015)年4月には、日米双方で約12,000人が犠牲となった、パラオ共和国のペリリュー島で戦没者の霊を慰められました。なお、両陛下がペリリュー島をご訪問された4月9日は「天皇皇后両陛下ご訪問の日」として、ペリリュー州の祝日とされています。
そして、平成28(2016)年1月には、大東亜戦争において約518,000人もの日本兵が犠牲となったフィリピンを、皇太子時代以来54年ぶりに、両陛下がご訪問されました。フィリピンでのご慰霊は両陛下の悲願だったとされ、両陛下の強いご意向により、ようやく実現したとのことです。
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平成7(1995)年1月17日に発生し、6,400人を超える死者を数えた阪神・淡路大震災が起きた際には、震災からわずか半月後の1月31日に、両陛下の強いご希望で、被災地の神戸にお入りになられました。
そして、地震と火災のダブルパンチによって壊滅的な被害を受けた、神戸市長田区の菅原市場(すがはらいちば)の変わり果てた様子をご覧になられた皇后陛下(現在の上皇后陛下)は、当日の朝に皇居のお庭でご自身が摘(つ)み取られた17輪(りん)の水仙(すいせん)を、瓦礫(がれき)のうえにそっと献花されました。
春の訪れとともに咲きはじめる水仙は、海外において「希望の象徴の花」とされていることから、上皇后陛下の「困難に負けずに希望を持って復興してほしい」という御心(みこころ)が込められているのではないかと拝察します。
なお、上皇后陛下が献花なさった水仙は、そのままの姿で永久保存され、神戸市の布引(ぬのびき)ハーブ園に展示されています。また、復興を遂げた菅原地区では、上皇后陛下が献花された瓦礫の場所が「すがはらすいせん公園」として整備され、入口近くには記念プレートが設置されました。
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ちなみに陛下は、ビデオメッセージをマスコミなどが発表する際に「発表の途中で緊急の報道を必要とする場合は、中断してかまいません」とのご意向を示されたそうです。
ビデオメッセージの発表後、上皇・上皇后両陛下は3月30日の東京都足立区の避難所お見舞いを皮切りに、東京・千葉・埼玉の各避難所や、茨城・宮城・岩手・福島の被災地などを、被災者お見舞いのため各地を行幸(ぎょうこう、天皇陛下が外出されること)されました。
また、原発事故の影響で、関東地方で計画停電が行われた際には、皇居がある千代田区が計画停電の対象外になっているにもかかわらず、第1グループと同じ時間に電源を落として、国民と苦労を分かち合われたそうです。
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