実は、江戸幕府にも自主的に鎖国をやめ、開国に踏み切るチャンスがありました。18世紀後半に田沼意次(たぬまおきつぐ)が老中(ろうじゅう)として政権を握っていた時代に、仙台藩(現在の宮城県)の医者であった工藤平助(くどうへいすけ)が、ロシアの南下への警告や、開港による交易、蝦夷地(えぞち=現在の北海道)の経営などを説いた「赤蝦夷風説考」(あかえぞふうせつこう)を著(あらわ)しました。
意次は平助の意見を採用して蝦夷地の直轄(ちょっかつ)を計画し、幕府による北方調査団を派遣しただけでなく、当時の民間商人が蝦夷地のアイヌを通じてロシアと交易していたのを知ると、意次はこれらの交易も幕府の直轄にしようと考えました。
つまり、アイヌの人々を介してロシアと直接貿易を行おうとしたのです。これは「開国」のきっかけにもなり得る、実に画期的な政策でしたが、残念ながらこの直後に意次が失脚(しっきゃく)してしまい、計画は幻に終わりました。
その後、工藤平助の影響を受けた林子平(はやししへい)が「海国兵談」(かいこくへいだん)を書いて我が国の海岸防備の必要性を説きましたが、意次の後を受けて老中となった松平定信(まつだいらさだのぶ)は、これを抹殺(まっさつ)してしまいました。もし意次が政治の実権を握っていれば、子平の意見は採用されていたことでしょう。返す返すも残念な話です。




いつも有難うございます。
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marihime 黒田さんこんばんは☆
いつも訪問&コメントありがとうございますσ(゚ー^*)
第二回歴史講座のお話は、参加者の方もきっと満足されたのじゃないかと思います。
早すぎるかもしれないけど、戦国時代のことも受講者が喜ぶんじゃないかしら?
余計なことでしたね(汗)
marihimeさんへ
黒田裕樹 > いつも訪問&コメントありがとうございますσ(゚ー^*)
> 第二回歴史講座のお話は、参加者の方もきっと満足されたのじゃないかと思います。
お蔭様で、参加者の方々からは好評でした。リピーターになって下さることを先方から仰った方もおられますし、有難いことと思っております。
> 早すぎるかもしれないけど、戦国時代のことも受講者が喜ぶんじゃないかしら?
> 余計なことでしたね(汗)
8月あたりから、その「戦国時代」がしばらく続く予定ですよ。
詳しくは4日あたりに書きますね。
江戸幕府は、18世紀後半からロシアなどの諸外国が開国を求めて来航しても、徹底して無視を続けました。そればかりか、フェートン号事件(1808年)をきっかけに1825年には外国船を問答無用で撃退(げきたい)するという異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)を出し、日本人漂流民(ひょうりゅうみん)を送り返すためにやってきたアメリカの民間商船モリソン号を攻撃するという事件も起きてしまいました(1837年、モリソン号事件)。
1776年に建国されたばかりのアメリカは、当初は我が国への侵略の意図はなく、捕鯨船(ほげいせん)の寄港地や対中国貿易の中継地とするために、我が国と友好的な関係を持ちたいと考えていました。
こうしたアメリカの思惑を事前に知っていれば、それなりの対応ができたであろうはずが、実際に幕府が行ったのは、「鎖国」を理由に諸外国の事情を知ろうともせず、民間船であろうが法令どおり問答無用で打ち払ってしまうという、明らかな失政でした。
さらに、この当時に鉄でできた蒸気船(じょうきせん)が発明されたことにより、海に囲まれた我が国は、それまでの「天然の防壁」から一気に「どこからでも狙われる大変危険な国」に成り下がってしまっていたのでした。大砲などの強い攻撃力を持つ蒸気船は、海上のどこからでも狙い打ちできるからです。
ヨーロッパで唯一江戸幕府と貿易を行っていたオランダは、1844年の「オランダ風説書」(ふうせつがき)で「蒸気船が発明されたから開国したほうがいいですよ」と親切にも幕府に勧告してくれました。
このときに幕府が開国を直ちに決断していれば、また違った道もあったかと思われますが、結局はオランダからのせっかくの勧告を「なかったこと」にしてしまいました。もし江戸幕府に少しでも「常識」があれば、考えられない対応です。
しかし、幕府は「祖法」を変更することを徹底的に嫌い、常に問題を先送りしてきたのでした。そうこうするうちに、幕府が今までの「ツケ」を一気に払わなくてはならなくなる日がやって来ました。




お蔭様でカウンターが4000を突破しました! いつも有難うございます!
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Tの字 はじめまして。ランキングからやってまいりました。
小6の娘が今年から日本史を習っていますが、見事に混乱してしまっています(ToT)
今小学校ではあまり年表を使わないらしいので、余計混乱に拍車が掛かっています。
黒田さんは「高校生にもわかりやすく」とおっしゃいますが、流れがわかりやすく、言葉も優しくて、もしかするとうちの娘にもわかるかも、と期待しています。
出来れば、「ぜんぜん面白くな~い!」と苦しんでいる鎌倉・室町時代なども取り上げて下さいませんでしょうか。(室町はともかく、鎌倉時代に入る頃がつまらないなんて、いったいどうなっているのかものすごく不安です。)
勝手なことを書き連ねましたが、他の記事も読ませていただき、とても面白かったので、厚かましくお願いしてしまいました。
また読みに来させて頂こうと思います。よろしくお願いします。m(__)m
MAHHYA リンクいただき、ありがとうございます!
まさに、末期の幕府は「鎖国」の亡霊に縛られてしまった感がありますね…。
Tの字さんへ
黒田裕樹 ご訪問&コメント有難うございます!
私のブログは当初は高校生向きで始めましたが、リンク先で中学生の方が増えてきましたので、彼らにもわかりやすいようにと心がけています。娘さんにお分かりいただけるかどうかは正直分かりませんが、もしお分かりであれば有難いことですね。
このブログは原則として編年体、つまり時代を追いながら話を進めていますので、今のペースだと鎌倉時代にはいつたどりつけるのか、残念ながら見当がつきません。
ただ、今月18日の本物の歴史講座では「源義経」を取り上げる予定ですので、平安~鎌倉の時代の移り変わりについて、少しは説明できるかもしれません。講座の内容は後日公開しますので、しばらくお待ちいただければと存じます。
尚、鎌倉時代が面白くない理由としては、貴族→武士への政権の移り変わりが今ひとつ分かりにくいからかもしれませんね。18日の講座では、そのあたりも取り上げてみたいと思います。
今回はせっかくご訪問いただきながら、満足の行く回答ができなくてすみません。今後もご訪問いただければ幸いです。
過分のお言葉、今後の励みになります。有難うございます!
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 > リンクいただき、ありがとうございます!
こちらこそ、これからも宜しくお願いします!
> まさに、末期の幕府は「鎖国」の亡霊に縛られてしまった感がありますね…。
そうですね。でも自分で自分を縛っているところが何とも…。
まぁ、こうなってしまったのには、他にも理由がありそうな気がします。