通知文書を読んだ我が国は、清国に異議を唱えるとともに、朝鮮への派兵を決定しました。なぜなら、文書には「朝鮮への出兵は属邦(ぞくほう、属国と同じ意味)保護のため」と書かれており、朝鮮を独立国と認めてきた我が国の外交姿勢と真っ向から対立するものだったからです。
日清両国の出兵によって、反乱そのものは鎮圧できましたが、問題はその後でした。反乱後の朝鮮における内政改革を、日清両国が共同して行おうという我が国からの提案を、清国が拒否したからです。清国の強気の背景には、政府と議会とが対立関係にある我が国には、力を外に向ける余裕がないという判断もありました。
しかし、もし我が国がここで撤兵すれば、清国による朝鮮の属国化は名実ともに避(さ)けられません。覚悟を決めた我が国は、清国の勢力を朝鮮から追い出すため、明治27(1894)年8月1日をもって清国に対して宣戦布告し、ついに「日清戦争」が始まりました。
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宣戦布告において、清国が「朝鮮は我が大清国に属して200年になるが、毎年我が国に朝貢(ちょうこう)している」と主張しているのに対して、我が国からは「朝鮮は我が国が誘って列国に加わらせた独立国であるにもかかわらず、清国は常に朝鮮を自分の属国として内政に干渉し続けている」と訴えています。
要約すれば、朝鮮を自国の属領としか考えていない清国と、独立を助けようとする日本との間で日清戦争が起きたわけですから、もしこの戦いに「義」があるとすれば、清国と我が国のどちらにあるといえるのでしょうか。
さて、日清戦争が起きたことで、帝国議会は政争を停止するとともに、全会一致で臨時の軍事費支出を可決しました。日清戦争における我が国の戦費の総額は、当時の貨幣(かへい)価値で約2億円にのぼりましたが、これは国家の歳入の倍以上だったそうです。
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戦争は豊島沖(ほうとうおき)の海戦から始まりましたが、その後は我が国の陸軍が平壌(へいじょう、現在のピョンヤン)から鴨緑江(おうりょくこう)を渡って満州へと入り、遼東(りょうとう)半島を占領して、清国の首都である北京へと迫(せま)りました。
海軍も黄海(こうかい)海戦に勝って制海権を得ると、明治28(1895)年1月に陸軍が威海衛(いかいえい)を占領したことで、清国の北洋艦隊が降伏するなど、我が国が圧倒的優勢の展開となりました。
こうして両国の戦いは、軍隊の訓練や規律の優秀さを誇(ほこ)るとともに、新型の近代兵器を装備した我が国の勝利に終わり、これまで「眠れる獅子(しし)」と恐れられた清国も、講和せざるを得なくなりました。
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この条約には、後述するような様々な事項がありましたが、もっとも重要なのは「清国が朝鮮を独立国として認める」ということでした。
下関条約の第1条には「清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢物などは永遠に廃止する」と書かれていますが、この条文によって、初めて朝鮮は清国からの呪縛(じゅばく)を逃れて独立できることが可能になったのです。
朝鮮はやがて1897(明治30)年に「大韓(だいかん)帝国」と国名を改め、国王の高宗(こうそう)が初代皇帝となりました。それまでの宗主国であったチャイナしか使えなかった「皇帝」の称号を初めて使用できるようになった歴史的な意義は、世界史上においても極めて大きいものがあったといえるでしょう。
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1.朝鮮の独立を認めること(詳細は先述のとおり)
2.遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島を割譲(かつじょう)すること
3.賠償金として2億両(テール、清の通貨単位。当時の日本円で約3億1,000万円)を支払うこと
4.新たに沙市(さし)・重慶(じゅうけい)・蘇州(そしゅう)・杭州(こうしゅう)の4港を開くこと
このうち、2.や3.に関しては「敗戦国が相手国に対して領土を割譲して賠償金を支払う」というのが当時の世界の常識であり、決して我が国だけが欲張ったわけではありません。
また、台湾やその西に位置する澎湖諸島は、清国にとってはそもそも「化外(けがい)の地」、つまり実効的支配が及ばないと考えられていましたし、遼東半島も万里の長城の外に位置することから、それほど重要性が高くありませんでした。
にもかかわらず、新たに我が国が得た領土に対して激しく抗議してくる国が現れてしまったのです。
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なぜなら、当時のロシアは南下政策を進めており、いずれは満州から朝鮮半島の領有をも視野に入れていました。それなのに、我が国が遼東半島を自国の領土とすれば、ロシアの野望に大幅な支障をきたすことになってしまうのです。
実は、こうした事情を理解していた清国の方からも、我が国に「奪われた」領土の返還や、あわよくば下関条約の無効化をも目論(もくろ)んで、遼東半島の返還をロシアに働きかけていました。要するに、我が国は清国とロシアに嵌(は)められたのです。
ロシアはドイツやフランスを誘って、我が国に遼東半島を清国へ返還するよう強く迫りました。いわゆる「三国干渉」ですが、これが行われたのは明治28(1895)年4月23日であり、下関条約の調印からわずか6日後のことでした。
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我が国は、やむなく三国からの要求を受けいれ、賠償金3,000万両(テール、当時の日本円で約4,500万円)と引き換えに、遼東半島を清国へ返還しました。
ロシアの横暴ともいえる仕打ちに対して、当時の国民の怒りは頂点に達し、今は辛抱するとしても、いつの日か必ずロシアへの復讐を果たそうとする「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」が合言葉となりましたが、これは民間からの動きであり、ロシアなどを刺激しないため、政府はむしろこの語の使用を抑えていました。
なお、台湾や澎湖諸島に関しては、その後も我が国の領土となり、明治28(1895)年には台湾総督府(そうとくふ)が置かれ、初代総督として樺山資紀(かばやますけのり)が就任しました。また、この頃まで続いていた沖縄の帰属問題も、沖縄より西にある台湾が我が国の領土となったことで自然消滅しています。
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