しかし、国会を開設すると一口に言っても、実際に国会を開いて政治を行うには、国家の運営などに関するあらゆる条文を盛り込んだ、国の基本法でもある憲法の制定はもちろん、国会やそれ以外に関する様々な制度や規則を定めるなど、事前に様々な準備が必要でした。
政府は、まず軍政に関する整備を行いました。明治11(1878)年に軍令機関(=軍隊の作戦を指揮する機関)たる天皇直属の「参謀(さんぼう)本部」を設置して、軍政と軍令(=作戦)とを分離しました。これには、明治政府以降に征韓論(せいかんろん)や士族の反乱、あるいは自由民権運動などで揺(ゆ)れ動く政局に軍隊が巻き込まれないように、天皇の権威をもって独立させるという狙(ねら)いがありました。
また、明治15(1882)年には「軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)」を発布し、権威に基づく統帥権(とうすいけん、軍隊を指揮する権利のこと)をお持ちの天皇の名において、軍人にとって欠かせない忠節や礼儀・武勇などを説くとともに、軍隊の政治活動を禁止するなど、以後の軍人にとっての精神面での大きな支えとなりました。
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また、華族の順列を公爵(こうしゃく)・侯爵(こうしゃく)・伯爵(はくしゃく)・子爵(ししゃく)・男爵(だんしゃく)の5つに分けるとともに、将来の我が国の上院たる「貴族院(きぞくいん)」の構成員に華族がなれるようにしました。なお、爵位(しゃくい)のうち、侯爵の字は「侯」であり、「候」ではありませんので注意が必要です。
国会開設への準備として、政府は行政機関の改革に乗り出し、明治18(1885)年には大宝律令(たいほうりつりょう)以来の太政官制(だじょうかんせい)を廃止して、西洋にならった「内閣制度」を創設しました。これは、内閣総理大臣(=首相)が内務省や外務省などの各省の長官たる国務大臣を率いて内閣を組織し、天皇の輔佐(ほさ)として国政におけるすべての責任を負う制度でした。
初代の内閣総理大臣には伊藤博文(いとうひろぶみ)が就任しました。伊藤はこのとき満年齢で44歳の若さでしたが、この記録は今もなお破られていません。なお、宮中(きゅうちゅう)の事務にあたる宮内省(くないしょう)は内閣の外に置かれ、宮中と行政府とが明確に区別されました。なお、宮内省の長官としては宮内(くない)大臣が任じられましたが、初代は首相の伊藤博文が兼任しました。
また、天皇の印たる御璽(ぎょじ)や国家の官印たる国璽(こくじ)を保管するとともに、天皇の諮問(しもん、意見を求めること)に応じる内大臣(ないだいじん)も新たに置かれ、初代内大臣として三条実美(さんじょうさねとみ)が就任しました。
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明治21(1888)年には「市制・町村制」が、明治23(1890)年には「府県制・郡制」が相次いで公布されました。これらによって、人口が25,000人以上の町が市となったほか、従来の町村も大幅に合併して新しく組織されました。
市町村の議決機関としては市町村会が設置され、一定額の直接国税を納めた者のみが投票できるという制限選挙ではあったものの、議員が住民から直接選ばれました。自由民権運動が始まって約15年で、ようやくここまでたどり着いたといえますね。一方、郡会は町村会の選出議員と大地主の互選(ごせん)で選ばれ、府県会議員は市会や郡会において間接的に選出されました。
また、府や県の代表たる府知事や県知事は政府が任命し、市長は市会が推薦(すいせん)する候補者の中から内務大臣が任命し、無給の名誉職であった町村長は町村会の公選で選ばれました。
このようにして、府県知事などに政府の強い指導があったものの、地域の有力者を中心とした地方自治制が我が国で確立することになりました。なお、郡制については大正12(1923)年に廃止されています。
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