私はGWのほとんどを自宅で過ごしましたが、業務の関係で高野山(こうやさん)へ行く機会がありました。業務が終わった後、せっかくここまで来たのだからと思い、一の橋(いちのはし)から奥の院(おくのいん)までゆっくりと歩くことにしました。
これから3回に分けて、高野山・奥の院での珍道中(?)を、携帯で撮った写真を交えながら振り返りたいと思います。
高野山といえば、いわずと知れた弘法大師(こうぼうだいし)、すなわち空海(くうかい)が我が国に伝えた真言宗(しんごんしゅう)の聖地であり、世界遺産にも登録されています。
中でも一の橋から奥の院にかけての参道には、皇族や公家、大名などの20万を越える多数の墓が並んでいます。
私も一の橋から歩き始めると…早速見かけました。


武田信玄(たけだしんげん)・勝頼(かつより)親子の墓です。和歌山県の文化財に指定されていますね。


左が紀州藩主の初代・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)の墓で、右が2代光貞(みつさだ)・3代綱教(つなのり)・4代頼職(よりもと)・6代宗直(むねなお)の墓です。5代目が抜けているのは、後に8代将軍になったからです。もちろん徳川吉宗(とくがわよしむね)のことですね。


左が長州藩の毛利家、右が広島藩(=芸州藩)の浅野家の墓です。浅野家の墓は他にも何ヶ所か見かけました。
(「高野山・奥の院の墓所めぐり その2」に続きます)




いつも有難うございます。
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そーすけ 僕も高校時代、合宿で高野山に行ったことありますよ。
厳かな雰囲気がいいですよね。
じろー三郎 初めまして。
時代や地域を問わず、多くの歴史上の人物の信仰をあつめていた様子が伝わってきますね。
コメント有難うございます!
黒田裕樹 そーすけ様
そうですね。高野山の厳粛な雰囲気は、世間の喧騒を忘れさせてくれます。だからこそ修行の場として成り立つのでしょうけど。
じろー三郎様
こちらこそはじめまして。
仰るとおり、1200年近くも続く信仰ですから、多くの歴史上の人物からも篤い保護を受けてきたと思われます。
またぜひお越し下さい!
天才2人
オバrev 空海と最澄は同じ船に乗って中国へ渡ったとききました。
天才2人が、同じ時代に同じ船に乗るってのはありますね。
ON、浅田真央とキムヨナ、PL時代の桑田と清原・・・スケール違いますか?
オバrev様
黒田裕樹 いえいえ、スケールの大小ではないと思いますよ。
確かに「同じ場所で」というのはありますよね。
他には大相撲の横綱の元二代目若乃花と隆の里とか…って、マイナーでしょうか!?
こんばんは~
スズメちゃん
小学校5年の林間学校で初めて高野山に行きました。
肝試しをした記憶があります。
大人になって行ったとき、歴史上の人物のお墓が沢山あるので驚きました。
いつもご訪問とコメントありがとうございます。
リンクをさせていただきたいのですが・・・
よろしくお願いいたします。
スズメちゃん様
黒田裕樹 林間学校で高野山に行く学校は結構多いですよね。子供たちにとっては、見るものも食べるものも珍しいことばかりでしょうから、良い経験になります。
リンクの件、こちらからも申し込みしようと思ったところです。喜んでさせていただきますので、今後とも宜しくお願い致します。



左が石田三成(いしだみつなり)、真ん中が明智光秀(あけちみつひで)、右が本多忠勝(ほんだただかつ)の墓です。関ヶ原の戦いや本能寺の変など、様々な時代の武将が、参道内では呉越同舟(ごえつどうしゅう)で葬(ほうむ)られていますね。
さらに歩いていき、ふと上を見上げると、見覚えのある文字が…

おお! 太閤(たいこう)さんではないか!
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の墓は、参道横の階段を上ったところにありました。

史実では空海が建立(こんりゅう)した金剛峰寺(こんごうぶじ)を焼き討ちする計画を立てていた秀吉でしたが、生前の行いに関係なく葬られていました。
(「高野山・奥の院の墓所めぐり その3」に続きます)




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bunyan こんにちは~
黒田さん、高野山へ行ってらしたんですね。
お仕事とはいえ、散策できたこと羨ましく思います。
私は四日から今日まで温泉につかりっぱなしでした(笑)
明日からブログ再開です。
bunyan様
黒田裕樹 温泉ですか。いいですねぇ~。
今日は雨模様ですが、高野山へ行った時は良い天気でしたよ。
ブログの再開、楽しみにしております。
まさに呉越同舟
オバrev 高野山 まだ行ったこと無いです。行ってみたいですね。
それにしても呉越同舟とはまさにこのこと!。
オバrev様
黒田裕樹 高野山は荘厳ですし、精進料理も絶品ですので(笑)、是非お越し下さい。
本当に呉越同舟ですよね。今更ながら「死ねばみな仏」の我が国の精神を思い知らされます。
歌乃 課題も無事終了しましたのでぇやって来ました♪
高野山ですかぁ!!!!
なんかお墓いっぱいですねぇ。私の知ってる人も結構いますねぇ。山にお墓ですかぁ・・・。なんか不思議なカンジがしますよ・・・。私のGWは友達と遊んだ以外は近くのスーパーくらいしか行ってませんよ。でも自分なりにはすっごく満喫できた5連休でしたよぉ。でもずーっと思ってたんですけど土日も入れての5連休ってずるくないですか???普通は月曜から数えて5連休でしょ!!!!っと友達とブーブー言ってますwww
明日から学校頑張ります↑↑
呉越同舟ですか
イケガミ どうも、初コメントです。
NHKの「天地人」が好きで、直江兼継の本も読んだりしているので、僕にとってはタイムリーな話題です。
歌乃様
黒田裕樹 高野山は真言宗(しんごんしゅう)による「宗教都市」のようなものですから、お墓がたくさんあるんですよ。
知ってる武将のお墓もあって良かったですね(^o^)丿
GWを楽しめたようで何よりです。でも、歌乃さんの仰ることも確かに一理ありますね(^^ゞ
学校での勉強や部活、頑張って下さいね(^^♪
イケガミ様
黒田裕樹 どうも、ご無沙汰しております。
タイムリーな話題を提供できて良かったです。次回からは通常講座になりますが、また是非来て下さいね。
こんばんは
toMoka 高野山行かれたのですね!とても羨ましいです。
三成の墓所の写真を拝見し、私も高野山へ行かなければ!と使命感に燃えてしまいました。
写真とても幻想的ですね。加工しているんですか?
toMoka様
黒田裕樹 ご訪問&コメント有難うございます!
石田三成の墓所を見つけたので、思わず撮影してしまいました(笑)。喜んでいただけたようで光栄です。
高野山は荘厳で素晴らしいところですので、是非お出かけ下さい。
写真ですけど、携帯で撮ったんですが、当日は雲ひとつない快晴だったのと、うっそうと木が生い茂る中での撮影だったせいか、光があちこちに反射して偶然にも幻想的になってしまったようです。
あるいは携帯のレンズが曇っていただけなのかもしれませんが…。

あった!
秀吉と同じように、参道横の階段を上ってみると、確かにありました。

……信長の横に葬られている筒井順慶(つついじゅんけい)の扱いがかわいそうだと思うのは私だけでしょうか?
この後、家康の墓も探しましたが見当たりませんでした。金剛峰寺の近くに「徳川霊台」として別に祀(まつ)られているそうです。

忠臣蔵(ちゅうしんぐら)で有名な浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の墓です。忠臣蔵の伝説は、高野山にも及んでいるんですね。
こうして往復で約1時間かけて散策した奥の院から、帰りの電車へと向かっていきました。
次の機会があれば、金剛峰寺や徳川霊台なども時間をかけて訪問したいと思います。
さて、奥の院への参道には様々な墓がありましたが、武将以外で印象に残ったのは下記の墓でしょうか。

……「パナソニック墓所」だけがやけに新しいと思ったら、昨年10月に商号変更したんでしたっけ。




いつも有難うございます。
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ちゃてれ パナソニック墓所・・・
何とも近代的な名称ですね(笑)
お天気も良くて
本当に良かったですね~
ケンシロウ こんにちは。
墓所めぐりお疲れ様です。
パナソニック墓所。墓碑まで社名変更する必要はあるのかなぁ?
さすらい こんばんは。
墓石巡り、いいですね。
まさに歴史を体感ですか。
うらやましい。
私も行きたいです(笑)
応援♪
こんばんは。
ことぶきのこめや 高野山には行ったことがなかったんですが、こんなに歴史上の有名人たちのお墓があったんですね。
全然知りませんでした。
たしかに筒井順慶のお墓はかわいそうですね(笑)
ヒロキ 歴史人物の墓巡りですか!?羨ましい・・・
一度行ってみたいです(*^_^*)
うちは・・・鶴岡八幡宮ぐらいしかないかww
ちゃてれ様
黒田裕樹 商号変更によって生じた問題ですが、近代的な名前とお墓の風景が見事にミスマッチしていますね(笑)。
天気の良いときに行けて本当に良かったです(^o^)丿
ケンシロウ様
黒田裕樹 松下→パナソニックの商号変更費用に10億円の予算をかけたらしいですね。お墓にも予算が下りたから書き換えたんでしょうけど、冷静になって考えてみれば、仰るとおりそのままでも良かったような気が…。
書き換え前の墓碑はどこへ行ったんでしょうかねぇ。
さすらい様
黒田裕樹 いつも応援&コメント有難うございます。
仕事による偶然が生んだ散策でしたが、仰るとおり歴史を体感できました。
東京から高野山は確かに遠いですね。でも宿坊での精進料理は格別ですし(笑)、一度はお越しになる価値は十分あると思いますよ。
ことぶきのこめや様
黒田裕樹 20万を超えるお墓の中で、歴史上の人物が占める割合は結構高いと思います。さすがは天下の霊峰というところでしょうか。
順慶は、よりによって信長と一緒ですからね。信長のお墓参りの人たちに「洞ヶ峠」をきめられてはたまったものではありません(笑)。
ヒロキ様
黒田裕樹 高野山に参拝するのは良いことですよ。ただし、精進料理しか食べられませんから(笑)、豚肉は我慢していただくしかありませんが(爆)。
鶴岡八幡宮といえば源実朝の暗殺が真っ先に思い浮かびますね。なぜ実朝が暗殺されたかというと…おっと、これは歴史講座で書かなくては…って、鎌倉時代はいつ頃始まるのかな(笑)。
諸悪の根源が日本にあるとみなし、通州事件のように我が国が一方的な被害者である出来事は無視するか、それが不可能なら史実をねじ曲げてまで日本を悪者扱いしようとする。もういい加減このような見方は改めるべきではないでしょうか。
ところが、いわゆる「プロパガンダ」は、今回取り上げているような近現代史だけとは限りません。実は、日本史のあちらこちらに、我が国を不当に貶(おとし)めている箇所があることを皆様はご存知でしょうか、
最初に思い当たるのは、国家の根幹をなす「神話」が、一部の教科書を除いて全く紹介されていないことです。GHQによって神話の世界が否定されて以来、我が国の歴史教育では考古学的な分野でしか古代史を表現できていないのは由々しき事態です。





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ぴーち こんばんは!
裏を返せば、それだけ日本というのは
脅威な存在であり、また侮れない国であるという
事を世界は知っているからなのでは無いでしょうか。
しかし野望に満ちた国からはそう思われて
仕方がないとしても
せめて日本国内住む私達が日本の本当の
姿を知るべきであり、後世にしっかりと
誇りを持って伝えていかなければいけないと
思いますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
だからこそ、私たちはプロパガンダに汚染されまくっている現在の歴史教育を見直さなければなりません。
その具体例を次回からいくつか示していきます。
次に問題なのは「大和朝廷」の扱い方です。現在の歴史教科書では、一部を除いて「ヤマト政権」あるいは「ヤマト王権」と紹介されています。
「大和朝廷」をなぜ「ヤマト政権(あるいはヤマト王権)」と表現するかといえば、一般的には以下の理由が知られています。
・「大和」という用字は8世紀以降(律令政治の成立)であるから
・当時の政治連合の形式が「朝廷」とはいえないから
一見その通りに思えそうですが、こうした見方は日本古来の政治制度を「外部から」、すなわち「外国から」ながめたものであるといえます。我が国の歴史を我が国が語る際に、なぜわざわざ外国からの視点で見極める必要があるのでしょうか。私は違和感を禁じ得ません。





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ぴーち こんばんは!
「大和」と言う感じでは無く
「ヤマト」というカタカナ表示で
紹介されているという事でしょうか?
もしもそれなら
何もわざわざカタカナ表記にしなくても
良いと思いますが。。。
万里ママ 私の世代だと、大和「朝廷」のイメージですが、
今習うとすると、政権か王権なのですね。
外国からの視点重視
・・・確かに私も少し違和感を覚えます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに当時は「大和」と言う当て字は使用していなかったかもしれませんが、だからと言って仰るとおりカタカナ表記をする必要はないと思います。我が国にとって「大和」は「大和」なのですから。
万里ママさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
我が国の歴史を外国からの視点で語ろうとする意図はどこにあるのでしょうか…。
さらには、我が国の政治の実権が天皇(=朝廷)から武家へと移動した「鎌倉幕府の成立」も、源頼朝(みなもとのよりとも)が朝廷から征夷大将軍に任じられ、名実ともに実権が移譲された1192年ではなく、まるで「ならず者が断りもなく強引に自己の実権をアピールした」1185年の守護・地頭の設置や、1189年の奥州藤原氏滅亡をその起源としている教科書も見られます。
我が国の近年における歴史教育は、なぜこのように変節してしまったのでしょうか。その背景に、昭和57(1982)年に起きた教科書誤報事件をきっかけとする「近隣諸国条項」があることは疑いないですが、それよりももっと大きな「歴史の流れ」が存在していることを皆さんはご存知でしょうか。
その詳細については、9月に行う予定の「第50回歴史講座」で分かりやすく解説する予定ですので、今しばらくお待ちください。まずは、明日(8月3日)からブログ上で始まります「第49回歴史講座」をお楽しみいただければと思います。





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ぴーち こんばんは!
聖徳太子は存在しなかったという説は
歴史に無頓着な私も少しだけ耳にしたことが有ります。
日本は余りにも諸外国に気を遣い過ぎてしまうのでは無いでしょうか?
特に近隣のアジア諸国の顔色を伺ってばかり
居る気がしてなりません。
それが本当の事であれば、誰に何を言われても
貫き通す気概を日本は持って頂きたいものです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本は余りにも諸外国に気を遣い過ぎてしまうのでは無いでしょうか?
> 特に近隣のアジア諸国の顔色を伺ってばかり
> 居る気がしてなりません。
> それが本当の事であれば、誰に何を言われても
> 貫き通す気概を日本は持って頂きたいものです。
仰るとおりです。我が国の歴史を否定する国は、世界広しと言えども「特定アジア」3ヵ国しかありません。
何の遠慮がいると言うのでしょか。