思想面では、それまでの儒教や神道といった考えや習慣にかわって、西洋流の自由主義や個人主義などの近代的な啓蒙(けいもう)思想や、人間は生まれながらに権利(=自然権)を持っているとする「天賦(てんぷ)人権の思想」が広がりました。
これら新しい思想の啓蒙書としては、福沢諭吉(ふくざわゆきち)の「西洋事情」や「学問のすゝめ」「文明論之概略(ぶんめいろんのがいりゃく)」、あるいは中村正直(なかむらまさなお)が訳した「西国立志編(さいごくりっしへん)」「自由之理(じゆうのことわり)」などが広く読まれました。
なお、活字印刷術の発達によって、明治3(1870)年には我が国最初の日刊新聞である横浜毎日新聞(現在の「毎日新聞」とは特に関係はありません)が創刊されるなど、東京を中心に各種の新聞や雑誌が次々と創刊されました。
また、明治6(1873)年には、森有礼(もりありのり)・福沢諭吉・中村正直・西周(にしあまね)・加藤弘之(かとうひろゆき)・西村茂樹(にしむらしげき)らの洋学者によって「明六社(めいろくしゃ)」が組織され、翌明治7(1874)年には「明六雑誌」を発行して、啓蒙思想を紹介しました。
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政府によるこうした「国民皆学」の精神は、経済的負担や子供の労働力が奪(うば)われることで、当初は農村を中心に学制反対の一揆(いっき)が起きたものの、江戸時代までに寺子屋が全国に普及していたこともあって、次第に定着していきました。
政府は専門教育にも力を入れ、旧幕府が設けた開成所(かいせいじょ)や医学所などを統合して、明治10(1877)年に東京大学を設立したほか、教員養成のための師範学校や、女子教育のための女学校あるいは女子師範学校がつくられました。
教育機関の充実は、民間においても行われました。幕末に福沢諭吉が設立した、蘭学塾を基礎とする慶應義塾(現在の慶應義塾大学)や、新島襄(にいじまじょう)の同志社英学校(現在の同志社大学)、大隈重信(おおくましげのぶ)が設立した東京専門学校(現在の早稲田大学)、大阪で創立されたフランス法系の関西法律学校(現在の関西大学)などの私学が次々と設立され、独自の学風で多くの人材を生み出しました。
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しかし、政府のこうした動きは、国民による仏教の否定にもつながり、全国各地で仏像が破壊されるなど「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の嵐が吹き荒れる騒ぎとなってしまいました。
その後、明治3(1870)年に明治天皇の名において「大教宣布(たいきょうせんぷ)の詔(みことのり、天皇の言葉を直接伝える文書のこと)」が出され、神道を国教と定める国家方針を示すとともに、明治6(1873)年には「紀元節」などの祝祭日を設けました。
なお、紀元節は日本書紀における神武(じんむ)天皇がご即位された日(1月1日)が旧暦であるため、現在の太陽暦(詳細は後述します)に修正して「2月11日」と定められました。現在では「建国記念の日」として国民の祝日となっています。
また、キリスト教については、政府は「五榜(ごぼう)の掲示」で禁教と定め、旧幕府の禁教政策を引き継ぎましたが、欧米列強の強い反発を受けて、明治6(1873)年に禁止が解かれたことで、我が国においてもキリスト教の布教活動が積極的に行われるようになりました。
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始めは軍隊、後に官吏(かんり)や巡査が着用したことがきっかけで、洋服や靴の習慣が広まったほか、明治4(1871)年に政府が散髪令を出したことで、髷(まげ)を切った「ざんぎり頭」が増えました。「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という言葉が現代でも有名ですね。
その他としては、仏教で禁止されていた肉食の習慣が、牛鍋が人気となったことで広まったり、東京の銀座には煉瓦(れんが)造りの建物が並んだり、石油ランプやガス灯が使われたり、馬車や人力車が登場したりするなどの様々な変化が見られました。
また、明治5(1872)年には、それまでの「太陰(たいいん)太陽暦(=旧暦)」にかわって「太陽暦(=新暦)」が採用され、旧暦の明治5年12月3日が、新暦の明治6(1873)年1月1日となりました。この他、一日を24時間と定め、一週間を7日として日曜日を休日と定めたりしましたが、太陽暦への変更が余りにも急だったため、当時の我が国に大きな影響を与えたことを皆さんはご存知でしょうか。
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国民の生活に深くかかわった暦の変更は、多方面に様々な影響をもたらしました。すでに翌年の暦を販売していた業者が、出版のやり直しを強いられて大きな被害を受けた一方で、福沢諭吉が太陽暦の解説本を新たに発行して、ベストセラーになるということもありました。
それにしても、なぜ政府は年末になって急に改暦を発表したのでしょうか。その背景には、政府の深刻な財政事情がありました。当時の官吏の給与は月給制だったのですが、旧暦のままだと、翌明治6(1873)年は閏月(うるうづき)があるため、13か月分を支払わなければいけません。
しかし、新暦になれば閏月が廃止されるため、12か月の支払いで済むうえに、旧暦12月3日が新暦1月1日になることで、旧暦の12月がわずか2日間しかないため、給与を支払う必要がなくなります。つまり、合計2か月分の給与が浮く計算になるため、メリットが大きかったのです。
発表当初は大きな混乱があったものの、太陽暦がその後の我が国で定着するとともに、十五夜などの旧暦の風習も一部が残りました。なお、急な改暦で大損した暦の業者に対しては、政府がその後10年間の暦の独占販売を認めたそうです。
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例えば、旧来の風習が文明開化によって一新されたことで、我が国の歴史や伝統を軽視する風潮が見られるようになり、仏像や浮世絵などの貴重な芸術作品の多くが海外に流出するという結果をもたらしたのです。
また、西洋の思想が全面的に受けいれられたことによって、それまでの封建的な思想や習慣が否定され、地方を中心に伝統的な風習が廃(すた)れるという現象もありました。
一方、政府による急激な西洋化が国民の反発を招いたことで、我が国の伝統を損ねないようにしながら、西洋の技術を受けいれて発展させていくとする「和魂洋才(わこんようさい)」の精神が見られるようになりました。
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