しかし、こうした考えは「我が国の国柄」ではありません。天賦人権論の原理は西洋にあり、17世紀から18世紀の思想家である、イギリスのロックやフランスのルソーなどの社会契約説を由来として「すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利を持つ」と考えられるようになりました。
アメリカの独立戦争やフランス革命などはこうした思想の影響を強く受けており、明治維新以降の我が国においても自由民権運動によって紹介されるなど、天賦人権論への支持が確実に広がりを見せたことは間違いありません。
ですが、我が国における、いわゆる「人権」に関する思想は、その遥(はる)か以前から、すでに見えないかたちで定着していた事実をご存知でしょうか。
実は、その背景には「天皇」のご存在があります。
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「八紘一宇」は「道義的に天下を一つの家のようにする」というのが大意であり、我が国だけでなく世界全体を一つの家として、神のために祈られる天皇を中心に仲良くやっていこう、という願いが込められています。
要するに「八紘一宇」の精神においては、我が国のみならず世界人類が兄弟のように平等であることから「世界中すべての人々の人権も保障される」という解釈となります。我が国では、天賦人権論が考え出されるよりはるか以前から「世界は一家、人類はみな兄弟」という思想が定着していたのです。
ちなみに、大日本帝国憲法(=明治憲法)の第1条は「大日本帝国ハ万世一系(ばんせいいっけい)ノ天皇之(これ)ヲ統治ス」と規定されており、これは「天皇陛下の統治によって『八紘一宇』の伝統が守られている」ことを意味しています。
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歴史のみならず、我が国での真っ当な「公民教育」を目指すのであれば、その背骨として「我が国伝統の政治文化」を教えるのが当たり前のはずです。しかし、今の教育では、それこそ「革命思想」につながる西洋の民主政治が重視される一方で、革命を起こす側にとって「宿敵」ともいえる天皇のご存在を軽視する傾向が見られるのではないでしょうか。
我が国の「人権思想」に直結する「八紘一宇」は、昭和20(1945)年12月にGHQ(=連合国軍最高司令官総司令部)から出された「神道(しんとう)指令」により、国家神道や軍国主義、あるいは過激な国家主義を連想させるとして、公文書における使用が禁止されて以来、不当な扱いを受け続けているのが現状です。
我が国での教育は我が国の視点で行うべきであり、それは歴史だけでなく公民も同じです。一方的な思想だけで民主政治を語ることや、GHQによる歴史の歪曲(わいきょく)に満ちた人権問題を取り上げるだけでは、我が国にとって悪い教育となるばかりか、本当の意味での「国際社会に生きる誇り高き日本人」を育てることなど、できるはずもないのです。
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古代の天皇には、高いところにのぼって国を見渡し、その様子を褒(ほ)め称えることによって、天皇のお言葉で国を良くするという「国見(くにみ)」の風習がありました。
ある日のこと、仁徳天皇は難波高津宮(なにわのたかつのみや)から人家(じんか)を眺(なが)められた際に、かまどから煙が立ちのぼっていないことに気が付かれました。
「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないからではないか。都ですらこうなのだから、地方はなおひどいことであろう」。そう思われた仁徳天皇は、すぐさま3年間税を免除され、宮殿の屋根が傷んでもそのままにされていました。
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「高き屋(や)に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民(たみ)のかまどは にぎはひにけり」
以上は有名な「民のかまど」のエピソードですが、実はこの話には続きがあります。
民のかまどがにぎわっているのを満足げに見つめられた仁徳天皇は、傍(かたわ)らにおられた皇后陛下に以下のように仰られました。
「朕(ちん)はすでに富んだ。喜ばしいことだ」。
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「宮殿のあちこちが崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだと言えるのですか」。
皇后陛下のお言葉に対して、仁徳天皇は微笑(ほほえ)みしながら仰られたそうです。
「国は民(たみ)が本(もと)である。その民が富んでいるのだから、朕も富んだということなのだ」。
この後、天皇はさらに3年ものあいだ引き続き税を免除され、6年後にようやく税を納めさせるとともに、宮殿の修理をお許しになりました。すると、仁徳天皇の善政に感謝していた多くの国民が、誰に強制されるわけでもなく自ら進んで修理をはじめ、あっという間に立派な宮殿ができあがったと伝えられています。
このこと以来、仁徳天皇は「聖帝(ひじりのみかど)」と称され、やがて天皇が崩御(ほうぎょ、天皇・皇后・皇太后・太皇太后がお亡くなりになること)されると、和泉国の百舌鳥野(もずの)の陵(みささぎ)をつくって葬り奉(たてまつ)ったと「日本書紀」に記載があります。
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1.難波(なにわ)の堀江(ほりえ)を開削(かいさく)したこと
2.茨田堤(まんだのつつみ、現在の大阪府寝屋川市付近)を築造したこと
3.山背(やましろ、後の山城)の栗隈県(くるくまのあがた、現在の京都府城陽市西北~久世郡久御山町付近)に灌漑(かんがい)用水を引かせたこと
4.茨田屯倉(まむたのみやけ、屯倉とは天皇の直轄領のこと)を設立したこと
5.和珥池(わにのいけ、現在の奈良市付近か)や横野堤(よこののつつみ、現在の大阪市生野区付近)を築造したこと
6.灌漑用水として感玖大溝(こむくのおおみぞ、現在の大阪府南河内郡河南町付近)を掘削(くっさく)し、広大な田地を開拓したこと
7.紀角宿禰(きのつののすくね、武内宿禰=たけのうちのすくねの子)を朝鮮半島の百済(くだら)へ遣(つか)わし、初めて国郡の境を分け、郷土の産物を記録したこと
国民の幸福を常に願われた仁徳天皇は、彼らが飢(う)えないように農地を確保し、また治水を行って水害を防ぐなど、その在位中に大規模な土木工事を何度も行われました。これらの大事業によって国が豊かになり、国民は天皇に深く感謝したからこそ、崩御後に巨大な陵墓(りょうぼ)をつくったのです。
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このことから、仁徳天皇は「自分の天皇陵の建設に際して国民を強制的に労働させた人物」と否定的にとらえた見方をする人物もあるようですが、私に言わせれば、そんな人物こそが「机上の空論を振りかざす愚か者」でしかありません。
なぜそう断定できるのでしょうか。そのカギを握るのは「土木事業によって生み出された『あるモノ』」です。
当たり前のことですが、大規模な土木工事を行えば必ず大量の土砂が出ます。これらの土砂は、現代であればダンプカーなどに乗せて港湾の埋め立て工事に使ったりしますが、大昔にはそんな便利なものはありませんから、計画的にどこかに「盛(も)り土(つち)」することになります。
実は、古墳はこの盛り土を上手に活用してつくられたものなのです。だからこそ古墳は平野部にしかなく、また仁徳天皇の場合は土木事業が大規模であったことで大量の盛り土が発生していたからこそ、世界最大級の陵墓となったのです。
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ちなみに、仁徳天皇陵の周囲に堀をめぐらせているのは、陵墓が大規模なものであることから、大雨が降れば大量の土砂が流れ込む可能性があり、それを防ぐためという、いわば当然の理由があります。
これらのことは、古代から現地の土木事業にかかわってきた一般国民からすれば「空気のように当たり前のこと」でした。ところが、机上の理論を振りかざした「頭の良い」学者たちは、世間の常識よりも自分たちの考えを優先させますから、戦後になって「常識では考えられない学説」がまかり通るようになりました。
記紀などの伝説を否定する彼らによって、古墳はいつしか「権力者による支配の象徴」とされたばかりか、ついには仁徳天皇のご存在までが否定され、多くの歴史教科書で「大仙陵(だいせんりょう)古墳」と書かれている有様です。
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