そもそも「幕府」という言葉の本来の意味は、チャイナにおける「王に代わって指揮を取る将軍の出先における臨時の基地」です。この場合、チャイナの皇帝は円滑に戦争を進めさせるため、将軍に対して、本来は皇帝の権限である徴税権や徴兵権を委任していました。
つまり、頼朝は自らを「幕府の将軍」になぞらえることによって、朝廷から独立した軍事政権を確立しようとしたのです。
頼朝は、征夷大将軍に任じられる前から、守護や地頭の設置などによって、鎌倉を中心に東国で政治の実権を事実上は握っていましたが、自己の立場を朝廷、すなわち天皇に「公認」してもらうことで、より安定した政権を築こうという思惑があったと考えられます。
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鎌倉幕府以後、我が国の政治権力者は天皇の権威を活用しましたが、それゆえに、天皇のもとで築かれてきた古い文化を破壊することは少なく、むしろ「民安かれ」という天皇のご意思を受け止めて、民を過酷に扱うような政治が行われることはほとんどありませんでした。
また、時が流れて、政治権力者の失政によって政権交代が起きても、室町幕府や江戸幕府などがそうであったように、単純に政治権力者が交代しただけであり、他国のような「国家元首と国民との対立」は起きませんでした。
権威としての天皇がご存在し続けることで、政権の交代が時折起きたとしても、全体的には政治が大いに安定した我が国では、外国に比べて平和な時代が長く続いたことで、我が国独自の文化も着実に成熟していったと考えられるのです。なお、この形態は「日本文明」の本質そのものと言って良いでしょう。
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さらにこの流れは、現在の日本国憲法第6条において、国家の最高政治権力者である内閣総理大臣を国家の象徴的ご存在であられる天皇陛下が任命されるという政治的システムとして活かされているのです。
ところで、我が国における政治の「権力」と「権威」との分離は、西洋文明における「教会と王権との分離」と類似しているということをご存知でしょうか。
西洋において王権が強化され、いわゆる「絶対王政」が確立したのは16世紀後半の頃からですが、それまではローマ教皇をはじめとする教会が権威と権力とを両方握っていました。しかし、16世紀初めの宗教改革をきっかけとして、教会はカトリック(=旧教)とプロテスタント(=新教)とに分裂しました。
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政治的権力と権威との分離が、歴史的に完全になされた地域は、地球上では西洋と我が国しかありません。東欧やロシア、そしてチャイナも、あるいは現代のチベットでさえも、こうした分離は実現できていないのです。
「権力」と「権威」とが完全に分離することによって、私たちは、政治家がどれほど偉そうなことを言っても、あるいは誰かがどれほどお金持ちになったとしても、人間の本質的な価値としては、天皇陛下や神(=God)の前では何も変わらないのだ、ということを実感できる社会を構築することができます。
「権力」と「権威」との分離はそれだけ極めて重要であり、その社会を持っている西洋や我が国は、国家あるいは国民が幸福を享受できるシステムが確立されていると考えるべきでしょう。
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考えてみれば、縄文土器は世界一古い土器ですし、また世界一古い磨製(ませい)石器も出土しているのですから、日本文明をもたらした我が国は「特別の土地」であると考えた方が自然かもしれません。
さて、我が国で初めて誕生した本格的な武家政権である鎌倉幕府ですが、将軍に任命された源頼朝をはじめとする源氏の治世は短く、まもなく部下だった北条氏(ほうじょうし)にとってかわられるようになりますが、なぜこのような「政権交代」が起きたのでしょうか。
実は、この背景には当時の武士が抱えていた「宿命」があり、また当時の天皇が「政権復帰」を目指されたという流れもありました。これらの詳細については、次回(第73回)の講演で詳しく紹介したいと思います。
(※第72回歴史講座の内容はこれで終了です。次回からは、リニューアルした通史の明治時代の更新を開始します)
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