まさに「政治家一族」に生まれ育った環境の中で、後に安倍氏は「幼い頃から私には身近に政治がありました」と述懐(じゅっかい)しています。そんな安倍氏は、成蹊(せいけい)小学校から成蹊中学校、成蹊高等学校、そして成蹊大学へと進学しました。なお、この間に安倍氏は17歳の頃に難病である「潰瘍性(かいようせい)大腸炎」を患(わずら)っており、この病気がその後の安倍氏に様々な影響を与えることになります。
さて、昭和54(1979)年4月に神戸製鋼所(こうべせいこうしょ)に入社した安倍氏は、約3年間勤務した後に昭和57(1982)年から当時外務大臣に就任していた父の晋太郎の秘書官を務めましたが、当時のサラリーマン生活を、安倍氏は「私の社会人としての原点」あるいは「私の原点」だったと回顧しています。
確かに、一度外に出て様々なことを経験した方が、織田信長や徳川吉宗(とくがわよしむね)、あるいは遠山金四郎(とおやまきんしろう)などのように、後に優れた実績を残す人物が多いですね。かく言う私も「社会人出身の高校教師」ですが(笑)。
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その後、平成12(2000)年7月に発足した第二次森喜朗(もりよしろう)内閣で内閣官房副長官に就任し、第一次小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)内閣でも留任しました。
小泉内閣で安倍氏が内閣官房副長官を務めていた当時の平成14(2002)年9月17日に、小泉純一郎首相が「北朝鮮による日本人拉致(らち)事件」の解決を目指して平壌(ピョンヤン)を訪問し、総書記で国防委員会委員長の金正日(キム・ジョンイル)との会談に臨みました。いわゆる「日朝首脳会談」です。
ところが、金正日総書記との会談を控えた小泉首相や、同行していた安倍晋三内閣官房副長官らに対して、その直前に「拉致被害者の生存者5名、死者は横田めぐみさんを含む8名」という情報が伝えられたのです。
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小泉首相は、続いて「拉致や工作船などの問題に対して誠意ある回答がない限り、正常化交渉再開はあり得ない」ことを告げましたが、これに対して金正日総書記は、ほとんど反論しなかったものの、謝罪の言葉は一切ありませんでした。
やがて正午となり、北朝鮮側の昼食会の誘いを断った日本側は善後策を協議しましたが、その際に安倍内閣官房副長官が「北朝鮮が拉致したことを認め、謝罪しない限り、安易な妥協(だきょう)をするべきではない」と発言しました。
すると、午後に再開された会談において、金正日総書記が「確かに我が国が拉致を行った。率直におわびしたい」と、これまでの主張と一変して、拉致事件の存在を認めたのです。
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その後、会談の翌月となる平成14(2002)年10月に、5人の拉致被害者が一時帰国を条件に我が国に帰国しましたが、国民世論の高まりや北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(通称:家族会)の要望、さらには安倍晋三内閣官房副長官や中山恭子(なかやまきょうこ)内閣官房参与(当時)の働きかけなどにより、日本政府は帰国した被害者を北朝鮮へ帰すことを拒否したほか、5人の家族の帰国も要求しました。
これに対し、北朝鮮は「約束違反だ」と我が国を非難しましたが、小泉首相は平成16(2004)年5月に2度目の日朝首脳会談を行い、生存被害者5人の家族の帰国を実現させました。
なお、当初は「死亡」が伝えられた横田めぐみさんら拉致被害者8名ですが、その後に北朝鮮から渡された「死亡診断書」の内容があまりに杜撰(ずさん)だったことや、被害者のものとされた遺骨のDNAが全く異なっていたことから、めぐみさんらが「本当は生きている」ことが有力視されています。
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また、昨年と今年の2回にわたって行われた、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との「米朝首脳会談」においても、トランプ大統領が両方の会談で拉致問題について触れたと伝えられています。
さて、日朝首脳会談以後の安倍氏は、平成15(2003)年に自民党の幹事長に就任すると、平成17(2005)年の第三次小泉内閣では内閣官房長官を務めるなど、着実に政治家としての実績を積みました。
そして平成18(2006)年9月20日に、小泉自民党前総裁の任期満了に伴って新たに総裁に選出された安倍晋三氏は、続く9月26日の臨時国会において内閣総理大臣に指名され、天皇陛下に任命されました。第一次安倍内閣の誕生です。
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事実、第一次安倍内閣は教育基本法の改正に始まり、防衛庁の「防衛省」への昇格、憲法改正の布石となる国民投票法の制定、天下り規制などを定めた公務員制度改革など、過去半世紀の全ての首相が敬遠してきた、国家の土台部分の難しい宿題を一気に前進させました。
しかし、その性急な改革が既得権者に対する深刻な恨みを買い、一部マスコミからなどの壮絶なバッシングを受けたほか、そのあまりにも偏向したネガティブキャンペーンによって、政権の「真の姿」を見失った国民の批判にさらされたのみならず、最後は自身の病気の悪化で退陣を余儀なくされるなど、まさに「刀折れ矢尽きた」状態で、安倍首相は政治の表舞台から「一旦は」姿を消しました。
ちなみに、朝日新聞が当時の政治評論家に対して「安倍政権を叩くことが社是(しゃぜ)であり、安倍の葬式はウチで出す」と高らかに宣言したというエピソードが伝わっており、マスコミの姿勢として重大な問題があると今も指摘されています。
なお、安倍首相の潰瘍性(かいようせい)大腸炎ですが、特効薬の発見によって今は寛解(かんかい)しているとのことです。
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その後、谷垣総裁が任期満了となった平成24(2012)年9月に退任を表明したため、新たに5名が総裁に立候補しましたが、その中に、かつて首相を務めた安倍晋三氏の名前がありました。
9月26日に行われた総裁選挙において、安倍氏は1回目の投票で2位となりましたが、過半数を得た候補がいなかったため、1位だった石破茂(いしばしげる)氏との国会議員による決選投票となり、108票を得た安倍氏が逆転で総裁に選出されました。
かくして、総理大臣並びに自民党総裁を辞任してから、ちょうど5年の歳月を経て、安倍氏が政治の表舞台へと返り咲いたのです。
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それから約1か月半後の平成24(2012)年11月14日、国会内での党首討論において、安倍総裁は野田佳彦(のだよしひこ)首相(当時)とのやり取りの中から「(11月)16日に(衆議院を)解散する」という首相の言葉を引き出すことに成功し、一気に解散モードが高まりました。
野田首相の宣言どおり、11月16日に衆議院が解散され、翌12月16日に総選挙が行われた結果、自民党は480議席中294議席を得て圧勝し、10日後の12月26日に安倍晋三総裁が第96代内閣総理大臣に就任し、公明党との連立で第二次内閣を組織しました。
一度辞任した内閣総理大臣が再就任したのは、戦後では吉田茂(よしだしげる)以来2人目であり、自民党では初の出来事でした。また、第一次安倍内閣の総辞職以来、6年連続で首相が毎年交代してきましたが、第二次以降の安倍政権は、その後4回行われた国政選挙でも圧勝を続け、現在は第四次内閣を組織しています。
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しかし、さしたるスキャンダルが見当たらない安倍政権に対して、一部の野党やマスコミがいわゆる「モリカケ」に代表される様々な批判を続け、首相個人のみならず、政治とは無関係の夫人すら全否定しかねない言動を繰り返すなど、常軌を逸した攻撃によって、一部の国民の中には「安倍首相は人格的に信用できない」というコメントが見られる有様です。
通常の人間ならば、ここまでのネガティブキャンペーンに耐えられるはずがありません。しかし、安倍首相はまさに「忍」の一字で踏ん張り続け、国内外において多くの制約を受けながらも、それこそ「詰将棋」のように、一歩一歩着実に真の国益を見すえた政策を実行しているのではないでしょうか。
前回(第70回)の講演でも触れましたが、ゆめゆめ「脊髄(せきずい)反射」で国を滅ぼすことなかれ。そのためにも、もっと大きな流れで歴史を俯瞰(ふかん)するとともに、一つ一つの事象を細やかに検証するという、いわゆる「木を見てかつ森も見る」姿勢で歴史を学ぶ必要があります。
歴史講座を開設して10年を迎えましたが、私は今後も「分かりやすくて楽しい、かつ国益にかなうと同時に、木を見てかつ森も見る」歴史教育の実践に努めてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
(※第71回歴史講座の内容はこれで終了です。)
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