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黒田裕樹の歴史講座
受験対策にも万全!現役高校教師による「分かりやすくて楽しい」歴史ブログです。
次回の「黒田裕樹の歴史講座」

第66回黒田裕樹の歴史講座「戦後史検討 その1 ~占領政策の本質」平成30年5月20日(日)午後2時より東京・スター貸会議室 飯田橋にて、5月26日(土)午後2時より大阪市立総合生涯学習センター第1研修室(ホール)にてそれぞれ行います(東京講演の開始時間が1時間早まっていますので、お間違えのないようにご注意ください)。

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┣政党の復活 (2)
┣経済面の占領政策 (7)
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┣昭和天皇のご巡幸 (10)
┣冷戦体制の形成とアジア情勢 (10)
┣朝鮮戦争の勃発 (4)
┣日本の独立回復 (8)
┣特需景気と経済復興 (4)
┣独立回復後の国内情勢 (3)
┣激動する世界情勢 (6)
┣55年体制の成立と国連への加盟 (3)
┣安保条約の改定と闘争の激化 (3)
┣高度経済成長 (6)
┣保守長期政権 (6)
┣国民生活の変化 (7)
┣保守政権の動揺 (10)
┣貿易摩擦とバブル景気 (4)
┣戦後の文化 (4)
┗昭和から平成へ (5)
平成時代 (89)
┣冷戦体制の崩壊 (19)
┣湾岸戦争の大きな教訓 (9)
┣55年体制の崩壊 (11)
┣バブル経済の崩壊と金融制度改革 (9)
┣森内閣から小泉内閣へ (17)
┣第一次安倍内閣とその後の自民党政権 (10)
┣民主党政権と東日本大震災 (12)
┗安倍政権の復活 (2)
第1回歴史講座 島国の環境が創った我が国の歴史 (10)
┣日本列島の地理的環境がもたらした「天然の防壁」 (2)
┣中国大陸との交流 (2)
┣聖徳太子と遣隋使 (2)
┣朝鮮半島とのかかわり (2)
┗「島国」ゆえの最大の危機 (2)
第2回歴史講座 「鎖国」という名の悲劇 (9)
┣「鎖国」に対するイメージとは (1)
┣「鎖国」に至るまでの歴史 (2)
┣なしくずしの「鎖国」とその影響 (2)
┣逃してしまった「開国」へのチャンス (2)
┗「しなくても済んだ苦労」をする「悲劇」 (2)
第3回歴史講座 源義経 (11)
┣平氏に捕まりながらも生きながらえた奇跡 (2)
┣戦術の天才ぶりを遺憾なく発揮 (2)
┣ついに平氏滅亡、しかし… (2)
┣「戦略」が理解できなかった「戦術」の天才 (3)
┗役割を終えた「アイドル」の末路 (2)
第4回歴史講座 明智光秀 (12)
┣最大のミステリー 「本能寺の変」 (1)
┣光秀の動機は「怨恨」か? (2)
┣信長と光秀との理想的な主従関係 (2)
┣「不信感」という名の導火線 (2)
┣ついに爆発した光秀の不信感 (2)
┣本能寺の変に「黒幕」はいない (2)
┗たった一人で歴史を変えた男 (1)
第5回歴史講座 毛利家の栄枯盛衰 (15)
┣信長に次いで天下取りに近かった男 (1)
┣重大な決意 (3)
┣すべてが思い通りに (3)
┣凄まじいまでの謀略 (2)
┣三矢の訓(おしえ) (2)
┣元就の不安的中 (2)
┗因果はめぐる (2)
第6回歴史講座 徳川綱吉 (19)
┣徳川綱吉は本当に「暗君」か? (2)
┣ハンデを乗り越えて始まった綱吉の治世 (3)
┣「生類憐みの令」の背景とその真実 (5)
┣綱吉の治世における数々の功績 (4)
┣立て続けに綱吉を襲った「災害」 (2)
┣恐るべき「歴史の捏造」からの名誉回復を目指せ (2)
┗綱吉が我が国にもたらした「思わぬ効果」 (1)
第8回歴史講座 田沼意次と松平定信 (18)
┣田沼意次=悪役は本当か? (2)
┣田沼時代の真実 (8)
┣偶然と陰謀と (3)
┣前政権の全否定 (4)
┗「名君」と「悪人」の目くらましに惑わされないために (1)
第9回歴史講座 明治憲法とは (15)
┣明治憲法の一般的な評価は真実か? (2)
┣明治憲法の歴史的経緯 (5)
┣明治憲法の公民的考察 (6)
┗統帥権の干犯 (2)
第10回歴史講座 信長と信玄との「決定的な違い」について (17)
┣信長と信玄との「決定的な違い」とは? (3)
┣一つめの違い (6)
┣二つめの違い (4)
┗「決定的な」三つめの違い (4)
第11回歴史講座 太閤殿下の夢 (16)
┣我が国と「ある国」との秀吉の評価の違いとは? (2)
┣世界史の流れから見た我が国侵略への恐怖感 (5)
┣秀吉の朝鮮出兵の意図は「明への先制攻撃」にあり (3)
┣徳川家によってねじ曲げられた朝鮮出兵の真意 (2)
┗歴史教育に必要な「それぞれの立場」による認識 (4)
第12回歴史講座 戦国時代の宗教戦争 (15)
┣「政教分離の原則」が定着した我が国 (1)
┣「政教一致」が我が国にもたらした様々な問題 (4)
┣信長の政策 (4)
┣秀吉の政策 (3)
┣家康の政策 (2)
┗政教分離による恩恵と問題点 (1)
第13回歴史講座 日本とトルコ (15)
┣屈指の親日国家 「トルコ共和国」 その理由とは? (1)
┣エルトゥールル号の悲劇と懸命の救助 (5)
┣我が国とトルコとの間に生まれた絆 (2)
┣トルコの恩返し (4)
┣固い絆は永遠に (2)
┗補足 (1)
第15回歴史講座 遠山の金さん (18)
┣「遠山の金さん」の実像とは? (1)
┣時代劇「遠山の金さん」のストーリー (5)
┣将軍から「お墨付き」をもらった北町奉行 (3)
┣水野忠邦や「妖怪」との対立 (4)
┣庶民の楽しみを守った名奉行 (3)
┗「金さん」伝説は永遠に (2)
第16回歴史講座 政権交代の歴史 (16)
┣選挙だけではない「政権交代」の歴史 (2)
┣朝廷による政治から平氏政権へ (4)
┣鎌倉幕府の誕生 (4)
┣建武の新政と三英傑との大きな違い (3)
┣江戸幕府から明治維新へ (2)
┗そして現代へ (1)
第17回歴史講座 徳川家康 (22)
┣歴史に学んだ家康の平和主義とは? (2)
┣独立後も続いた辛抱の日々が報われるとき (3)
┣独立までの苦難の日々で身に着けたもの (4)
┣律義者から狸爺へ (3)
┣幕府存続を目指して (4)
┣皇室をも利用した容赦ない家康の「平和主義」 (3)
┗「平和主義者」家康に対する誤解と偏見 (3)
第18回歴史講座 日韓併合 (20)
┣日韓併合の歴史的経緯を探る必要性 (2)
┣不幸な行き違いから始まった明治の日朝関係 (4)
┣二つの事変と朝鮮半島に忍び寄る清国の影 (2)
┣日清戦争で清国の介入を防ぐも、迫るロシアの魔の手 (5)
┣「保護国」から「併合」へと導いた一発の銃弾 (5)
┣日韓併合までに至る歴史の評価とは? (1)
┗補足 (1)
第19回歴史講座 織田信長 (18)
┣織田信長の全体像とは? (1)
┣「生きた情報」を重視する信長の姿勢 (3)
┣「目先の利益」よりも長期的なビジョンを優先 (2)
┣地名の変更と大胆な城下町政策で都市を繁栄に導く (2)
┣信長が敵から学んだ「独自の政策」とは (4)
┣自らの権威を高めるために信長が選んだ手段 (3)
┣独裁者の精神が招いた「本能寺の変」 (2)
┗「歴史の転換者」の完成した姿とは? (1)
第20回歴史講座 幕末百景 (25)
┣幕末における大きな歴史の流れとは? (1)
┣薩摩藩の場合 (7)
┣長州藩の場合 (8)
┣土佐藩の場合 (2)
┣肥前藩の場合 (2)
┗江戸幕府の場合 (5)
第21回歴史講座 昭和天皇・前篇 (23)
┣我が国の危機を救われた昭和天皇 (2)
┣幼年期からご即位まで (3)
┣立憲君主制の重み (6)
┣一日も早い戦争終結を願われて (5)
┣ご聖断下る (5)
┣終戦を迎えて (1)
┗大東亜戦争終結ノ詔書 (1)
第22回歴史講座 日本国憲法誕生秘話 (15)
┣日本国憲法をめぐる謎 (1)
┣GHQが主導した新憲法の制定 (4)
┣脅迫に屈した占領の悲劇 (3)
┣憲法改正への動きが鈍い理由 (2)
┣自主的な憲法改正の必要性 (3)
┗補足 (2)
第23回歴史講座 昭和天皇・後篇 (24)
┣我が国の運命を決めたマッカーサーとのご会見 (2)
┣現在も続く「皇居勤労奉仕」の源流 (1)
┣「人間宣言」に対する大きな誤解 (4)
┣昭和天皇のご巡幸 (10)
┣世界における天皇陛下の権威 (2)
┣太陽は静かに沈み、そしてまた昇る (4)
┗東日本大震災と天皇陛下のビデオメッセージについて (1)
第24回歴史講座 日韓併合後の歴史 (10)
┣「日帝三十六年の真実」とは? (1)
┣植民地支配における過酷な真実 (2)
┣朝鮮半島の統治における数々の真実 (5)
┗外国が絶賛した我が国の朝鮮統治 (2)
第25回歴史講座 風雲・関ヶ原 (21)
┣「関ヶ原の戦い」にまつわる様々な側面 (1)
┣避けられなかった「豊臣家の落日」 (4)
┣「敗軍の将」 石田三成の真実 (3)
┣実は「薄氷の勝利」だった徳川家康 (4)
┣もし関ヶ原の戦いで西軍が勝っていたら (5)
┣関ヶ原の戦いから見えてくるもの (1)
┗補足 (3)
第26回歴史講座 藤原氏の栄枯盛衰 (25)
┣藤原氏から見えてくる大きな歴史の流れ (1)
┣誕生 (3)
┣発展 (7)
┣完成 (4)
┣実は不可思議な藤原氏の栄華 (2)
┣没落と復活と (6)
┣藤原氏の歴史をたどる意義 (1)
┗補足 (1)
第27回歴史講座 からくり儀右衛門 (12)
┣我が国を支えた「ものづくり」の精神 (1)
┣「からくり儀右衛門」の誕生 (3)
┣人々の暮らしに貢献した数々の発明 (2)
┣歴史を変えた「アームストロング砲」 (3)
┣歴史をつくった晩年の事業 (2)
┗知識は失敗より学ぶ (1)
第28回歴史講座 真説・平家物語 (23)
┣平家滅亡の真の理由とは? (1)
┣武士の誕生とその飛躍の背景 (3)
┣平家を栄光へと導いた二つの乱 (6)
┣「開拓者」の宿命としての大きな「欠陥」 (5)
┣悲運と必然とがもたらした平家の没落 (7)
┗大いなる教訓としての平家の功績 (1)
第29回歴史講座 室町幕府の教訓その1 (15)
┣「室町時代」の分かりにくさ (1)
┣「鎌倉幕府」滅亡への道のり (4)
┣「建武の新政」の理想と現実 (4)
┣欠陥だらけだった「室町幕府」とその原因 (5)
┗課題を残した尊氏の「負の遺産」 (1)
第30回歴史講座 室町幕府の教訓その2 (22)
┣義詮から義満へ (2)
┣南北朝の合一 (3)
┣義満の野望と挫折 (6)
┣神に選ばれた将軍 (5)
┣後南朝の悲劇 (5)
┗「やり過ぎ」がもたらしたもの (1)
第31回歴史講座 室町幕府の教訓その3 (18)
┣「箍が外れた桶」となった室町幕府 (2)
┣「応仁の乱」の思惑と現実 (5)
┣権威の「使い捨て」に振り回された足利将軍 (6)
┣「室町幕府の教訓」とそれを活かしきった男 (4)
┗歴史に学んで「教訓」を活かす重要性 (1)
第32回歴史講座 聖徳太子 (21)
┣建国以来の危機に敢然と立ち向かった男 (1)
┣内憂外患からの大改革 (3)
┣冠位十二階に秘められた深慮遠謀 (2)
┣現代にもつながる憲法十七条の精神 (3)
┣遣隋使で見せた我が国の気概 (8)
┗聖徳太子をめぐる昨今の諸問題 (4)
第33回歴史講座 明治天皇 (28)
┣崩御100年にご遺徳を偲んで (1)
┣明治天皇のご誕生と激動の維新 (4)
┣西郷隆盛とのお若き頃の日々 (2)
┣明治天皇と立憲君主制 (6)
┣教育勅語に込められた陛下の願い (3)
┣戦時における陛下の大御心 (5)
┣大津事件での誠実なご対応 (2)
┣明治の終焉とその後 (4)
┗「明治の日」を実現しよう! (1)
第34回歴史講座 真説・忠臣蔵 (22)
┣「元禄赤穂事件」の真実 (7)
┣「水と油」だった浅野家と吉良家 (4)
┣「浅野vs.吉良」と「討ち入り」の本当の理由 (5)
┣「元禄赤穂事件」が「忠臣蔵」になるまで (4)
┗「隠されたメッセージ」を理解するために (2)
第35回歴史講座 人権法案の矛盾 (23)
┣人権法案に秘められた矛盾 (8)
┣治安維持法の真実 (4)
┣自治基本条例の恐るべき実体 (7)
┗今こそ問われる国民としての自覚 (4)
第36回歴史講座 山田方谷 (16)
┣山田方谷の誕生とその半生 (2)
┣方谷による財政改革の全容 (7)
┣他藩も参考にした方谷の改革精神 (2)
┣藩を救った改革とその後の方谷 (3)
┗「アベノミクス」成功の切り札として (2)
第37回歴史講座 北条時宗 (15)
┣元の建国 (3)
┣文永の役 (4)
┣弘安の役 (5)
┗「征夷大将軍」の重責 (3)
第38回歴史講座 乃木希典 (32)
┣「武人」乃木希典の青年期 (4)
┣連隊旗喪失の悲劇とその後の乃木 (5)
┣旅順攻略戦の苦悩・前編 (6)
┣旅順攻略戦の苦悩・中編 (4)
┣旅順攻略戦の苦悩・後編 (6)
┣奉天会戦、そして帰国後の乃木の決意 (3)
┗晩年の乃木将軍と殉死 (4)
第39回歴史講座 樋口季一郎 (20)
┣「エリート将校」の様々な横顔 (4)
┣オトポール事件 (6)
┣キスカ撤退作戦 (5)
┣占守島の戦い (3)
┗「誇りある決断」がもたらしたもの (2)
第40回歴史講座 西郷隆盛 (30)
┣若き日の西郷と藩主斉彬との出会い (6)
┣不遇の時代を乗り越えて討幕へ (5)
┣西郷の武士道精神を支えたものとは (6)
┣征韓論争にも見られた「武士道精神」 (5)
┣西南戦争に見られる西郷の「覚悟」 (5)
┗身は城山の露と消えても (3)
第41回歴史講座 鈴木貫太郎 (23)
┣「鬼貫」と呼ばれた男の半生 (5)
┣運命の「二・二六事件」 (4)
┣最難局での総理大臣就任 (6)
┣陛下のご聖断を導いた男 (6)
┗「鬼貫」の生き様から学ぶもの (2)
第42回歴史講座 黒田官兵衛 (14)
┣播磨で名を挙げた青年期の官兵衛 (3)
┣信長・秀吉との出会いと幽閉の日々 (4)
┣天下平定から朝鮮出兵への道のり (3)
┗家康への臣従と関ヶ原以後の官兵衛 (4)
第43回歴史講座 文部省唱歌の世界 (14)
┣講演編 (8)
┗歌唱編 (6)
第44回歴史講座 条約改正への道のり (28)
┣江戸幕府が結ばされた不平等条約 (8)
┣条約改正への道のり・前編 (7)
┣条約改正への道のり・後編 (5)
┗条約改正が我が国に残した大きな教訓 (8)
第45回歴史講座 大化の改新と壬申の乱 (23)
┣蘇我氏の横暴 (5)
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黒田裕樹

Author:黒田裕樹
(くろだ・ひろき)
社会人出身の教師(大阪府内の公立高校非常勤講師)です。歴史教育のブログ「黒田裕樹の歴史講座」を開設しております。
Birthday:S44.02.15(みずがめ座)
血液型:A型
花嫁募集中(未婚)です(^^ゞ
大阪市在住
広島東洋カープの大ファンです♪

教師としての専門科目:日本史、現代社会など
高校地歴・公民、中学社会の教員免許を所有

大阪・明星高校から関西大学法学部を卒業後、複数の司法書士事務所に勤務の後に教師になることを志し、通信教育で教員免許を取得。私立高校の社会科非常勤講師から私立大学の事務職員、大阪府立高等学校期限付常勤講師を経て、現在は大阪府内の公立高校で非常勤講師として勤務中です。

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日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題 その1
昭和21(1946)年11月3日に公布された日本国憲法は、「象徴天皇」「基本的人権の尊重」「主権在民」「平和主義」などの特色を持っており、特に後者の3つは「日本国憲法の三原則」として知られています。

憲法において、天皇は日本国と日本国民統合の象徴とされ、国会は国権の最高機関で、公選の議員からなる衆議院・参議院の二院で構成され、また議院内閣制が採用されたほか、第9条には戦争放棄や軍備の撤廃が明記されました。

日本国憲法は、公布から半年後の翌昭和22(1947)年5月3日から施行(しこう)されましたが、これまでに一字一句改正されていないことから、「日本国憲法は日本にふさわしい憲法として完全に定着している」と主張する人々が数多く見られます。

しかし、我が国の国柄を一切顧(かえり)みられずに制定された日本国憲法を、本当に「改正する必要がない」のでしょうか。憲法の条文を細かく解釈していけば、先の戦争における「反省」を我が国だけが一方的にさせられているといった屈辱的(くつじょくてき)な内容が見られるなど、実は「問題だらけ」であることが理解できるのです。

それはまず、憲法の前文にあります。


※下記の映像は5月19日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/14 12:00】 | 日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題
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ぴーち
こんばんは!

そうですね。
9条に関しては、そこには絶対触れてはいけない「聖域」なるものを感じますし、
これまで何度か改正の案が出されながらも、一字一句改正に至らなかったのは、ある意味奇跡的な事ですよね。それだけ先の戦争が日本人にとって相当な痛手となった事への証でもあるかとは思いますが、
仰るとおり、「奇跡」だけを信じてこれからも
崇め続けるのは、危険かも知れませんし、
そこに日本の意思というものをしっかり宿すべき時が来ているのかも知れません。




万里ママ
日本国憲法、実は奥が深い問題が山積ですよね…。
また、解釈によって色々と分かれるので
その点でもう~ん…と思うところがあります。
記事の続き、興味深く読まさせていただきます。

ぴーちさんへ
黒田裕樹
「聖域」や「奇跡」で済ますことが出来るか、ということも大きな問題だと思いますね。
まずは前文や条文をしっかり見極めてみます。


万里ママさんへ
黒田裕樹
有難うございます。

日本国憲法、特に平和主義が抱える様々な問題について、じっくり検証いただければと思います。

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日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題 その2
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高(すうこう)な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。

一読しただけでは見逃してしまいそうですが、この文章は独立国にとって生命線でもある「安全保障」を「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して保持する」、つまり「他国にその一切を委(ゆだ)ねる」と宣言しているのです。

自国の安全保障を他国に委ねる国が、いったいどこに存在するというのでしょうか。それに、百歩譲って私たちが「平和を愛する諸国民の公正と信義」を「信頼」したところで、相手国が無視して我が国に攻め込んで来れば何の役にも立たないことは言うまでもありません。

いずれにせよ、この前文が存在する限り、私たち日本国民は先の戦争における謂(い)われなき反省を永遠にさせられてしまうのです。


※下記の映像は5月19日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/15 12:00】 | 日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題
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ぴーち
こんばんは!

確かに
他国に平和を守って貰うなどという
都合の良い話は聞いて居られませんね。
現代の首相も、そういえば
アメリカと手を携えていれば、平和を守ってくれるだろうと力強く宣言しておりますが、本当にそれで
いいのでしょうか・・

ぴーちさんへ
黒田裕樹
現代の場合、まだ自衛隊がありますからね。軍隊も持たずに安全保障を他国に委ねるという発想そのものが信じられません。


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日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題 その3
日本国憲法において、現在もなおその存在に関する賛否両論が激しく交わされている条文の一つに、「平和主義」を標榜(ひょうぼう、主義・主張や立場などを公然と表すこと)している第9条が挙げられます。

第9条 第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

我が国の公民教科書の多くが、第9条で掲げられた平和主義を高く評価しており、中には「国民が再び悲惨な戦争に陥(おちい)らないようにするためには、一人ひとりが憲法9条の精神に立ち返り、戦争のない平和な世界の実現に向けて努力していく必要がある」と書いているものもあります。

しかしながら、先述した憲法前文と同様に、いかに我が国が平和主義を一方的に訴えたところで、相手国が言うことを聞かなければ何の意味もありません。


※下記の映像は5月19日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/16 12:00】 | 日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題
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ぴーち
こんばんは!


確かに最初のうちは、憲法違反になるからと
断れば、渋々ながらも承知してくれるかも知れませんが、関係が深まれば、深まるほど
いつまでもお断りをし続けることは難しくなりますよね。
ただ思うに、アメリカの押しの強さにじわじわと押されながらの切羽詰まらせるような作戦に日本が
判断せざるを得ない状況は避けたいです。
いづれ判断ミスだったと後悔する時が来なければ良いなとは思います。

ぴーちさんへ
黒田裕樹
国家として自主性のないことは致命的ですからね。
だからこそ憲法の条文の意味を深く考え、改善すべきところは改善すべきですが…。

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日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題 その4
そもそも日本国憲法における平和主義は、我が国に二度と再軍備させないようにするため、交戦権や軍事力の一切を持たせないようにしようという、連合国軍最高司令官総司令部(=GHQ)すなわちアメリカの意思によるものでした。

しかし、憲法制定後間もなくアメリカはソ連(後のロシア)と冷戦状態になり、1949(昭和24)年には中華人民共和国が誕生したほか、翌1950(昭和25)年には北朝鮮と韓国との間で朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)しました。

こうした動きが東アジアの共産主義化につながることを警戒したアメリカは、それまでの我が国への占領政策を180度転換して、昭和25年に警察予備隊の編成を我が国に命じましたが、これが現在の自衛隊のルーツとなっています。

ところで、この流れのなかで昭和25年10月に、GHQ最高司令官のマッカーサーがアメリカのトルーマン大統領に対して「東京裁判は間違いだった」と告白していますが、日本という共産主義化に対する大きな防波堤を自らぶち壊したアメリカにとっては、文字どおり「後の祭り」でした。


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【2015/05/17 12:00】 | 日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題
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ぴーち
こんばんは!


日本は金輪際、手も足も出すことは出来まいと
一時的に優越感に浸ったであろうアメリカも
思わぬ誤算で直様、撃沈したのですね。
世界と繋がっているだけに、そう簡単には
思惑通りという訳にはいかないのが現実ですよね。
それにしても、その当時
日本に対して平和主義を強要していたアメリカが
今頃になって今度は憲法が邪魔だ。取り除いて
軍事力を持つ様に強要するなんて、本当に何処まで日本を振り回せば気が済むのか
聞いていて呆れます。

ぴーちさんへ
黒田裕樹
アメリカの思惑に振り回された感がありますが、そのような状態をいつまでも許している我が国も歯がゆいですよね。

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日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題 その5
こうした事実を鑑(かんが)みれば、いかにアメリカの命令でつくられたのがルーツとはいえ、自衛隊の存在を日本国憲法第9条が想定しているとは考えられません。このため、自衛隊が憲法とは別の法律である「自衛隊法」によって規定されるとともに、憲法改正を避けた日本政府が、第9条の拡大解釈という名の「苦しい言い訳」によって、自衛隊を「合憲」としているのです。

昭和29(1954)年に自衛隊が正式に発足して早や60年になりますから、もういい加減に憲法で正式に規定しても良いはずですし、また自衛隊をあくまで認めたくないのであれば、「自衛隊の禁止」を憲法に明記するよう運動することで、長年の論争に決着をつけるべきなのです。

ところで、憲法第9条の第2項において「前項の目的を達するため」という一文がありますが、これは憲法改正特別小委員会で芦田均(あしだひとし)が付け加えたものでした。このことから「芦田修正」と呼ばれています。

芦田修正によって「国際紛争を解決する手段としての武力は持たない」との限定解釈が可能となったほか、いわゆる「自衛のための防衛力」を保持する余地を残したとされており、このことが後の警察予備隊から自衛隊創設の大きな流れにつながったとも考えられています。


※下記の映像は5月19日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/18 12:00】 | 日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題
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ぴーち
こんばんは!

日本という国はそう考えると可笑しな国ですね。
長年に渡り、国歌と慕われ歌って来た「君が代」も平成の世になってようやく法律で国歌として定められるなど、なにかこう。。有耶無耶な形がずっと継承されるパターンが少なく無い様に思います。
これも日本人なら分かるはずという「暗黙の了解」とか、「阿吽の呼吸」とか
日本人同士なら、ツーカーでも外国相手となると
まるで通用しないパターンですよね(^^ゞ


ぴーちさんへ
黒田裕樹
確かにそうですね。
ただ、こういった問題は国内のみで通用する環境ではなく、世界レベルで考えるべきかもしれません。


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日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題 その6
警察予備隊が誕生してから2年後の昭和27(1952)年4月28日に、サンフランシスコ講和条約並びに日米安全保障条約が発効して、我が国が独立を正式に回復すると、占領時代に進められた我が国の政策が大きく修正されました。

海上の警備機関たる「海上警備隊」が、独立回復と時を同じくして誕生すると、同年8月には保安庁が設置され、それまでの警察予備隊が保安隊に改称されたほか、海上警備隊も警備隊と改められました。

その後、昭和29(1954)年3月に日米相互防衛援助協定(=MSA協定)が結ばれると、アメリカからの兵器や農産物などの援助と引き換えに防衛力の増強が求められたことから、政府は同年7月1日に防衛庁を新設したほか、保安隊や警備隊を統合し、新たに陸上・海上・航空の3隊からなる自衛隊を発足させました。

なお、防衛庁は総理府(のち内閣府)の外局という立場でしたが、平成19(2007)年に防衛省へ移行され、内閣の統括の下に独立した行政機関である省の一つとなっています。また、平成26(2014)年7月1日に、自衛隊は発足以来60年を迎えましたが、同じ日に第二次安倍晋三(あべしんぞう)内閣によって、我が国の安全保障政策を大きく転換させる「集団的自衛権の行使容認」が閣議決定されました(詳しくは後述します)。


※下記の映像は5月19日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/19 12:00】 | 日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題
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ぴーち
こんばんは!

集団的自衛権行使は良いですが、
自衛隊だけに留まらず、ついには一般国民をも
引き出される事態に陥らないとも限らないのでは
無いかと言うご意見を度々耳にしますが、
そこら辺の所の線引をしっかりと公約して
貰わないとやはり不安になりますね・・

自衛隊の発足の背景。
青田です。
黒田先生

青田です。

この自衛隊が出来た背景を知ると

本当の平和の重さがわかると思います。

。

マッカーサーは、朝鮮半島について、知らないので、38度線で、分割しようと考えていました。

しかし、防衛ラインで、39度線です。

それを知らないで、北朝鮮が韓国が侵入します。


北朝鮮が、強かったのは、毛沢東が、自分の嫌いの軍閥を派遣して、粛清に使いました。そのおかげで、毛沢東は、満州を完全に掌握。

ソ連は、最新兵器を北朝鮮に送りました。


しかし、それでも

国連軍は、世界の半分で、戦って、マッカーサーは、

朝鮮戦争で、負けそうになって、日本の軍事力を強化する目的で、自衛隊を創設させました。(マッカーサーの指揮官として無能だと思います。)

マッカーサーは

散々、占領政策で、日本を赤化させて、弱体化させとして

(一体、何がしたいのか?)

あまり、知られていませんが

朝鮮戦争当時、北九州で、空襲警報が鳴らされました。

ちなみに、この当時の社会党は、保守政党の要素があり、『天皇陛下万歳で、結党されました。』

少なくとも

こういう背景を知って『平和』とは何かを


現在の護憲派は、少しは、考えて欲しいと思います。



ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 集団的自衛権行使は良いですが、
> 自衛隊だけに留まらず、ついには一般国民をも
> 引き出される事態に陥らないとも限らないのでは
> 無いかと言うご意見を度々耳にしますが、

結論から先に言えば、そういうことは有り得ません。
まず、徴兵は憲法18条の「苦役」にあたり、禁止されています。
無理に徴兵しようとすれば憲法違反になります。

また、最近の戦争は人海戦術よりも高度な技能を必要としており、徴兵で無理に集めた兵隊では役に立ちません。

従って、仰るようなご意見は「悪質なデマ」と断定できるでしょう。

青田さんへ
黒田裕樹
なるほど、仰るとおりですね。
歴史を自己の都合の良いように解釈してはいけません。

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自衛隊の国際貢献に関する歴史 その1
さて、時が流れて1989(平成元)年12月に、アメリカのブッシュ大統領とソ連(後のロシア)のゴルバチョフ書記長とが、地中海のマルタ島で会談し、両首脳によって「冷戦の終結」が発表されましたが、その後も世界の各地域で紛争が続きました。

1990(平成2)年8月2日、イラク軍が突然クウェート領内に侵攻して軍事占領したうえ、クウェートの併合を宣言しました。これに対して、国連安保理事会は直ちにイラクを非難し、アメリカを中心に多国籍軍を組織したうえで、経済制裁を行ってイラクにクウェートからの撤退を迫りましたが、イラクはこれを拒否しました。

このため、翌1991(平成3)年1月17日に国連の多国籍軍がイラクへの空爆を開始し、翌2月24日には地上戦に突入したうえで、27日までにクウェートを実力で解放させました。これを湾岸戦争といいます。

ところで、ポスト冷戦期の世界にとって最初の試練となった湾岸戦争において、我が国が戦ってもいないのに、敗戦にもまさる深刻な打撃を受けてしまったことを皆さんはご存知でしょうか。


※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/20 12:00】 | 自衛隊の国際貢献に関する歴史
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ぴーち
こんばんは!


存じませんね。
何しろ、まだ物心付かない時代の話ですから~
という冗談は黒田さんには通用しないとして(^^ゞ
最後の問題は何でしょう?
経済的な打撃だったでしょうか?

アメリカとの同盟について
青田です。
黒田先生

青田です。

日本人は、アメリカは、同盟関係を大事にし

日本を守ってくれると勝手に思い込んでいますが

アメリカの外交は、行き当たりバッタリで、

完全に外交音痴です。

たとえば、

● 蒋介石の国民党軍vs毛沢東の共産党軍が内戦をしていた時、アメリカのマーシャルは、国民党軍の武器供与を突然、止めてしまって、共産党軍が中国を占領し、支配し、結果的に赤化しました。

● キッシンジャーという自分は頭は、イイと思い込んでいる外交音痴の国務長官が、米中国交樹立しました。
その癖、台湾に武器を援助。(何がしたいねん。)

● イラク・イラク戦争の時、イラク側に武器を援助したと思ったら、今度は、2003年のイラク戦争で、『大量化学兵器がある』と
勝手な言いがかりをつけ、泥沼化しています。

私は、日米同盟は、大事だとは、思いますが、この前提で、日本は憲法9条を改憲し、独自で国防できるという状態を整えないと健全な同盟は維持できません。

余談ですが、戦国時代、織田家と徳川家の軍事同盟は、20年維持しましたが、
徳川家は、織田家よりも、弱小でしたが、
織田家の主要な戦いに主力を率いて、参陣したから、徳川家は、戦国時代を生き延びられたことを
日本人は、知っておくべきです。

ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 最後の問題は何でしょう?
> 経済的な打撃だったでしょうか?

確かに我が国は湾岸戦争で大きな出費をしましたが、本質は別のところにあります。
今後の更新にご注目ください。


青田さんへ
黒田裕樹
確かに徳川家にはそのような実績がありましたからね。
歴史に学ばなければなりません。

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自衛隊の国際貢献に関する歴史 その2
イラクによるクウェート侵攻に対して、我が国は平成2(1990)年8月5日に、アメリカからの要請によってイラクへの経済制裁に同意するとともに、同月下旬から9月上旬にかけて、国連の多国籍軍へ総額40億ドル(約5,200億円)の支援を発表しました。

しかし、アメリカが我が国に求めていたのは、経済よりも「人的支援」でした。「日本は何らリスクを負おうとはしない」という批判に対して、当時の海部俊樹(かいふとしき)内閣は、自衛隊の海外派遣や小型武器の携帯を明記した「国連平和協力法案」を国会に提出しました。

しかし、野党を中心に「国連平和協力法案は、平和主義を定めた日本国憲法第9条に違反する」という声が強く、法案は廃案となり、その後、国内で貢献方法について論議を重ねているうちに、湾岸戦争が始まってしまったのです。

人的支援を断念した海部内閣は、平成3(1991)年1月24日に、アメリカが要請した90億ドル(約1兆1,700億円)の拠出金(きょしゅつきん)の追加供与を決定し、また難民輸送のために、今回限りの特別措置(そち)として自衛隊機を派遣することを決定しました。


※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/21 12:00】 | 自衛隊の国際貢献に関する歴史
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ぴーち
こんばんは!


要するに今の安倍内閣はこの時の事を教訓に
憲法を改定していきたいという意向を強くしている訳ですよね。
アメリカが今後、自らが戦争を仕掛けない様な国なら
良いですが、戦い好きな国だけに
厄介な問題です。


ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 要するに今の安倍内閣はこの時の事を教訓に
> 憲法を改定していきたいという意向を強くしている訳ですよね。

仰るとおりですね。
この後の我が国をめぐる動きをご理解いただければ、さらに分かりやすくなると思います。

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自衛隊の国際貢献に関する歴史 その3
かくして、イラクによるクウェート侵攻から湾岸戦争への流れにおいて、我が国は支援国の中で最大の合計130億ドル(約1兆7,000億円)もの財政支援を行いましたが、人的支援をしなかったことによって、国際社会から冷ややかな目で見られました。

湾岸戦争後、クウェート政府はワシントン・ポスト紙の全面を使って、国連の多国籍軍に感謝を表明する広告を掲載しましたが、その中に日本の名はありませんでした。また、湾岸戦争に関して、アメリカやクウェートが、公式の場で我が国に感謝の意を表明したことは一度もなかったのです。

国民一人あたり1万円以上という膨大(ぼうだい)な資金援助を行ったにもかかわらず、国際社会の冷たい仕打ちを受けざるを得なかったことに対して、当時の日本人の中には怒りを覚える人も少なくありませんでした。

しかし、国際的な信義から見れば、日本の行動こそが「理にかなわなかった」のです。


※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/22 12:00】 | 自衛隊の国際貢献に関する歴史
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ぴーち
こんばんは!


以前にも書かせて頂きましたが、
個人のお付き合いでもそうでしょうけれど
お金で何でも解決しようとする人に
他人からの信用は得られないのと同じ話ですね。


ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 個人のお付き合いでもそうでしょうけれど
> お金で何でも解決しようとする人に
> 他人からの信用は得られないのと同じ話ですね。

まさしく仰るとおりですね。
詳しくは次回の更新でご紹介いたします。

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自衛隊の国際貢献に関する歴史 その4
湾岸戦争で我が国がとった行動は、平たく言えば「カネは出しても、人は出さない」ということですが、これがいかに問題であるかということは、以下の例え話を読めば理解できるはずです。

ある地域で大規模な自然災害が発生しましたが、これ以上の被害を防ぐための懸命な作業が行われていました。自分自身のみならず、愛する家族の生命もかかっていますから、全員が命がけです。

しかし、地域の資産家が、「そんな危険な作業は家訓があるからできない。その代わりカネは出すからそれで勘弁してくれ」と言ってきたら、皆さんは彼を信頼することができるでしょうか。

湾岸戦争は、国連すら承認した戦争でした。本来ならば、緊急事態法を即座に制定してでも、我が国は国際社会に信頼を得られるよう、何らかのかたちで人的支援をすべきだったのです。その意味においても、湾岸戦争は我が国にとって大きな教訓となったのでした。


ちなみに、憲法改正の問題が、いわゆる右派の人々だけでなく、広く一般的な「国民的課題」と認められるようになったのは、この湾岸戦争からです。日本国憲法第9条に縛(しば)られ、身動きのできなかった湾岸戦争での我が国の対応に疑問を感じた国民の意識が少しずつ変化することで、現在の安倍晋三内閣が憲法改正を課題の一つに挙げるまでに、国民的議論が成熟してきたという側面も見逃せません。

※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/23 12:00】 | 自衛隊の国際貢献に関する歴史
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慰安婦問題にも繋がっている気が。。
青田です。
黒田先生

青田です。

イギリスは、いつも、米国にたいして

全面支持で、軍事力も必ず、出します。

もちろん、元々、アングロサクソンで、プロテスタントということはあるとは、思いますが、

それだけではありません。

イギリスのアイルランド問題に関しては

アメリカは、全面的にイギリスを支持します。

アイルランドは、イギリスへの支配(植民地)は、200年以上で、日本の韓国併合どころではありません。

それでも、アメリカは、イギリスを全面支持します。

もし、日本もアメリカの軍事行動にたいして

面従腹背でも、全面支持で、軍隊を出していれば日本と韓国の問題では、日本を全面支持に廻っつていたとおもいます。

韓国軍は、アメリカのベトナム戦争で、アメリカ軍以外では、最大の兵力を出しました。

その弊害として、ライダイハンが多数数生まれましたが、アメリカは、そのことには一切、触れず、日本の慰安婦問題を問題にします。

アメリカは、カウボーイ思想の国なので、一緒に血を流してくれた人間を信用しますが、そうでないと全く、信用しません。


ぴーち
こんばんは!


私などの様にこういう問題には素人の人間ならまだしも、世界情勢にも詳しく、政治理論にも長けている護憲派と言われる人達が、盛んに憲法改正に反対する理由というのはどういう訳なのでしょうかね・?こういう理由が理解出来ていない。。という事なのでしょうか。あるいは知った上で
何か違う理由で反対をするのでしょうか・・



青田さんへ
黒田裕樹
なるほど、そういう一面もありますね。
だとすれば、最近はそのアメリカですら韓国を擁護できなくなってきたということでしょうか…。

ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 世界情勢にも詳しく、政治理論にも長けている護憲派と言われる人達が、盛んに憲法改正に反対する理由というのはどういう訳なのでしょうかね・?こういう理由が理解出来ていない。。という事なのでしょうか。あるいは知った上で
> 何か違う理由で反対をするのでしょうか・・

私にもよく分かりませんが、あるいは我が国よりも別の国の方に視点が向いていると仮定すれば、話は早いかもしれません。


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自衛隊の国際貢献に関する歴史 その5
湾岸戦争で人的支援を見送ったことで、国際的な批判を浴びた我が国は、平成3(1991)年4月24日に、政府が「我が国の船舶の航行の安全を確保する目的で、ペルシャ湾における機雷の除去を行うため、海上自衛隊の掃海艇(そうかいてい)を派遣する」と決定しました。

昭和29(1954)年に自衛隊が発足して以来、初めてとなった海外派遣は、国連や東南アジア諸国の賛成もあって、6月5日から他の多国籍軍派遣部隊と協力して掃海作業を開始しました。

炎天下の劣悪な環境の中、海上自衛隊は担当した海域約700平方kmにおいて、「湾岸の夜明け作戦」と呼ばれた機雷除去を行い、9月10日までに、他国が処理できなかった困難な機雷除去を完遂(かんすい)しました。

海上自衛隊の掃海技術は国際社会で高い評価を受け、かつて日本の国旗を除いて謝意を表した広告を掲載したクウェートでも、掃海部隊派遣後には、日本の国旗が新たに他国に加わって印刷された記念切手が発行されるなど、危険を伴(ともな)った人的貢献を行ったことで、外国における我が国の評価がそれまでと一変したのです。


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【2015/05/24 12:00】 | 自衛隊の国際貢献に関する歴史
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ぴーち
こんばんは!

このお話は、私も当時聞いていて
さすがは、日本人。
与えられた仕事をしっかりとこなし
現地の方たちの心に寄り添う活動を
行っていて素晴らしいなと感動を与えて
貰ったのを覚えております。

ぴーちさんへ
黒田裕樹
私もよく覚えています。
海上自衛隊の皆様の活躍ぶりに、それまでの認識が大きく変わりましたよね。

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自衛隊の国際貢献に関する歴史 その6
海上自衛隊のペルシャ湾への掃海艇派遣を通じて、人的支援の重要性を再認識した日本政府は、「現行憲法の枠内で自衛隊を海外派遣することが可能かどうか」を検討し始めるとともに、国内でも大きな議論となりました。

政府は「国際貢献という観点から、戦闘終結地域への、戦闘目的以外の自衛隊の派遣であれば可能である」との判断を下し、湾岸戦争の翌年に当たる平成4(1992)年に国際平和協力法(PKO協力法)を制定させ、国連平和維持活動への人的貢献として、自衛隊の参加を可能としました。

そして、同年9月には、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の要請により、カンボジアに自衛隊が派遣され、我が国における本格的な人的支援への道が開かれたのです。

その後、自衛隊の海外派遣は平成5(1993)年のモザンビーク、平成6(1994)年のザイール(現在のコンゴ民主共和国)、平成8(1996)年のゴラン高原、平成14(2002)年の東ティモール、平成16(2004)年のイラク、平成23(2011)年の南スーダンなど継続的に行われ、自衛隊の活躍ぶりが、我が国の世界における信頼度を高めています。

なお、PKO協力法をめぐっては、法案に強硬に反対した社会党や共産党などによって牛歩(ぎゅうほ)戦術が行われたり、社会党の衆議院議員全員が辞職届を出したりするなど、審議引き延ばしを目論(もくろ)んだ議事妨害によって、採決がずれこんだという経緯もありました。


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【2015/05/25 12:00】 | 自衛隊の国際貢献に関する歴史
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ぴーち
こんばんは!


国と国との本格的な争い毎なら
キレイ事は有り得ないかも知れませんが、
第三者的な立場での人助けであれば
痒い所にも手が届く様な手厚い対応が出来るのは
今のところ
日本の他に右に出る国は無いのではなかろうかと
思います・。


ぴーちさんへ
黒田裕樹
私もそう思います。
自衛隊の世界における活躍ぶりは我が国の宝ですね。

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日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 その1
さて、我が国は昭和26(1951)年9月8日に48ヵ国とサンフランシスコ講和条約を結んで独立を回復しましたが、同じ日にアメリカと日米安全保障条約を調印して、アメリカ軍の我が国への駐留を認めました。また、翌昭和27(1952)年2月には日米行政協定に調印し、我が国を含む極東地域の平和と安全を名目として、我が国に駐留するアメリカ軍に基地を提供することや、基地経費を我が国が負担することなどが取り決められました。

かくして、我が国は自国の安全保障をアメリカに委(ゆだ)ねるかたちとなりましたが、当初結ばれた条約は片務的(へんむてき、契約の当事者の一方のみが義務を負うこと)であり、アメリカに有利な内容となっていました。

例えば、我が国に駐留するアメリカ軍に日本防衛の義務がないことや、駐留軍には日本政府の要請に応じて内乱を鎮圧する権利があってもその義務がないこと、あるいは日本の意思だけでは条約を廃棄(はいき)できないことなどが規定されていたのです。

しかし、日本国憲法において事実上の非武装国と化していた我が国が、独立回復を機に米軍に撤退されれば、丸裸となった我が国が他国に侵略されるのは自明の理でした。現実問題として、我が国が現在に至るまで平和が保たれているのは、アメリカの「核の傘(かさ)」に入り込むかたちとなった日米安保条約のおかげであり、決して日本国憲法第9条によるものではありません。


※下記の映像は6月3日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/26 12:00】 | 日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件
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ぴーち
こんばんは!

アメリカ側からすれば、
アジアの玄関口に自国の基地が
存在すれば、乗り込む事が容易になる
事への期待感と、
日本はそのアメリカの武力の偉大さを
傘にすることで自国の平和を保つことが出来るという
要するに、
日米安保条約は
アメリカと日本双方の思惑が叶った
条約で有るという事なのですね。
日本の考え方からすれば、
露骨にアメリカのお陰でと頭を下げ続ける事を
拒む気持ちで9条の存在を明言し、日本国内へは9条という存在を
神聖なものと解釈させて
いかにも日本の護符の様に仕立てる事で
威厳を保とうとしていた・・
そんな印象を受けました。
もちろん、考えすぎかも知れませんが。


ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 日本の考え方からすれば、
> 露骨にアメリカのお陰でと頭を下げ続ける事を
> 拒む気持ちで9条の存在を明言し、日本国内へは9条という存在を
> 神聖なものと解釈させて
> いかにも日本の護符の様に仕立てる事で
> 威厳を保とうとしていた・・

さすがにそれは考えすぎかもしれませんね。
9条を守れと言う勢力の多くが革新系ですので。

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日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 その2
日米安全保障条約を結んでから約5年半後の昭和32(1957)年2月に、自由民主党の岸信介(きしのぶすけ)内閣が成立しました。

第一次防衛力整備計画を決定して、我が国の自衛力の強化に努めた岸内閣は、「日米新時代」のスローガンを掲(かか)げて、片務的な内容だった従来の日米安保条約の改定に意欲を見せました。

岸首相の努力もあって、昭和35(1960)年1月に我が国とアメリカは、ワシントンで日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)に調印しました。新安保条約は、アメリカの日本防衛義務を設けるなど対等な内容に近づけたほか、在日アメリカ軍の軍事行動における事前協議制や、固定有効期限を10年とすることなどが規定されました。

しかし、こうした新安保条約の批准(ひじゅん、全権委員が署名して内容の確定した条約に対して締結権をもつ国家機関が確認のうえ同意を与えること)をめぐって、日本国内で激しい闘争が繰(く)り広げられるようになるのです。


※下記の映像は6月3日までの掲載分をまとめたものです。


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【2015/05/27 12:00】 | 日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件
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ぴーち
こんばんは!

あちらが立てば、こちらが立たず。
なかなか上手い具合にはいかないものですね(^^ゞ
やはり国内では
自衛力の強化の部分での異論が多かったのでしょうか?


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ぴーちさんへ
黒田裕樹
国内での批判に関しては、仰るとおり自衛力の強化への異論が多かった可能性がありますが、その背景にあるものも重要かと思われます。
詳しくは今後の更新をご参照ください。

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日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 その3
かねてより「新安保条約は憲法違反の軍事同盟であり、安保条約は廃棄すべきである」と主張していた、社会党や共産党などの革新勢力は、条約調印に先立つ昭和34(1959)年3月に安保改定阻止国民会議を結成し、激しい条約批准阻止闘争を展開していました。

また、当時の国会で審議されていた警察官職務執行法の強化や教員の勤務評定などをめぐって、岸内閣は革新勢力と対立していましたが、これらと同時期に新安保条約の調印が行われたため、条約を批准する国会審議において、与野党の意見が激突しました。

このため、岸内閣はやむを得ず昭和35(1960)年5月19日に衆議院で条約批准案を野党欠席のまま強行採決に踏み切りましたが、これを契機として、院外の安保改正阻止闘争(安保闘争)は激しさを増し、安保改定阻止国民会議や全日本学生自治会総連合(=全学連)による10万人を超えるデモ隊が、連日のように国会を取り囲むようになりました。

そして、6月15日には全学連主流派の約1万人が国会に乱入し、警官隊と衝突して死者を出す惨事となってしまったのです。


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【2015/05/28 12:00】 | 日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件
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ぴーち
こんばんは!


岸総理と言えば、今の安部総理の祖父にあたる
方でしたよね?
随分と強引な手段で物事を進めようとした革新的な総理だったのですね。
それでもやはり国民をある程度納得させるというこは、時間と根気が必要でしたね。


ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、時間と根気が必要だったのは言うまでもないことですが、それを見越して反発勢力が活気づいたというのもありますからね…。そう考えれば、安倍首相は実にうまく政権を運営していると思います。

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日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 その4
新安保条約は参議院の承認を得られぬまま、6月19日に自然成立となりましたが、この騒ぎによって、予定されていたアメリカのアイゼンハワー大統領の訪日が中止されたほか、混乱の責任を取って岸内閣が総辞職しました。

新安保条約をめぐる闘争は、当時の国論を二分する激しいものとなりましたが、この背景には、新安保条約の発効によって日米間の軍事同盟が強化されれば、ソ連(後のロシア)などが目論んでいた日本の共産主義化に大きな影響を与えるという側面があったと考えられています。

しかしながら、日米が対等の関係に近づいた新安保条約によって、アメリカの「核の傘」に入るという選択を強(し)いられながらも、我が国の安全保障が飛躍的に高まったことが、その後の平和と繁栄をもたらした歴史の真実なのです。

とはいえ、新安保条約批准以後の歴代自民党政権が、さらに大きな混乱を招きかねない憲法改正や再軍備といった重要な問題を棚上(たなあ)げして、経済成長に偏重(へんちょう)する政策に終始するようになるなど、安保闘争が保守陣営に与えた影響は決して小さくありませんでした。


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【2015/05/29 12:00】 | 日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件
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ぴーち
こんばんは!


こうしてお話を伺っていると
色々と考えさせられますね・・
これまで70年もの間、日本が平和を継続して来られたのは実はアメリカのお陰だったと考えると
なんとも複雑な思いがします。
どこの国とも何の柵もないお付き合いは
難しいかも知れませんが、身の安全を守ってくれる
存在を他国に委ねて来たのは、日本の怠慢さえ感じます。
家主の親切でいつまでもここに住んでいても良いよと言ってくれたから、それに甘んじて何十年も居候をさせて貰っているうちに、本来は
自分自身の家を建てるべく着々と実行へ準備していなければならないはずが、いつまでも甘えっぱなしでいれば、いづれ痛い目に遭わないとも限らない様に、
ただこれまでの平和だった年数は、惰性で過ごしてきた平和で、本当の意味での日本の平和を独自で
勝ち得たものではないのがなんとも悔しい思いがしますね。

(周りくどいコメントで失礼しました!)


ぴーちさんへ
黒田裕樹
確かに、我が国だけで勝ち得た平和でないというところがもどかしいですよね。
その意味では、今回審議されている法案の重要性を再認識することになりそうです。

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日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 その5
1970年代から80年代にかけて、北朝鮮の工作員が日本人を拉致(らち)する事件が多発しました。いわゆる「北朝鮮による日本人拉致事件(以下『拉致事件』と表記します)」であり、その目的としては、工作員の日本人化教育のための人材確保や、拉致被害者に成り代わっての工作員の日本潜入などが推測されています。

拉致事件は、昭和52(1977)年9月のダッカ日航機ハイジャック事件が起きた際に、福田赳夫(ふくだたけお)首相(当時)が「人命は地球より重い」とテロリストの脅迫
(きょうはく)に屈した以後に急増し、同年11月には、当時中学1年生だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されました。

その後、昭和55(1980)年に産経新聞が「アベック失踪(しっそう)事件に外国情報機関が関与の疑い」と題し、拉致事件に関して初めて報道しましたが、日本政府の事件への取り組みは遅く、昭和63(1988)年3月になって、国会が「アベック行方不明事犯は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と、初めて公的に拉致事件の存在を認めました。

そして、韓国に亡命した北朝鮮元工作員の証言から、平成9(1997)年2月に国会の予算委員会で、西村眞悟(にしむらしんご)衆議院議員(当時)が「横田めぐみさんらが北朝鮮に拉致されている」と質疑を行ったことをきっかけに、大手マスコミがこぞって報道するようになりました。

「当時13歳の中学生の少女が外国の情報機関によって無惨(むざん)にも拉致された」という悲しい事実が、国民に大きな衝撃を与えるとともに、拉致事件が広く知れわたる流れをもたらしたのです。その意味においても、西村氏の功績は、我が国の国益に照らして非常に大きなものがあったと言えるでしょう。

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【2015/05/30 12:00】 | 日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件
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ぴーち
こんばんは!


今騒がれているロヒンギャ族の問題では有りませんが、日本もかつては先住民だった者を追放して
大陸から来た民族がやがて日本人になっていったという話を耳しましたが、人間はその立場になると酷い仕打ちも平気になるものだなと思いました。
そのロヒンギャの人達も、家族で一緒に逃げたにも関わらず、途中で生き別れて散り散りになってしまったと嘆いていた姿が印象的でした。
一度別れてしまったので家族の安否も全くわからず
きっとそれで一生家族とは会えない生涯を過ごさなければならないのだろうと思うと、こちらまで悲しく思えて来ます。
世界にはそういう理不尽な別れ方をしなければならない話が沢山あり過ぎるのがまた辛い所ですね。


ぴーちさんへ
黒田裕樹
日本人のDNAを調べた場合、いわゆる大陸の人間とは全く異なっていることから、日本人の先祖が先住民を追い出したかどうかはともかくとしまして、見ず知らずの人間にいきなり拉致されて、何十年も親元を離れて暮らさねばならないという理不尽さは、筆舌に尽くしがたいものがあると思います。

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日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 その6
平成9(1997)年2月の西村眞悟衆議院議員(当時)による国会質疑を受けて、北朝鮮による拉致被害者を救出するための国民運動の機運が高まり、翌3月には「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(通称:家族会)」が設立され、さらに翌平成10(1998)年には、有志のボランティアによって、全国各地に「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(通称:救う会)」が活動を開始しました。

家族会や救う会などによって、全国で署名運動が展開され、平成10年4月には約100万人の署名が外務大臣に提出されましたが、当時の外務省の幹部が「拉致問題は日朝国交正常化交渉の障害である」と発言したり、北朝鮮の食糧危機に対して、拉致問題を棚上げして「人道的な立場から」コメ支援を行ったりするなど、政府の拉致事件解決に対する動きは、なお鈍(にぶ)いものがありました。

しかし、国内世論の拉致事件に対する関心の高まりに加え、平成14(2002)年1月に北朝鮮工作船による日本海への侵犯(しんぱん)と銃撃戦が発生したことや、さらには同年にアメリカのブッシュ大統領が「ならず者国家」として北朝鮮の名を挙げるなどの動きがみられたことによって、国会は同年4月に、衆参両院で「日本人拉致疑惑の早期解決を求める決議」を採択しました。

こうした流れを受けて、同年9月17日に小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)首相(当時)が北朝鮮の平壌(ピョンヤン)を訪問し、総書記で国防委員会委員長の金正日(キム・ジョンイル)との会談に臨みました。いわゆる日朝首脳会談です。

ところが、金正日総書記との会談を控えた小泉首相や、同行していた安倍晋三内閣官房副長官(当時)らに対して、その直前に「拉致被害者の生存者5名、死者は横田めぐみさんを含む8名」という情報が伝えられたのです。



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【2015/05/31 12:00】 | 日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件
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ぴーち
こんにちは!


北朝鮮の食糧危機は、自国の国民が考えるべき問題だと思います。非常に薄情な様に解釈されるかも知れませんが、他の国が支援したからと言って本当に困っている人達には何一つ支援が行き届かないのなら、きっぱり止めるべきでしたよね。
他国がなまじ手を差し伸べてくれることに甘んじてしまうと自分たちが解決すべきチャンスを失ってどんどん悪い状態に陥ってしまうはずです。

それとめぐみさんの死亡説ですが、
日本の科学の進歩がどれほど進んでいるかというこを知らずに
随分と甘く見られていたものだなと、呆れる結果報告でしたよね。


ぴーちさんへ
黒田裕樹
まさしく仰るとおりだと思います。
我が国も舐められたものですね…。

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日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 その7
「拉致被害者の生存者5名、死者は横田めぐみさんを含む8名」という衝撃的な情報に、小泉首相や安倍内閣官房副長官らは言葉を失いました。午前11時から始まった首脳会談において、小泉首相は「8名死亡は大きなショックであり、強く抗議する」と不信感をあらわにしました。

小泉首相は、続いて「拉致や工作船などの問題に対して誠意ある回答がない限り、正常化交渉再開はあり得ない」ことを告げましたが、これに対して金正日総書記は、ほとんど反論しなかったものの、謝罪の言葉は一切ありませんでした。

やがて正午となり、北朝鮮側の昼食会の誘いを断った日本側は善後策を協議しましたが、その際に安倍内閣官房副長官が「北朝鮮が拉致したことを認め、謝罪しない限り、安易な妥協(だきょう)をするべきではない」と発言しました。

すると、午後に再開された会談において、金正日総書記が「確かに我が国が拉致を行った。率直におわびしたい」と、これまでの主張と一変して、拉致事件の存在を認めたのです。


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【2015/06/01 12:00】 | 日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件
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ぴーち
こんばんは!


先に横田めぐみさんはお亡くなりになっているという
報告があった以上、そこで拉致の事実があったことを自ら公表しているのと同じだとは言えども、
相手国から正式にそうであった事実と謝罪の言葉は
あって当然の事ですものね。

それにしてもめぐみさんの存在をそこまで隠蔽しなければいけないということは、北朝鮮の中枢部に極めて近い存在として役目を担ってしまっているのでしょうかね・・?



ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 先に横田めぐみさんはお亡くなりになっているという
> 報告があった以上、そこで拉致の事実があったことを自ら公表しているのと同じだとは言えども、
> 相手国から正式にそうであった事実と謝罪の言葉は
> あって当然の事ですものね。

そのとおりです。
謝罪もせずに事件を隠ぺいしようとする態度があまりにも以上過ぎたのです。


> それにしてもめぐみさんの存在をそこまで隠蔽しなければいけないということは、北朝鮮の中枢部に極めて近い存在として役目を担ってしまっているのでしょうかね・・?

ぴーちさんのお考え、結構鋭いのかもしれませんね…。

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日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 その8
小泉首相と金正日総書記は、会談後に「日朝平壌宣言」に署名し、その日のうちに小泉首相らが帰国しましたが、横田めぐみさんら8名が既に死亡していると発表されたことに対して、多くの国民が衝撃を受けるとともに、北朝鮮に対して激高しました。

その後、会談の翌月となる平成14(2002)年10月に、5人の拉致被害者が、一時帰国を条件に我が国に帰国しましたが、国民世論の高まりや家族会の要望、さらには安倍晋三内閣官房副長官や中山恭子(なかやまきょうこ)内閣官房参与(当時)の働きかけなどにより、日本政府は帰国した被害者を北朝鮮へ帰すことを拒否したほか、5人の家族の帰国も要求しました。

これに対し、北朝鮮は「約束違反だ」と我が国を非難しましたが、小泉首相は平成16(2004)年5月に2度目の日朝首脳会談を行い、生存被害者5人の家族の帰国を実現させました。

なお、当初は「死亡」が伝えられた、横田めぐみさんら拉致被害者8名ですが、その後に北朝鮮から渡された「死亡診断書」の内容が杜撰(ずさん)だったことや、被害者のものとされた遺骨のDNAが全く異なっていたことから、めぐみさんらが「本当は生きている」ことが有力視されています。


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【2015/06/02 12:00】 | 日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件
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ぴーち
こんばんは!


この時に帰国された曽我ひとみさんのお母様もやはり消息が未だに不明ですものね。
横田めぐみさん同様、蘇我さんも母親と生き別れてしまい、生きているのか死んでいるのかさえも分からないのは本当に辛い事だと思います。
拉致被害に遭われたご家族それぞれが生き別れという深い悩みを抱えて生きていかなければいけないのは、同じ国民の一人としてどう寄り添うべきか悩む所でも有りますね。


ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰るとおりだと思います。
だからこそ、拉致問題の完全解決を日本国民のひとりとして願ってやまないのですが…。

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日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 その9
平成14(2002)年の「日朝平壌宣言」において、「拉致問題の解決」や「植民地支配の過去の清算」、「日朝国交正常化交渉の開始」などが盛り込まれましたが、日本政府は一貫して「拉致問題の解決なくして国交正常化はありえない」と主張し続けています。

これに対し、態度を硬化させた北朝鮮は、2003(平成15)年1月に核拡散防止条約からの脱退を宣言したほか、2006(平成18)年や2009(平成21)年、さらには2013(平成25)年に核実験を実施するなど、核の脅威によって周辺国家に対する外交問題を優位に展開しようとする姿勢を崩していません。

昨年(平成26年=2014年)、安倍晋三首相は、北朝鮮に拉致被害者の安否に関する再調査を約束させましたが、その後の進展が見られないこともあり、「北朝鮮による日本人拉致事件」の全面解決への道は、事件発生から約40年が経過した今もなお不透明なままとなっています。

ところで、拉致事件は「他国の何の罪もない国民を、国家ぐるみで一方的に連れ去る」という、極めて悪質な内容であることから、世界史上で長く続いてきた人種差別などとともに、国際的に重要かつ深刻な人権問題であることは言うまでもありません。

しかし、我が国のほとんどの自治体が、長いあいだ拉致事件を人権問題に含めずに放置してきており、今もなおその傾向が見られます。また、性差別の問題などを訴えている、我が国のいわゆる「人権団体」の多くが、拉致事件に対して口を閉ざしているという現状もあり、そのような自治体や人権団体などの姿勢は、極めて不可解であると同時に、不誠実であると言わざるを得ません。


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【2015/06/03 12:00】 | 日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件
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ぴーち
こんにちは!

日本は高度成長期に入った辺りから
次第に周りとの競争意識が高まり、他の人を蹴落としてまでも己の生活を守り、更に生活水準を高める為に奔走し、いつしか自分以外の人の不幸に目もくれなくなってしまった・そんな気がします。
モノが溢れ、金銭面で豊かになると、人は心を失う。
金冷えとは良く言ったもので、人間の温かい体温さえも奪ってしまうものなのかも知れません。
そんな時代だからこそ、同じ国の人間が不幸な目に遭っても所詮は他人事だと割りきってしまえる冷たさが生まれたのでしょうね。




ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰る側面は確かにありますね。
拉致問題を他人事と思うようではお終いです。めぐみさんらに冷たい人権団体は一切信用できません。

パーマストン宣言
青田です。
黒田先生

青田です。

中学、高校で、日本史だけではなく、世界史も

学びますが、

本当にパーマストンについて、教えているのかと???になります。

パーマストン宣言

【古のローマ市民が

『私はローマ市民である』と言えば侮辱を受けずにすんだように、

イギリス臣民も、彼がたとえどの地にいようとも、

イギリスの全世界を見渡す目と強い腕によって不正と災厄から護られていると確信できるべきである。】

(ここで、大事なのは、臣民という言葉です。

王室と国民との絆の前提で、成り立っている内容です。)

この宣言をわかりやすく説明すると

たとえ、一人でも

イギリス人が、どこかで、拉致、あるいは、被害に遭うとイギリス国が総力を挙げて守るという意味です。

これをディファクトスタンダードとして考えると
拉致問題を解決するのに、日本の陸海空軍、経済封鎖などで、とっくに解決しています。

日本の人権団体にこのパーマストン宣言について
どう思うか、聞きたいです。

まあ、おそらく、『平和、話し合い。』とかいうのでしょうね。

青田さんへ
黒田裕樹
残念ながら、高校の公民でもパーマストン宣言は出てきませんね。
ましてや、自分に都合の良い解釈しかできない人権団体が知っているとは到底考えられません。

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