情勢の変化は我が国とて例外ではなく、中華人民共和国による、我が国固有の領土である尖閣諸島(せんかくしょとう)に対する姿勢や、いわゆる「従軍慰安婦」問題を執拗(しつよう)に取り上げるばかりか、同じく我が国固有の領土である竹島(たけしま)を不法に占領し続ける韓国、あるいは重大な人権侵害である拉致問題を解決しようともせず、その一方で核やミサイルの開発を続けている北朝鮮の存在など、我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増し続けています。
そんな中、我が国は平成に入ってから、先述した湾岸戦争の大きな教訓をきっかけとして、自衛隊を中心とした国連の平和維持活動をはじめ、国際平和のために、人的貢献を含めた様々な努力を重ねてきました。
そして、平成24(2012)年に成立した第二次安倍晋三内閣になってからは、国家安全保障会議(=NSC)の設置や、国家安全保障戦略及び防衛計画の大綱の策定(さくてい)など、安全保障政策に関する様々な取り組みを行い続けています。
※下記の映像は6月5日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
従軍慰安婦問題ですが、
これも戦争という罪が生み出した問題ですよね。
けれど、「罪を憎んで人を憎まず」では有りませんが、戦争という狂気の沙汰の間起きた事は、正直何処の国でも起こりうる出来事だと思います。
個人的には、男性の生理現象のはけ口に女性が差し出されるというのは、女性としては遺憾に思う所は大にしても、
戦争が齎した出来事がいつまでも取り沙汰されて、
永遠に頭を下げ続けなければいけないという主従関係を求める事に対して新たな罪を齎している気がしますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 いわゆる慰安婦問題は、人身売買としては悲しい話ですが、そこに日本軍が悪質に関与しているという事実は全くありません。
いつまで彼の国はこのような関係を続けるつもりでしょうか…。
人間とは?
青田です。 黒田先生
青田です。
最近、『平和』について、真剣に考えることがあります。
私は、戦争は大嫌いですし、ガラスハート(超臆病者)ですし、侵略戦争は、絶対に大反対ですが、
それでも、もし、日本の国が他国に支配されるようなことがあるなら、絶対に戦う覚悟はあります。
それは、他国に支配され、服従した国がいかに、悲惨な世界かを考えると人間以下の生活を送らないといけないからです。
余談になりますが、『平和』について、考える時、人間論になると思いますので、以下の
内容を参考に投稿させていただきます。
昔、新造人間キャシャーンというアニメの14話で
『キャシャーン無用の町』という内容がありました。
この町の市長は、ロボットのアンドロ軍団にたいして、『平和のために絶対に服従します。』として
無抵抗で、服従しました。
その結果、目を覆うような光景になりました。
虐殺、破壊、強制労働などです。
扱いは家畜レベル待遇で平和でした。
その時、ナレーションが、沈鬱な調子のナレーションが入ります。
「人間がこころを捨て、ロボットに服従したとき、人間はもはや人間ではなく、一個の機械となった・・・」』と語っていました。
そして、悪者の親玉のブライキングボスが
『ブライキングボスは大笑いする。
「わはは、このようにして守るほど、平和とはありがたいものかな」が印象的でした。
日本にいる護憲派の平和主義の方達は、他国に家畜以下の扱いをされても、それでも、戦わないのかを是非、聞きたいです。
青田さんへ
黒田裕樹 私も聞いてみたいですが、おそらくは満足な回答を得られないでしょうね。
彼らにとっては結果よりも思想が重要でしょうし。
さらに先述のとおり、自衛隊が発足以来60年を迎えた平成26(2014)年7月1日には、我が国の安全保障政策を大きく転換させる「集団的自衛権の行使容認」が閣議決定されるなど、安倍首相は、これまでの内閣では到底成し得なかった急速な勢いで、安全保障問題に対して真剣に取り組んできているといえそうです。
しかし、いかに我が国の安全保障問題を充実させようとも、根本となる日本国憲法第9条をそのままにして良いはずがありません。自衛隊が違憲かどうかという問題も含め、長年の論争に決着をつけるためにも、憲法改正に対する国民的議論が成熟してきた今こそ、我が国が世界平和に貢献できるための、本当の意味での「平和主義」に相応(ふさわ)しい内容の憲法を、自らの手でつくるべきではないでしょうか。
議院内閣制の我が国では、政治の最終的な決定は議会(=国会)や政府が行うべきですが、その前提となるのは国民的議論です。現状の平和主義を何らかのかたちで転換させるのか、あるいは護持するのかを検討する時期が、着実に我が国に訪れようとしているのです。
「自分の国は自分で守らねばならない」のは、すべての独立国にとって当然のことです。それを単独で実現させるのが大変な困難を伴うため、どの国も軍事同盟など相互の連携を国際間で成立させています。今後の我が国の安全と平和的な発展のため、国民一人ひとりが国の行く末を考えるとともに、次代をになう子供たちに不要な苦労や惨(みじ)めな思いをさせないためにも、いま何をなすべきかを真剣に考えなければなりません。
※下記の映像は6月5日までの掲載分をまとめたものです。
(※第3回公民授業の講演部分の内容はこれで終了です。次回[6月6日]からは第48回歴史講座の更新を開始します)





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ぴーち こんばんは!
人類誰しも
誰かに愛されたい。
今自分たちが住んでいる国は平和で有りたい。
更には自分達が亡くなった後の末代までも未来永劫、平和な世の中で有りますようにと願う気持ちは
普通の人間ならば自然に湧き出る思いだと思います。
けれど、世界と共に生きていくには
それぞれの思惑に巻き込まれ、どうしてもそこから
逃れることが出来なくなる事が起こらないとも限らないですものね。
私なども生まれてこのかた戦争を知らないまま育ちました。国が戦いに巻き込まれず平和な状態であることがあたかも当たり前の様に感じている今、本当はその平和な状態は世界の国々からみれば、奇跡に近い状態なのかも知れません。
平和とは極めて贅沢な時間であるとすれば、
何時かはそのしっぺ返しを食わされる時が来るかも知れません。
その時になって考えるのではなく、平和である今のうちに備えあればの思いは大事なことなのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 私なども生まれてこのかた戦争を知らないまま育ちました。国が戦いに巻き込まれず平和な状態であることがあたかも当たり前の様に感じている今、本当はその平和な状態は世界の国々からみれば、奇跡に近い状態なのかも知れません。
> 平和とは極めて贅沢な時間であるとすれば、
> 何時かはそのしっぺ返しを食わされる時が来るかも知れません。
> その時になって考えるのではなく、平和である今のうちに備えあればの思いは大事なことなのでしょうね。
仰るとおりですね。
現在国会で審議中の安保法案も、このような視点から是非を考えるべきではないでしょうか。