綱吉とセットで「悪人」とされている人物として、側用人の柳沢吉保が知られていますが、吉保の本来の業務は、老中からの意見をまとめて綱吉に報告し、意見をうかがうことであり、彼が私腹を肥やしていたというのは濡れ衣です。
ところで、吉保のような側用人を置くというシステムは、綱吉自身が考え出したものでした。家康の独断によって始まった江戸時代の政治は、2代将軍の徳川秀忠(とくがわひでただ)以後は、老中が意見をまとめて将軍に決裁を依頼し、将軍が事実上何の意見も述べずに承認するという形式が続きました。天下が平穏に治まった頃には、家柄や身分で政治を行ってもそれほど大きな問題にはならなかったのです。
しかし、世の中が変革を必要としているときは、その道に詳しい者でないと政治を任せられませんから、たとえ身分が低くても優秀であれば登用したいのですが、従来の身分秩序を基本とした合議制ではどうにもなりません。そこで、綱吉は老中の上に側用人を置き、彼をワンクッションとして、将軍自身の意見が通るようにシステムを一新したのです。
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綱吉の時代は、幕府財政の転換期でもありました。それまで大量に発掘していた鉱山からの金銀が急激に減り始めた一方で、度重なる火災による江戸城や市街の復興、あるいは東大寺大仏殿の再建に象徴される寺社の造営などによる支出の大幅な増額が、幕府財政の著しい悪化をもたらしていました。
こうした非常事態に、綱吉は経済に詳しかった勘定吟味役の荻原重秀(おぎわらしげひで)を抜擢(ばってき)して、彼に経済対策を一任しました。
重秀は綱吉の期待に応え、同じ一両でも、金の含有率を従来の84%から57%に落とすことで貨幣の量を増やし、従来の小判と同じ一両として引き換えることで、含有の金の量の差がそのまま幕府の収入につながるという、まさに一石二鳥の策で乗り切りました。なお、この時に発行された小判を元禄小判といいます。
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江戸時代の初期には、新田開発や都市機能の整備といった多くのインフラが必要とされましたが、その原資として農民からの年貢(ねんぐ)が利用されたため、当時は「七公三民」のような厳しい税率となりました。
しかし、綱吉の治世の頃までには、インフラが一段落したことで次第に減税となり、人々の暮らしに余裕が生まれ、その中から人々の多くが「遊び」を求めるようになり、ニーズに応える形で様々な文化が生まれました。これが元禄文化なのです。
また、生活の余裕はそれまでの自給自足から消費経済、さらには貨幣経済の暮らしへと変化していったことで好景気をもたらし、結果として都市の人口が急増しましたが、それに見合うだけの物資がそろわず、供給が追いつかなかったために、物価が上昇してインフレーションが発生していたのです。
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元禄小判の発行は、世の好景気をもたらすとともに幕府の収入を増やしましたが、貨幣の価値が下がったことに対して「金の価値を落とした偽物を市中に出回らせることで不正な利益を上げているのはケシカラン」という批判が幕閣の中で起きました。
これらの声に対し、荻原重秀は「幕府が一両と認めるのであれば、たとえ瓦礫(がれき)であろうと一両の価値に変わりはない」と反論しましたが、重秀の考えは、瓦礫を紙切れに換えれば、私たちが普段から使用している紙幣と全く同じことになります。
「お金の信用はその材質ではなく、裏打ちとなっているのは政府の信用である」という思想が、20世紀の経済学者であるイギリスのケインズによって世界中に広まりましたが、それより200年以上も早く実践していた重秀の先見性に対して、私たちはただただ脱帽するばかりです。
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最初に挙げられるのは、生類憐みの令を原因とする「治安の劇的な変化」でしょう。生類憐みの令によって培(つちか)われた道徳心が治安の良化をもたらし、安心して暮らせる環境によって、人々は精神面での余裕を実感するようになりました。
二つ目は元禄小判がもたらした「経済の発展」です。精神面の余裕に加えて、それまでの減税によって人々の購買意欲が高まりつつあったところへ貨幣価値の低下を行ったことが景気を刺激し、経済面での大いなる発達をもたらしました。
また、元禄小判の発行は勘定吟味役だった荻原重秀の進言でしたが、彼の意見が採用されやすいように側用人など政治のシステムを改革したことも大きかったでしょう。綱吉による治世は、実は経営者が学ぶべき視点も多く備わっているのです。
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その背景には、間違いなく「わが国の倫理を復活させた」という偉大な功績があり、その流れが丸山先生の「絶対倫理」に明確につながっているのです。
正しい歴史を学ぶことで、私たちは本当の意味での「明朗」「愛和」「喜働」そして「純情」を実践できる「万人幸福の道」を、これからも歩み続けていきたいですね。
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