病状は回復することなく、弘安の役からわずか3年後の1284年4月に、時宗は34歳の若さで亡くなりました。まさに元寇に明け暮れた彼の生涯であったともいえますが、我が国の命運を一身に託され、見事にその役割を果たした時宗の偉大さは、時を越えて永遠に称えるべきものであるといえるでしょう。
さて、時宗亡き後の鎌倉幕府ですが、相手が外国だったために御家人たちに与えるべき恩賞がなかったことなどもあって信頼を失い、元寇から約半世紀後の1333年に滅びましたが、一時期を除いて武家政権はその後も長く続きました。それはなぜでしょうか。
カギを握るのは、幕府の象徴であった「征夷大将軍」の地位です。
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その後、執権の北条氏が力をつけて源氏が滅び、征夷大将軍は名目だけの地位として摂関家や皇族が就任するようになりましたが、元寇という有史以来最大の外敵、すなわち「夷狄(いてき)」を「征伐」する「将軍」としての重責を鎌倉幕府全体で果たしたことが、我が国において武家政権が高い評価を得ることにつながりました。
だからこそ、鎌倉幕府が滅んだ後に後醍醐(ごだいご)天皇によって「建武の新政」が一時は行われても、数年後に足利尊氏(あしかがたかうじ)が新たに征夷大将軍に任じられて室町幕府が開かれるなど、武家政権は頼朝以来700年近くにわたって続いたのです。
そして、19世紀後半に開国などによる混乱が続いた際に、江戸幕府が征夷大将軍として、つまり外国に対して武力以外も含めた「攘夷(じょうい)を行う意思」を明確に示せなかったことが、結果として武家政権全体の信頼を失い、明治新政府の誕生につながったともいえます。
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先述した「天は自ら助くる者を助く」という精神が証明しているように、今後の世界情勢を注視するとともに、気が付けば「間近に迫った亡国の危機」とならないためにも、我が国における「平成の征夷大将軍」の覚悟が今こそ問われているのではないでしょうか。
これまで述べてきたように、元寇は我が国の歴史を語るにおいて絶対に欠かすことのできない重要な事項であり、歴史教育においてその流れをしっかりと教え、後世に伝えていくことは必須であるといえます。
にもかかわらず、前回(第60回)の「聖徳太子」と同様に、文部科学省が新学習指導要領において、「元寇」を「抹殺しようとした」事実を皆さんはご存知でしょうか。
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文科省は呼称(こしょう)変更の理由を「歴史学の世界では『モンゴルの襲来』と表現するが通例だから」と説明しましたが、この件に関して、参議院の山田宏(やまだひろし)議員(自民党)は、前回の「聖徳太子抹殺計画」と同様に、SNSなどを通じて以下のように警鐘を鳴らされました。
「『寇』が『敵による侵攻=侵略』の意味であるのに対して、『襲来』は『襲いかかってくる』との意味で、国による計画的な侵略の意味はない。しかし、元寇は元軍による明らかな『侵略戦争』であり、『イナゴの襲来』などとは別次元のものである」。
「元寇という、『神風』とともにある日本人の数百年にもわたる歴史的記憶を、戦後の歴史学者たちが消し去ろうとしている。『元寇』の改悪阻止のため、『聖徳太子』の存続と共に、是非心ある皆さんの声を文科省に届けてください。私も全力で頑張ります」。
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しかし、我が国の歴史教育を取り巻く様々な環境を考慮すれば、いずれ再び「歴史的表現の抹殺」が断行される危険性が否定できないのではないでしょうか。前回に紹介した山田宏先生のお言葉を再掲して、今回の結びとさせていただきます。
「これで次の改訂まで10年間は大丈夫だが、文科省の学習指導要領改訂のプロセスの問題点も分かった。学習指導要領改訂原案は、文科省の国立教育政策研究所の各教科調査官(教師出身)1名と、文科省の視学官(調査官出身)1名でまとめられる」。
「これでは担当官の恣意(しい)が入り込みやすい。特に、国民精神の支柱と深く関わる歴史、地理、国語、公民などの分野は、しっかりとした定見をもつ人物を担当につける仕組みや、助言グループの設置など、次の改訂まで検討しておかないと危ない」。
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(※第61回歴史講座の内容はこれで終了です)
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