実は、これら3つの条例などの「分かりやすい覚え方」があることを皆さんはご存知でしょうか。
自由民権運動が始まった当初は、国民の多くが運動そのものの存在を知らないというのが当然でした。運動をできるだけ多くの国民に知ってもらおうと思えば、口コミで広げるか、あるいは当時読みはじめられた新聞を利用して拡散するのが一番手っ取り早いです。
しかし、口コミにウソや誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)があったり、新聞の内容に政治を批判する内容があったりすれば、政府が黙っているはずがありません。そこで「讒謗律」や「新聞紙条例」を出して取り締まろうと考えたのです。
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もちろん政府は取り締まろうとしますよね。集会での反体制運動への対応ですから、条例の名称は「集会条例」になります。
やがて自由民権運動は激化事件をもたらし、政府は軍隊を派遣までしてようやく事態を収拾しました。その後、国会開設が近づくと大同団結運動によって多くの民権派が東京へと集結しましたが、その中に反政府的な運動家が混じっていれば…。
激化事件で対策に苦労した政府が、首都の東京での暴動を許すはずがありませんよね。だとすれば治安を守る、つまり「保安」するための条例を出すのは当然の流れであり、だからこそ「保安条例」なのです。
これらのように、様々な歴史上の出来事を「大きな流れ」でとらえることによって、私たちはより楽しく歴史を学ぶことが可能になるのです。
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