皆さんご存知のとおり、我が国は周りを海に囲まれていますね。でも、かつては大陸と陸続きだったのです。
氷河時代(ひょうがじだい)とも呼ばれる更新世(こうしんせい)の頃は、海面が現在より100m以上も低下したために、日本列島は北と南でユーラシア大陸と陸続きになりました。やがて北からはマンモスやヘラジカ、南からはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物が大陸から移動して、人類もそれらの大型動物を追いかけて日本列島に渡来(とらい)したと考えられています。
その後、今から約1万年余り前に氷河期が終わって完新世(かんしんせい)になると、気候が温暖化して海面が上昇し、日本は大陸と切り離されて、現在の日本列島が成立しました。実は、この列島化こそが、その後の我が国の運命を決定付けた大きな出来事だったのです。
なぜだか分かりますか?
それは、我が国が大陸と海でへだてられたという地理的環境が、我が国が中国大陸などの他の勢力から侵略(しんりゃく)を受けるという危機(きき)から守ってくれたからです。




いつも有難うございます。
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とまと こんにちは(^o^)
新しいテンプレート、素敵ですね~♪
ぽち。
とまと様
黒田裕樹 有難うございます。
新しいテンプレはお蔭さまで皆様から好評をいただいております。
今後とも宜しくお願いします!
大量の船を作ろうと思えば莫大(ばくだい)な資本が必要ですし、それだけの大きなエネルギーを使い果たしてまで我が国を攻めようにも、失敗した場合のリスクが大きすぎるため、おいそれとは決断が出来ません。
かくして、我が国は他国の政治や軍事の情勢(じょうせい)に巻き込まれたり、あるいは異民族からの侵略を受けたりすることもなく、その一方で大陸の文明の影響を受けながら、独自の歴史と文化を生み出し、育てることができました。
比較(ひかく)しては申し訳ないのですが、中国大陸と陸続きだった朝鮮半島(ちょうせんはんとう)は、大陸側からの侵略を何度も受けるという危機に見舞われ続けました。紀元前の時代から、中国の前漢(ぜんかん)によって半島北部が直轄地(ちょっかつち)とされ、楽浪郡(らくろうぐん)などが置かれています。




いつも有難うございます。
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オバrev この環境の差が、日本人と韓国や中国の気質の違いとなってるような気もします。
しかし、交通機関や通信の発達で、今や天然の防壁はなくなりました。
生真面目でおっとりとした島国気質は、
グローバル化した国際社会では厳しいかも(^_^;)
ケンシロウ こんにちは。
ある意味島国だったから今の日本国が築かれたわけで
おいらはそれで良かったと思っています。
しかし今では船ではなく空から行き来する時代になって
昔の人には想像も出来ない世の中でしょうね。
コメント有難うございます!
黒田裕樹 オバrev様
仰るとおり、同じアジアでありながら国民の気質がここまで違うのは、やはり地理的環境のせいもあると思います。
「天然の防壁」が現在もあるのかどうか…については、今回の講座では最後に少し触れておりますので、またご覧下さい。
ケンシロウ様
「島国で良かった」。今回の講座ではこの長所を中心にとりあげております。
また、「昔の人には想像も出来ない」ことが現実に起きているのですが、それが理解できていない人が多いようですね(今回の講座の最後で少し触れます)。
そこで、中国は我が国を味方に引き入れようと様々な工作をしました。例えば、紀元57年に後漢(ごかん)を訪問した奴国(なこく)に「漢委奴国王」(かんのわのなこくおう)という金印(きんいん)を授(さず)けたり、239年に魏(ぎ)を訪問した邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼(ひみこ)の使節には、「親魏倭王」(しんぎわおう)の称号や金印の他に多数の銅鏡(どうきょう)などを贈ったりしています。
特に、卑弥呼の使節に魏が与えた宝物(ほうもつ)は、他の朝貢国(ちょうこうこく)と比較にならないくらい量が多かったそうです。多数の宝物を贈ったという事実は、魏には邪馬台国を自分の支配下に置くことにより、外交上の優位に立ちたいとする思惑があった何よりの証拠(しょうこ)です。
また、邪馬台国にとっても魏との外交は、我が国内で優位に立つためのひとつの手段だったとも考えられます。いざとなれば中国大陸から援軍がやってくるかもしれないという可能性は、邪馬台国と対立する他国にとっては大いに脅威(きょうい)だったことでしょう。それゆえに、中国が混乱状態になって邪馬台国が大陸との縁(えにし)を失ってしまうと、大和朝廷(やまとちょうてい)によって征服されてしまったという仮説(かせつ)が成り立つのです。




いつも有難うございます。
時代が進んで6世紀後半になると、隋(ずい)が中国大陸を約300年ぶりに統一しました。中国大陸にひとつの大国が誕生したという事実は、それまで独立国の高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)の3つに分かれていた朝鮮半島のみならず、我が国にも大きな衝撃(しょうげき)を与えました。
中国が混乱状態となったことによって、それまで大陸の外に向けられていたエネルギーが内に向かうと、それを待っていたかのように朝鮮半島の国々が次々と独立を果たすことができましたが、新たなる統一国家である隋の誕生によって、内に向けられていた巨大なエネルギーが再び外へ押し出されることになり、東アジアの情勢は一触即発(いっしょくそくはつ、ちょっとしたきっかけで大事件に発展しそうな危険なさま)の状態となってしまったからです。
果たして隋は、統一後間もなく陸続きの高句麗と戦争状態となりました。一度は隋の猛攻(もうこう) を跳(は)ね返した高句麗ですが、危機にあることに変わりはありません。もし隋が仮に朝鮮半島をすべて侵略してしまえば、豊富な経済力によって多数の船を従えて、我が国に大軍を率いて攻め寄せる可能性が十分考えられました。




いつも有難うございます。
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オバrev 緊急事態解決おめでとうございます。
私でしたらとても無理でしょう。
中国情勢を考えると、邪馬台国が大和朝廷に制圧されたという説も説得力ありそうですね。
倭王武もですが、倭の五王ってあったような気が・・・
オバrev様
黒田裕樹 緊急事態には本当に焦りましたよ。
こうして当たり前のようにコメントできることのありがたさが身にしみます。
ご推察のとおり、倭王武は倭の五王の一人です。いずれも仁徳天皇本人か、あるいは仁徳天皇の血を引く天皇の方々です。詳しくはGW明けに始める予定の古墳時代で改めて説明します。
bunyan こんばんは~
緊急事態とは知りませんでした
無事解決してよかったですね。
また更新頑張ってください。
bunyan様
黒田裕樹 よりによって連休の初日でしたからね。
お休みでいつもより多くの方がコメントされるかもしれないのに…と思うと居ても立ってもいられなかったですよ(汗)。
前にも書きましたが、連休中は一日に2度(8時と16時)更新しますので、また是非お越し下さい。
ケンシロウ こんにちは。
緊急事態が発生していたことも知らなかった。
でも完全復活でおkですね。
> 隋が仮に朝鮮半島をすべて侵略してしまえば
確かに隋には攻められたかも知れませんね。
しかしテポドンは飛ばせなかったかも知れませんよw
さすらい こんばんは。
緊急事態から復帰されて何よりです。
お気持ちはお察しします。
FC2は危ないんですよね。
過去に記事そのものを
最初から全部消された方もいました。
ショックでそれ以来辞められてしまいましたが
無料で提供されている部分もあるので
致し方ないのかもしれません。
ですが、コメントできなくなったり
記事が書けなくなっては意味ないですよね。
サーバー不良がよくあるFCですが
今回は早い対応だったようで一安心です。
また講義を続けてください。
今回の隋の時代の話。
東洋鍼の先生も活躍した時代でした。
興味のあるところなので
期待しております。
では応援♪
コメント有難うございます!
黒田裕樹 ケンシロウ様
はい、完全復活です(^_^)v
緊急事態も苦い経験になりました。いつ有事が発生するかというのは、個人レベルでも十分考えられますね…。
テポドンのような「空からの武器」は6世紀では考えられませんからね。でも現在は…。
さすらい様
記事の全消去ですか!
…それに比べたら書き込み制限なんて大甘ですね。有事に備えてバックアップしないと…。
隋の時代は我が国が飛躍するきっかけをつくった時代でもありました。その理由は…今日(3日)の記事に書きましたね(^^ゞ
聖徳太子は、隋と最前線で戦う高句麗や、古くから付き合いのある百済と三国で同盟を結んだ後、607年に小野妹子(おののいもこ)を使者として遣隋使(けんずいし)を送りました。その際に隋に送った国書(こくしょ)が、有名なあの文面です。
「日出(ひい)ずる処(ところ)の天子(てんし)、書(しょ)を日没(ひぼっ)する処の天子に致(いた)す。恙無きや(つつがなきや、お元気ですか、という意味)」。
国書の内容を簡単に言えば、我が国と隋とをお互い「天子」と同じ立場で表現することによって、それまでの朝貢という上下関係から、天子同士の対等関係の外交を結びたいとする、聖徳太子の毅然(きぜん)とした意思表示(いしひょうじ)でした。




いつも有難うございます。
「こんな無礼な書は二度と自分に見せるな!」
と言い放ったそうですが、だからといって我が国を攻める余裕は、実は隋には全くありませんでした。
なぜなら、高句麗との敗戦によって隋の国力が低下しているだけでなく、それでも無理をして我が国を攻めれば、同盟国である高句麗や百済が反撃する可能性も十分考えられ、リスクがあまりにも高すぎるからです。
当時の軍事や政治の情勢を十分に調査したうえで、隋との対等外交を一方的に宣言(せんげん)した聖徳太子の作戦勝ちでした。聖徳太子が我が国の気概(きがい)を見せた外交は、中国による冊封体制(さくほうたいせい)から脱け出すきっかけとなり、我が国が本当の意味での独立を果たし、また後に独自の文化が花開くための下地(したじ)をつくったといえるでしょう。
こんなことが出来たのも、我が国が島国なればこそです。




いつも有難うございます。
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ケンシロウ こんにちは。
我が国が島国だという利点ですね。
この利点を利用すれば
新型インフルエンザも鎖国出来るのに。
やはり日本人は幸せ者が多すぎます。
聖徳太子外務担当大臣?
オバrev 情報を収集し、的確な状況判断をして、相手の弱みにつけ込んだ外交・・・聖徳太子に今蘇ってもらって外務大臣をお願いしたいですね(^^;)
コメント有難うございます!
黒田裕樹 ケンシロウ様
「島国であること」の利点を最大限に活用したのが聖徳太子であり、鎖国状態になった当初の江戸幕府でした。
それに比べて現在の我が国は…。
ケンシロウ様のようなお考えの方が多ければ良いと思うのですが。
オバrev様
聖徳太子は推古天皇の摂政でしたから、総理大臣も兼ねていたわけです。
トップが優秀だったら、いかに国が安全か、という見本ですよね。でも、外務大臣でも良いから、本当に蘇ってほしい人物です!
管理人のみ閲覧できます
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ということは、朝鮮半島が中国の支配を受けてしまえば、陸続きでなかったとしても我が国が侵略される可能性が高くなるのです。現実に鎌倉時代に「元寇」(げんこう)という形で一度そうなっていますね。元、すなわちモンゴル帝国が、当時の朝鮮半島を支配していた高麗(こうらい)を征服した後に、我が国に二度にわたって攻め込んできましたが、いずれも撃退(げきたい)することが出来ました。
ちなみに、元寇の際に我が国がモンゴル帝国に勝利できた理由としては、いわゆる「神風(かみかぜ)が吹いた」こと、すなわち暴風雨によってモンゴル軍が壊滅(かいめつ)したのが大きな原因とされています。それ自体は決して間違いではありませんが、他にも大きな理由があります。
何だと思いますか?




いつも有難うございます。
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そーすけ 昨日はありがとうございました、楽しかったです!
高麗人が造船で手を抜いたというのは聞いたことがありますが、
それではないですか?
そーすけ様
黒田裕樹 こんにちは。こちらこそ有難うございました。
仰るとおり、征服された高麗人が無理やり大量の船を作らされたために、結果として船に手抜きをしたことで、暴風雨に耐えられなかったのも事実ですが、それも大きな理由ではありません。
では、その大きな理由とは何か?
…16時頃の更新を楽しみにお待ち下さい(笑)。
日露戦争と同じ?
オバrev なるほど~!朝鮮半島が防御壁になってたとは。
こういう認識も日本には必要ですよね。
元はかなり広範囲を支配していたので、日露戦争のときのロシアみたいに国内が不安定で、日本だけに戦力を集中できなかったのでは?
オバrev様
黒田裕樹 朝鮮半島の存在が我が国の防衛上の生命線なのは、近現代でも変わりません。こういう経緯を知らないと、なぜ我が国が古来から朝鮮半島と密接な関わりを持とうとするのか、本当の理由が見えてこないのです。
さて、元が広範囲に領土を持ち、国内が不安定だったのは事実です。しかし、元は1回目では3万、2回目では14万人の兵を我が国に送り込んでおり、戦力を集中できなかったとはいえないと思われます。
実は、元にはもっと根本的かつ致命的な「不利」があったのです。その「不利」とは何でしょうか?
ひとつだけヒントを…。
モンゴル人が今でも得意なスポーツは、相撲以外に何があるでしょうか?
さすらい こんにちは。
問答形式にされると答えたくなりますが(笑)
つづきを楽しみにしています。
応援♪
さすらい様
黒田裕樹 いつも応援有難うございます!
続きがUPされておりますので、ぜひご覧下さい(笑)。
さすらい様の予想どおりでしたでしょうか?
なぜなら、騎馬軍団を構成(こうせい)する馬は非常に神経質な動物なので、海を渡って攻め寄せる際に、船に乗せることが大変難しいからです。かくしてモンゴル軍は、得意の騎馬をほとんど使えずに我が国と戦わなければならないという大きな不利(ということは、我が国にとっては大きな有利ですね)があったのです。
島国という環境をフルに活かした我が国は、その後も独立を保ち続けながら、今日(こんにち)まで王朝(おうちょう、我が国では皇室のこと)の交代が一度もなく存在するという、世界的にも例のない「奇跡の国家」となりました。
そんな国の国民でいられるということは、本当に幸福なことだと思います。




いつも有難うございます。
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ケンシロウ こんにちは。
歴史講座とは関係ないレスで申し訳ないです。
現在の皇室も我々には分からない
厳しい決まりごとが存在するのでしょうね。
雅子様を見ていると気の毒になります。
小和田家から嫁いだ時のあの笑顔は
もう見ることが出来ないのだろうな。
一般人なら離婚するとかして
開放される面もあるかもしれないのに。
ケンシロウ様
黒田裕樹 いえいえ、直接関係なくても結構ですよ。
皇室は我々一般庶民とは違いますから、色々なことがあると思われますが、一国民としては、より良き方向に向かわれることが何よりの願いではないか、と考えております。
ちゃてれ カウンター、1000突破しましたね!
おめでとうございます。
これからも頑張ってくださいね~
ちゃてれ様
黒田裕樹 有難うございます!
今後とも宜しくお願い致します。
飛車角抜き
オバrev なるほど、モンゴルといえば騎馬隊ですね。
馬のいないモンゴル軍って飛車角抜きというか、4番とエースが抜けたカープみたいな感じですね。
オバrev様
黒田裕樹 はい、そうなんです。
モンゴル軍といえば縦横無尽に動き回る騎馬軍団なわけですから、それが使えないとあっては、普段の実力の半分も出せなかったはず。それもこれも、我が国が島国で馬を運べなかったからです。ちなみに、21世紀の現代でも、競走馬を長距離輸送する際にはものすごく気を使うらしいですよ。
4番とエース…。悲しいなぁ(T_T)
いや、ちゃんと育てているんですよ。育てきったら他球団にとられるだけで…(´・ω・`)
江戸時代に入って、いわゆる鎖国(さこく)の状態が続くと、海外からの侵略を受けないことが我が国では当たり前と思うようになりました。戦国時代に鍛(きた)えたはずの軍事力がおろそかになり、国を守ろうとする防衛能力もいつしか低下しました。
こうして我が国は俗にいう「井の中の蛙(かわず)」になってしまったのです。
我が国がそうしている間に、世界では大きな変革(へんかく)が起きていました。18世紀にイギリスで起きた産業革命(さんぎょうかくめい)によって蒸気機関(じょうききかん)が発明されると、それまで重くて沈(しず)んでしまうために利用できなかった、鉄で出来た蒸気船(じょうきせん)が開発されるようになりました。いわゆる「黒船」(くろふね)のことです。
実はこの黒船が、我が国の「天然の防壁」を徹底的に否定することになってしまったのです。
なぜなら、鉄で出来た黒船は丈夫なために、多数の人間や大砲(たいほう)などの銃器(じゅうき)を積み込むことが出来るようになったからです。海から大砲や鉄砲などで狙(ねら)い撃(う)ちが出来るということは、海に囲まれている我が国にとっては、日本列島のどこからでも狙われるということになりませんか?




お蔭様で1000カウンターを突破しました!
いつも有難うございます。
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けん爺ちゃん 初めまして!
新着記事から来ました。
林子平らの海防論の指摘が
現実になった黒船来航ですね。
興味深く拝見しました。
四方を海に囲まれている国土は、防衛上の利点も
さることながら、一旦海上封鎖されると脆いですよね。
主導権は攻め込む側にあるので…
とてもわかりやすく勉強になりました。
また遊びに来ます。
オハヨウございます~♪
のらねこみゅー 時代が動き始めた頃ですよね^^
先日はお世話になりました
OKNO 日曜日にお話させていただいた「OKの」です。
ブログ読ませていただきましたが、本当にわかりやすいですね。
僕も96さんに習って何かはじめようと思います。
ちなみにmixiで早速紹介させていただきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
コメント有難うございます!
黒田裕樹 けん爺ちゃん様
はじめまして。当ブログへのご訪問有難うございます。
仰るとおり、林子平が50年以上も前に警告してくれているのに、握りつぶして「何もなかったかのように」振舞っていた当時の為政者である江戸幕府の責任は重大です。
天然の防壁に頼り切っていたがゆえに、一旦それが崩れてしまうと、実にもろくなるものです。詳しくは16時頃更新予定の最終章をご覧下さい。
今後とも宜しくお願いします!
のらねこみゅー様
そのとおりで、19世紀半ばから、我が国は世界の激流に巻き込まれていきます。いつになるか分かりませんが、この講座でも紹介するつもりです。
OKNO様
黒田裕樹 先日はこちらこそお世話になりました。
過分なるお褒めの言葉、恐縮です(^^ゞ
こちらこそ宜しくお願いします!
はじめまして!
ヒロキ 同じ「ヒロキ」同士よろしくお願いします!
自分も日本史が好きなので、遊びに来させていただきます(*^_^*)
鎖国体制ですね!
鎖国と言っても、「四つの口」といって、
オランダ・中国・朝鮮・琉球・蝦夷と交易はありましたがね。
家康の頃から禁教令が出ていましたし、キリスト教を禁止するためにも鎖国は必要だったんですね。
では~(^o^)/
ヒロキ様
黒田裕樹 …何というか、自分の名前に「様」を付けるのも変な感じですが(笑)。
コメント有難うございました。
仰るとおり、「鎖国」の本来の目的はキリスト教の禁教を徹底するためでした。ということは、キリスト教を布教しないと約束した国とは貿易をしてもOKだったわけです。
従って、本当の意味での「鎖国」ではなかったのですが、時が経つにつれて、いつの間にか「鎖国」が幕府の「祖法」と化してしまい、辞めるに辞められなくなった…というのが実情です。
この件はいずれ形を変えて取り上げる予定ですので、その際にでも詳しくお話します。
今後とも当講座を宜しくお願いします!
ABCD包囲網
オバrev なるほど、状況が変われば、短所は長所になるし、長所は短所になるってことですね。
海に囲まれたことで、逆にABCD包囲網で城攻めにあうことになったのかもしれません。
現在も、資源を輸入に頼り、景気を輸出に頼っている日本は非常に危うい面を持っているような気がします。。。
オバrev様
黒田裕樹 世界各国を迅速に駆け回るには飛行機が一番手っ取り早いですが、大量の食糧や燃料などをまとめて輸送しようと思えば、今でも船舶は欠かせません。
そして、我が国は食糧自給率が半分以下で、燃料に至っては石油を止められたらたちまち干上がってしまうという極めて危うい状況にあります。
もちろん、輸出業にも飛行機や船舶は欠かせませんから、安全な輸送体制の確立が至上の命題です。
翻って、今の我が国の安全保障問題はどうなっているのでしょうか…。
しかし、長年の「平和ボケ」に慣れ切ってしまった江戸幕府は、それまでの「島国の恩恵(おんけい)」が有名無実(ゆうめいむじつ)と化してしまっているにもかかわらず、かつての「島国の平和」が忘れられなかったのか、情勢の激変(げきへん)にも気づくことなく、いや、仮に気づいたとしても無視し続けていました。
その間にも、ペリーを乗せたアメリカの黒船は、着々と我が国に近づきつつありました…。
こうして我が国は世界の情勢に巻き込まれ、激動(げきどう)の時代を生き抜かなくてはならなくなりますが、ここから先の詳しい話は、いずれまた別の機会で取り上げたいと思います。
(第1回歴史講座の記事はこれで終了です。)




いつも有難うございます。
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ケンシロウ こんにちは。
日本にとってペリーの渡来は脅威でしたでしょうね。
でもこのおかげで島国の日本に色々な文化が伝わり
現在の日本と化したわけですから良かったと思います。
ヒロキ ペリー来航以前にも、
オランダ国王が開国勧告してきたり、
アメリカのビットルが来航し国交要求をしてきましたが、いずれも拒否していますね^^;
それだけペリーは強かったんですかね・・・。
さすらい こんばんは。
仰るように
「長年の「平和ボケ」に
慣れ切ってしまった江戸幕府」
だったんでしょうね。
出島で世界の様子は小耳に挟んでいても
「別にぃ」って思っていたかもしれません(笑)
ペリーでなくても世界の流れに
飲まれていた日本だと思います。
明治維新から弾ける日本へ向けて
結果的に良い時代背景だったのではないでしょうか。
大変興味ある講義でした。
応援♪
コメント有難うございます!
黒田裕樹 ケンシロウ様
ヒロキ様
さすらい様
ペリー以前もオランダ国王やビッドルなどが平和的に開国を勧告してくれたんですよね。ところが「平和ボケ」した幕府が木で鼻をくくったような回答をしたもんですから、アメリカが平和路線を捨てて、脅迫まがいで無理やり開国させたわけです。
一国が脅して成功すれば、他の国も我も我もと同じ内容の条約を結んでくる…ということで、我が国は多くの国と不平等条約を結ばされました。
開国という結果自体は我が国のためには良かったのですが、どうせ開国するなら、もっと利口なやり方があったはずです。それだけに、平和ボケゆえに後手後手の対応しか出来なかった江戸幕府の責任は重大です。
……「平和ボケ」の話は、江戸幕府に限ったことでしょうか?
こんばんは。
ことぶきのこめや GWにずっと外出していましたので、今まとめて読ませていただきました。
島国のおかげで、侵略されなかった奇跡の国というのと、朝鮮半島が防壁になっていたというのは、わかっていましたが、欧米列強が大型船で来襲するようになって、「どこからも攻められる丸裸の国」になったというのは、すごく面白かったです。
イギリスは、防御壁になってくれる半島の国が無かったため、侵略もされたし、帝国も築けたんですね。
いろいろ勉強になった講座でした!
ことぶきのこめや様
黒田裕樹 過分のお褒めをいただいて有難うございます。
今回のように、過去から現在までの「歴史の流れ」をしっかりつかまないと、なぜ鎌倉幕府がモンゴル軍を撃退できたのかとか、江戸幕府が開国を渋ったのかとかの本当の理由が見えてきません。
今の歴史教育はバラバラに教えますから、余計に暗記部分が強調されてしまうんです。これでは面白いはずがないですよ。
連休明けの講座から古墳時代が始まりますが、今まで教えたことと上手にリンクさせながら進めていくつもりですので、また是非ご覧下さい。
それにしても、イギリスと比較させるのも面白そうですね。
新説好き こんばんは。
マイブログのコメント欄にも書きましたが、コメントを頂いていたのに勘違いから返信していなくて、大変失礼しました。
失礼なヤツと思われていなければいいのですが。
島国環境が創った我が国の歴史、楽しんで読ませていただきました。
危機管理がなっていない今の日本を思うと、本当に島国でよかったんだか、悪かったんだかと思ってしまいますね。
たしかに平和ボケは江戸幕府のことだけではないですよね。
精神的には、ある意味今でも鎖国状態といっていいような状況もまだあると思いますし。
個人レベルでもそうですが、国レベルでもかごの鳥状態というのはあまりいい結果にはならないような気がします。
でもこれだけ飛行機網が発達しているのに、日本にインフルエンザがまだ入ってきていないことだけは、島国であるおかげなんでしょうけども。
新説好き様
黒田裕樹 ご無沙汰しております。
いえいえ、何らかの事情があるのではと思っておりましたので、あまりお気になさらないで下さい。
「平和ボケ」は確かに江戸幕府に限ったことではありません。私たちに果たして幕府を笑う権利があるのかどうかを真剣に考える必要があるかもしれませんね。
30日に行う予定の公開講座でも、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
インフルエンザの件は仰るとおりだと思います。陸続きだと今回のような「水際作戦」は不可能に近いですからね。