これは、チャイナの冊封体制からの脱却を意味しており、聖徳太子の功績の大きさをうかがわせるともいえますが、実は、そんな聖徳太子の存在が、我が国の義務教育たる小中学校において「消されそうになった」という事実をご存知でしょうか。
平成29(2017)年2月14日、文部科学省は小中学校の次期学習指導要領の改定案を公表しました。なお、学習指導要領とは、学校教育法などに基づき、児童生徒に教えなくてはならない最低限の学習内容などを示した教育課程の基準であり、約10年ごとに改定されており、教科書作成や内容周知のため、告示から全面実施まで3~4年程度の移行期間があります。
次期指導要領は翌3月末に告示され、小学校は平成32(2020)年度、中学校は33(2021)年度から全面実施されることになります。
ところが、新たに公表された次期学習指導要領の中学社会の歴史的分野において、一般常識的に見ても、どうしても首を傾(かし)げざるを得ない内容が含まれていたため、大きな論議を呼ぶことになりました。
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ところが、新たに公表された次期学習指導要領には、「聖徳太子」は没後使われた呼称に過ぎないため、歴史学で一般的な「厩戸王(うまやどのおう)」との併記にすると書かれていたのです。
具体的には、伝記などで触れる機会が多く、人物に親しむ小学校では「聖徳太子(厩戸王)」と、史実を学ぶ中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と表記するとされていました。
文科省が次期学習指導要領を発表して以来、一部の歴史学の関係者やマスコミからは、これは「聖徳太子抹殺計画」ではないか、という厳しい批判が見られるようになりました。
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今回の改定案では、小学校では「聖徳太子(厩戸王)」と、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と表記するとされていますが、藤岡氏は「小学校ではこの表記の前後を入れ替えて『聖徳太子(厩戸王)』と教えることにするという。学校段階に応じて『厩戸王』という呼称に順次慣れさせ、『聖徳太子』の呼称をフェイドアウトさせる。周到な『聖徳太子抹殺計画』といえるだろう」と述べています。
そして、今回のような改定案が発表された背景には、「今から20年近く前に、日本史学界の一部で唱えられた『聖徳太子虚構説』と呼ばれる学説」があると指摘し、この説の根拠が乏しいにもかかわらず、「文科省は、この珍説が歴史学界の通説であるととらえてしまったようだ」と断じています。
さらに、藤岡氏は「この説は日本国家を否定する反日左翼の運動に利用されているのであり、その触手が中央教育行政にまで及んだ結果である」「聖徳太子の抹殺は日本国家を精神的に解体させる重大な一歩である」と指摘しており、今回の改定案に警鐘(けいしょう)を鳴らしました。
参考:【正論】周到な「聖徳太子抹殺計画」 次期指導要領案は看過できない 拓殖大学客員教授・藤岡信勝
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「主張」では、「国民が共有する豊かな知識の継承を妨(さまた)げ、歴史への興味を削(そ)ぐことにならないだろうか。強く再考を求めたい」と最初に指摘したほか、今回の改定の理由である「聖徳太子は死後につけられた呼称で、近年の歴史学で厩戸王の表記が一般的である」見解についても、「国民に親しまれ、浸透している名は聖徳太子である。厩戸王は、学年の理解度により、併せて教えればいい。小中で教え方が異なる理由もよく分からない。聖徳太子が一般的なことを、自ら認めるようなものではないか」と述べています。
また、大阪の四天王寺や奈良の法隆寺(ほうりゅうじ)をはじめとした、全国各地の聖徳太子ゆかりの寺院の存在を、「現在もなお、太子を信仰したり敬慕(けいぼ)したりする善男善女でにぎわっている。それは、日本の仏教史や精神文化史などを顧(かえり)みる上で極めて重要なことである」と肯定的に評価しています。
さらには、同じく没後に諡(おくりな)をされた弘法大師(空海)を例に挙げ、「弘法大師の名を知らなければ、全国各地で盛んな大師信仰を理解することはできない」と指摘しました。
そして、末尾で「厩戸王を教えるだけでは歴史は細切れの無味乾燥のものとなり、子供は興味を抱くまい」「厩戸王が後に聖徳太子として信仰の対象となり、日本人の心の持ち方に大きな影響を与えた。それを併せて教えればよい」「時代を貫いて流れるダイナミックさを知ることこそ、歴史を学ぶ醍醐味(だいごみ)ではないだろうか」と述べ、「聖徳太子」の重要性を強く訴えています。
参考:【主張】新学習指導要領案 聖徳太子が消え、「厩戸王(うまやどのおう)」と呼ぼう これには首をひねる
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文科省が改定案公表後にパブリックコメントを実施したところ、呼称の変更に批判的な意見が多かったほか、教員からも「小中で呼称が異なれば子供たちが混乱する」「指導の継続性が損なわれる」といった意見が出ていたそうです。
こうした状況を踏まえ、文科省は小中ともに聖徳太子の表記に統一し、中学では日本書紀や古事記(こじき)に、聖徳太子の本名である「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」などと表記されていることも明記する方向で調整することになりました。
そして、平成29(2017)年3月31日に公示された新学習指導要領において、小学校では「聖徳太子」の表記がなされ、中学校では「『聖徳太子の政治』を取り上げる際には、聖徳太子が古事記や日本書紀においては『厩戸皇子』などと表記され、後に『聖徳太子』と称されるようになったことに触れること」と付け加えられました。
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この他にも、現代の皇室のルーツでもある「大和朝廷」の記載が、中学校の新学習指導要領では「大和朝廷(大和政権)」となっているのに対して、高校の一般的な歴史教科書では、「ヤマト政権」あるいは「ヤマト王権」などの表記がされています。
「大和朝廷」をなぜ「ヤマト政権(あるいはヤマト王権)」と表現するかといえば、一般的には以下の理由が知られています。
・「大和」という用字は8世紀以降(律令政治の成立)であるから
・当時の政治連合の形式が「朝廷」とはいえないから
一見その通りに思えそうですが、こうした見方は日本古来の政治制度を「外部から」、すなわち「外国から」眺(なが)めたものであるといえます。我が国の歴史を我が国が語る際に、なぜわざわざ外国からの視点で見極める必要があるのでしょうか。私は違和感を禁じ得ません。
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「これで次の改訂まで10年間は大丈夫だが、文科省の学習指導要領改訂のプロセスの問題点も分かった」。
「学習指導要領改訂原案は、文科省の国立教育政策研究所の各教科調査官(教師出身)1名と、文科省の視学官(調査官出身)1名でまとめられる」。
「これでは担当官の恣意(しい)が入り込みやすい。特に、国民精神の支柱と深く関わる歴史、地理、国語、公民などの分野は、しっかりとした定見をもつ人物を担当につける仕組みや、助言グループの設置など、次の改訂まで検討しておかないと危ない」。
山田議員のご指摘どおり、文科省の内部から改革を行わないと、同じことがまた繰り返される可能性が高いのではないでしょうか。

山田宏参議院議員(自民党)
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物事には「プラスとマイナス」があり、また「光と影」があります。それは歴史においても例外ではなく、両方をバランスよく学ぶことで、「本当の歴史」をはじめて理解できるはずです。
しかし、今の歴史教育は、あまりにも「マイナス」や「影」の部分を強調し過ぎではないでしょうか。一方的な記述は必然的に物事の歪(ゆが)みをもたらすのみならず、歴史を通じての「物事の本質を自分の力で見抜く」という貴重な機会を永遠に奪われてしまいかねません。
それはもちろん、今回から始まった「日本外交史」に関しても全く同じことであり、次回以降も「事実」を基礎とした、当時の我が国の外交面での様々な出来事を紹介してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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(※第60回歴史講座の内容はこれで終了です)
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