しかも、先述したケロッグ国務長官の「経済封鎖は戦争行為そのものである」という言葉を借りれば、先の石油禁輸の例を出すまでもなく、ハル・ノートによってアメリカは我が国に対して侵略戦争を先に仕掛けたも同然であり、我が国が対米開戦に踏み切ったのも無理からぬことではありました。
ハル・ノートを突き付けられた東條内閣は、半年以上続けてきた日米交渉を断念し、昭和16(1941)年12月1日の御前会議において、ついに「開戦のご聖断」が下りました。なお、戦争開始の閣議決定の裁可を求められた昭和天皇は、ご自身のお気持ちを封印され、立憲君主制に基づく大日本帝国憲法の規定どおりにお認めになられました。
昭和天皇のご意志であった「対米戦争回避」を実現できなかった東條首相は、開戦日(12月8日)の未明に首相官邸の自室において、皇居に向かって号泣しながら、陛下にお詫びをしたと伝えられています。
一般的な歴史認識においては「東條英機こそ日本を戦争に巻き込んだ重大な戦争犯罪人である」とされることが多いですが、前任の第三次近衛内閣が「戦争の決断をしたくない」とばかりに無責任に政権を投げ出した後に国論をまとめ上げ、ギリギリまで戦争回避に努力したという「歴史の真実」を、私たちはどのように評価すべきでしょうか。
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ぴーち こんばんは!
昨日の毒気についてですが、
我が国の大多数の人間が
間違った教えに従っている状態である事です。
それ故に本来人間を護るべき諸天から見放されてしまっていて無防備状態である為に
最悪な事態に陥ってしまうのです。
この原理をお信じになるかどうかはわかりませんが
事実はそう言う事です。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、そういうことですね。
有難うございます。
大東亜戦争の緒戦において我が国は快進撃を続け、開戦後わずか半年で、アジアにあった欧米列強の植民地のほとんどを占領あるいは支配し、石油などの重要資源も確保しました。
もし我が国が優勢な段階でアメリカなどの連合国と講和が出来れば、その後の歴史が大きく変わったことは間違いありませんが、果たしてそれは可能だったのでしょうか。
大東亜戦争より前に、我が国は圧倒的な国力の差がある相手と戦った経験がありました。もちろん日露戦争のことです。
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ぴーち こんばんは!
圧倒的な国力の差で勝利した余韻を残したまま
大東亜戦争にも勝利するのでは無いかという
皮算用が悲劇を産んだとも考えられるでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 圧倒的な国力の差で勝利した余韻を残したまま
> 大東亜戦争にも勝利するのでは無いかという
> 皮算用が悲劇を産んだとも考えられるでしょうか?
なるほど、仰るような「勝利感覚」が抜けなかった、という観点も重要ですね。
詳細はこれから更新してまいります。
このまま戦いを続ければ、国力に勝るロシアの逆襲も十分に考えられましたが、国内の政情不安に悩まされたロシアがアメリカの仲裁を受けて講和に応じたことで、我が国は辛くも勝利を収めることができました。
つまり、アメリカの仲裁やロシアの政情不安があったからこそ、我が国は日露戦争を制することができたともいえるのですが、勝利をもたらした背景には何があったのでしょうか。
実は、政治力による「政略」なのです。
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ぴーち こんばんは!
なるほど、言い方は悪いですが
日本はアメリカに弱みを握られて
いた事で今回の様な戦争にまで
発展して行った訳ですか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 日露戦争に我が国が勝利したことでアメリカが警戒しだしたのは間違いないですが、今回の件のみが弱みではないと思われます。
むしろ、我が国側の問題になりますね。
我が国が日露戦争で勝利できたのも、この「大原則」に従ったからであり、明治政府は我が国の国力の限界を見極めたうえで、長期戦と化して日本軍が劣勢(れっせい)となる前に戦争を終わらせるため、ロシアとの開戦前から講和への道を探っていました。
日露両国に対して中立的な立場であったアメリカを我が国が仲介国に選び、当時のセオドア=ルーズベルト大統領と親交のあった金子堅太郎(かねこけんたろう)を特使としてアメリカへ派遣したり、明石元二郎(あかしもとじろう)による諜報(ちょうほう)活動が成果を挙げたりするなど、我が国は少しでも自国に有利な展開になるように、あらゆる努力を重ねました。
開戦前から講和への道を探るなど「政略」を練った政府と、現場において命がけで戦い続けた「戦略」担当の軍隊。政治家と軍人とがそれぞれの役割をしっかりと果たしていたからこそ、我が国は日露戦争において戦局が有利なうちにロシアと講和を結ぶことが可能となったのです。
戦争は始めることよりも「終わらせること」の方がはるかに重要であり、日露戦争はそれを実現できた代表例だったのですが、日露戦争と大東亜戦争とで大きな違いが出来てしまったのはなぜでしょうか。
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ぴーち こんばんは!
確かに
始めることよりも
終わらせる事の方が重要かも知れませんよね。
政府と軍部との間の連携になにやら
秘訣がありそうですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 政府と軍部との間の連携になにやら
> 秘訣がありそうですね!
さすがはぴーちさん、鋭いですね。
次回以降の更新をぜひご覧ください。
しかし、昭和に入る頃には元老の多くが死に絶えており、元老の権威が必然的に低下したことで、彼らが推薦して組織された内閣の指導力も同時に低下したのみならず、大日本帝国憲法(=明治憲法)の制定時には予期していなかった大きな問題が起きました。いわゆる統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)のことです。
大日本帝国憲法の第11条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と書かれており、条文を素直に読めば「統帥権(=軍隊を指揮する権利)は天皇のみが有する」という規定だとも読めますが、もちろん実際に天皇ご自身が指揮を取られることはありません。
そもそも一国の軍備について決定を下すことは統治権の一部であり、統治権は天皇の名のもとに内閣が行うものです。従って、軍部による主張は統帥権の拡大解釈に過ぎず、統帥権干犯問題は軍部による反撃の一つでしかありませんでした。
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ぴーち おはようございます!
大東亜戦争の時には
いかにも天皇が全ての判断をなさって
采配していたかのような印象が有りましたが
実際問題としては軍部が天皇の名を借りて
操作していた訳ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 図式としては仰るとおりです。
そして、その軍部ですら、実際には…ということになります。
なぜなら、政党政治を行う立場である政党人自らが「軍部は政府のいうことを聞く必要がない=内閣は軍に干渉できない」ことを認めてしまったからです。事実、この問題をきっかけとして我が国では軍部の独走を事実上誰も止められなくなってしまいました。
軍部の独走はやがて昭和7(1932)年の五・一五事件や昭和11(1936)年の二・二六事件といった大事件をもたらし、また軍部大臣現役武官制が復活したことによって、首相が陸海軍大臣の意向を無視できなくなるなど、我が国の政治は事実上軍部に乗っ取られた状態と化しました。
これでは戦争遂行のための「戦略」を練ることはともかく、外交努力などの「政略」が期待できるわけがありません。結局、我が国は大東亜戦争で戦況が有利なうちに、講和への道を探るための何のイニシアチブも取ることができませんでした。
しかも、こうした問題の根幹となった統帥権干犯は、さらなる悲劇を我が国に及ぼしていったのです。
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ぴーち こんばんは!
それぞれの役目が何処かで
ストップしてしまえば
生き残ったものが暴走して歯止めが効かなくなる
車で言えば
軍はアクセルで、政府はブレーキと行った所でしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 軍はアクセルで、政府はブレーキと行った所でしょうか?
なるほど、上手な例えですね。
ブレーキが利かなくなった軍部は、さらなる独走を始めることになります…。
例えば、陸軍大将でもあった東條英機首相は陸軍大臣も兼任していましたが、彼が海軍に命令することはできませんでした。東條首相は後に陸軍の軍令機関のトップである参謀総長も兼任して、何とかリーダーシップを一元化しようとしましたが、海軍の軍令機関のトップたる軍令部総長に就任できない以上は同じことでした。
かくして、我が国では終戦を迎えるまで、戦争終結への外交努力に欠かせない「政略」がないがしろにされたのみならず、陸軍と海軍との意見を調整できる人物や機関が存在しないことで「戦略」すらままならない状況が続いたのです。
すなわち、統帥権干犯問題で実権を握ったはずの軍部自身が動きを封じられたのみならず、最後には国家の統治機関の中心部にまでその影響が及んでしまったばかりか、戦争終結へ向けての「政略」が何もなされぬまま、我が国の戦局が暗転したことで、苦しい状態が続いていた我が国がさらに追い込まれてしまうようになるのです。
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ぴーち おはようございます!
なるほど、
一つの体に頭が2つ。
双頭同士がそれぞれ同じ目的を持って
協力し合うのならまだしも
互いが相反する方向へ移動しようとすれば
体は動きを止められて立ち往生して
しまいますよね。
足並み揃えてこそ、相手に勝利することが
出来るというものを・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。そうした体制を、軍部自身が築き上げてしまったところに、当時の大きな不幸がありました。
大東亜戦争は決して「無謀な戦争」ではなく、当時の軍事力や国力の比較からすれば、日清戦争あるいは日露戦争よりももっと勝てる可能性の高かった戦争だったともいえるのであり、実際にそのような見解も存在しています。
今回のように大きな歴史の流れを見てゆくと、日清・日露両戦争当時と比べ、大東亜戦争においてはいかに我が国の政治家も軍人も、その中枢(ちゅうすう)の人材が払底(ふってい)あるいは堕落(だらく)し、自壊するように負けていったかということがよく分かります。
我が国の未来のためにも、単なる「戦争は良くない」という否定的な見解のみに終始するのではなく、今回のような「大東亜戦争で我が国が勝てなかったのは何故なのか」ということこそが、歴史教育で学ばねばならない重要な課題ではないでしょうか。
「あの戦争は勝てたのではないか」という観点を、我々は絶対に見失ってはならないのです。
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青田です。 青田です。
この当時の日本の陸海軍は、史上最強でした。
しかし、戦略が、無茶苦茶です。
この当時の日本の指導者は、馬鹿すぎます
。
日露戦争の時は、日本VSロシアであり、戦場もシナ大陸だけでした。
しかし、大東亜戦争は、日本vs24ヵ国。
戦場の面積は、地球の4分の1です。
ぴーち こんばんは!
仰る通り、どうして勝利出来なかったのだろうという
事を反省する中には
やはり我が国にも傲慢な一面が存在したことを猛省し、出る杭は打たれるという現実を重く受け止め
これからの行く末に加点されていくべき点を
考慮しながら前進して行きたいものです。
青田さんへ
黒田裕樹 仰る面を含め、すべてにおいて、勝てる戦を負けに追い込んでしまいましたね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そのとおりですね。
我が国は大東亜戦争に関して、真剣に再検討する必要があります。
それこそが世界平和への貢献でしょう。
こうした流れを受けて、同年11月5日に、東條英機首相は大東亜新秩序の建設の方針を協議するため、アジア各地域の代表を東京に集め、世界史上初めて有色人種のみで行われた首脳会議でもあった大東亜会議を開催しました。
大東亜会議には東條首相の他に南京国民政府の汪兆銘(おうちょうめい)行政院長、満州国国務総理の張景恵(ちょうけいけい)、タイ首相代理のワン=ワイタヤコーン、フィリピン大統領のラウレル、ビルマ首相のバー=モウ、またオブザーバーとして自由インド仮政府代表のチャンドラ=ボースが出席しました。
大東亜会議において、各国は「お互いを尊重し、それぞれの民族が歴史や文化、あるいは伝統を活かしながら文化交流を深め、経済関係を強化することで相互に発展し、世界各国とも進んで仲良くすべきである」という内容の大東亜共同宣言を採択しました。なお、戦後の1960(昭和35)年の第15回国連会議で植民地独立宣言が決議されていますが、その内容は大東亜共同宣言とほぼ同じでした。
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ぴーち おはようございます!
日本が劣勢に転じてしまった事については
嘆かわしいですが
それでも日本の戦いに感化された
アジア諸国が旗揚げし始めたと言う事については
良い種を残してあげられたのだと
思いたいですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
この事実に関しては、我が国がもっと誇ってよいことだと思います。
サイパンからは新開発の長距離重爆撃機B29の行動範囲に東京が入り、我が国は本土の防衛すらままならない状況となったことから、一連の責任を取って東條内閣が総辞職し、小磯国昭(こいそくにあき)内閣が成立しました。
小磯内閣は、戦争を継続しながらも和平工作を何度か試みましたが、陸軍大将とはいえ予備役であった小磯首相自身の指導力不足もあって不調に終わり、昭和20(1945)年4月7日に総辞職すると、元侍従長で予備役海軍大将の鈴木貫太郎(すずきかんたろう)が新たに内閣を組織しました。
鈴木内閣は、表向きは本土決戦などの強硬策を唱えながら、その裏では密かに戦争終結を図ろうと努力しました。その後、紆余曲折(うよきょくせつ)の末に、我が国は同年8月に、連合国側からのポツダム宣言を受けいれるかたちで終戦を迎えたのです。
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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
以前黒田さんがおっしゃられた様に
戦争は始めることよりも、終わらせる方が
大変なんでしたよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
詳しくは第41回歴史講座で紹介済みですが、鈴木首相は困難な戦争終結を見事に成し遂げていますね。
その後、戦争犯罪人として東京裁判にかけられた東條は、他の被告の多くが自己弁護と責任のなすり合いを繰り広げる中で、自己弁護を一切行わなかったばかりか、我が国が戦った戦争が「侵略戦争ではなく自衛戦争であり、国際法には違反しない」と堂々と陳述したほか、いわゆる戦争責任が昭和天皇に及ばないようにするために「敗戦の責任は自分が負う」と宣誓口述書で明言しました。
東條らのいわゆるA級戦犯の7人(東條英機、広田弘毅=ひろたこうき、板垣征四郎=いたがきせいしろう、土肥原賢二=どいはらけんじ、松井石根=まついいわね、木村兵太郎=きむらへいたろう、武藤章=むとうあきら)は、昭和23(1948)年11月に絞首刑の判決を受け、同年12月23日に執行されましたが、この日は当時の皇太子殿下(現在の今上天皇)のお誕生日であり、日本国民に贖罪(しょくざい)意識を植え付けようという思惑があったと考えられています。
東條らの遺体は遺族に返還されることなく、当夜のうちにGHQによって「焼却処分」されました。「火葬」ではありません。遺骨は粉砕され、遺灰とともに航空機によって太平洋に投棄されてしまったのです。
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ぴーち こんばんは!
今でも船の上から
粉にした遺骨を散骨する事がかっこよいみたいな
風潮が有りますが
遺骨というのは、しっかり形を留めて
なおかつ、お墓の下に埋葬されることが本来のあり方であり、遺骨に再び亡くなった人の魂を呼び寄せ
それに対して懇ろにご供養すれば、成仏が
適うというものを
粉にしてばら撒けば、そこには魂が帰る場所を
失って成仏出来なくなるものですが、
東條英機の場合も、何の因果かは存じませんが
余りにも酷いし打つですね・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 元々西洋には遺骨に魂が宿っているという発想が薄いというのもありますが、仰るとおりこれでは浮かばれません。
ただ、日本人も黙って手をこまねいていたわけではありませんでした。
その後も
青田です。 青田です。
東条英機氏のお孫さんは、かなり、小学校の教師に
苛められたそうです。
お孫さんの世代は、教師は、反日教育を受けていたのに、本当に辛い思いをされました。
どこの国もそうですが、戦いに勝つと英雄ですが
負けると、誰かの責任にしようとします。
ヨーロッパでは、フランスが、ワーテルローの戦いで、負けるとナポレオンは、長い間、悪の独裁者でしたが、
それが、フランスが第二次世界大戦で、戦勝国になるとナポレオンは、フランスの英雄に変わりました。
ということは、日本もいつか戦勝国になると歴史は、変わると思います。
青田さんへ
黒田裕樹 歴史を変えるには、様々な苦労がありますね。
また、昭和53(1978)年には、刑死あるいは獄中死などしたA級戦犯14名が、昭和天皇のご裁可によって靖国神社に合祀(ごうし)されたほか、命日にあたる毎年12月23日には、殉難者の代表として、昭和天皇が東條家に生花を贈っておられたということです。
ところで、昭和26(1951)年に結ばれたサンフランシスコ講和条約によって、翌昭和27(1952)年4月28日に我が国が独立を回復すると、国民のあいだから戦犯と決めつけられた人々を即時に釈放すべきであるという運動が始まりました。
同年6月には、日本弁護士連合会(=日弁連)が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を提出したことから運動は全国に拡大し、当時の人口の約半分にあたる、約4,000万人もの日本国民の署名が集まりました。
これに基づいて、翌昭和28(1953)年8月3日に衆議院で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で可決されました。この決議は現在も有効ですから、我が国において「戦犯」なる者は一切存在しないのです。
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ぴーち こんばんは!
確かに世の中、戦争責任だとか、戦犯だとか
誰かをやり玉にあげて、その人物に責任を擦り付ければ
全てが丸く収まるのでは無いかと人間の浅はかな
思いで巡らせる訳ですが、
そのやり玉にあげられた人物は悲惨ですよね・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 東條元首相は、ある意味スケープゴートでもありました。
もうそろそろ、国民全体で名誉を回復させるべきだと思います。
事実に基づいて歴史を語るのが鉄則であるならば、我が国に「戦犯」が存在しない以上、もはや「戦犯」という呼称を使用すべきではないのです。いずれにせよ、裁判終結から70年近くが過ぎた今もなお、我が国を蝕(むしば)んでいる「東京裁判史観」からの一日も早い脱却が望まれるのではないでしょうか。
さて、戦後に東條元首相の遺族は迫害の対象となりましたが、孫にあたる東條由布子(とうじょうゆうこ)氏が著述家としてその名を知られるようになりました。また現在では、東條元首相の直系の曾孫(ひまご)にあたる東條英利(とうじょうひでとし)氏が、様々な活動を行っておられます。
東條英機元首相の生涯と、その歴史背景を振り返るとき、私たちは何を思い、また何を考えるべきなのでしょうか。そのカギを握る史料の一つとして、最後に東條元首相の遺書をご紹介します。
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ぴーち こんばんは!
マスコミなどは
誰かを悪者にすれば、それだけ
注目してくれると判断する傾向が強いので
その人物をより悪役に仕立てる名人でも
あると思います。罪深い職業だとつくづく思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私も同感です。
昨今の政局をめぐる問題も、悪役を無理やり作ることによって、世論を誘導しようと必死な姿勢がうかがえますね。
もっとも、全く効果が出ていない一面もあるようですが。
「開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は、死をもって贖(あがな)えるものではない。しかし国際的の犯罪としては、無罪を主張した。いまも同感である。ただ力の前に屈服した。
自分としては国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。ただこれにつき、同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者にまでも刑が及んだことは実に残念である。天皇陛下に対し、また国民に対しても申し訳ないことで、深く謝罪する。
元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈(じんじ)の御志(みこころざし)により行動すべきものであったが、一部過ち犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。このたびの戦争に従軍して斃(たお)れた人、およびこれらの人々の遺家族に対しては、実に相済(あいす)まぬと思っている。心から陳謝する。
今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。もしこれが永久平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。
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ぴーち こんばんは!
戦争は一人の人間が
起こすものかもしれませんが、
それを終わらせる為には
一人の人間の人知を越えた力に頼るしか
有りません。
確かに始めた人間の責任は重いかも知れませんが
それを容認し、賛同し、従って事を
起した人間たち全ての責任でもあるように
思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
少なくとも、東條元首相にすべての責任を押しつけて頬かむりすることは間違いですね。
天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇存在の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが絶対に必要なのである。それは私だけでなく多くの者は同感と思う。空間や地面のごとき大きな恩は、忘れられぬものである。
東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相(あい)協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様、この天地に生きる権利を有(も)つべきものであって、その有色たることを、むしろ神の恵みとしている。
インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。今回の戦争によりて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら、幸である。列国も排他的の感情を忘れて、共栄の心持をもって進むべきである。
現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言(いちごん)するが、どうか日本の米人に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされなければならぬ。
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ぴーち こんばんは!
そうですね。
どうしても世界の頂点を目指したいなどという
野望を持つ大国には、他の国との共存、共栄など
考えていないものですよね。
それにたかがこの地球上のありとあらゆる物を
独り占めしたからと言って
誰が幸福感を得るのでしょうか?
確かに独占した国の国民だけは
一時的に良い思いはするかもしれませんが
他の90%の人間を不幸のどん底に
陥れる様な構図が
長続きするとは到底考えられません。
しかも
本当に人として生まれてきて考えるべき
思想だとは絶対考えたく有りませんよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 つまるところ、世界を支配したいという人間の欲は、ぴーちさんの仰るようなお考えに行きつくのでしょうね。
考えてみれば恐ろしいことでもあります。
実は東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。今後、日本は米国の保護の下に生活していくのであらうが、極東の大勢はどうであらうか。
終戦後わずか三年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯(か)くの如くである。今後のことを考えれば、実に憂慮にたえぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。
今、日本は米国よりの食糧の供給その他の援助につき感謝している。しかし一般が、もし自己に直接なる生活の困難やインフレや、食糧の不足等が、米軍が日本に在るがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際は、かかる宣伝をなしつつある者があるのである。よって米軍が、日本人の心を失わぬよう希望する。
今次(こんじ)戦争の指導者たる米英側の指導者は、大きな失敗を犯した。
第一は、日本といふ赤化の防壁を破壊し去ったことである。
第二は、満州を赤化の根拠地たらしめた。
第三は、朝鮮を二分して東亜紛糾の因たらしめた。
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ぴーち おはようございます!
確かに何かに勝利出来るという事は
一つの(個人一人の)力だけでは
叶わない事ですものね。
より多くの人間の協力が必要不可欠
になって来るのは当然ですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
長いあいだ続いた人種差別を我が国はなくそうと一所懸命でしたが、やはり日本だけでは限界がありましたね。
米英の指導者は、これを救済する責任を負うて居る。従ってトルーマン大統領が再選せられたことは、この点に関して有り難いと思ふ。
日本は米国の指導に基づき、武力を全面的に抛棄(ほうき)した。これは賢明であったと思う。しかし、世界全国家が、全面的に武装を排除するならばよい。然(しか)らざれば、盗人がばっこする形となる。泥棒がまだいるのに警察をやめるやうなものである。
私は、戦争を根絶するには欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国は、いずれも自国の存在や自衛権の確保を主としている。これはお互いに欲心を抛棄(ほうき)して居らぬ証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より今後も戦争を除くということは不可能のことである。
これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実はこの通りである。それゆえ第三次世界大戦は避けることができない。第三次世界大戦に於いて主なる立場に立つものは、米国およびソ連である。日本とドイツというものが取り去られてしまった。
それがため米国とソ連というものが直接に接触することとなった。米・ソ二国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からみても、第三次世界大戦は避けることはできぬ。第三次世界大戦において極東、日本と支那と朝鮮が、その戦場となる。この時にあって、米国は武力なき日本を守の策を立てなければならぬ。これは当然米国の責任である。
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ぴーち おはようございます!
国家からも個々人からも
「欲心」は永遠に無くなる事は有りませんものね。
それでも人間は「理性」という抑止力を
同時に備えているので、欲心が出たら
抑止力を働かせて、自分の欲望を抑える事に
全力投球していくことが肝要だと思います。
けれど、いくら人間であっても
欲心を押さえ込む事がなかなか出来ない・・
これが現状である気がします。
そういうときこそ、自力で何とかするのではなく
仏の力にお縋りする。
仏国としての成長が得られれば、誰しもが
冷静で、正しい道を選ぶことが可能になり
間違った道を遠ざける事が出来ます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 本来の意味での宗教は、こういう時こそ出番なのかもしれませんね。
現実には宗教どうしで殺し合いに発展しているのですが…。
ぴーち こんばんは!
>現実には宗教どうしで殺し合いに発展しているのですが…。
それはその宗教の根本的理念が
間違っているからでは無いでしょうか^^
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 > それはその宗教の根本的理念が
> 間違っているからでは無いでしょうか^^
なるほど、確かにそういう一面はありますね。
根本が間違っていれば、どうしようもないですから。
日本を属領と考えるのであったならば、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国は何等(なんら)かの考えがなければならぬ。米国は、日本人八千万国民の生きて行ける道を考えてくれねばならない。およそ生物として、自ら生きる生命は、神の恵みである。産児制限の如きは神意に反するもので、行うべきでない。
なお言いたきことは、公・教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。いまは既に、戦後三年を経過しているのではないか。従ってこれは速やかに止めてほしい。日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容な気持ちをもってもらいたい。
我々の処刑をもって一段落として、戦死病者、戦災死者、ソ連抑留者の遺家族を慰安すること。戦死者、戦災死者の霊は、遺族の申出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。従って遺族の希望申出あらば、これを内地へ返還されたし。戦犯者の家族には保護を与えられたし。
青少年男女の教育は注意を要する。将来大事なことである。近時、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、我国の古来の美風を保つことが大切である。
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ぴーち おはようございます!
相手国から
何かをして欲しいという欲求を得ることは
困難なことです。
それならば、やはり
自国がそのお手本を示していけるような
考え方を実践していかねば
相手の考え方を変えることは不可能です。
先ずは自分の国の欲心を抑える事ですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 先ずは自分の国の欲心を抑える事ですよね。
我が国は元来「お手本」たるべき国家でした。
それが戦争に巻き込まれ、戦後のアメリカナイズで変化が起きている一面もあると思われます。
今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。世界平和の精神的礎石としたいのである。もちろん、日本軍人の一部の間に間違いを犯した者はあらう。これらについては衷心(ちゅうしん)謝罪する。これと同時に無差別爆撃の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し憐憫(れんびん)して悔悟(かいご)あるべきである。
最後に、軍事的問題について一言(いちごん)する。
我国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動は採れない。兵役制については徴兵制によるか、傭兵制(ようへいせい)によるかは考えなければならない。我が国民性に鑑(かんが)みて、再建軍の際に考慮すべし。
再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は従前の質実剛健のみでは足らぬ。人として完成を図る教育が大切だ。いいかえれば宗教教育である。欧米の風俗を知らすことも必要である。
俘虜(ふりょ)のことについては、研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。
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ぴーち こんばんは!
確かにこの当時よりも少し昔の方が
宗教観念は高かった様に思います。
それが今では観念も何もあったものでは
有りません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かにこの当時よりも少し昔の方が
> 宗教観念は高かった様に思います。
> それが今では観念も何もあったものでは
> 有りません。
現実は厳しいですね…。このあたりから修復していく必要もありそうです。
辞世
我ゆくも またこの土地に かへり来ん 国に報ゆる ことの足らねば
さらばなり 苔の下にて われ待たん 大和島根に 花薫るとき
散る花も 落つる木の実も 心なき さそうはただに 嵐のみかは
今ははや 心にかかる 雲もなし 心豊かに 西へぞ急ぐ」
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(※第59回歴史講座の内容はこれで終了です)
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ぴーち おはようございます!
>心にかかる 雲もなし 心豊かに 西へぞ急ぐ
ですか・
きっと、心の中は葛藤が渦巻いていて、自分自身で
それを何とか収めようとしている一文として
解釈させて頂きました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、解釈は人それぞれですね。
東條元首相の信条に思いを馳せれば、一日も早い名誉回復がなされてほしいと切望します。