にもかかわらず、一般的な歴史教科書には、日韓併合やその後の歴史について以下のように書かれていることが多いのが現状です。
「1910(明治43)年、日本は韓国(=大韓帝国)に対して併合を強要し、朝鮮半島を植民地化しました。また、太平洋戦争の末期には数十万人の朝鮮人を日本へ強制連行して働かせました」。
このうち、日韓併合においては我が国が決して強制したのではなかったことは、これまで述べてきた事実によって容易に判断できますが、我が国が朝鮮半島を自国の領土として併合した行為は、本当に「植民地化」を意味していたのでしょうか。また、先の大戦の末期において、我が国は本当に朝鮮半島の人々を強制連行したのでしょうか。
ここからは、日韓併合後の歴史、すなわち北朝鮮(きたちょうせん)や韓国(=大韓民国)で称されている「日帝(にってい)三十六年」の真実について、まずは「植民地化」の観念から探ってみたいと思います。
※下記の映像は3月8日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
これは本当に我が国の歴史の教科書に
書かれていることなのですか?
客観性を重視しようとすれば、
確かに都合の悪い不利な事も書かざるをえないかも
知れませんが
これではわざわざ自国を悪者し
その価値を下げているだけの様な気がしてなりません。
自虐的な書き方が良い結果を産む時も
時には有るかも
知れませんが、概ね
誤解されるのは必須だと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > これは本当に我が国の歴史の教科書に
> 書かれていることなのですか?
残念ながら、仰るとおりなんです。
この厳然たる事実が、我が国が抱える問題の根深さを実証していますね。
西欧諸国はアフリカやアメリカ、あるいはアジアの各地域の先住民を従わせて植民地化すると、本国の経済力を高めるために、先住民を奴隷として強制連行したり、白色人種に都合の良い作物ばかりを育てさせようとしたりしました。
例えば、ブラジルではサトウキビの栽培(さいばい)を広い範囲で行わせたり、スリランカでは紅茶を栽培させたりしましたが、これらの利益のほとんどは本国が吸い上げ、先住民はそれこそ無給に等しい状態で過酷な労働を強いられたのです。
なお、このような熱帯・亜熱帯地域の植民地において、奴隷や先住民の安い労働力を使って、世界市場に向けた単一の特産的農産物を大量に生産することを「プランテーション」といいます。プランテーションはその国が輸出によって外貨を得るための唯一の手段となりますから、仮に自然災害などによって農産物が不作になれば、経済が立ち行かなくなるという大きな問題を抱えています。
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ぴーち こんばんは!
なるほど!
私がこれまで植民地という言葉の意味を
奴隷の様に扱うという意味に捉えていたのは
欧米諸国が広めた悪習だった訳ですか!
勉強になりましたm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
植民地という言葉は残ったとしても、欧米と日本とでは根本的に中身が全く異なります。
詳しくは次回以降の更新をご覧ください。
こういう場合、一番分かりやすいのは国内における総人口の違いを調査することです。なぜなら、もし我が国が朝鮮半島を植民地化して朝鮮の人々を強制的に労働させているのであれば、結果として人口が減少するのが当然だからです。
日韓併合後に我が国が朝鮮半島を統治するために置いた朝鮮総督府が記録として残した「朝鮮総督府統計年報」によると、併合した明治43(1910)年の朝鮮の人口は1,312万8,780人でした。一方、大戦末期の昭和19(1944)年では2,512万174人です。
わずか35年足らずで、朝鮮半島の人口が倍増しているのです。植民地化で朝鮮人が被害を受けているのであれば減っていてもおかしくないのに、逆に2倍になっているのはどういうことなのでしょうか。
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ぴーち こんばんは!
本当ですね~
確かに人数が増えるという事は
国が安定期に入ってきた証拠の一つには
なりますよね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに人数が増えるという事は
> 国が安定期に入ってきた証拠の一つには
> なりますよね^^
仰るとおりです。
当時の朝鮮半島が安定期に入ったということは、財政面でも証明できます。
詳しくは次回の更新をご覧ください。