しかし、デタントによってアメリカの国防費が低く抑えられたのに対し、戦略核兵器でアメリカを抜き去り、優位に立ったソ連は、1977(昭和52)年にはエチオピア、1978(昭和53)年には南イエメンとアフガニスタンでクーデターを起こさせ、親ソ政権を樹立させました。
ソ連の野望は極東にも向けられ、昭和53(1978)年には、我が国固有の領土である北方領土のうち、国後(くなしり)・択捉(えとろふ)・色丹(しこたん)島に一個師団(兵力約12,000人)に相当する地上部隊を再配備したほか、長距離砲や対地攻撃用ヘリコプターまで配備するなど、極東における緊張感が高まりました。
また、ソ連の暗躍によって親ソ政権が誕生したアフガニスタンでしたが、1979(昭和54)年9月に再びクーデターが起こって政権が倒れると、ソ連は同年12月にアフガニスタンに軍事介入を行いました。
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ぴーち こんばんは!
ド素人考えで恐縮ですが(^_^;)
本当に自国の領土が広ければ
それで良いのでしょうか?
特にソ連(ロシア)などは
国土が広大過ぎる程広大ですが
ただ広ければ良いというものでも
無いと思います。
管理、統制に無理が生じてくるのでは
無いかと懸念致します。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 領土的野心による膨張主義は、どの国家にもあり得ることです。
我が国だけが異例と言った方が良いかもしれませんね。
また、ソ連の野望が世界に示されたことは、同時に米ソ間の緊張が再び高まったことを意味しており、デタントが崩壊するとともに、翌1980(昭和55)年7月に行われた、ソ連でのモスクワオリンピックに対して、アメリカや我が国を含む西側諸国の多くが、アフガニスタン侵攻への抗議を理由にボイコットしました。
なお、1980(昭和55)年夏に、ポーランドで自主独立の労働組合として「連帯」が結成され、政治の民主化を求めましたが、これに対してソ連が軍事介入をほのめかして圧力をかけると、翌1981(昭和56)年にポーランド軍部がクーデターを起こして、ワレサ(ヴァウェンサ)氏を中心とする「連帯」の幹部が逮捕されるなど、ソ連による脅威は東側諸国にまで容赦なく及びました。
ちなみに、ワレサ(ヴァウェンサ)氏は、その後1983(昭和58)年にノーベル平和賞を受賞したほか、民主化後の1990(平成2)年には、選挙によってポーランドの大統領に就任しています。
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ぴーち こんばんは!
詳しい事は存じませんが
日本は例えば、首相に就任する人物が
居て、その人物が過去に逮捕歴など
ある場合は、その時点で
首相の候補から降ろされたりすると思うのですが
外国はどんなに過去に汚点が生じても
その人物の器量次第では
国を治める長になってしまうところが
違う所だなと感じました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ワレサ(ヴァウェンサ)氏のことですね。
逮捕といっても、本当に悪いことをしたのではなく、外国からの不当な介入ですからね。
また意味が異なると思われます。
また、当時のイギリスのサッチャー首相(保守党)は、経済に対する政府の過度の介入を避け、民間の活力に重きを置いた「小さな政府」をめざそうとする「新自由主義」を唱えていましたが、レーガンはサッチャー政権と協調したうえで、「強いアメリカ」を標榜(ひょうぼう、主義・主張や立場などを公然と表すこと)して、ソ連に対する強硬姿勢を見せました。
レーガンによる軍備の拡大は、必然的にソ連との軍拡競争をもたらしたため、米ソによる「新冷戦」と呼ばれましたが、果てしない軍拡競争によって、経済が急速に悪化したアメリカは、海外製品の流入などによる国内産業の空洞化や、国家財政と国際収支のいわゆる「双子の赤字」に苦しんだのみならず、世界最大の債務国へと転落してしまいました。
この頃にアメリカによって我が国にもたらされた、自動車などの輸出の自主規制や、農産物の輸入自由化を強く求めるといった貿易摩擦(まさつ)は、こうした背景から生まれたものでした。アメリカからすれば、「誰がお前の平和を守ってやっているんだ」という思いがあったのかもしれませんね。
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青田です。 青田です。
トランプ大統領は、このレーガン大統領を尊敬していて、レーガン大統領の政策を模倣したいと語っていました。
安全保障では
① レーガン時代は、ソ連が仮想敵国。
② トランプ大統領は、中国が仮想敵国。
(経済政策)
① レーガン時代は、大幅減税、インフラ整備。
→ 規制緩和による需要中心の政策ではなく、供給力強化。
②レーガン時代は、大幅減税、インフラ整備。
→ 保護貿易。需要中心の政策ではなく、供給力強化。
(貿易での主張)
① レーガン時代は、貿易不均衡で、日本バッシング。(自動車などの輸出の自主規制や、農産物の輸入自由化を強く求める。)
② トランプ大統領は、日本バッシング。
(自動車などの輸出の自主規制や、農産物の輸入自由化を強く求める。)
私は、安全保障と経済問題は、分けて考えて欲しいとは、思いますが、人間というのは、論理ではなく、感情の生き物なので、無理かもしれません。
トランプ大統領には、是と非がありますが、
支持派、不支持派がありますし、
世の中の流れが今とは、違いますが、トランプ大統領は、レーガンを目指していることだけは確かです。
ぴーち こんばんは!
結局、自国だけいい思いは出来ないという事でしょうね。
特に傲慢、虚勢は
自分で自分の首を締める結果になりうるし
他国へも悪影響を及ぼす悪因になりかねないという
事ですよね。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、同じ共和党だけに共通点が多そうですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 残念ながら、仰るとおりですね。
だからこそ、限られた条件のなかで我が国は様々な問題を片付けねばなりません。
青田です。 青田です。
(1981年)
アメリカの
レーガン大統領とイギリスのサッチャー首相。
(現在、2017年)
保護貿易のアメリカの
トランプ大統領と
EU離脱のメイ首相。
何か世の中の流れを感じます。
アングロサクソンは、バランスを取り、改革ができるような気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに似通ってますね。
今後の歴史の流れに注目したいです。
当時の我が国は中曽根康弘(なかそねやすひろ)首相の時代でしたが、中曽根首相はレーガンと愛称で呼び合う(いわゆる「ロン・ヤス」)ほどの関係を構築し、日米関係は一気に緊密化しました。
レーガンが日本を味方に引き入れたのには大きな理由がありました。円高不況を乗り越え、バブル景気を迎えつつあった当時の我が国の国内総生産(=GDP)は、アメリカに次いで世界第2位であり、しかもそのアメリカに迫る勢いを見せていました。
アメリカは我が国の力を警戒するとともに、「強い日本」と連携(れんけい)することで、ソ連との果てしない軍拡競争を有利に展開しようと算段したのです。そして、そこに世界に大きな影響力を保持していた、かつての「大英帝国」が加われば、まさに「鬼に金棒」でした。
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ぴーち こんばんは!
勢いが有り、経済力も万全なら
同盟国としては十分心強い存在ですものね。
鬼に金棒・・でした
めでたし、めでたし
ではどうやら終わらない気配を
感じますね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 もちろん、相手国に任せっぱなしというわけにはいきませんからね…。
その後の流れは次回の更新をご覧ください。
実は、我が国が戦後に「国際情勢をも動かすことができる大国」として本格的に復活したのは、中曽根康弘内閣の頃からです。中曽根氏には「靖国神社への参拝を取りやめた」という大きな失点があり、評価の分かれるところではありますが、レーガンやサッチャーとともに一時代を築き上げたという歴史的意義に関しては、もっと語られてよいと思います。
それでなければ、我が国の最高勲章の一つである大勲位菊花大綬章(だいくんいきっかだいじゅしょう)を、存命中に授与されるということもなかったでしょう。
昭和54(1979)年に社会学者エズラ・ヴォーゲル氏の著書である「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が発表され、世界的ベストセラーとなりましたが、中曽根内閣の頃には「日本はアメリカ以上の大国になるかもしれない」と世界中の人々が本当に考える時代を構築していたのです。
ちなみに、我が国が安定成長期からの円高不況を乗り越え、空前の好景気を迎えた1980年代に関しては、一般的には「バブル景気」と否定的に語られることが多いですが、その一方で「黄金の80年代」という呼び方も有名です。
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ぴーち こんばんは!
黄金の80年代ですか・・
ほんとうにあの時代は
頂点に上り詰めた途端のいきなりの下山
でしたから、面食らった方も大勢
いらしたのでは無いでしょうか・・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 いきなりの下山、すなわちバブル崩壊は「人為的」でしたからね…。
この罪は重いです。
我が国も、いわゆる「バブル崩壊」後の不況が長引いたこともあって、国内総生産(=GDP)が20年以上前からほとんど上昇していないほど経済が停滞(ていたい)していますし、またイギリスもヨーロッパ連合(=EU)の設立以後はその影響力が低下するなど、世界の情勢はすっかり様変わりしました。
そんな中、勢いを増しつつあるのが、日米英の連携時代にはGDPが日本の10分の1ほどしかなかった中華人民共和国です。GDPで既に我が国を上回った中華人民共和国は、年間予算の多くを軍事費に回すことで、世界での影響力をますます強めています。
それに対して、GDPが横ばいのままのみならず、歴史問題での「いわれなき誹謗中傷」を受けている我が国の停滞ぶりが、中華人民共和国の増大にますます拍車をかけているのが今の世界情勢であることを、私たち日本国民はもっと理解すべきではないでしょうか。
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ぴーち こんばんは!
中国の増大の一因に
日本の衰退が影響ですか・・
世界のパワーバランス問題も
難しいものなんですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、厳しいですね。
だからこそ、国益のためにも前に進まねばなりません。
日本の油断も原因
青田です。 青田です。
日本が経済力を失った原因として、いろいろな要因があると思いますが、
やはり、日本人が過去の栄光にしがみつたことと中国をなめたことだと思います。
2009年に中国は、GDPを日本を抜かしました。
その時、日本人は、『メイドイン中国は粗悪品。』あるいは、その他の新興国は、日本のようなモノ創りはできないと油断していまいました。
そして、中国が日本のGDPを抜かした時、日本は、一人あたりのGDPなら、日本のほうがうえだと油断していました。
現在、2016年
99%の日本人が中国とGDPで僅差で負けていると思っていますが、実際には、2.5倍の差がついています。(この数字が信憑性が低いという主張を評論家が多いですし、中国崩壊論を唱える評論家も多いです。)
中国が凋落したり、崩壊することを願うのも結構ですが、日本自体が強く、発展することに脳を使わないと
本当に日本がヤバイと思います。
こう話すと、悲観論という味方をしたり、親中反日のように誹謗中傷を受けますが、そうではなく、富国強兵をしないと
スペイン(かつての世界の覇権国家で今は、見る影もない。)
イギリス((かつての世界の覇権国家で今は、見る影もない。)
のように日本がなってしまう可能性があると思います。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにその危険性はありますね。
気付いたとしても、足を引っ張る勢力がありそうなのが厄介ですが…。
なぜなら、自由主義社会を本当に回しているのは、他でもない資産家、すなわち「金持ち」だからです。金持ちが産業を創造し、人を雇い、また贅沢(ぜいたく)をすることによって、国の資産が循環するとともに、新たな文化が栄えて、さらなる経済発展が望めるのです。
しかし、軍拡競争によって軍事費が増大したことで、アメリカと同様に財政状況が悪化したソ連は、もっと深刻な問題と化しました。なぜなら、ソ連の国家体制が「社会主義(共産主義)」だったからです。
本来であれば、金の産出や石油の埋蔵といった資源に恵まれ、世界有数の大穀倉地帯であるウクライナを支配に置き、無限大に広がる森林や広い国土を有していたソ連は、世界一の裕福な国家になれる素地を充分に持っていました。
ところが、私有財産を敵視し、富を国家で分配するという社会主義体制において、自らの能力で稼いだ資産がすべて「悪」とみなされたことが、ソ連にとって致命傷となったのです。なぜそう言い切れるのでしょうか。
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ぴーち こんばんは!
なるほど
その国の方針によって
大きく結果が異なってしまうんですね。
あまり極端に平等主義になるのも
危険を伴うものなのですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
だからこそ、資産家を異常に敵視する傾向を私はいつも危惧しております。
ということは、仮に事業に成功しても、国民は私産を一切得られませんし、それどころか、どれだけ頑張って働いたとしても、計画経済の下では、ノルマのみを実現させた人間と同じ価値としか見られないのです。
このような体制で、どうやって労働意欲を高められるというのでしょうか。計画経済が長く続いたことは、必然的に労働力の低下をもたらしたことで、結果として「計画が実現できない経済」と化しました。
それでも資源が豊富な間は、まだ国家として十分に機能していました。しかし、有り余る資源を使い切るか、あるいは国家として使えなくなるまでに体制が低下したことによって、もはや修復が不可能になるまで財政状況が悪化してしまったのです。
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青田です。 青田です。
個人的には、その体制そのものよりも。
指導者が無能だったと思います。
というのも、シンガポールは、『明るい北朝鮮』と言われていますが
一党独裁ですが、国家主導で、『教育』『経済』など行われていて、成功しています。
一人当たりのGDPは世界8位。(日本26位)
もちろん、言論の自由はないですし、死刑執行率も高いです。
(もし、シンガポールなら、日本の反日思想・言論をすると捕まります。日本が緩すぎます。)
元々、他民族国家で、国民を豊かにするために最適なシステムだったことと。
リークワイユ首相が、ルックイースト政策(日本を見習え)が良かったと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、そういう見方も存在しますね。
オバrev 社会主義の敗北、自由主義の勝利は、ソ連崩壊によって結果が出ていますよね。
でも今逆に、保護主義的流れが出てきていますが、非常に危うい気がします。何か第二次世界大戦前と似ているという意見もありますが、どうなんでしょうか。
ぴーち こんばんは!
難しいですよね。
一生懸命に努力しようと思っていても
先がみえたりするものであったら
それ以上、努力をしなくなる可能性も
有りますものね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 確かに、現在の世界情勢は予断を許さないところがありますね。
ただ、同じ体制が何百年も続くこともないので、今がちょうど変革の時期とみるべきなのかもしれませんが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 人間が努力をしなければ成長しない以上、計画経済は初めから無理がありましたね。
70年間もそれが続けば、崩壊は時間の問題だったということでしょう。
就任当時54歳の若さだったゴルバチョフは、それまでの社会主義体制の立て直し(これを「ペレストロイカ」といいます)に着手し、情報公開(これを「グラスノスチ」といいます)を軸とした、政治や社会の自由化を推進しました。
また、アメリカとの軍拡競争が国家財政の危機を招いたことから、ゴルバチョフはアメリカなどの西側諸国と折衝を重ね、1987(昭和62)年に中距離核戦力(IMF)全廃条約をアメリカと調印したほか、翌1988(昭和63)年には国連総会に自ら出席して50万人の兵力削減を約束し、また同年には軍事介入したアフガニスタンからの撤退を始めました。
さらには、1989(平成元)年12月に地中海のマルタ島で、アメリカのブッシュ大統領(共和党)との会談に臨んだ後に、米ソ両首脳による「冷戦の終結」が宣言され、東西冷戦が事実上の終止符を打ちました。これをマルタ会談といいます。
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青田です。 青田です。
アメリカのスターウォーズ計画もソ連崩壊の引き金になった気がします。
周りの側近が反対しても、それを押し通したロナルド・レーガンが優れていたと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
レーガン元大統領が世界全体にもたらした影響は非常に大きいですが、トランプ大統領は果たして…。
ぴーち こんばんは!
ゴルバチョフ氏ですか・・
私はどうも氏の頭皮の黒い地図が
気になってどうしようも有りませんでした(^_^;)
今こうして伺っていると
氏の手腕は相当なものだったのですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かにあの頭部は特徴がありましたね(笑)。
ゴルバチョフ氏の才能が素晴らしかったとしても、あの当時のソ連では、誰がやっても「手遅れ」の感がありますね。
しかし、アメリカと和解するために軍縮に踏み切ったことは、ソ連の軍事力が低下したと同時に、他の東欧諸国に対する締め付けが弱くなったことを意味していました。このため、東西冷戦の終結と相まって、ソ連という「支柱」を失った他の東欧共産主義国家は、雪崩(なだれ)を打って崩壊への道を歩むようになりました。
例えば、東西冷戦の象徴とされてきた「ベルリンの壁」が1989(平成元)年11月に崩壊したほか、翌1990(平成2)年には東西ドイツの再統一が実現しました。また、ポーランドやハンガリー、チェコスロバキアなどが無血で民主化が成し遂げられた一方で、ルーマニアではチャウシェスク大統領が公開で銃殺刑に処されるなど、流血の革命となりました。これら一連の流れを「東欧革命」といいます。
さて、東欧で共産主義国家が次々と倒れていったのには、ソ連と同様に経済状況が悪化したことや、ソ連自身の弱体化による民主化運動の高まりがあったのは間違いないですが、もう一つの「隠された理由」があることをご存知でしょうか。
実は、冷戦の終結に最も貢献したのは我が日本なのです。
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ぴーち こんばんは!
今日のお話を伺っていると
当時のソ連という国の存在の大きさに
改めて驚かされました。
日本がそこに関わっていたのですね。
どの様な貢献があったのでしょうかね?^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、存在は大きいですね。だからこそ、崩壊した際の影響もはかり知れなかったのですが…。
我が国の貢献は「意外な点」にありました。詳細は次回の更新をご覧ください。
その後、占領期から朝鮮特需、そして高度経済成長を経て、見事に復興を成し遂げ、世界有数の経済大国となった我が国は、二度にわたる石油危機も乗り越え、次々と新商品を開発するようになりました。
日本の優れた製品は、やがて東欧諸国にも輸出されるようになりましたが、共産主義国家で経済が悪化し、技術力も停滞したままの東欧諸国では、「Made in Japan」のハイテク製品をつくることができませんでした。
かつての歴史を知る東欧諸国民にとって、見下していたはずの黄色人種国家である日本の製品が、自国産のものよりも優れているというのは、たとえ日本が日露戦争でロシアに勝った国であるということが分かっていても、それはそれで屈辱的なものでした。
ところが、日本と同じだけのハイテク製品を、マレーシアやインドネシアなど、かつて白人国家の植民地であった国々がつくっていることが分かると、東欧諸国民はより激しい衝撃を受けるようになったのです。
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ぴーち こんばんは!
これまで見下していた相手が
自分よりも上の立場に伸し上がった途端
屈辱的な感情を覚えるのは
世の常であり、それが人間の愚かさというものですよね。
どんな人種、どんな相手であれ
同じ人間同士、平等に対等に観ることが出来れば
誰も腹立たしくは思わないものの・・
性とは恐ろしくもありかなですね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
人間の性(さが)は世界共通ですから、この場合、怒りが国家に向けられても致し方ありません。
黄色人種どころか、自分たちが人間扱いしてこなかった、旧植民地の被支配者層がつくった製品ですら、自国ではつくることができない。この残酷な現実を突き付けられたとき、東欧諸国民は「自分たちがこうなってしまったのは、共産主義体制に問題があるに違いない」という「真実」に気づきました。
東欧共産主義国家が相次いで倒れたのは、単なる経済破綻(はたん)でもなければ、民主化運動の高まりだけでもありません。「百聞は一見に如(し)かず」ということわざがあるように、東欧諸国民がハイテク製品を見たことで、自国の国家体制に疑問を抱いたからこそ、内部からあっけなく崩壊してしまったのです。
そして、その崩壊のきっかけとなったものこそが、日本がつくったハイテク製品でした。すなわち、東欧共産主義国家の破綻は我が国に遠因があり、それは大国ソ連といえども例外ではなかったのです。
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ぴーち こんばんは!
真実に気がついた事はなかなか出来ないことだとは
思います。
人間、自分の非を認めるのは難しい事ですから・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうですよね。
ただ、それだけに、真に騙されていたと気づいた場合の怒りは、途方もなく激しくなるものでもあります。
また、第二次世界大戦中にソ連に併合された、エストニア・ラトビア・リトアニアのいわゆる「バルト三国」がそれぞれ独立を主張するようになり、ソ連は軍事介入によって鎮圧を図ったものの、1991(平成3)年3月にはリトアニアが独立を宣言しました。
バルト三国の独立は、ソ連の連邦体制の崩壊を意味していたのみならず、同年7月には、ソ連が主導して設立されたワルシャワ条約機構が解散するなど、ソ連の国家体制がますます揺(ゆ)らぐようになりました。
こうした状況に危機感を強めた、ヤナーエフ副大統領らの共産党保守派は、ゴルバチョフがモスクワを離れた隙(すき)を突いて、1991(平成3)年8月19日にクーデターを起こし、国家非常事態委員会が実権を握りました。
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ぴーち こんばんは!
副大統領は
獅子身中の虫でしたか(^_^;)
内側に敵が居たとは、
思いもよらなかったのでしょうかね・・・?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 「まさか自分が…」という思いはあったのではないかと思われますね。
元も、このクーデターが長続きしなかったことが、その後の運命を狂わせることになりますが。
そして、1991(平成3)年12月までに「ソビエト連邦」を構成していた共和国のすべてが独立を宣言したことで、ソ連は崩壊し、新たにロシア共和国などからなる独立国家共同体(=CIS)が誕生したのです。
ソ連崩壊後の新生ロシアでは、1917(大正6)年のロシア革命以前の三色旗(白・青・赤の横長)が復活し、あちらこちらに建てられていたレーニン像が取り壊されたほか、「レニングラード」が「サンクトペテルブルク」に戻るなど、旧名称が復活した都市も存在しました。
かくして、ロシア革命から74年、1922(大正11)年の成立から69年を経て、ソビエト連邦が崩壊したことで、東西の冷戦構造は完全に消滅しました。
ところが、ソ連の崩壊によって、世界中の左翼の学者や評論家がその存在価値を失ったにもかかわらず、我が国においては、むしろ「左傾化」あるいは「赤化」が加速するという皮肉な結果となったのです。その背景には「保守の油断」と「左翼の方針転換」がありました。
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ぴーち おはようございます!
昨日はコメントを書かせて頂いたつもりが
寝落ちしてしまっていたようで
大変申し訳ありませんでした!!m(_ _)m
レーニン像を倒壊させている画像を
どこかで観たことが有りました。
新生ロシアとしての船出は
華々しくとも、その後の行方には大きな
波紋を広げたようですね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 おはようございますm(_ _)m
レーニン像が倒されたのは衝撃的でしたね。
時代の流れとして永遠に記録されることですが、新生ロシアはその後も共産主義の「負の遺産」に苦しむことになります。