我が日本での「公民授業」でありながら、我が国に関することがほとんど教えられていませんよね。それどころか、民主政治も基本的人権も「西洋が由来であり、我が国は遅れて広まった」と言わんばかりです。
教科書を見ると、出だしから「日本国憲法の骨格をなす民主政治は」と、我が国における民主政治は日本国憲法から始まり、それ以前は非民主的(あるいは軍国主義的?)だったと読めます。
また、20世紀に生まれた人権である社会権の紹介でも、「日本国憲法にも同じ精神がみられる」と書くことによって、日本国憲法がいかに素晴らしい存在であることを強調すると同時に、それ以前の大日本帝国憲法(=明治憲法)の評価を下げようと懸命に思えます。
しかし、我が国における「民主政治」や「基本的人権」の概念は、教科書に記載されているように、本当に「遅れて発達し、西洋の真似をしただけ」のものだったのでしょうか。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かにそう言われてみれば、思い当たる節が有りますよね。
どうして日本政府が明治憲法の評価を下げた言い方をするのかは分かりませんが、もしかしたら
軍国主義の痕跡を少しでも払拭していきたい思いで必死だったのかなと思うのです。あるいは戦後、アメリカからの指導でどうしても
そう書かざるを得なかったとか・・
しかし
本当の理由は知りませんので、これから勉強させてください^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
短編になりますが、これから「民主政治と基本的人権」に関する様々な問題点を明らかにしていきたいと思います。
我が国の伝統的な政治文化には、言うまでもなく「天皇陛下」がご存在されておられます。天皇の古来の重要な役割は、国民のために「祈る」ことであり、かつては実際に政治を行う権力もお持ちでした。
その後、歴史が進むにつれて天皇は政治的権力から遠ざかり、1192年に源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府を開く頃には、天皇がお自ら権力を行使されることはなくなりました。
しかし、天皇は新たな政治権力者となった武家と対立するのではなく、政治権力者が「民にために祈り続けた」天皇の権威を押し頂いて政治を行うことが、我が国の新たな政治文化としての伝統となったのです。
なぜそう言い切れるのでしょうか。その背景には「征夷大将軍」の位置づけがあります。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
ここでも征夷大将軍の存在が大きな鍵となっているんですね。(前回は開国前の日本で、この存在が登場しましたが)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > ここでも征夷大将軍の存在が大きな鍵となっているんですね。(前回は開国前の日本で、この存在が登場しましたが)
そうなんです。「征夷大将軍」は単なる地位にとどまらず、我が国に様々な影響を与えているのです。
そもそも「幕府」という言葉の本来の意味は、チャイナにおける「王に代わって指揮を取る将軍の出先における臨時の基地」です。この場合、チャイナの皇帝は円滑に戦争を進めさせるため、将軍に対して、本来は皇帝の権限である徴税権や徴兵権を委任していました。
つまり、頼朝は自らを「幕府の将軍」になぞらえることによって、朝廷から独立した軍事政権を確立しようとしたのです。
頼朝は、征夷大将軍に任じられる前から、守護や地頭の設置などによって、鎌倉を中心に東国で政治の実権を事実上は握っていましたが、自己の立場を朝廷、すなわち天皇に「公認」してもらうことで、より安定した政権を築こうという思惑があったと考えられます。
これらを鑑みれば、我が国では鎌倉幕府という軍事政権が誕生しても、天皇と対立して滅ぼそうとするどころか、逆に天皇の権威を活用することで政権を確立しようという、諸外国では考えられないような独自のシステムが存在していたということになりますね。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
征夷大将軍という役職が中国と関係していたというのは、初めて伺いました!
それにしても、天皇というお立場をその時代、時代で良いように利用されてきたというのは、
他人事ながら、少々、腑に落ちない気がしました(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > それにしても、天皇というお立場をその時代、時代で良いように利用されてきたというのは、
> 他人事ながら、少々、腑に落ちない気がしました(^_^;)
周囲から見るとそう思えますよね。
もっとも、時代において活用されるだけの素晴らしいご存在の裏返しとも言えますが…。
また、時が流れて、政治権力者の失政によって「政権交代」が起きても、室町幕府や江戸幕府などがそうであったように、単純に政治権力者が交代しただけであり、西洋のような「国家元首と国民との対立」は起きませんでした。
権威としての天皇がご存在し続けることで、時折「政権交代」が起きたとしても、全体的には政治が大いに安定した我が国では、外国に比べて平和な時代が長く続いたことで、我が国独自の文化も着実に成熟していったと考えられるのです。なお、この形態は「日本文明」の本質そのものと言って良いでしょう。
こうした流れを受けて、我が国では「権威」と「権力」との分離が完成しましたが、これは、大日本帝国憲法下において、天皇が統治権を取りまとめてもつという「権威」としてご存在する一方で、実際の政治は立法・行政・司法の三権に任せる立憲君主であり続けたという、我が国が近代的立憲主義を容易に受けいれるという効果ももたらしました。
そして、この流れは、現在の日本国憲法においても、国家の最高政治権力者である内閣総理大臣を、国家の象徴的ご存在であられる天皇陛下が任命されるという政治的システムとして活かされているのです。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
日本本来のこのようなシステムが世界中に通用するものなら、争いご事も随分減るのでは無いかと思いますが、なかなか、日本と同じレベルで考えられる国ばかりは存在しないのが実情のようですね。
最も、現代の日本人の考え方もこの頃の考え方よりも随分と変化して、世界水準にまで落ち込んでしまった気もしますが。。(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国独自のシステムは、我が国なればこそ通用すると言えそうですし、昨今においては必ずしもそうとは言えない一面があるのは残念ですよね。
西洋において王権が強化され、いわゆる絶対王政が確立したのは16世紀後半の頃からですが、それまではローマ教皇をはじめとする教会が、権威と権力とを両方握っていました。しかし、16世紀初めの宗教改革をきっかけとして、教会はカトリック(=旧教)とプロテスタント(=新教)とに分裂しました。
この流れを受けて、イギリスで国王を首長とするイギリス国教会が成立するなど、国家の利益と宗教とを切り離す傾向が西洋全体でみられたことで、政治的権力が教会から国王へと移行する一方で、教会は「権威」としてのみ存続するようになったのです。
政治的権力と権威との分離が、歴史的に完全になされた地域は、地球上では西洋と我が日本しかありません。東欧やロシア、そしてチャイナも、あるいは現代のチベットでさえも、こうした分離は実現できていないのです。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そういうところが、西洋と日本は先進国の仲間入りを早々に果たせた一端を担っている気がしました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そういうところが、西洋と日本は先進国の仲間入りを早々に果たせた一端を担っている気がしました。
まさしく仰るとおりです。
しかも、西洋と我が国とでは、同じ「権威と権力との分離」でも、その成り立ちに大きな差があるんですよね。
「権力」と「権威」との分離はそれだけ極めて重要であり、その社会を持っている西洋や我が国は、国家あるいは国民が幸福を享受できるシステムが確立されていると考えるべきでしょう。
しかも、西洋における「教会と王権との分離」が、宗教戦争に代表される「血塗られた歴史」を持つ一方で、天皇陛下のもとで政治的権力が自然と移行していった、我が日本文明の崇高さは特筆すべきことです。
考えてみれば、縄文土器は世界一古い土器ですし、また世界一古い磨製石器も日本から出土しているのですから、日本文明をもたらした我が国は、特別の土地であると考えた方が自然かもしれませんね。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど~
そういうことを一言でなんというのか存じませんが、
昔から日本人の宗教観というのでしょうか。。
そういうものがしっかり根付いている為に
起こり得たことである訳ですか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そういうことを一言でなんというのか存じませんが、
> 昔から日本人の宗教観というのでしょうか。。
> そういうものがしっかり根付いている為に
> 起こり得たことである訳ですか・・
ぴーちさんのお考え、鋭いと思います。
我が国の文明は、他国に真似ができない奥深さがありますよね。
しかし、こうした考えは、授業でも紹介したように「我が国の国柄」ではありません。天賦人権論の原理は西洋にあり、17世紀から18世紀の思想家である、イギリスのロックやフランスのルソーなどの社会契約説を由来として、「すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利を持つ」と考えられるようになりました。
アメリカの独立戦争やフランス革命などはこうした思想の影響を強く受けており、明治維新以降の我が国においても自由民権運動によって紹介されるなど、天賦人権論への支持が確実に広がりを見せたことは間違いありません。
ですが、我が国における、いわゆる「人権」に関する思想は、その遥(はる)か以前から、すでに見えないかたちで定着していた事実をご存知でしょうか。
実は、その背景にも「天皇」のご存在があります。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
思うに
昔は素晴らしい思想家を生み、豊かな国土や恵まれた人材達によって、お手本とすべき考えの元で成り立っていた国々が戦争や政治的な影響で堕落してしまう現象は何処の国でも起こりうる問題なのですね。
せっかく、自国で生み出された良いものには目もくれず、隣の芝生は青く見えるのか。外国の思想に直ぐに飛びつき、直ぐ様感化されて
良い伝統、習慣を忘れてしまう事は考えものだなと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、古き良き文化をなくしてしまって、国家全体のレベルが下がっているのは残念な限りです。
昔と今とを比較しながら、もう少し詳しく探ってみたいと思います。
「八紘一宇」は「道義的に天下を一つの家のようにする」というのが大意であり、我が国だけでなく世界全体を一つの家として、神のために祈られる天皇を中心に仲良くやっていこう、という願いが込められています。
つまり、「八紘一宇」の精神においては、我が国のみならず世界人類が兄弟のように平等であり、「世界中すべての人々の人権も保障される」という解釈となります。我が国では、天賦人権論が考え出される遥か以前から、「世界は一家、人類はみな兄弟」というが思想定着していたんですね。
ちなみに、大日本帝国憲法の第1条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之(これ)ヲ統治ス」と規定されており、これは「天皇陛下の統治によって『八紘一宇』の伝統が守られている」ことを意味しています。
こうした事実を鑑みれば、すでに大日本帝国憲法以前において定着していた「人権思想」に対して、わざわざ西洋由来の天賦人権論を持ちこむ理由が果たして存在するのでしょうか。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
「八紘一宇」ですか。
恥ずかしながら、初めて聞いた言葉です。
けれどなんと慈悲深い言葉なんでしょうか^^
なかなか人間の業の深さと照らし合わした時には
崇高過ぎて、実践していこうと考える方は
極わずかに留まってしまうかもしれませんが、
それ故にその考え方を目標に人間は生きるべきだと
説かれた言葉なのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、「八紘一宇」という言葉には日本人の素晴らしい精神が表現されているのですが、今はほぼ廃れてしまっているのがさびしい限りですね。なぜかというと…。
また、我が国の「人権思想」に直結する「八紘一宇」も、昭和20(1945)年12月に、連合国軍最高司令官総司令部(=GHQ)によって出された神道指令により、国家神道や軍国主義、あるいは過激な国家主義を連想させるとして、公文書における使用が禁止されて以来、不当な扱いを受け続けているのが現状です。
我が国での教育は我が国の視点で行うべきであり、それは歴史だけでなく公民も同じです。一方的な思想だけで民主政治を語ることや、GHQによる歴史の歪曲(わいきょく)に満ちた人権問題を取り上げるだけでは、我が国にとって悪い教育となるばかりか、本当の意味での「国際社会に生きる誇り高き日本人」を育てることなど、できるはずもありません。
高校の社会科教師の端くれとして、私は今後も「我が国の本当の公民授業」を行い続け、教育面において「日本を取り戻す」ために精進を重ねてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。
(※第1回公民授業の内容はこれで終了です。次回[11月16日]からは通常の更新[=平成時代]に戻ります)





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ぴーち こんばんは!
戦争によっての負の遺産と言うのは
色々な事に影響を及ぼしているんですね。。
こういうお話を伺う度に考えさせられます。
だから「戦争は反対なんだ!」と唱える声は
多数ありますが、
その戦争をなるべく回避しようと最大限の努力をしても、大きな流れに抵抗しきれなくなる時もあると
思います。
何故、戦争反対なのか。尊い人の命を失うという事意外の多岐にわたる現象も広く考慮して上で
反対を唱えて行きたいものですね。
そういう意味でも、どうぞ黒田さんには
これからも頑張っていただきたいと願います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
仰るとおり、単なる「戦争反対」ではなく、具体的あるいは論理的、かつ周囲に理解がしやすいような紹介をしていただきたいものですね。
それこそが「生きた教育」にもなるはずです。