高校の「現代社会」あるいは「政治・経済」における重要な学習分野に「現代の国際政治」があります。
一般的な高校教科書では、現代の国際社会の原型を、1648年のウェストファリア講和会議において、各国の主権の独立と平等が確認された経緯に求めることが多いようです。
しかし、ウェストファリア講和会議が行われた頃には、すでに我が国は徳川家康(とくがわいえやす)によって成立した江戸幕府による統治が始まっており、その後約200年間にわたる「平和国家」が形成されたことについては、全くと言っていいほど紹介されていません。
「江戸時代は日本史で教えるから構わない」という声も聞こえてきそうですが、現実において、これから紹介する「現代の国際政治」においては、日本史や世界史の重要な論点も取り上げていくことになるのですから、自国(日本)と比較しながら、国際社会の経緯を紹介するのが、本来の教育姿勢ではないでしょうか。
いずれにせよ、今回は一般的な教科書の流れに沿うかたちで、最初に「国際連合」について紹介してから、「現代の国際政治」の流れを、実際の授業で行った経験を基本に明らかにしていきたいと思います。
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しかし、国力を飛躍的に高めたのはアメリカだけではありませんでした。1917(大正6)年のロシア革命によって、1922(大正11)年に誕生したソビエト社会主義共和国連邦(=ソ連、現在のロシア)も、アメリカと同じように世界に対して圧倒的な影響力を持つまでにのし上がっていたのです。
自由主義国家のアメリカと、共産主義国家のソ連という、国家体制の全く異なる両大国は、第二次世界大戦末期以降、次第に相互不信と利害対立を深めました。
かくして、国際平和維持のために国際連合が設立されながら、戦後の国際秩序をめぐって米ソ両国の対立が激しさを増すという、何とも皮肉めいた展開が戦後世界を形成するようになってしまいました。なお、これを米ソ対立といいます。
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ぴーち こんばんは!
何だか
昔観た、ゴジラ対モスラの戦いみたいな
お話ですねえ・・
あの映画を観ていると
私達が済む街中で
ゴジラとモスラ(キングギドラ?)が取っ組み合いの戦いを
していている足元では
自分の家も壊されて
逃げ惑う人間の姿が有りますが
私たちは存在の大きな者たちに
振り回されながら
生きなければいけない宿命から
逃れられないのがまた
もどかしく思いましたね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、興味深い例えですね。
振り回される庶民こそいい迷惑ですが、そうならないようにするためにも、国家の重要性が問われますね。
ソ連は1947(昭和22)年にコミンフォルム(=共産党・労働者党情報局)を結成し、ルーマニアやアルバニア・ハンガリー・ブルガリア・ポーランド・チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)など、戦後に次々と誕生した共産主義国家を従えて、東欧圏とも呼ばれる共産主義陣営を形成しました。また、1949(昭和24)年には経済相互援助会議(=COMECON)を結成しています。
ソ連のこうした動きに対して、イギリスのチャーチル首相が、1946(昭和21)年に「鉄のカーテン演説」を行い、ソ連の脅威に対する警戒を訴え、自由主義諸国の協力を呼びかけました。
さらに翌1947(昭和22)年には、アメリカのトルーマン大統領が、ギリシャやトルコへの軍事援助をきっかけに、「共産主義的な全体主義の拡張に対抗するには、それと戦う自由な諸国民を援助することをアメリカの政策とすべきである」と議会で述べ、自由主義陣営の中核として、ソ連の「封じ込め」を宣言しました。これを「トルーマン=ドクトリン」といいます。
また、世界で共産主義がはびこる背景の一つとして「貧困」が挙げられると判断したトルーマンは、1947(昭和22)年6月にヨーロッパの経済復興資金として、3年間に120億ドルもの巨額の経済援助を行うことを決定しました。これは「マーシャル=プラン」と呼ばれています。
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ぴーちさんへ
黒田裕樹 共産主義の基本は「富を憎んで私有財産制を否定し、資産を人民で共有する」ことにあります。
この考えは、貧富の差が大きければ大きいほど染まりやすく、また革命が起こりやすくなる傾向があります。
我が国は1960年代から70年代にかけて高度経済成長が起きたことで、国民全体が豊かになり、共産主義が広がることをある程度防いだ、という過去があります。そうでなければ、70年安保や浅間山荘事件などが国民に非難にさらされることもなかったでしょう。
この点において、共産主義は国民の多くが貧しさを感じる際に発達する、と言えます。
ソ連によって陸路を封鎖された西ベルリンでしたが、アメリカやイギリスを中心とする西側諸国が徹底した空輸作戦を展開したため、封鎖そのものは翌1949(昭和24)年5月に解除されました。
しかし、ベルリン封鎖によってドイツの分断が決定的となり、同年にドイツは自由主義国家のドイツ連邦共和国(=西ドイツ)と、共産主義国家のドイツ民主共和国(=東ドイツ)とに分割されました。
また、ソ連からの軍事的脅威に共同で対抗するため、1949年4月に西側諸国は北大西洋条約機構(=NATO)を結成し、アメリカ・カナダ・イギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・イタリア・デンマーク・ノルウェー・アイスランド・ポルトガルの12ヵ国(後にギリシャ・トルコ・西ドイツが加盟)による集団安全保障体制が敷(し)かれました。
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これ以降、アメリカやソ連を中心とする東西二大陣営が、軍備や経済力・イデオロギーなどあらゆる面で激しい競争を展開することになりましたが、こうした緊張関係の構築は、いつしか「冷たい戦争」あるいは「冷戦」と呼ばれるようになりました(The cold war)。
もっとも、アメリカを中心とした西側諸国による「封じ込め」政策が功を奏したことによって、ヨーロッパにおける共産圏のこれ以上の拡張が望めなくなったソ連が、以後の矛先(ほこさき)をアジアに転じることによって、東アジアの共産主義化が進むことにつながったのです。
なお、ワルシャワ条約機構はソ連が崩壊した1991(平成3)年に解散しましたが、北大西洋条約機構は、旧社会主義国の東欧諸国を含めた28ヵ国で今も存続しています。
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ぴーち こんばんは!
共産主義に傾倒するのが悪策だとすれば、、、
資本主義が妥当であると言い切るには
それはそれで無理がある事だと思います。
資本主義だとて、国を本当に統括出来る
策だと断言し難い気がします。
何か中間的な策や、全く異なる次元での
統括方法が生まれれば良いのにとも
思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 資本主義も、共産主義も、それがベストというわけではありません。現在のところは、資本主義がまだ「まし」だといえる程度でしょう。
共産主義は、結果的にソビエト連邦という失敗例を作ってしまいましたが、資本主義に社会主義的要素を組み合わせて一定の成果を上げている例もありますし、今後も様々な変化が考えられると思います。
しかし、昭和20(1945)年に我が国の敗戦が決まると、国共合作が破れて、両者はたちまち内戦状態となりました。
毛沢東はソ連の、蒋介石はアメリカの支援を受けてそれぞれ戦闘を続けましたが、戦局は共産党の優位に展開し、敗れた蒋介石は1949(昭和24)年に台湾に逃れ、中華民国政府として存続しました。
一方、毛沢東は、同年10月に北京で中華人民共和国の建国を宣言し、自らが主席となりました。共産党が最終的に内戦で勝利を得た背景には、ソ連のコミンテルンによる、「日本と蒋介石とを戦わせて、両者を疲弊(ひへい)させたうえで『漁夫の利』を得る」という作戦が成功した流れが存在していると考えられています。
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ぴーち こんばんは!
ロシア(ソ連)という国は(国民は)
北方領土問題のときにも
横からススッと領土を奪って
行った様に記憶しているのですが
どうも「漁夫の利」という策が
お好きな様ですね・・(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに仰るとおりですね。
だからこそ信用できない一面があるのですが、今月の平和条約交渉はどうなることでしょうか…。
毛沢東は、悪の天才
青田です。 青田です。
毛沢東は、善悪は、別にして、
謀略の天才です。
(毛沢東は、正々堂々とした戦いは、大嫌いです。
日本人とは、真逆ですね。)
とにかく、他人のふんどしで、相撲を取る天才です。
① 日本vs蒋介石軍にする。
② 毛沢東軍は、兵力を温存しながら、延安にいながら、自分の反対派を粛清しまくります。
③ さらに、満州を抑えれば、中国全土を支配できると日本が残した重化学工業地帯と武器をそのまま手に入れ、ソ連の支援を受けます。
さらに笑ってしまうのは
④ 1945年10月10日に毛沢東軍と蒋介石軍は、停戦協定を結びますが、翌日から、戦闘が各地で起きます。(文明人の常識では、考えられませんが)
毛沢東に幸いだったのは、アメリカの馬鹿なマーシャル将軍が、蒋介石の武器支援を止めます。
(マーシャル将軍自体が、共産主義の信奉者。)
それにしても、アメリカは、日本、蒋介石軍など味方を潰すとは、どこまで外交音痴かと思ってしまいます。
アメリカがそういう国だということを日本人が知ってないとアメリカに頼り過ぎていると、非常に危険です。
青田さんへ
黒田裕樹 相手国を信頼しきってしまうのが、我が国の悪いところですからね。
素晴らしい人間性を完全に悪用されています。
道徳観が仇になった気が。。。
青田です。 青田です。
日本では、古来より、道徳観が美徳とされました。
(徳川家康のような、性格の悪い奴もいますが)
それにたいして、日本以外では、そんな価値観はありません。
毛沢東は、韓非子の信奉者ですし、
スターリンには、唯物論者ですし、
アメリカは、キリスト原理主義者の国で、思考か偏っています。
江戸幕府の儒教による洗脳が大きかった気がします。
もし、毛利元就、黒田官兵衛がこの時代に日本にいてくれたら。。。
青田さんへ その2
黒田裕樹 残念ながら、そういわざるを得ませんね。
その道徳観が賛美されている、という一面もありますが…。
その後、1948(昭和23)年に、北部に金日成(キム・イルソン)を首相とする朝鮮民主主義人民共和国(=北朝鮮)が、南部に李承晩(イ・スンマン)を大統領とする大韓民国(=韓国)がそれぞれ成立しました。
さらには、1950(昭和25)年6月25日に、北朝鮮軍が突然38度線を越えて韓国へ侵攻を開始し、朝鮮戦争が始まりました。戦争は1953(昭和28)年7月にようやく休戦となりましたが、北朝鮮と韓国との間はいまだに戦闘状態が継続されています。
なお、中華人民共和国や北朝鮮といった共産主義国家が次々と誕生したことや、朝鮮戦争で一時は韓国全体を失いかねなくなったことなど、東アジアのさらなる共産化を警戒したアメリカは、それまでの占領政策を転換して、昭和25(1950)年に警察予備隊の設置を日本に要求しましたが、これが現在の自衛隊のルーツとなっています。
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ぴーち こんばんは!
そう考えると
朝鮮半島に住む人々は
常に他国に翻弄されながら
生活をしなければいけないと思うと
なんとも哀れで仕方が有りません。
自衛隊はそう言う理由で発足したんですね!
知りませんでした。
勉強になりましたm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに仰るとおりですね。
独立を守ることは、そこまで困難なことだということなのでしょう。
自衛隊のルーツは意外と知られていないようですね。
アメリカの要請でできたということを、今の日本国民がどう理解すべきなのでしょうか。
日本のマスコミ
青田です。 青田です。
北朝鮮が韓国に侵攻したのに
日本の朝日新聞などのマスコミは、
韓国が北朝鮮が侵攻したと報道しました。
これって、不思議ですよね。
その後、1954(昭和29)年のジュネーブ国際会議でインドシナ休戦協定(ジュネーブ協定)が結ばれ、フランス軍がベトナムから撤退しましたが、北ベトナムは、1949(昭和24)年に誕生したベトナム共和国(南ベトナム)と北緯17度線を境界に分離されました。
朝鮮戦争やインドシナ戦争がそうであったように、ヨーロッパから遠く離れたアジアでは、米ソによる冷戦が、実際の軍事力行使を伴う「熱戦」となりました。
いわば「米ソの代理戦争」と化したアジアでは、その後も「ベトナム戦争」という名の果てしない「熱戦」が繰り広げられるようになるのです。
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ぴーち こんばんは!
代理戦争とは
また随分な話ですね・・・
亜細亜は欧米の犠牲にならならなくては
いけないなどという
習わしでもあったのでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 根底にあるのは「人種差別」ですね。
白色人種以外を人間と思わず、将棋の駒よりも低い扱いとしか見なさない思い上がりが透けて見えます。
こうした一方的な考えを打ち砕いたのが我が国なんですが…。