内宮前で各国首脳が勢ぞろいした写真が公開されましたが、これが世界的にどれだけの大きな出来事かということを、皆様はご理解されておられるでしょうか。
我が国は、大東亜戦争後に、GHQ(=連合国軍最高司令官総司令部)によって発せられた神道指令(しんとうしれい)によって、神道と国家が分離されると同時に、神道が単なる一宗教の扱いを受けることとなり、国家神道や神社神道に対する国家の支援も禁止されました。これには、神社をいずれ自然消滅させるというGHQの意図があったとされています。
これ以降、我が国は神道と国家とのかかわりに否定的となり、靖国(やすくに)神社への玉ぐし料を公費で負担させることが、最高裁の判例によって「憲法違反」とされてしまいました。
しかし、世界主要国の首脳は、そんな「つくられた常識」に見向きもせず、堂々と伊勢神宮の内宮に参拝したのです。このことは、各首脳の記帳の内容からも明らかです。
※下記の映像は10月14日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
アメリカ:オバマ大統領
幾世(いくよ)にもわたり、癒(いや)しと安寧(あんねい)をもたらしてきた神聖なこの地を訪れることができ、非常に光栄に思います。世界中の人々が平和に、理解しあって共生できるようお祈りいたします。
フランス:オランド大統領
日本の源であり、調和、尊重、そして平和という価値観をもたらす、精神の崇高(すうこう)なる場所にて。
ドイツ:メルケル首相
ここ伊勢神宮に象徴される日本国民の豊かな自然との密接な結びつきに深い敬意を表します。ドイツと日本が手を取り合い、地球上の自然の生存基盤の保全に貢献していくことを願います。
イギリス:キャメロン首相
日本でのG7のために伊勢志摩に集(つど)うに際し、平和と静謐(せいひつ)、美しい自然のこの地を訪れ、英国首相として伊勢神宮で敬意を払うことを大変嬉しく思います。
イタリア:レンツィ首相
このような歴史に満ち示唆(しさ)に富む場所ですばらしい歓待をいただきましてありがとうございます。主催国である日本と我々全員が、人間の尊厳を保ちながら、経済成長及び社会正義のための諸条件をより力強く構築できることを祈念します。
カナダ:トルドー首相
伊勢神宮の調和に、繁栄と平和の未来を創るという我々の願いが映し出されますように。
EU:トゥスク欧州理事会議長
静謐(せいひつ)と思索(しさく)の場。そして日本についての深い洞察。どうもありがとう!
EU:ユンカー欧州委員会委員長
この地で目(ま)の当たりにした伝統と儀礼に敬意を表す。
※下記の映像は10月14日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
オバrev 欧米人に、日本的なきめ細かい、おもてなし的な価値観が分かるんだろうかという気がしていましたが、トップになる人はそういう深さを持っているんですかね(?_?)
ぴーち こんばんは!
これ程までに日本の事を
褒め称えてくれているのですから
日本人はこの言葉を胸に
期待を裏切らないよう日々
精進して行かなければいけないですね(^_^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 恐らく仰るとおりでしょうね。
なかには例外もおられるかもしれませんが…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
今も昔も、日本は世界からの注目を集める国ですね。
我が国では長いあいだ、神話が絶えず意識されてきました。しかし、GHQによる占領下で、日本を罪深い国に仕立て上げた「WGIP(=ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム、日本人に戦争犯罪者意識を刷り込む計画)」によって、戦後70年を経た今もなお、日本国と日本民族を洗脳し続けています。
WGIPによる影響は、我が国の歴史教科書にも確実に表れており、天照大神や、我が国初代の神武(じんむ)天皇などの神話の記載がほとんど見られません。その理由としては、例えば「神話は空想的なファンタジーであり、教科書に載せるべきではない」というのもあります。
しかしながら、戦後の様々な発掘調査によって、神武天皇が遺(のこ)された足跡が、地質学的に確実に証明されていることを、皆様はご存知でしょうか。
その根拠の一つは、大阪にあります。
※下記の映像は10月14日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
他国からの洗脳を受けながら歩んできた
歴史は虚偽の歴史と言っても過言では無いのでは
ないでしょうか・・・
大阪は歴史の宝庫なんですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、虚偽に満ちています。
だからこそ、私たちは自国の歴史を取り戻さなければなりません。
大阪の歴史は意外なことが多いですよ。
その後、温暖化や土砂の堆積(たいせき)によって、上町(うえまち)台地の北側に位置する河内湾と大阪湾の連絡口が狭(せば)まり、今から約3000~2000年前には、干潟(ひがた)が広がって河内潟(かわちがた)となりました。さらに約1800~1600年前には、湾口(わんこう)が閉ざされて河内湖(かわちこ)となり、やがて平野化したのです。
河内潟の頃は、現在の大阪城から南に延びる上町台地の北端が潟口(かたぐち)であり、引き潮の際には潟の水が開口部から勢いよく大阪湾に流れ出す一方で、満潮の際には、開口部を通って海水が潟内部へ逆流していたと考えられます。
実は、その様子が、8世紀に編纂(へんさん)された「日本書紀」にも書かれているのです。
※下記の映像は10月14日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
私は関西地方の地形には詳しくありませんが
確かに大阪は平野が広がっているものだと
認識しておりましたが、昔は湾だったんですね!
そう言えば、時代は違いますが
今の新宿辺りも江戸時代頃には
沼地が広がっていて、旅人が足を取られてはそこで
息絶えた者が居るなどと伺った事が有りました。
現代の様に高層ビル群が立ち並ぶイメージとは
想像が付きませんが(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 それぞれの時代で自然の地形も変わりますからね。
大阪駅も昔は海の底でしたし。
現在の大阪が「浪速(なにわ)」あるいは「浪花(なにわ)」と呼ばれたり、ミナミの中心地が「難波(なんば)」と呼ばれたりするのは、地質学と記紀の両方にルーツがあることが良く分かりますね。
なお、河内潟の頃に、先の尖(とが)った形をした上町台地は「難波(なにわ)の碕(みさき)」と呼ばれていました。
さらには、神武天皇が大和(現在の奈良県)の国を目指して東征(とうせい)された際に(詳しくは後述します)、大阪湾から現在の大阪府東大阪市に船で移動したという話が日本書紀にみられますが、ここにも地質学的に証明できる記述が見られるのです。
※下記の映像は10月14日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
確かに
「なぜにその地名が付いたのだろう?」と
思う場所は有りますよね。
例えば、富士見などという地名は
良く有りがちですが、
昔はその位置から富士山が見えたというのが
ルーツと聞いて、納得した事が有りましたっけ^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そういえば「富士見」も由来が分かりやすい地名ですよね。
何事にも理由があるものです。
現代語訳すれば「難波の碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変早く着いた」となりますが、この一文は、神武天皇の一行が、河内潟の狭い開口部から流入する潮流に乗って、一気に潟内部に進入し、難波の碕に着いたことを物語っています。
こうした記述は、河内潟の時代でしか考えられません。なぜなら、河内湾の頃であれば、現在の大阪府東大阪市付近での長髄彦(ながすねひこ)らとの戦い(詳しくは後述します)が海戦となってしまいますし、また河内湖になってしまえば、遠浅の湖面では軍船での上陸は厳しいうえに、「速い潮流があって大変早く着いた」とはなりません。
ということは、神武天皇の東征は、今から約3000~2000年前の河内潟の頃に行われたことになりますね。その一方で、日本書紀によれば、神武天皇が即位されたのは、今から2676年前です。
つまり、神武天皇の東征は、地質学的にもその正しさが証明されたことになるのです。
※下記の映像は10月14日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。