その一方で、我が国の起源は、いわゆる「四大文明」よりも遅れており、水稲農耕(すいとうのうこう)、すなわち水田耕作などの様々な文化も、中国大陸や朝鮮半島から伝わったと教科書には書かれています。
こうした記述を鵜呑(うの)みにすれば、我が国は他国(特に中国や朝鮮)に比べて「劣(おと)った国家」であるという認識を植えつけられそうですが、これらは本当のことでしょうか。
実は、我が日本列島は、古来より「日本文明」ともいうべき、世界各国とは異なる独自の文明を築き上げてきた特別の地域だったです。
今回の講座では、最新の研究から明らかになった、古代に関する「我が国のほんとうの歴史」について、神話と考古学の両面から紹介していきたいと思います。
※下記の映像は10月4日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
>古来より「日本文明」ともいうべき、世界各国とは異なる独自の文明を築き上げてきた特別の地域だったです。
確かに、島国である事が独自の文化、文明を
産み育てるものですよね。
本当の歴史・・興味深いですね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
我が国の古代における本当の歴史をこれから紹介してまいりますので、どうぞご期待ください。
「気候の温暖化によって植物性食料の重要性が高まり、クリ・クルミ・ドングリなどの木の実や、ヤマイモなどの根茎類(こんけいるい)の採集が行われたほか、クリ林の管理やヤマイモなどの保護、あるいはマメ類の栽培(さいばい)も行われたらしい」。
「このほか、弓矢などの使用によって狩猟(しゅりょう)が行われ、漁労(ぎょろう)も盛んとなった。食料の獲得法が多様化したことによって、人々の生活は安定し、定住的な生活が始まった。縄文文化は、約13000年前から、水田耕作を伴(ともな)う約2500年前頃の期間にわたっている」。
しかし、私(黒田)が高校時代に日本史を勉強した昭和60(1985)年頃の縄文文化の記述は、現在とは大きく異なっていたことをご存知でしょうか。
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ぴーち こんばんは!
私も黒田さんとほぼ同時代、高校生活を
過ごして居たにも関わらず、
日本史に関しては、殆ど記憶に御座いませんで
申し訳ありません(^_^;)
けれど、この時代も温暖化が進んでいたという
記述は初めて伺った気がしますが・・・?
(温暖な気候であるという記述は目にした事が
有ります)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 いえいえ、お気になさらないでください。
普通は忘れてしまっているものです。
温暖化が進んで海面が上昇し、日本列島が形成されたのは仰るとおりですね。
そこから先にどのように発展していったかが大きなカギになります。
「当時の人々は、弓矢や石槍(いしやり)・落とし穴などを用いて動物を捕えた。また、水辺では貝をとったり、釣り針などの骨角器(こっかくき)で魚をとったり、木の実を採集したりするなど、自然条件に応じた様々な食料獲得の技術をもっていた」。
「縄文時代は、狩猟・漁労・採集の段階にとどまり、生産力が低かった。動物や植物資源の獲得は、自然条件に左右されることが多く、人々は不安定で厳しい生活を送っていたことが考えられる」。
つまり、私が受験生の頃は、縄文時代と言えば「自然環境に左右された、貧しくて不安定な生活」であったのが、現在の教科書では「自主的な栽培も行われた、豊かで安定した生活」と、大幅に記述が変化しているのです。
なぜここまで教科書の記述が変わったのでしょうか。その背景には、遺跡の発掘調査による新たな発見がありました。
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ぴーち こんばんは!
確かに歴史が古ければ古いほど
人間が営んでいた生活は過酷で
厳しい生活だったのでは無いかと
思いがちですが、
案外、現代人が想像するよりも
ずっと豊かな生活を送っていたのかも
知れませんよね。
それにおっしゃる通り、その裏付けとなる
新たな遺跡などの発掘が
進むと、事実が異なって来てしまうのは
当然の事ですね。
という事は、
歴史に限っては、常に新たな事実が発覚する可能性を
秘めているという事を
生徒さんたちに同時に教えていかねばならない
と言う事でしょうかね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 案外、現代人が想像するよりも
> ずっと豊かな生活を送っていたのかも
> 知れませんよね。
当時は物質的にはもちろん、現代のような過酷な競争めいた状態がなかった分、精神的にも豊かだったかもしれません。
> 歴史に限っては、常に新たな事実が発覚する可能性を
> 秘めているという事を
> 生徒さんたちに同時に教えていかねばならない
> と言う事でしょうかね^^
そのとおりです。本講座の大きな命題でもありますね。
遺跡はすでに江戸時代から知られていましたが、県営野球場建設に先立って、平成4(1992)年から行われた発掘調査によって、前例のない巨大な集落跡が姿をあらわしたほか、膨大(ぼうだい)な量の土器や石器などの生活関連遺物や、土偶(どぐう)などの祭祀(さいし)に関する遺物が出土しました。
さらに平成6(1994)年には、直径約1メートルのクリの巨木を使った、縄文時代中期の大型掘立柱(ほったてばしら)建物跡も見つかりました。
遺跡内の集落の大きさや、遺物や住居跡の多さから、一時期に数百名が生活したともいわれ、また近くに産出しないヒスイや黒曜石(こくようせき)などの物資の存在から、交易も盛んに行われていたなど、様々な新発見がありました。
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これらの発見によって、縄文時代に関する教科書の記載が書き換えられ、現在のように「豊かで安定した生活」となったのです。
遺跡の発掘調査など、新たな発見によって、それまでの「歴史の常識」が覆(くつがえ)されるのは、決して珍しいことではありません。むしろ、それが正当であると認められるのであれば、正しい歴史を知るためにも、大いに書き換えられるべきではないでしょうか。
このことは、縄文時代のはじまりの年代においても、同じことが言えるのです。そのきっかけは、ひとつの土器片の調査にありました。
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ぴーち おはようございます!
確かにこの時代は、現代の様に
最新技術を駆使した物質にあふれていた
訳では無いでしょうが
その分、物に心乱されることも無く
人々の暮らしは平穏で
精神的には安定した毎日を過ごしていたのでは
無いでしょうか。
仏法的にもこの時代の人々の
精神は現代人に比べれば遥かに
崇高であったと記されていますしね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、仏法的においてもそうなんですか。
それだけ優れた時代だったのでしょうね。
この土器片を「較正(こうせい)炭素年代法」で調査した結果、今から約16500年前のものであることが、翌平成11(1999)年に分かりました。つまり、我が国の縄文文化における土器の技術は、世界最古クラスのものであることが明らかになったのです。
世界最古クラスの土器が存在するということは、縄文文化そのものが世界最先端の技術を誇っていたことを意味します。こうした事実が明らかになったのは、較正炭素年代法などといった、最近の技術研究の進化がもたらしたものでもありました。
そして、それらの技術の向上は、いわゆる「弥生文化」における「これまでの常識」をも、大きく覆(くつがえ)すこととなったのです。
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ぴーち こんばんは!
なるほど、たしかに縄文時代がそうなら
次の弥生時代は更にステップアップされているはずですものね。
先走ってしまい申し訳ありませんが
その後の飛鳥時代には「聖徳太子」という
類まれな人物が登場するのを思うと
それ以前の日本人もまた
類を見ない生き方をしていたのではないかと
想像します。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
聖徳太子の登場は偶然ではなく、今までの流れを考えれば、むしろ必然といえると思います。
オバrev おお~!凄い!!
極微量を測定する新しい方法によって歴史が塗り替えられるとは、見事な科学技術の勝利ですね^^;
でも浮かれてばかりいられないかもしれません。
世界の歴史を同じやり方で検証すると、さらに新しい事実が生まれるかも?
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、科学技術の進化は素晴らしいですね。
個人的には、様々な事実が分かることは良いことだと思います。それが本当であるのならば…。