こうした動きの中で、平安時代の中期から後期には、我が国独自の文学や美術などが数多く生まれ、後世の文化にも多大な影響を与えるようになりました。10世紀から11世紀にかけての我が国における新しい文化は「国風(こくふう)文化」と呼ばれています。
国風文化の大きな特徴の一つに、仮名文字の発達がありました。仮名は、万葉仮名の草書体から変化した平仮名(ひらがな)と、漢字の扁(へん)や旁(つくり)の一部からとられた片仮名(カタカナ)とに分かれ、それぞれ10世紀頃には、ほぼ形が一定するようになりました。
平仮名と片仮名の使用によって、日本人特有の感情や感覚を生き生きと表現することが可能になり、和歌や物語の隆盛をうながし、結果として文学における飛躍的な発展をもたらしました。
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ぴーち こんばんは!
確かに
日本語は、漢字の他にも
平仮名、かたかなを覚えなければいけないので
勉強していく中では、大変だな面倒だなと感じる人も
おおいのではないかと思いますが
それによって、様々な表現方法が増えるので
有り難い事ですよね。
以前、中国の方が
日本人を羨ましがっていましたっけ。
自分の国は漢字しか無いので、逆に大変だし
面倒だと(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに仰るとおりですよね。
仮名の文化は、私たちに大きな恩恵を与えていると思います。
源氏物語は、作者が藤原道長の娘で一条(いちじょう)天皇の中宮(ちゅうぐう、皇后と同じ意味)でもある藤原彰子(ふじわらのしょうし)に仕えた体験と、作者個人の豊かな教養とをもとにして、当時の宮廷貴族の生活を見事に描き切った、世界最大級の長編小説です。
ところで、源氏物語には私たちが普段は気づかない「大きな謎」があるのですが、皆さんはご存知ですか。
実は源氏物語は、世界の常識では「存在することが有り得ない」作品でもあるのです。
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ぴーち こんばんは!
源氏物語に謎が存在していたというのは
初めて伺いました。
考えたこともありませんでしたね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 日本人の心の中では、それほど意識されまs年からね。
世界から眺めると、不思議極まりないのですが…。
光源氏が様々な恋愛を経ながら出世を重ね、准太上天皇(じゅんたいじょうてんのう、天皇を退位した上皇に準じる地位になること)にまでなるというサクセスストーリーが物語中盤までの構成ですが、源氏物語が書かれた当時、実際に政権を握って栄華の頂点に立っていたのは、他ならぬ藤原氏でした。
藤原氏の天下の時代に、源氏出身の貴族が大出世をする物語を書くということは、A党が与党の時代に、野党であるB党が政権を奪取するという架空の出来事を記すことと同じ意味であり、藤原氏にとっては面白いはずがありません。ということは、物語の執筆をやめさせられて、作品自体が処分されてもおかしくないのが普通です。
ところが、実際には藤原道長は源氏物語の執筆に対して文句を言うどころか、作者の紫式部に当時は貴重品であった紙や硯(すずり)を与えていたという説が残されているのです。
道長は、なぜ紫式部に対してこのような態度をとったのでしょうか。この謎を解くカギは二つあります。それは、藤原氏が摂政や関白を独占するきっかけになった「ある事件」と、追放されて亡くなった後に「神様」として祀(まつ)られた「ある人物」です。
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一方、同じく謀略によって朝廷から北九州の大宰府に追放され、亡くなってから怨霊と化して大きなタタリをもたらした後に、「天神様」として祀られたのが菅原道真でした。
栄華の頂点を極めた藤原氏ではありましたが、源高明など自分の一族が蹴落としたライバルたちが、亡くなった後に道真と同じように怨霊としてタタらないか心配していました。そこで、架空の物語で大活躍をさせることによって、怨霊に気分良く穏やかに振舞ってもらおうと考えついたのです。
考えてみれば、菅原道真は神様として丁重に祀られたほかに、太政大臣の地位を贈られていますし、没後に子孫が繁栄できなかった在原業平(ありわらのなりひら)も、「伊勢物語(いせものがたり)」の主人公として活躍しています。
源氏物語には、源高明らの「藤原氏によって没落させられた貴族たち」が怨霊としてタタらないように鎮魂するという隠された目的もあったと思われ、またそう考えることによって、「藤原氏が栄華の頂点に立っていたのと同じ時期に、藤原氏のライバルが出世をする物語」がなぜこの世に残ったかが、初めて説明できるようになるのです。
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ぴーち こんばんは!
なるほど、
虞を懐くという事は
大切ですよね。
恐いもの知らずで居る事が実は
その人物にとっては
一番恐いことで
致命傷にもなりうるという事でしょうかね。
オバrev なるへそ~、そういう思惑があったんだ。
まあガス抜きでしょうけど、逆にこれで藤原氏を転覆させようと.いう気運が高まるリスクもある気がしますが、効果はあったんでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
このような発想は日本人独特でしょうね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 確かにガス抜きですね。
源氏物語成立の頃は、藤原氏が絶頂期を迎えていましたから、効果はあったと考えられますね。
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