これによって、田地の数はようやく増加しましたが、私有地の拡大も同時に進んだことで、公地公民制の根本を揺るがすという結果を招いてしまい、10世紀初め頃までには、従来の租(そ)・庸(よう)・調(ちょう)などを取り立てて国家財政を維持するという方法が不可能となりました。
そこで政府は、本来は単なる地方行政官に過ぎなかった国司(こくし)に対して、地元の有力農民に田地の耕作を請け負わせ、彼らから一定の税を集めて政府へ送らせる職務を命じました。要するに、国司は政府に対する「徴税請負人」としての性格を得たことになります。
新たに国司に与えられた業務は、実は非常に「おいしい」ものでした。なぜなら、定率の税さえ政府に納めれば、後は自分の取り放題となるからです。例えば、本来であれば3分の1(=6分の2)の税を納めれば済むはずが、2分の1(=6分の3)をかき集めることによって、差額の6分の1がそっくりそのまま自分の懐に入ってしまうというカラクリになります。
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ぴーち こんばんは!
確かに「美味しいとこ取り」のお仕事ですね(^_^;)
然しながら、何やらそう言うお仕事も
この先何か障害が訪れる様な気配も
感じられますが、如何なものでしょうか・・・?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに「美味しいとこ取り」のお仕事ですね(^_^;)
> 然しながら、何やらそう言うお仕事も
> この先何か障害が訪れる様な気配も
> 感じられますが、如何なものでしょうか・・・?
果たしてどうなるかですね。
当時の土地制度あるいは税制度の「盲点」を、藤原氏は上手についているといえそうです。
しかし、国司による利権が拡大する一方で、重税を課された地方の農民や豪族の不満は次第に高まっていきました。国司からの圧迫を逃れようと知恵をしぼった農民たちにとって、まさに「救いの神」となったのが、摂関家などの中央の有力貴族、または寺社でした。
彼らは、自己の所領を有力貴族や寺社に名目上だけ寄進して、領家(りょうけ)となってもらいました。寄進された領家は、保護をさらに強力なものとするため、自分よりもさらに上級の有力者に重ねて寄進するようになり、やがては摂関家をはじめとする有力貴族や寺社に、数多くの荘園が集中したのです。
それにしても、なぜ摂関家などの中央の有力貴族や寺社が「救いの神」となって、彼らに荘園が集中したのでしょうか。その裏には、これから述べる「大きなカラクリ」がありました。
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ぴーち こんばんは!
なるほど。。
この辺りから、寺社の立ち位置というのが
確固たるものになりつつあった訳ですか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。資金力の有無が、今後の寺社の運命を左右するようになります。
「税をよこせ」という国司と「払いたくない」という荘園領主との対立が深まってくると、国司が荘園の状況を調査するために派遣した役人の立ち入りすら認めないとする不入(ふにゅう)の特権を得る荘園が増えていきました。
こうした流れも、荘園領主の権威あればこそ成し得たことであり、不入の特権は、やがて警察権の不介入にも広がっていきました。
話が複雑になってきましたので、もっと簡単に整理してみましょう。私を含む皆さんが、例えば地元の耕作者であったとすれば、自己の田地をそのまま放っておけば、政府から(正しくは国司が自己の取り分を上乗せした)法外な税を取られてしまいます。そこで、田地を有力貴族らに「名義貸し」をして、自分はただの「管理人」という形にしてしまうのです。
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ぴーち こんばんは!
なるほど。。
そう言う税逃れのからくりが有るわけですね。
確かに管理人と言う立場なら、責任は無くなりますものね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
土地制度のカラクリが、摂関家を支えたという皮肉ですね。
私たちのこの行為は、いったい何を意味するでしょうか。
「荘園」といえば聞こえがいいですが、その実(じつ)は、有力貴族らが公認した「脱税行為」でもあったのです。上記のようなシステムがあれば、耕作者の多くはこぞって領家に自らの田地を寄進しますよね。
寄進された領家は、荘園の特権を確固たるものにするためにさらに上級の有力者に重ねて寄進しますから、その先にあるのは……そう、当時の実質的な権力者の頂点たる摂関家に行き着きます。
藤原道長や頼通があれだけの政治の実権を握り続けることができたのも、荘園の集中という財政面の裏付けがあったればこそだった、という訳なのです。
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オバrev この時代はまるで朝廷と貴族による2重支配のような感じですね。しかし荘園への課税という形には出来なかったんですかね。
それにしてもカープ25年振りの優勝(^O^)
息子は広島市内へ行って、ハイタッチやビールかけしたそうで、広島はお祭り騒ぎですよ。
でも絶対に油断禁物。CS突破目指して頑張って欲しいです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、二重支配ですね。摂関家に権力が集中している現状では、荘園への課税は難しかったと思われます。もっとも、この後に別のかたちで朝廷の財産を好転させることになるのですが…。
カープの優勝、感無量ですね(´;ω;`)
このまま32年ぶりの日本一に向けて突っ走ってほしいです。