確かに主役がいなければ話になりませんが、主人公が活躍するために絶対に必要なのが「悪役」ですよね。物語などの世界で、悪役が憎々しげに振舞えば振舞うほど、最後の場面での主人公の大活躍に、私たちは溜飲(りゅういん)を下げることができます。
数多くの歴史上の人物の中には、いわゆる「悪役」の扱いを受けている人々が少なからず存在しますが、彼らのなかには、現代の私たちによって、一方的に悪役と決め付けられてしまっていることが多いのも事実です。
例えば、江戸幕府の5代将軍である徳川綱吉(とくがわつなよし)も、生類憐(しょうるいあわれ)みの令などの政策が後世の人々に誤解されてしまったことから、結果として「犬公方(いぬくぼう)」という有難くもない別名で非難されるようになってしまいました。
そして、その綱吉と同じくらい、あるいはそれ以上に「誤解」されたがゆえに、江戸時代で随一の「悪役」というレッテルを貼られてしまった人物こそが、今回紹介する田沼意次(たぬまおきつぐ)なのです。
※下記の映像は6月5日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
確かに、綱吉の場合も
庶民の立場を中心と見た時には
余りにも度が過ぎたお触れであった為に
悪人扱いされた訳ですからね(^_^;)
お犬様にとっては有り難い存在だった
かも知れませんが^^
世間一般の常識から外れた事を
する人間はどうしても悪と見なされる
傾向は強いですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 世間一般の常識から外れた事を
> する人間はどうしても悪と見なされる
> 傾向は強いですよね。
仰るとおりですね。田沼意次の場合も、それまでの「常識」を覆す政策だったことが、後世に誤解される一因となっています。
そんな折に、まさに「正義の味方」として現れる人物がいます。彼こそが松平定信(まつだいらさだのぶ)であり、定信は正義の力で意次を幕府から追放することに成功する(ドラマによっては意次が殺されることすらあります)と、以後は老中(ろうじゅう)となった定信の「寛政(かんせい)の改革」によって、庶民に平和が訪れるというストーリーがほとんどなのですが、この話って、本当のことなのでしょうか。
先述した綱吉の場合もそうですが、私たちは意識的につくられたイメージを頭から信じ込んで疑わなかったり、あるいは始めから結論を意識したうえで行動を起こしたりすることが良くあります。
時と場合にもよりますが、こうした固定観念や先入観にこだわっていては、歴史のみならず、あらゆる物事の真実をつかむことが難しくなるといえるでしょう。
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ぴーち こんばんは!
確かに先入観というのは怖いものだと思いますね。
もっとニュートラルで客観的な見方を大勢の
人が持ちあわせていれば、世の中
混乱が少なくなるかも知れませんけれど・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > もっとニュートラルで客観的な見方を大勢の
> 人が持ちあわせていれば、世の中
> 混乱が少なくなるかも知れませんけれど・・
現実にはそうはいかないところが残念ですよね…。
何とか改善してほしいのですが。
遠山景元は「金四郎(きんしろう)」の別名から「遠山の金さん」としてその名が知られているほか、「水戸黄門(みとこうもん)」こと徳川光圀(とくがわみつくに)や、南町奉行の「大岡越前(おおおかえちぜん)」こと大岡忠相(おおおかただすけ)とともに、現代でも「正義の味方」ともてはやされることが多いです。
しかしながら、ドラマの中の「金さん」としてではなく、歴史上における「遠山景元」の実像に関しては、意外と知られていないのではないでしょうか。
今回の講座では、田沼意次と松平定信のそれぞれの実像に迫ることで、二人のどちらが本当の悪役、いや「悪人」なのかを考えるとともに、遠山景元の波乱に満ちた生涯をたどりながら、天保の改革の真実や、その実行者である老中の水野と「金さん」との関係などについて探っていきたいと思います。
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ぴーち こんばんは!
確かにドラマとしては勧善懲悪の方が
話は盛り上がりますが、実際の人間というのは
正邪、どちらの心も持ち合わせているものですしね。
後日談が気になります^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かにドラマとしては勧善懲悪の方が
> 話は盛り上がりますが、実際の人間というのは
> 正邪、どちらの心も持ち合わせているものですしね。
> 後日談が気になります^^
仰るとおりだと私も思います。
後日談については、今後の更新をぜひご覧ください。
意次は若い頃から、後に9代将軍となる吉宗の子の徳川家重(とくがわいえしげ)の小姓(こしょう、身の回りの世話をする役目のこと)に抜擢(ばってき)され、家重の信頼を受けるとともに、実力を買われて出世していきました。宝暦(ほうれき)元(1751)年には、家重の御側御用取次(おそばごようとりつぎ)に就任し、宝暦8((1758)年には1万石の大名となりました。
家重は宝暦10(1760)年に隠居して、子の徳川家治(とくがわいえはる)が10代将軍に就任しましたが、家重が「意次は優秀な人物だから引き続き用いるように」と家治に勧めたこともあって、意次は家治からも厚い信頼を受けました。
その後、明和(めいわ)4(1767)年に正式に側用人(そばようにん)となり、明和9(1772)年には老中(ろうじゅう)を兼任するまで出世を重ねたのみならず、石高(こくだか)も最終的に5万7,000石にまで増え、遠江(とおとうみ、現在の静岡県西部)の相良(さがら)に新たに城を築きました。なお、意次が全盛期の頃は「田沼時代」と呼ばれています。
意次がここまで出世できたのは、二人の将軍に可愛がられたこともありますが、やはり彼自身の能力が極めて高かったのが主な原因でしょう。では、その意次の実力とはどのようなものだったのでしょうか。
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ぴーち こんばんは!
目上の人にかわいがられるということは
一つの才能ですよね^^
ただそれには確かに実力が伴わなわなければ
本物にはなれないのでしょうけれど。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 目上の人にかわいがられるということは
> 一つの才能ですよね^^
> ただそれには確かに実力が伴わなわなければ
> 本物にはなれないのでしょうけれど。
そのとおりですね。単なるおべっか使いではすぐに化けの皮がはがれます。
実は、当時の江戸幕府で賄賂をもらうことは「むしろ当然」という感覚がありました。なぜなら、賄賂を受け取れば、それだけ賄賂を贈ってくる側の諸大名や商人の勢力を削(そ)ぐことができるからです。従って、幕府の権力を保つためという口実のもとに、意次以外の幕閣も積極的に賄賂をもらっていたのが現実の姿でした。
加えて、そもそも有力な政治家に対して金品を贈ることは、現代の法律で認められた「政治献金」も含めて、昔も今もある意味当然の感覚ですし、当時の幕閣の中で、意次に一番実力があると誰しもが思ったからこそ、彼に賄賂を贈っていたとも考えられます。ちなみに、清廉潔白(せいれんけっぱく、心が清くて私欲がなく、後ろ暗いところのないこと)で知られる松平定信も、幕閣入りを目指して意次にしきりに賄賂を贈っていたのは有名な話です。
さて、意次は、先述したように若い頃から徳川家重の小姓として仕えていましたが、8代将軍の徳川吉宗による重農主義の政治の結果によって、幕府の直轄地である天領(てんりょう)で一揆(いっき)が多発したのを間近で見ていました。
重農主義ではもはや幕府政治が機能しないということを悟った意次は、やがて政治の実権を握ると、現実的な重商主義に政治の姿勢を切り替えるとともに、開明的な政策を次々と実行していったのです。
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ぴーち こんばんは!
私もそう思います。
今でこそ、法的に賄賂は違反とされていますが、
私は政治家については余り存じませんが、
それでも政治家として独立独歩するにはそれ相当の
お金が必要だと思います。
もともと、親の代から政治に携わっている人物なら
何処からもお金を調達しなくても当然のごとく知名度もあり、また資金を賄う事も出来るでしょうけれど、無名から
立ち上がるとなると資金援助は欠かせないものだと思います。そう言う意味では
現代の政治家さんたち、誰でも叩けば埃が出て当然なのでは
無いかと思いますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 政治かの判断は、その力、すなわち政治力の有無が決め手だと思います。
いかにクリーンであっても、無能では何の役にも立ちませんからね。