現在のローマ教皇は第266代のフランシスコですが、先々代のヨハネ・パウロ2世が昭和56(1981)年に、ローマ教皇として初めて来日されました。その際に教皇はお自ら昭和天皇をご訪問されたのですが、このことが世界に大きな衝撃を与えました。
なぜなら、ローマ教皇が外国をご訪問されて、その国の元首や首相にお会いになる際は、訪問先の元首や首相が教皇を訪ねて会いに来るのが慣例だったからです。教皇ご自身が皇居までお出かけになられ、陛下にお会いされるというのは、前例のない、非常に大きな出来事だったのでした。
世界最高の権威でいらっしゃるローマ教皇が、なぜお自ら足を運ばれたのでしょうか。それは、昭和天皇をはじめとする皇室の方々には、脈々と受け継がれた「奇跡の血統」が存在するからです。
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ぴーち こんばんは!
そのお話は以前何処かで伺った事が有ります。
ローマ法王の次に権威が(権威と言うには語弊が
あるかとは思いますが)あるのは日本の
天皇陛下だと聞きましたが、
それは事実と認識しておいて大丈夫でしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 次と言うよりはほぼ同格か、あるいは陛下の方が上ですね。だからこそ、ローマ教皇が皇居へ向かわれたのです。
125人の中には女性の天皇もおられますが、いずれも神武天皇の直系にあたられる、いわば「男系の女性天皇」であり、女系、すなわち神武天皇の血を全く受け継いでおられない天皇は、過去に一人も存在しません。
これだけ長いあいだ同じ血を受け継がれてきた皇帝は、天皇以外で世界中のどこにも存在しません。我が国の天皇は「世界最古にして最後の皇帝」であり、まさに「皇帝の中の皇帝」なのです。
だからこそ、ローマ教皇は自然と昭和天皇に敬意を表され、また昭和天皇が外国をご訪問された際には、イギリスのエリザベス女王は上座をお譲りになり、アメリカのフォード大統領は最高の敬意を表すホワイトタイで出迎えたのです。また、現在のオバマ大統領が来日して今上陛下に面会した際に、深々と頭を下げていたのは記憶に新しいですね。
神武天皇の男系の血は、今上陛下から秋篠宮文仁親王殿下(あきしののみやふみひとしんのうでんか)を通じて悠仁(ひさひと)親王殿下に現在も受け継がれておられます。ローマ教皇と並ぶ世界のトップ2に、キリスト教信者でなく、また白色人種でもない天皇があらせられるという非常に重い現実を、私たち日本国民も光栄に思いながらしっかりと守り続けていきたいですね。
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ぴーち こんばんは!
確かに
膨大な歴史の中で脈々と受け継がれて来た存在、
これだけでも偉大な事であり
この時の積み重ねには非常に重みを感じますね。
オバrev 素晴らしいお話です。
動画を拝見すると、黒田先生・・・熱い!(^_^;)
でも熱くなる理由も分かります。
国内の世論で偏った歴史史観ではなく、国際的にどうなのかという見方も大変重要だと思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、非常に重みがありますね。
気付かないのが日本人だけ、というのが情けなくもありますが。
オバrevさんへ
黒田裕樹 有難うございます。ついつい熱くなってしまいました(笑)。
日本の国際的な立ち位置を見極めた方が、我が国への理解が増すというのが複雑な心境ではあります。
なぜそうなってしまったのかといえば、年月が経って戦争体験が風化するにつれて、公職追放によってあらゆる業界を支配した左翼思想の猛毒が我が国の全身に回り、いわゆる「WGIP(=ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム、日本人に戦争犯罪者意識を刷り込む計画)」が種をまいた自虐史観が、売国的日本人によって増殖し続けたからであり、その一つに、今から34年前に起きた、忌まわしき「教科書誤報事件」があります。
鈴木善幸(すずきぜんこう)内閣時代の昭和56(1981)年に、政府与党の自民党が教科書制度改革案を発表しましたが、これに危機感を抱いた人々によって「日本が再び軍国主義の道を歩む」などと政治問題化されたとともに、わざわざ中華人民共和国や韓国に「ご注進」が行われました。
そして、翌昭和57(1982)年6月に「日本の教科書検定によって、中国華北への『侵略』が『進出』に書き換えられた」と我が国の大新聞が一斉に報道し、中国や韓国が日本政府に抗議する騒ぎとなりましたが、これは全くのデマであり、明らかな誤報でした。
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ぴーち こんばんは!
確かに、余りにも左翼思想に偏ってしまうのも
良い結果を生まないですものね。
かといって、極端な右翼でも困りますし。
今回のお話の場合は、戦争で受けた痛手が
余りにも大きすぎた為に、極端に左翼思想に
傾倒して言ったのでしょうけれど、
このような結果を招いたという事は、
度を越して居るという事なのでしょうから、
冷静に受け止めるべきですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 左右どちらに傾いても、国家にとって良いことかどうかを考えねばなりません。
それだけに、意識しての左傾化には大いに問題があると思います。
教科書誤報事件によって、我が国の教科書検定という、完全に日本国内の問題でありながら、中国や韓国に「検閲権」を認めてしまったことで、健全な青少年の育成に欠かせない教科書が、外国の干渉を平気で受けいれるようになってしまいました。
しかも、この問題が表面化した以降に、中韓両国による執拗(しつよう)な内政干渉や、我が国の謝罪外交が常態化するという悪しき慣習を生み出してしまい、それらは今もなお我が国に深刻な影響を及ぼし続けています。
なお、事実と全く異なる報道を行った大新聞のうち、その後に正式に謝罪をしたのは、産経新聞ただ一社のみです。
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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
どうして中国、韓国の顔色ばかり
伺わなければいけないのでしょうかね?
現在でもそれをもっと助長させているのは、
公明党ですよね。
あの党が政治の足かせとなって
居ることは間違いないです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんの仰るように、特定の政党の動きがあったのかもしれませんが、それを許してきたのは、他ならぬ国民自身の無関心からきているとも言えそうです。
このことによって、我が国の一部マスコミが中心となって、歴代の首相や大臣らが靖國神社に参拝することをためらわせる風潮をつくり上げるきっかけとなったのではないか、と考えられており、現代の安倍内閣にまでその影響が続いてしまっています。
なお、中曽根首相が靖國神社への参拝を取りやめた昭和61(1986)年の終戦記念日に、昭和天皇は以下の御製をお詠みになっておられます。
「この年の この日にもまた 靖國の みやしろのことに うれひはふかし」
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ぴーち こんばんは!
前回のお返事を読ませて頂きましたが、
仰るとおり、国民がそう言う事を見過ごして来た
結果が政教分離も曖昧になってしまい
政治家も、どうせ国民など政治などには無関心なのだからという傲慢さを産んで益々
思いもよらない方向へ国全体が歩んでしまう結果と
なるのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
本来は国民のために行動する政党が、国民の今後に反する行動をとってしまうのも、国民の無関心ゆえだと言えます。
昭和62(1987)年に沖縄で秋の国民体育大会が行われることになり、開会式ご出席も兼ねてようやく念願のご行幸(ぎょうこう)が実現できると思われましたが、その直前に、ご病気によって中止となってしまいました。
陛下のご無念のお気持ちは、以下の御製で私たちもうかがい知ることができます。
「思はざる 病(やまい)となりぬ 沖縄を たづねて果(はた)さむ つとめありしを」
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ぴーち こんばんは!
病は人間にとってどうしても避けられない因果でも
有りますからね。
昭和天皇のこの時の無念さがヒシヒシと感じられる一句ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
前回の御製もそうですが、ここまで感情をあらわにされるのは珍しいと思います。
終戦記念日の8月15日に日本武道館で行なわれた全国戦没者追悼式に際して、昭和天皇はご療養先の那須御用邸からヘリコプターで駆けつけられましたが、そのやつれたお姿に対して、多くの国民が息をのみました。
この日の陛下の御製です。
「やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど」
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ぴーち こんばんは!
体にメスを入れるという行為は
考えている以上に体に負担を掛けるものですものね。
ましてや、手術をすると
体の中には活性酸素が増えるので
よほど体力があるうちならまだしも
体力が無くなって来ると、二次災害的に
ガタガタと崩れてしまい
あらぬ余病を差したりするものですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、仰るとおりですね。
陛下の場合、どうしても玉体にメスを入れる必要がありました。結果として寿命をお伸ばしになることはできたのですが…。
その余りもの自粛ぶりに、一部の国民やマスコミからは不満の声も上がりましたが、国民のことのみをずっとお考えになり、自らを顧みられることのなかった陛下がご重体となっておられるというのに、何も考えずに馬鹿騒ぎをすることが果たして許されるでしょうか。その証拠に、陛下のお見舞いのため皇居へ記帳に訪れた国民の数は、ご不例から3ヵ月間で延べ800万人を越えているのです。
昭和天皇のご容態はその後も芳(かんば)しくない日々が続きましたが、そんな中でも陛下は国民のことを第一にお考えになっておられました。この年の我が国では秋の長雨が続いていましたが、そんなある日、雨音を耳にされたご病床の昭和天皇が「雨が続いているが、稲の方はどうか」とコメの作柄(さくがら)を案じられたというエピソードが残っています。
ご不例になられてからも、陛下は驚異的な生命力で病魔と闘っておられましたが、年が明けた昭和64(1989)年1月7日午前6時33分、太陽が静かに沈んでいくように、昭和天皇は崩御されました。御年87歳でした。
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ぴーち こんばんは!
以前にも書かせて頂きましたが、
丁度この時に私は那須御用邸直ぐ間近の
ペンションに友達と共に宿泊していたのですが、
御用邸に続く道にはパトカーなどが配備され
緊迫した空気に包まれていたのを覚えています。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうだったんですね。
ぴーちさんも歴史の証人となられましたね。
わずか半世紀近く前に世界の多くの国を相手に激しく戦った国の元首であるにもかかわらず、恩讐を越えて、昭和天皇に弔意を示したのです。また、皇居から新宿御苑へ続く6.5kmの雨の沿道において、昭和天皇をお見送りした国民の数は、実に60万人にも及びました。
昭和という激動の時代を長く生き抜き、国民の象徴として我が国を支えてこられた昭和天皇。自らが果たすことがかなわなかった沖縄へのご行幸は、先述のとおり、今上陛下によって平成5(1993)年4月に実現されました。
そして崩御から18年後の平成19(2007)年、昭和天皇のお誕生日である4月29日が、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」との目的で、新たに「昭和の日」として蘇(よみがえ)りました。
昭和が終わって早や四半世紀が過ぎましたが、国民とともに歩まれた昭和天皇の大御心(おおみこころ)は、今もなお、そして永久に日本国民の心の中に生き続けていくことでしょう。
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(※第53回歴史講座の内容はこれで終了です)
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ぴーち こんばんは!
60万人ですか。
天皇陛下の崩御は日本国民なら
誰しも心に留める出来事ですものね。
激動の昭和を御自分の目で足で
手でしっかりと受け止めて来られた
方ですので、記念日は
残されて当然ですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。昭和の日の制定は遅きに失した感がありますね。