会議は鈴木首相の他に、阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣、東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣など合計7人で行われ、東郷外相は宣言の受諾を、阿南陸相はいわゆる本土決戦も辞さないと徹底抗戦をそれぞれ主張し、いつまで経っても平行線が続きました。
やがて日付も10日に変わり、開始から2時間経ったある時、鈴木首相は立ち上がって昭和天皇に向かい、こう言いました。
「出席者一同がそれぞれ考えを述べましたが、どうしても意見がまとまりません。まことに畏(おそ)れ多いことながら、ここは陛下の思(おぼ)し召(め)しをおうかがいして、私どもの考えをまとめたいと思います」。
首相による発言をお受けになって、昭和天皇はお言葉を発せられました。
「それなら意見を言おう。私の考えは外務大臣と同じ(=ポツダム宣言を受諾する)である」。
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ぴーち こんばんは!
昨日からのお話を伺っていると、こうして日本が
苦渋の選択を迫られている最中にも
アメリカは日本がどちらの答えを出そうと
全く関係なく原爆投下を決めていたと言うのですから、
なんともやりきれない思いで一杯になりますね・・・
(T_T)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なんともやりきれない思いで一杯になりますね・・・
> (T_T)
全くもってそのとおりですよね。
アメリカとのこれまでの、またこれからの関係も、こうした事実を踏まえて是々非々で続けていきたいものです。
「念のため言っておく。今の状態で阿南陸相が言うように本土決戦に突入すれば、我が国がどうなるか私は非常に心配である。あるいは日本民族はみんな死んでしまうかもしれない。もしそうなれば、この国を誰が子孫に伝えることができるというのか」。
「祖先から受け継いだ我が国を子孫に伝えることが天皇としての務めであるが、今となっては一人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人々に我が国の未来を任せる以外に、この国を子孫に伝える道はないと思う」。
「それにこのまま戦いを続けることは、世界人類にとっても不幸なことでもある。明治天皇の三国干渉の際のお心持ちを考え、堪えがたく、また忍びがたいことであるが、戦争をやめる決心をした」。
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象嵌師 現代に於いて いろんな人が先人の判断が間違っていたとか ああすれば こうすれば良かった とかを耳にしますが、 昭和天皇をはじめとする各人がどれだけ熟考、議論を重ねて日本を守ろうとしたのかを思うと それは失礼な事の様に感じます。 またそういった発言をされる人に聞いてみたいです。 「あなたなら過去に戻って 当時の指導者になり あの状況で だれも死なさずに日本を守る事が出来たのか」と
象嵌師さんへ
黒田裕樹 お言葉、全くもって仰るとおりと存じます。
ぴーち こんばんは!
そうですよね。
人間ばかりではなく、全ての動植物は
最終的にはまずは子孫を残す事が
最低限必要な事ですものね。
この最悪な事態を
後世まで口伝していく人間を一人でも残さなければ
ならないと願った天皇の思いは
当然の思いだったと思いますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
わが国の将来を見据えられた当然のご判断だと思われます。
我が国の条件に対して、連合国側は8月12日に回答を伝えましたが、その内容は「日本政府の地位は国民の自由な意思によって決められ、また天皇の地位や日本政府の統治権は、連合軍最高司令官に従属する」というものでした。
この条件では我が国が連合国の属国になってしまう危険性があり、また何よりも天皇の地位の保証が不完全なままでした。この内容でポツダム宣言を受けいれるべきか、外務側と軍部側で再び意見が対立しましたが、ソ連による我が国侵略の脅威(きょうい)が間近に迫った現状では、もはや残された時間はありませんでした。
そこで、鈴木首相は14日に改めて御前会議を開きました。会議では自らの意見を述べる者も、またそれを聞く者も、すべてが泣いていました。陛下も意見をお聞きになりながら何度も涙を流され、しばしば眼鏡を押さえられました。そして、昭和天皇による2度目のご聖断が下りました。
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ぴーち こんばんは!
国体が護られただけでも日本にとっては
良い事なのでしょうけれど、
アメリカの意図は、天皇を中心とした体制を
護る事を上手く利用して、
全て天皇のご意向だからと言い切る事を目的とし
確か
自分たちの思い通りにしようとする権限を同時に得たことになったと
記憶しているのですが、如何でしたでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
だからこそ、GHQは彼らのいう「天皇制」を維持することに決めたのでしょう。
もっとも、陛下はそこまで計算に入れておられたのかもしれませんが…。
ご聖断が下った後、阿南陸相は耐え切れずに激しく慟哭(どうこく、悲しみのあまり声をあげて泣くこと)しました。昭和天皇はそんな阿南陸相に対して優しく声をおかけになりました。
「阿南、お前の気持ちはよく分かっている。しかし、私には国体を護れる確信がある」。
昭和天皇によるご聖断は下りましたが、それだけでは、大日本帝国憲法の規定においては何の効力も持たず、内閣による閣議で承認されて、初めて成立するものでした。もし閣議の前に阿南陸相が辞任して、後任者の選任を陸軍が拒否すれば、軍部大臣現役武官制によって鈴木内閣は崩壊し、ご聖断をなかったことにすることは可能でした。
陸軍内の強硬派は、戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、阿南は以下のように一喝(いっかつ)しました。
「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」
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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
考えて見れば、今の私達が
この国土で平穏無事に過ごしていられるのも
この時の天皇の慈愛がなれば、実現出来なかったかも知れませんものね。
そう考えると、非常に重要なご判断
だった訳ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、昭和天皇のご聖断には大きな意義がありました。
我が国の運命を決めるご判断ができるのは、やはり天皇陛下しかおられない、ということですね。
想像を絶する痛みや苦しみのなか、阿南陸相は介錯(かいしゃく、とどめを刺して楽にすること)を断り、午前7時10分に絶命しました。以下は血染めの遺書に残された、阿南陸相の最期の言葉と辞世です。
「一死以テ大罪ヲ謝シ奉(たてまつ)ル 神州不滅ヲ確信シツツ」
大君(おおきみ)の 深き恵に 浴(あ)みし身は 言いのこすべき 片言(かたこと)もなし」
阿南陸相の自害をお知りになった昭和天皇は仰いました。
「阿南には阿南の考えがあったのだ。気の毒な事をした」。
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ぴーち こんばんは!
天皇陛下の様に
どんな場合であれ、個々人の気持ちを
尊重してあげることは大事なこととは言え
申し訳有りませんが、私個人としては
いかなる理由であれ、自害に及ばなければいけなくなる結果は到底許されるべきことでは無いと
怒りさえ覚えますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 現代の感覚であれば、ぴーちさんの思いは十分理解できます。
阿南陸相の場合は、どうしても自決しなければならない他の理由もありました。
そのあたりを次回の更新で明らかにしたいと思います。
陸軍の最高責任者として、戦争への責任などが何かと問題視される阿南陸相ですが、昭和天皇のご聖断を受けて陸軍全体をまとめ上げ、最後にはすべての責任を一人で取ったその潔い姿勢は、立派なものであったというべきでしょう。
また、陛下の侍従長として長く仕えたことで、昭和天皇とまさに阿吽(あうん)の呼吸でご聖断を導き出し、本土決戦による我が国滅亡の危機や、ソ連の参戦による北海道などの侵略をギリギリのタイミングで防ぎきった、鈴木首相の政治力も素晴らしいものがありました。
国民のことのみを考え、自らを顧(かえり)みずに下された昭和天皇のご聖断の背景には、こうした「忠臣」による我が国への無私(むし、私心や私欲のないこと)の行動もあったのです。
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ぴーち こんばんは!
私個人の意見ですが、
こう言う話を伺っていると、
戦争という事実を収める為には
人身御供となるべき人間を捧げなければ
それを終える事が出来なかったのかも知れないと
思うと如何に戦いが大間違いであったかという事です。
一人の人間をそこまで追い詰めなければ収拾が
取れなかった事については何人も深く反省しなければならない事だと思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんのようなお考えも、十分考慮されるべきかと存じます。
その場合は、世界中で仰るお考えが人口に膾炙するかどうかだと思われます。
我が国の崇高な理想が、世界に通じる日が来ればよいのですが。
「終戦の詔書」は御前会議での陛下のお言葉をもとに起草されましたが、その中で最も重要な部分が、実は最後に記されていることを皆さんはご存知でしょうか。
「爾(なんじ)臣民其(そ)レ克(よ)ク朕(ちん)ガ意ヲ体(たい)セヨ」
(現代語訳:我が国民は以上の私の意思に基づいて行動してほしい)
このお言葉があったからこそ、終戦後に連合国軍が上陸しても、軍人は粛々(しゅくしゅく)と武装解除に応じ、国民も黙って現実を受けいれたのです。
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ぴーち こんばんは!
天皇陛下にそのような言葉を仰られたら
当然ながら日本国民はそれを素直に聞き入れてしまうでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 天皇陛下にそのような言葉を仰られたら
> 当然ながら日本国民はそれを素直に聞き入れてしまうでしょうね。
仰るとおりです。
戦後の混乱の危機を、陛下のお言葉が救われたことになりますね。
「爆撃に たふれゆく民の 上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも」
「身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて」
「国がらを ただ守らんと いばら道 すすみゆくとも いくさとめけり」
「海の外(と)の 陸(くが)に小島に のこる民の うへ安かれと ただいのるなり」
こうして我が国は終戦を迎えましたが、昭和天皇の「国と国民を護る」ための日々は、この後も長く続くのでした。
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ぴーち こんばんは!
>「身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて」
御自分の身を呈してまでも戦争を
停めさせたいという思いが伺えて
とても有り難いお言葉ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 御自分の身を呈してまでも戦争を
> 停めさせたいという思いが伺えて
> とても有り難いお言葉ですね。
私もそう思います。もっとも、そこまで陛下がお考えになられる前に、もっと早く戦争を終えることができればなおよかったのですが…。