また、これとは別に秩禄処分と同じ明治9(1876)年に、士族の帯刀を禁じる廃刀令が出されており、二重の意味でそれまでの特権を奪われた士族の憤激は、次第に強くなっていきました。
こうした流れに加えて、急進的な近代化にこだわるあまり、日本の伝統を粗末に扱おうとした当時の明治政府への、日本精神からの異議申し立てという一面もあったことで、国内において「士族の反乱」が相次いで起きるようになりました。
その最たるものが、明治10(1877)年に西郷隆盛(さいごうたかもり)を中心として起きた西南の役(=西南戦争)ですが、半年以上にわたる激しい戦いに政府軍が勝利したことで、我が国の歴史が大きく動くことになりました。





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ぴーち こんばんは!
やはりこういうお話を伺うと
政府に楯突いてもどうしても勝ち目が無い
庶民の遣る瀬無さが
なんとも遺憾に思います(T_T)
やはり時代の潮流には逆らえない
のですかね・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、仰る一面は確かにありますね。
これも冷静な歴史の流れでもあります。
一人ひとりは決して強くない兵力であっても、西洋の近代的な軍備と訓練によって鍛え上げたり、また人員や兵糧・武器弾薬などの補給をしっかりと行ったりすることで、士族の軍隊にも打ち勝つことが出来たのです。
逆に、政府軍に敗れた士族たちは、自分たちが持つ武力では政府を倒せないことを嫌でも思い知らされる結果となりました。西南の役の後、士族たちは反乱をあきらめるかわりに、言論の世界で政府に対抗するようになりました。
すなわち、我が国で自由民権運動が本格化する大きな理由となったのです。





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ぴーち こんばんは!
そうですか・・
武力で勝てなければ、言論で打ち負かそうと
した訳ですね!
確かに腕力で敵わなければ、知力や言葉で
相手を負かそうと思うものですし、
人間の考えることなどは
昔も今も変わりは無いですね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
今回の場合は平和的な対決となり、我が国でその後内乱らしい内乱がなくなったのは良いことだったと思います。
中央集権体制を構築すると同時に、士族の俸給を廃止したい明治政府
↓
しかし、藩主の持つ「領地」「領民」「政治の実権」をすべて奪えば反発も大きい
↓
まずは「版籍奉還」で「領地」と「領民」を取り上げ、旧藩主を知藩事とする
↓
その2年後に廃藩置県を断行し、中央集権体制を確立
↓
武士の俸給を政府が肩代わりするが、早く廃止したい
↓
しかし、我が国の軍事力を支えた武士をいきなり路頭に迷わせば、諸外国の侵略を招く
↓
国民皆兵をめざして徴兵令を発布し、20歳以上の男性に兵役義務を課す
↓
(続く)





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ぴーち こんばんは!
士族の問題は、それまで
日本においての役割が大きかったでしょうから、
制度が変わったからといきなり下に置く訳にも
いかずに、政府が慎重に対応していった様子を
良く理解させて頂きました。
有難うございますm(__)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 今回のように時系列にまとめると分かりやすいですよね。
政府による施策が行き当たりばったりではなく、実に巧妙だったかということです。
その一方で「四民平等」を実現させ、「士族」となった旧武士の特権を奪いやすくする
↓
ますは秩禄奉還の法で希望退職を募(つの)る
↓
徴兵令から3年が経ち、政府が自前で育てた軍隊が編成される
↓
政府が秩禄処分と廃刀令を断行し、「士族の受難」となる
↓
不満に思った士族が政府に反乱を起こすが、民間から徴兵した軍隊に敗れる
↓
士族は武力による抵抗をあきらめ、言論の世界で政府と対決する
↓
自由民権運動が本格化する
以上のとおり、大きな歴史の流れをたどることで、廃藩置県から自由民権運動までを分かりやすく理解できるんですよね。
当ブログでは、今後も機会があれば、授業研究に基づいた記事の更新を続けてまいりますので、よろしくお願いいたします。





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ぴーち こんばんは!
確かにこうして時系列で書かれていると
理解度が深まりますね!
結局、廃藩置県から自由民権運動までの道のりは
5年を要したわけですかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
仰るとおり、時系列で振り返ると分かりや牛ですし、5年の流れが良く見えてきますよね。