この当時、マッカーサーは「戦争終結後に日本軍が速(すみ)やかに武装解除(ぶそうかいじょ)に応じたのは天皇が出した勅令(ちょくれい、ここでは「終戦の詔書」のこと)があったからだ」という事実を耳にしていたこともあり、昭和天皇を戦争犯罪人とするかどうかを慎重(しんちょう)に検討(けんとう)していました。
しかし、同時にマッカーサーは昭和天皇との会見に不安を感じていました。もし天皇が自分に対して命乞(いのちご)いをするような人物であったら、やはり戦犯(せんぱん)として裁(さば)かざるを得ないのでは、と考えていたのです。
マッカーサーがそう思うのも無理はありませんでした。そもそも戦争に敗北した国の元首(げんしゅ)の末路(まつろ)としては亡命(ぼうめい)や自殺、あるいは市井(しせい)の人間として不遇(ふぐう)な人生を終え、その血は途絶(とだ)えてしまい、全く新しい王朝に取って代わるのが当然だったからです。
ところが、昭和天皇がマッカーサーに対して発せられたお言葉は、彼の不安を打ち消すどころか、想像にすら及(およ)ばないものでした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
マッカーサー元帥を題材にした作品や、主役として描いた作品は他にもありますが、私は最近鑑賞した「終戦のエンペラー」という作品の中の、
昭和天皇役を演じた片岡孝太郎さんの演技や風貌が本当によく酷似していて、印象深いのですが、
その時の天皇のお言葉には、頭が下がる思いがしましたね。
オバrev そのお言葉はまだ分かりませんが、欧米人には理解できなかったんじゃないでしょうか。
率直なマッカーサーの気持ちはどうだったのか気になります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 この会見は歴史に残りますから、映画化されても不思議ではありませんからね。
昭和天皇のお言葉とは…。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > そのお言葉はまだ分かりませんが、欧米人には理解できなかったんじゃないでしょうか。
> 率直なマッカーサーの気持ちはどうだったのか気になります。
懸念されるお気持ちはよく分かります。
実際のお言葉は…次回の更新までお待ちくださいm(_ _)m
こんにちは
ひなこまこ はじめまして
いつもありがとうございます。
昭和天皇とマッカーサーの話の続きを早く知りたいです。
興味深いですね。
リンクさせていただいていいでしょうか?
ひなこまこさんへ
黒田裕樹 はじめまして、当ブログへのご訪問並びにお言葉有難うございます。
「昭和天皇とマッカーサーとの会見」については1月17日まで連載予定ですので、よろしくお願いします。
なお、リンクはご自由になさってください。
昭和天皇のお言葉を聞いたマッカーサーは「われ神を視(み)たり!」と大いに感動して、それまで陛下(へいか)の前で椅子(いす)に座り、足を組んでパイプをくわえたままの姿勢(しせい)からやおら立ち上がると、抱(だ)きつかんばかりに陛下と握手(あくしゅ)を交(か)わしました。なお、マッカーサーは後に当時の心境を「この瞬間(しゅんかん)、私の前にいる天皇が日本の最上の紳士(しんし)であることを感じとった」と述懐(じゅっかい)しています。
会見が終了して昭和天皇がお帰りになる際には、マッカーサーは自ら玄関まで出て陛下を見送りました。たった一度の会見だけで、マッカーサーは陛下のお人柄(ひとがら)の虜(とりこ)となってしまっていたのです。
マッカーサーの態度をまさに豹変(ひょうへん)させたのは、昭和天皇が強く感じておられた戦争に関する責任のお気持ちでした。大東亜戦争の開戦そのものは大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう、別名を明治憲法)の規定に従(したが)って手続きが進められ、昭和天皇は閣議(かくぎ)決定の裁可(さいか)をそのままお認(みと)めになられただけでした。
立憲君主制(りっけんくんしゅせい)の原則から見ても、昭和天皇に直接の戦争責任があるとは到底(とうてい)認められないものでしたが、その一方で陛下はご自身のお力で戦争を防ぐことができなかった道義的(どうぎてき)責任を強く感じておられました。だからこその「戦争責任のすべてはこの私にある」というお言葉だったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
天皇陛下の顔は勿論の事、眼さえ合わせてもいけないという前触れも(確か握手さえも?)
マッカーサー元帥は聞き入れず、最初から
天皇陛下を見据えていたというお話ですものね。
今思うと、その無礼極まりない態度を昭和天皇はよくぞ許したと思いました。お心の広さを改めて感じました。
それと同時に、今回のお話の様に、ご自分の命を捧げてまでも、国を守ろうとしたお気持ちを忘れてはならないと思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私たちは歴史的事実をあまりにも知らされなさすぎですね。
天皇陛下のご存在の気高さを理解できないようでは申し訳が立たないと思うのですが…。
明治憲法から~
鹿児島のタク 明治憲法(大日本帝国憲法)には、確かに陛下は統帥権のトップです。しかし、日本の場合、他国の皇帝や大統領と異なる…。
それこそ、「立憲君主制」ですね。
原則的には、陛下は臣下(内閣等)の決定を覆すことはできない。「輔弼」されているから、政治的には責任はない。これが原則…。と考えてもよいのでしょうか。…黒田先生。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 > それこそ、「立憲君主制」ですね。
> 原則的には、陛下は臣下(内閣等)の決定を覆すことはできない。「輔弼」されているから、政治的には責任はない。これが原則…。と考えてもよいのでしょうか。
そのとおりです。
このような基本的論理も知らずして、一方的に昭和天皇を悪人と断じる人々の神経を疑いますね。
ありがとうございます
ひなこまこ 天皇陛下のお言葉とそのお気持ちを理解してくれたマッカーサーさんに感激です。
人でよかった。
大事な心、持ち続けたいです。
ひなこまこさんへ
黒田裕樹 > 天皇陛下のお言葉とそのお気持ちを理解してくれたマッカーサーさんに感激です。
> 人でよかった。
> 大事な心、持ち続けたいです。
仰るとおりですね。
国体護持の功績がマッカーサーにもあったことは間違いありません。
昭和天皇の無私のご行動によって、皇室を中心とする我が国の国体(こくたい)を護(まも)ることはできました。終戦の直前、昭和天皇による2度目のご聖断(せいだん)が下った際に慟哭(どうこく)した阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣に対して、陛下(へいか)がお優(やさ)しく「私には国体を護れる確信がある」と仰(おっしゃ)られたとおりとなったのです。
もしマッカーサーとのご会見の際に、昭和天皇が他の一般的な国家元首のように命乞(いのちご)いをする哀(あわ)れな君主であったとすれば、その後の我が国の運命はどうなったでしょうか。考えただけでも私は寒気(さむけ)がしてきます。
ただし、我が国が皇室中心の国体を護れた一方で、GHQによる我が国の占領統治(せんりょうとうち)は過酷(かこく)を極(きわ)めたものとなっていきました。
占領軍による数々の「日本解体」あるいは「洗脳(せんのう)」はその後の我が国における「自虐史観(じぎゃくしかん)」を決定づけるものであったといえますが、その具体的(ぐたいてき)な内容はどのようなものであったのでしょうか。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
確かに、その後の日本のアメリカによる洗脳は
ジワジワと日本人の考え方まで変えてしまった様で、残念極まりないと思いますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに、その後の日本のアメリカによる洗脳は
> ジワジワと日本人の考え方まで変えてしまった様で、残念極まりないと思いますね。
そのとおりですね。
これからGHQによる占領政策についてじっくりと紹介していきたいと思います。
我が国はアメリカ軍を主力とする占領軍の軍事的支配下に入り、東京には連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ、別名をGHQ)が置かれました。また日本占領の最高機関として、アメリカやイギリス、ソ連など交戦した11ヵ国で構成(こうせい)された極東委員会(きょくとういいんかい)がワシントンに設(もう)けられ、東京にはアメリカ・イギリス・ソ連・中国の代表が構成する対日理事会(たいにちりじかい)が設置(せっち)されました。
しかし、極東委員会の参加国のうちアメリカ・イギリス・ソ連・中国に拒否権(きょひけん)が与えられていたことで、アメリカが拒否権や「緊急時(きんきゅうじ)における中間指令権(ちゅうかんしれいけん)」を発動したことによって、極東委員会の存在は有名無実化(ゆうめいむじつか)しました。
また対日理事会も連合国最高司令官、すなわちマッカーサーの諮問機関(しもんきかん、諮問は「意見を求める」という意味)に過ぎなかったことにより、占領政策に影響(えいきょう)を及(およ)ぼすことができず、GHQは占領期の日本政府の政策決定機関として大きな権限を持つようになったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
最悪な結末は避けられたものの、
アメリカの占領下で、身動きが取れない状況であった事は、当時の日本国民にとっては屈辱であった事でしょうね。今でもその呪縛は尾を引いている様ですが、きっとこれから先の日本も、今と同じ状況を維持していくことだけに専念しようとするのでしょうね・・。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 最悪な結末は避けられたものの、
> アメリカの占領下で、身動きが取れない状況であった事は、当時の日本国民にとっては屈辱であった事でしょうね。今でもその呪縛は尾を引いている様ですが、きっとこれから先の日本も、今と同じ状況を維持していくことだけに専念しようとするのでしょうね・・。
仰るとおり屈辱であったと思いますが、精神的に打撃を与えるという点では大きな効果がありました。何しろ今でも続いていますからね…。
そのあたりも含めて詳しく紹介していきたいと考えております。
大東亜戦争(だいとうあせんそう)開戦の翌年の1942(昭和17)年には早くも対日戦後政策がアメリカ外交関係協議会で討論(とうろん)されたほか、1944(昭和19)年にはアメリカの国務・陸軍・海軍調整委員会(こくむ・りくぐん・かいぐん・ちょうせいいいんかい、別名をSWNCC)が発足(ほっそく)して、具体的(ぐたいてき)な対日方針が計画されました。
これらの計画はGHQの占領政策にも少なからず影響(えいきょう)を与えることになるのですが、その背景には我が国が再びアメリカの脅威(きょうい)にならないように非軍事化・民主化を通じて「日本弱体化(じゃくたいか)」を目標とする思惑(おもわく)がありました。つまり、大東亜戦争において我が国が勇敢(ゆうかん)に戦い続けたことで米軍に多大な損害を与えたことをアメリカは恐(おそ)れていたのです。
こうした流れのなかで、我が国がポツダム宣言(せんげん)によって受諾(じゅだく)した「軍隊の無条件降伏」がいつしか「国全体の無条件降伏」へとすり替(か)えられ、ポツダム宣言の内容に明らかに違反(いはん)する占領統治がGHQを通じて繰(く)り広げられる結果となってしまったのでした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
確かに、敵視するほどでもような国であれば
何の手立てを考える必要がないと判断されましょうが、
敵に回せば、強敵になりうると判断された国であるが為に、無理難題を押し付けられたり、制裁を受けたり、あらぬ噂を吹聴されたりするのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに、敵視するほどでもような国であれば
> 何の手立てを考える必要がないと判断されましょうが、
> 敵に回せば、強敵になりうると判断された国であるが為に、無理難題を押し付けられたり、制裁を受けたり、あらぬ噂を吹聴されたりするのでしょうね。
仰るとおりですね。
我が国が果敢に攻撃したことがアメリカの恐怖心をあおることになるというのも皮肉ではありますが、だからといって抵抗しなければその段階で国が滅びますからね。難しいところです。
完全な国際法違反
- 黒田先生
青田です。
アメリカの日本国全体の無条件降伏
そして、司法・立法・行政の支配は、
完全にバーグ条約違反です。(国際法違反。)
これは、友人が語っていたことですが、
それにたいして、『日本の有識者が何も言わなかった責任もある』と語っていました。
私も、それはあったと思いますが、この時には、日本の人材も不足していたのかもしれませんね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり国際法違反ですね。
我が国が反論できなかったのは、占領中は仕方がないにしても、その後の対策があまりにもお粗末でした。
ただ、そうなったのにも理由がありまして、我が国で極度の「自主規制」が日常茶飯事であることと無関係ではないんですよね(詳しくは今後の更新をご覧ください)。
GHQはポツダム勅令によって、自らが直接軍政を行わずとも日本政府に発する指令や勧告(かんこく)を通じて間接統治を可能とする形式を完成させたのです。しかも勅令は天皇の命令を意味しますから、GHQによる完全な「天皇の政治利用」でもありました。
かくしてGHQの発する命令は日本政府が発する命令に置き換(か)わり、実際には直接統治にもかかわらず、我が国を裏(うら)で操(あやつ)るがごとく間接的に統治するという占領政策を可能としたのでした。
我が国においてマッカーサーによる命令は絶対的なものとなり、GHQのプレス=コードによって新聞や出版物などの徹底的(てっていてき)な事前検閲(じぜんけんえつ)や言論統制(げんろんとうせい)が行われ、またラジオ放送にはラジオ=コードが定められました。
この他、映画や演劇(えんげき)の世界においてもチャンバラや仇討(あだうち)・封建的忠誠などの主題が禁じられ、日本人にとって欠かすことのできない物語であった「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」の上映や上演もできなくなってしまいました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
この話を聞くといつも、不思議に思うのは
アメリカは、民主主義の国で、自由と平等(建て前)の国です。
そして、日本も明治維新の時、アメリカではなくても、欧米諸国に倣って、民主国家の建設にひたすら努力しました。
そう考えると、民主主義を標榜していたアメリカが
ここまで、日本の民主主義を骨抜きにするのは、
激しく憤りを感じます。
余談ですが、現在、古流武術が、主要都市には、
存在しないのは、アメリカ軍が、戦後、スグに潰したからだと、聞いたことがあります。
(日本人に強くなられると困るので。。)
戦争に負けたことそのものよりも、このことのほうが、長い目で見ると日本の痛手ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりメチャクチャな話ですよね。
戦後に我が国が失ったものの大きさを感じさせます。
ぴーち こんばんは!
人々から娯楽まで奪って、
制限されてしまうなんて
今の時代だったら、暴動が起きそうですね(^^ゞ
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 人々から娯楽まで奪って、
> 制限されてしまうなんて
> 今の時代だったら、暴動が起きそうですね(^^ゞ
確かに起きてもおかしくないですね。
それにしても実に巧妙な占領統治です。
もし新聞や雑誌を発行しようにも、GHQの検閲によって削られた箇所を別の文章で埋めることができなければ、その号は発行できません。これは、終戦直後で紙が不足していた時代に必死の思いで用紙をやり繰りしていた新聞社や出版社にとって死活問題となりました。
かくして新聞や雑誌のほとんどがGHQの検閲を受けないために「自主規制」を強めるようになり、そうした流れが何事においても「そんなこと言ってもいいんですか」と考えてしまう、戦後の日本人の卑屈(ひくつ)ともいえるメンタリティを生んでしまったのです。
なお、新聞の事後検閲に関しては、各新聞社の「自主規制」が十分過ぎるほどになされたことから、検閲が不必要になったとして昭和24(1949)年10月に廃止されました。
ちなみに、プレス=コードの直前に、朝日新聞の記事の内容がGHQの逆鱗に触れ、3日間の発禁処分が下されています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
冷静に考えれば、新聞は、今も、昔も
国営新聞ではないので、
儲かるためには、(身の安全のために)
『何を書いてもイイ。』という方向に
走るのかもしれませんね。」
そう考えると、何の利益性もない情報の発信・受信が行われているインターネット社会になり、漸く、まともな情報がわかるようになった気がします。
●●新聞に勤めている知人が、
インターネットの台頭で、新聞社は、冬の時代と語っていました。
ぴーち こんばんは!
新聞社は(記者は)いづれの影響も、圧力も受けずに
あくまで公平な立場、目線で物を書いてもらいたいと思うのですが、やはり新聞そのものの生命線を断ち切られるやもしれないものには、迎合していかなければならないのが現実なのでしょうかね。。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
企業利益優先で国民の「知る権利」をないがしろにしてきたツケをこれからたっぷり払わされることになるのではないでしょうか。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 新聞社は(記者は)いづれの影響も、圧力も受けずに
> あくまで公平な立場、目線で物を書いてもらいたいと思うのですが、やはり新聞そのものの生命線を断ち切られるやもしれないものには、迎合していかなければならないのが現実なのでしょうかね。。
占領政策による検閲が続いている場合はそれでも致し方ないかもしれません。
しかし、独立回復から60年も経っている今もなお続いていることはどう考えてもおかしいですよね。
1.占領軍総司令部(連合軍最高司令官、マッカーサー)の批判(ひはん)
これによってマッカーサーは聖人君子(せいじんくんし)のごとき扱(あつか)いを受けるようになりました。この効果は絶大で、やがて日本国民の中からマッカーサーへの感謝(かんしゃ)の思いをつづった手紙がGHQに届くようになります。
2.極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、別名を東京裁判=とうきょうさいばん)の批判
3.占領軍総司令部が日本国憲法を起草(きそう)したことへの批判
日本国民に東京裁判なるものの意味と実態(じったい)を知らせないようにしたほか、日本国憲法制定までの流れを非公開とすることで、本来許されるべき日本人による自由な憲法批判を全く認めないという異常な事態を許すことになりました(これらに関しては後日改めて紹介します)。
4.検閲(けんえつ)への言及(げんきゅう)
先述のとおり、GHQによる完全なる言論統制が行われていました。現代の「自主規制」の源流ともいえます。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
これって、完全に独裁者の国と変わりませんね。
ただ、私が怒りを感じるのは
アメリカは、
民主主義=善、独裁主義=悪
で、徹底的にナチスドイツを批判しながら、
実際、日本に対して、行ったことは、司法・マスコミ・行政・立法をコントロールしていることです。
まるで
この時のアメリカは、穏やかで、優しい顔をしたナチスですね。
それと
日本の幕末・明治時代、日本だけが欧米列強の植民地になりませんでした。
もしかしたら、この大東亜戦争で、漸く、日本が欧米列強の植民地になってしまったのかもしれませんね。
戦争に負けたことよりも、その後のほうが
何ともやり切れない気持ちになりますね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、これは形を変えたアメリカにより独裁政治ですね。
> もしかしたら、この大東亜戦争で、漸く、日本が欧米列強の植民地になってしまったのかもしれませんね。
言い得て妙ですね。確かにやり切れません。
オバrev このように裏から支配する辺りに、アメリカのしたたかさを感じます。
逆に言えば、日本に欠けている部分だとも言えると思います。
でもこれが現在の歴史認識問題にも繋がったのでしょうか。そこは薄っすらとは推測できますが、どれだけ影響があったかは今一つ理解出来ません。
ぴーち こんばんは!
今日の記事を読ませていただいて
浮かんだ言葉は「遺伝子組み換え」でした(^^ゞ
遺伝子そのものを意のままに組み換えられた
言葉はそのまま「癌」と同じですね。
寒気さけ感じました。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰る通りしたたかですね。世界は腹黒いと考えた方が良いのかもしれません。
プレス=コードによる影響についてはこれからじっくりと検証したいと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 遺伝子そのものを意のままに組み換えられた
> 言葉はそのまま「癌」と同じですね。
解りやすい例えを有難うございます。
取り返しがつかないようにならなければ良いのですが…。
5.アメリカの批判
6.ソ連の批判
7.イギリスの批判
8.朝鮮人の批判
9.中国の批判
10.その他の連合国の批判
11.連合国の全体批判
連合国への批判を一切許さなかったほか、我が国と朝鮮人や中華民国(ちゅうかみんこく)とを離反(りはん)させる流れにもつながりました。
12.満州での日本人処遇(しょぐう)への批判
ソ連による侵攻(しんこう)後の満州における日本人の苦難が報道されなくなり、その結果として日本人が満州において所持していた膨大(ぼうだい)な資産が略奪(りゃくだつ)された事実も隠蔽(いんぺい)されました。
13.連合国の戦前の政策の批判
これが知られてしまうと、ABCDラインや蒋介石(しょうかいせき)への連合国からの支援(しえん)など、我が国が大東亜戦争を戦わざるを得なかった歴史の流れが明らかにされてしまうからでした。
14.第三次世界大戦への論評
15.ソ連と西側諸国との対立への論評
「日本が悪いことさえしなければ世界は平和になる」と思わせるなど、大東亜戦争後の世界情勢を日本人の目からそらせました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
そうですね。。
余り日本の事ばかりを責めて、悪者に仕立て上げようとしていると、いざ、日本にしか出来ない役割を得ようとした時に、果たしてそれが上手く叶うかどうかは、保障出来ませんよね。
どんなに慈悲深い心を持っていようと、
日本には「仏の顔も三度まで」という諺が存在することを知らしめていかなければなりませんね^_^;
ここまで、されると。。。
- 黒田先生
青田です。
ここまで、報道規制されると
誰でも『平和ボケ』になりますよね。
ただ、可愛そうなのは、戦時中に悲惨な目に合った日本人です。
悲惨な目に合い日本に戻ってきて(亡くなられた英霊も)
まるで、戦前の悪人のような扱いをされるのは
死ぬほどつらかったと思います。
特に戦後教育を受けた人間から、罵倒され、批判されたのは、本当に悲しかったと思います。
実は、私の高校の歴史の教師は、歴史の授業中
『今の若者の不良は、まだ、マシ。戦前の日本人のほうが、中国、朝鮮半島で、虐殺行為をしたのから。彼らに今の若者を批判する資格はない。』と語っていました。
それを聴いていた生徒は、
ほとんど、『その通り。』と頷き
私の友人は『中国人のほうが、日本人より寛容だから、日本の残虐行為を許してくれた。』と語っていました。
私は、県立高校の普通科でした。
今、考えると『いったいどこの国の教師かと疑問に思います。』
私の年齢は、現在、47歳ですから、その後の歴史の授業を受けた若者を考えると背筋が寒くなります。
オバrev これは、散々侵略を繰り返し、植民地政策をとってきた欧米が、経験と学問的研究によって作り上げた科学的手法ではないでしょうか。
でもこのように外堀から埋めていって、真綿で首を絞めるようにジワリと押さえつけていく手法は、昔家康もやっていたような気がしますけど、それとは違いますかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんなに慈悲深い心を持っていようと、
> 日本には「仏の顔も三度まで」という諺が存在することを知らしめていかなければなりませんね^_^;
同感です。
大東亜戦争も我が国だけが原因ではありませんからね。外国の方こそ歴史に学んでいただきたいものです。
青田さんへ
黒田裕樹 歴史の捏造がいかに罪深いものであるかがよく分かる体験談ですね。
他人事ではありませんし、私も心しなければなりません。
オバrevさんへ
黒田裕樹 人間の感情を無視したプロパガンダである所はまさに科学的と言えるかもしれませんね。
家康の場合は同じ日本人でしたし、地方自治も認めていますからね。
我が国の国体の根本まで変えようとするGHQの方が遥かに悪質でしょう。
植民地支配
- 黒田先生
青田です。
よく、考えたら、このプレスコードは
日本の幕末・明治時代に
欧米列強が、アジア諸国を植民地支配した時と
完全に同じですね。特にアングロサクソン(イギリス、アメリカ)は
わずかな人数で、その国を支配する手法は、恐ろしく長けています。
たとえば、インドは、わずか2000人のイギリス人しか駐留してないのに数億人のインド人を200年間支配していました。
絶対に、矛先がイギリスに向かわないように
日本と同じようなやり方を取っています。
少なくとも、明治の日本人は、それを知っていたと思いますが、この当時の日本人は、それを忘れていた気がします。
青田さんへ その2
黒田裕樹 確かにその流れをくんでいますね。
プレス=コードについては今後も紹介を続けますので、全部終えてから改めて検証したいと思います。
16.戦争弁護の宣伝
これによって本来あるはずの「戦争の原因」の隠蔽(いんぺい)に成功し、「日本だけが悪かった」という何の根拠(こんきょ)もない「架空(かくう)の神話」が独(ひと)り歩きすることになりました。
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
皇室を中心とする我が国の国体を破壊(はかい)すると同時に、我が国に「軍国主義があった」と見せかけ、戦時における日本軍の活躍(かつやく)などを報じることが禁止されました。
19.民族主義(国家主義)の宣伝
国家として当然である「民族主義の宣伝」を、日本にだけ許さないようにしました。現在の我が国が「健全なナショナリズム」の育成に努めなければならない原因の一つです。
20.大東亜に関する宣伝
我が国が持っていた、欧米列強がアジアに持っていた植民地を開放して日本を盟主(めいしゅ)とする共存共栄(きょうぞんきょうえい)の新たな国際秩序(こくさいちつじょ)を建設しようという「大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)」の構想を隠蔽するためでした。なぜなら「大東亜」という言葉だけで当時のアジア情勢(じょうせい)が分かってしまうからです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
ようは、矛先をアメリカに向けないように
自虐史観になるようにマインドコントールすることなんですね。
まさしく、完璧なプロパガンダの支配ですね。
脱帽です。
正直、人を支配することに関しては、アングロサクソンは、日本人よりも、一枚も二枚も上ですね。
それだけ、植民地支配の歴史が長く、ノウハウを持っていたからだと思います。
あまり、知られてませんが、ハワイは、元々
カメハメ大王の支配する土地でしたが、非常に巧妙なやり方で
気がついたら、アメリカ領になっていました。
それを彼らは、何の悪気もなく、当たり前のように出来てしまいます。
日本人の道徳性は、素晴らしいと思いますが
国際社会を生きるには、日本人もそれに対抗できるしたたかさは、必要な気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 プレス=コードを振り返ると巧妙な占領政策がよく分かりますね。
独立から60年経ちましたが、今こそ歴史に学んで逆に我が国の国体を取り戻すべきでしょう。
ぴーち こんにちは!
私は黒田さんの所へお邪魔させていただく以前は、大東亜戦争に関しても、日本が仕掛けた戦争なのだとばかり勘違いしておりました。
今思うと、もう少し歴史に関心を向けていれば良かったなと思いますし、黒田さんの日頃のこうしたご努力にも改めて感謝申し上げます。m(__)m
達観的な表現で恐縮なのですが、
日本人がこれまでやってきた様々な出来事が
本当に恥ずべき事でないとしたら、
嘘で塗り固められたメッキはどんなに隙間無く、完璧に仕立てられたとしても、必ずいづれ
剥がれ落ちる時が来るものだと思います。
それまで日本が我慢して待てる状況を継続出来れば良いでしょうが、余りに次元の低い(暴力的、あるいは脅しなど)行動を起こされるのなら、
日本も一歩次元を下げて、対応していかなければいけない時が来るかも知れませんね。
オバrev このプレスコードによる洗脳から我々日本人が目覚め、祖先への尊敬の念と感謝の意を再びとりもどすには、このようなネットや出版といた地道な活動しかないのかなぁ?
あまり公に目立ち過ぎ、それがアメリカの意に反する方向に行きそうな時には、おそらく手段を選ばず社会的抹殺を計ってきそうな気もする(~_~;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
仰るとおり、我が国はいつまでも辛抱する必要はありません。
官民一体となって汚名を晴らす時が来たのかもしれませんね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、政治主導などで名誉回復を図ろうと思えば某元大臣のように抹殺されるかもしれませんね。
その意味においてもネットによる国民の本音の広がりは大きいと思います。
【プレス=コードの30項目すべての紹介の続きです】
21.その他の宣伝
抽象的(ちゅうしょうてき)な内容ですが、逆にこれを理由としてGHQに都合(つごう)の悪い人物を追放したり、都合の悪い文書を破棄(はき)あるいは没収(ぼっしゅう)したりすることを可能としました。
「GHQのためなら何でもあり」を可能とする重要な項目(こうもく)だったのです。
22.戦争犯罪人の正当化または弁護
この事項がいわゆる極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、別名を東京裁判=とうきょうさいばん)における連合国側の「何でもあり」を可能としました(詳しくは後日改めて紹介します)。
23.占領軍将兵の日本女性との懇交(こんこう)
日本政府がGHQの要請(ようせい)によっていわゆる「慰安所(いあんしょ)」を設けていたにもかかわらず、各地で米兵による婦女暴行が横行していましたが、これに関する記述(きじゅつ)を不可能としました。
24.闇市場の取引
物資不足は必然的に闇取引(やみとりひき)の横行を招(まね)きましたが、これに関する記述を禁止しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
この事実は、日本人が絶対に知るべきことですね。
『日本が全て悪い。
GHQに占領されて、メデタシ、メデタシ』で
終わっています。
これは
アメリカへの怒りという感情論ではありません。
戦争に負けて、占領された国がどれだけ悲惨で、惨めで
つらい思いをするかを知るためです。
それを知らないから、現在の日本は、平和ボケになっていると思います。
『もう、占領されて、あんな思いをしたくない。』が健全な国の土台です。
アメリカ以外、先進国(ヨーロッパ)で、他国に占領されてない国はありません。
その度にいろいろな智恵を出しました。
(例、スイス)
ぴーち こんばんは!
アメリカだとて、正式に慰安所としてこうした場所を定めていたというのに、何故に日本だけがある国から、慰安婦問題で謝罪、謝罪と文句を言われたり、いかにも大問題である様な騒がれ方や、抗議を受けなければならないのかが疑問です。
勿論、私自身も女性としての同じ立場から、余り歓迎は出来ない内容であるとは感じますが、それを差し引いても、この問題に限っては、何十年過ぎても日本人だけが何か汚らわしい人種、あるいは大罪人の様に言われる事が理解出来ません。
オバrev 結局、このプレスコードにハマってしまって、アメリカの思い通りに、小手先のように動いたのが戦後日本の左派という見方も出来ますか?
アメリカの手のひらで踊らされていたことを、しっかり認識して、もう一度日本の戦後を考えなおす時かもしれません。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、占領時の苦難を我が国はもっと学ばねばなりませんね。
歴史教育の重要性はここにもあると思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
完全なプロパガンダとは全く異なる、我が国に秘められた慰安所の悲劇を知ることで、現状のとんでもないことを理解すべきですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るご見解で相違ないと思います。
「我が国を取り戻す」必要性は様々な分野に存在しますね。
25.占領軍の批判
当時の米兵が罪を犯しても「背の高い男」などと抽象的(ちゅうしょうてき)な表現でしか報道できなかったばかりか、米兵の犯罪による賠償金(ばいしょうきん)を日本政府に肩代(かたがわ)りさせ、それすら報道させませんでした。
26.飢餓状態(きがじょうたい)の誇張(こちょう)
深刻(しんこく)な食糧(しょくりょう)不足で飢(う)える国民が増えていたにもかかわらず、その実態を「誇張」と一方的にみなして報道させませんでした。
27.暴力行為と不穏(ふおん)状態の誘導(ゆうどう)
日本国民による占領軍に対する抗議行動(こうぎこうどう)の一切を禁止しました。
28.虚偽(きょぎ)の陳述(ちんじゅつ)
真実の陳述であっても虚偽の陳述とみなされてしまいました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
今日の項目が今までよりも更に、唖然とさせられました^_^;
ここまで来ると、支離滅裂ですね・・
何も信じられなくなりそうです(・_・;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 もはや言いがかり以外の何物でもないですからね。
こういった真実をもっと広めなければなりません。
オバrev これはまるで共産国家以上ですね(@_@;)
でもここまでしないといけないという学問的、経験的バックアップがちゃんとあったからこそできたんだと思います。その点についてはさすがアメリカと感心します。
もしこういうことも含めて総理が日本を取り戻そうと考えているなら、相当な危機管理が必要だと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 ある意味共産主義よりもひどいかもしれませんが、ここまで徹底したアメリカの姿勢は仰るとおり見るべきところがあると思います。
我が国の真の独立の道は遠いかもしれませんが、やらないわけにはいきません。その意味においても信頼できる政治家の活躍をもっと後押ししなければなりませんね。
29.占領軍総司令部(または地方の軍政部)への不適切(ふてきせつ)な言及(げんきゅう)
GHQを聖域(せいいき)とし、一切言及できないようにしました。
30.時期尚早(じきしょうそう)の発表
解禁されていない報道の公表を禁じることによってGHQによる政策の一切を隠蔽(いんぺい)し、同時に日本人に対策を立てさせない効果をもたらしました。
プレス=コードによって我が国は新聞から雑誌、私的書簡(してきしょかん)に至(いた)るまですべての文書が丹念(たんねん)に検閲(けんえつ)され、プレス=コードに触(ふ)れると判断されれば容赦(ようしゃ)なく発禁あるいは私信の没収(ぼっしゅう)が行われました。
プレス=コードは発行済のものにまで及(およ)び、当時の国民学校や中学校の教科書の至るところが墨塗(すみぬ)りで消されてしまった(詳しくは後述します)だけでなく、我が国が独立を回復した後も、健全な青少年の育成に欠かせない教科書の内容を勝手に「自主規制」する流れをもたらしてしまったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
今回成立した秘密保護法は、このGHQの
方策を僅かに模倣した形となる法であったのでしょうか・・。
それにしても、教育の現場を勝手に操作されるということは今の時代からすれば、究極のタブーですよね!この時代ではそんな反発も反故されたでしょうけれど。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今回成立した秘密保護法は、このGHQの
> 方策を僅かに模倣した形となる法であったのでしょうか・・。
秘密保護法は国家の存亡にかかわる重要機密を守るための法律ですから、むしろ逆の立場ですね。
GHQという一機関に情報を集中させず、公開すべき内容は公開すべきという立場だと思われます。
> それにしても、教育の現場を勝手に操作されるということは今の時代からすれば、究極のタブーですよね!この時代ではそんな反発も反故されたでしょうけれど。
当時はGHQには一切逆らえなかったですからね。
むしろこれを奇貨として、GHQの好むような教育を押し付け続けたことが大問題でしょう。
プレス=コードについて
柊三郎 こんばんわ
GHQより示されていた30項目のプレス=コードの内容を具体的にお教え頂き有難うございます。
で、これ等はどのような形で示されたのか、書面で示されたのか、とすればそれは残っているのか、口頭の指示だったのか、とすれば情報の出典など、併せて具体的に知りたいのですが、宜しくお願い致します。
柊三郎さんへ
黒田裕樹 プレス=コードの詳細に関しては、江藤淳氏の調査によってアメリカ国立公文書館分室にその全容が保管されていたことが明らかになったそうです。今では渡部昇一先生などがご出版の書物の中で明らかにされておられます。
なお、当時の状況については私自身も不明となっております。
降伏(こうふく)直前の我が国の混乱に乗じ、中立条約を一方的に破棄(はき)して我が国に侵攻(しんこう)したソ連は、アメリカに対して南樺太(みなみからふと)や千島列島全島、さらには北海道の北半分をソ連軍に占領(せんりょう)させることを要求しましたが、占守島(しゅむしゅとう)において日本軍が勇敢(ゆうかん)に戦ったこともあり、最終的に認められませんでした。
もしソ連が自力で勝手に北海道を占領するなどの既成事実(きせいじじつ)をつくってしまえば、いかにアメリカの強い意思表示があったとしても、それを覆(くつがえ)すことは難しかったでしょう。ただし、北海道こそ占領を免(まぬが)れたものの、南樺太と千島列島をソ連軍が不法に占領した状態(じょうたい)がこの後も続くことになってしまいました。
なお、大東亜戦争終結まで我が国の領土であった朝鮮半島は日本から分離(ぶんり)されましたが、北緯(ほくい)38度を境界としてソ連軍が北側を、アメリカ軍が南側を分割(ぶんかつ)して占領するかたちとなり、朝鮮人による自力の独立は果たせませんでした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
日本はドイツの様に半分に分断されなかったとしても、こうして伺っていると、大きく目立つものが無いだけで、僅かながらでも切り分けられているんですものね。
しかも、その後、じわじわとアメリカのこうした占拠にただただ従わなければいけなかったわけですので、敗戦の痛手はしっかりと味わっている
ことになりますよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、敗戦によって我が国の領土が削られたことは厳然たる事実です。
この痛手をしっかりと受け止め、次の世代に生かしていきたいですね。
東久邇宮が首相に任命された背景には、我が国が連合国に降伏(こうふく)したことに納得しない陸軍の武装(ぶそう)を解除(かいじょ)するとともに、ポツダム宣言(せんげん)に基(もと)づく終戦に伴(ともな)う手続を円滑(えんかつ)に進めるためには、皇族であり陸軍大将でもあった東久邇宮がふさわしいと考えられたためとされています。
「国体の護持(ごじ)」を基本方針とした東久邇宮内閣は、昭和天皇の「終戦の詔書(しょうしょ)」やポツダム宣言に則(のっと)って戦後の再建に務(つと)めようとしましたが、同年10月にGHQは「人権の確保」を名目(めいもく)として治安維持法(ちあんいじほう)や特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ、別名を特高=とっこう)の廃止(はいし)、日本共産党員をはじめとする政治犯の即時釈放(そくじしゃくほう)、また共産党員など治安維持法の違反者(いはんしゃ)への引き続きの処罰(しょばつ)を求めた大臣や官僚(かんりょう)を罷免(ひめん、職務をやめさせること)することなどを求める「人権指令(じんけんしれい)」を発しました。
しかし、GHQによるこれらの要求を認めれば、天皇に関する自由な(というより批判的な)議論を奨励(しょうれい)するのみならず、国内での共産活動が再活発化し、我が国で革命(かくめい)が起こることを危惧(きぐ)した東久邇宮内閣は、治安に責任が持てないことを理由に10月5日に総辞職しました。東久邇宮内閣の在任期間は54日しかなく、現在でも歴代最短となっています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
皇族でしかも陸軍大将を経験された方が
内閣総理大臣に任命されていたのは、初めて伺いました。
この事は歴史に明るい方なら
皆さんご周知の事なのでしょうけれど、私の様に知らない方も多いのではないでしょうか・・。
やはり、任期期間が短かかったことも理由に挙げられることと思いますが・・
(あくまで自分目線な物言いで申し訳ありませんが^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 いえいえ、戦後史については学校の授業でもなかなか取り上げられることはありませんし、ご存じないのもご無理はないと思いますよ。
むしろ我々が教えられていないことが大きな問題であるともいえますからね。
昭和20(1945)年10月9日に内閣を発足(ほっそく)させた幣原は、11日に新任挨拶(あいさつ)のためマッカーサーに面会に出向きましたが、そこで待っていたのはGHQによる一方的な要求でした。
マッカーサーは幣原首相に対し、面会したその場で大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう、別名を明治憲法=めいじけんぽう)の改正を示唆(しさ、ほのめかすこと)すると同時に、以下の5つの改革を口頭(こうとう)で要求しました。これを五大改革指令(ごだいかいかくしれい)といいます。
1.婦人参政権(ふじんさんせいけん)の付与(ふよ)
2.労働組合の結成奨励(しょうれい)
3.教育の自由主義化
4.秘密警察(ひみつけいさつ)などの廃止(はいし)
5.経済の民主化
なお、憲法改正問題に関しては別の機会で詳しく紹介(しょうかい)します。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
改革指令の内容はいづれにせよ、
気になる点は、やはり「弱腰」である事ですね。
主張すべき事は、主張し、例えそれがアメリカに拒絶されても、何が何でも押し通すんだという強い意思が
その当時の内閣にも存在していれば、また日本への対応が変わっていたかもしれませんね。
占領とは、不条理で、理不尽なもの
- 黒田先生
青田です。
占領された国というのは、ここまで、理不尽で、
不条理な思いをしないといけないのですね。
この時の日本は、近代国家として、かなり、見識・良識を前提にした、体制を創っていました。
しかし、GHQの理不尽な要求に何の知識・見識も全く、通用しませんでした。
今の日本人は、こういう話自体、ネガティブな話として、敬遠し、単なる昔話だからと真実を知ろうとしませんが、
ただ、これは、単なる悲劇の昔話とは、思えません。
現代にも有り得る話です。
もし、近隣の某国に占領されたら、同じような(もっと、理不尽な)する可能性があります。
『歴史から、学ばない国は、必ず、凋落する。』ことを忘れてはいけませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、弱腰外交の幣原首相では荷が重すぎました。短期間で内閣を辞職した東久邇宮のような気概がほしかったとも言えますね。
青田さんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
悲惨な経験を経たのであれば、二度と同じ目にあってはなりません。
そのためにも私たちは「正しい戦後史」と向き合わねばならないのです。
昭和20(1945)年10月には軍国主義や国家主義的とみなした教育を禁止するとともに、これらに抵触(ていしょく)するとして約11万人もの教職者を追放するよう指令しました。これを教職追放といいます。
さらにGHQは、我が国の伝統的な神道(しんとう)を軍国主義のイデオロギーと一方的にみなして、同年12月に神道を国家から分離(ぶんり)するために神道指令を発布(はっぷ)しました。
神道指令によって神道は単なる一宗教の扱(あつか)いを受けることとなり、国家神道や神社神道に対する国家の支援(しえん)も禁止されました。これには神社をいずれ自然消滅(しぜんしょうめつ)させるというGHQの意図(いと)があったとされています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
歴史の授業で、散々、神道=軍国主義と
洗脳されました。
まさか、GHQが創ったシステムだったとは。。
ぴーち こんにちは!
今でも有名、無名問わず
神社が各地に存続しているということは、
その後、神道のご努力で復活されたのでしょうか?それともこの時に命令を覆すなにか大きな圧力が加わったのでしょうか・・?
青田さんへ
黒田裕樹 私自身も真実を知った時は驚きました。
GHQにより洗脳の恐ろしさと、それが今もなお続いているという現実に慄然としますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 GHQが我が国の長年の神社に対する信仰を理解できず、一神教と同一視して潰せると高をくくっていた感もありますね。
但しその洗脳能力は尋常ではなく、神主や住職の中にもいわゆる「唯物論者」が増えているという話を聞いたことがあります。
GHQはこの連載に合わせるかのように「大東亜戦争」の呼称(こしょう)を禁止して「太平洋戦争」に無理やり変更(へんこう)させました。翌9日にはNHKラジオに「真相(しんそう)はこうだ」の放送を開始させ、GHQによるプロパガンダを拡大させる一方で、番組に対する国民の反発の声は揉(も)み消されました。
また、GHQは昭和20年10月22日に「日本教育制度に対する管理政策」を指令し、修身(しゅうしん)や国史・地理の授業の停止や教科書の回収を命じました。地理や国史は翌昭和21(1946)年に再開を認められましたが修身は許されず、日本の教育の精神面に大きな打撃(だげき)を与えました。
教育は占領軍の厳しい管理下に置かれ、それまでの建国神話ではなく考古学的記述(こうこがくてききじゅつ)から始められた小学校用の国定歴史教科書「くにのあゆみ」や、中学校用教科書の「あたらしい憲法のはなし」などが使用されたほか、昭和22(1947)年には新たに社会科が設置(せっち)されました。
なお、これ以前にGHQは昭和20年9月に教科書の内容のうちポツダム宣言(せんげん)に抵触(ていしょく)すると思われる部分を訂正削除(ていせいさくじょ)するよう指示を出し、いわゆる「墨塗(すみぬ)り」の教科書を使用させていました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
教育、教科書そのものが改ざんされて
事実と異なることが書かれてしまうと、
目も当てられませんね。
青少年期に覚えたことはそのまま、その人の
生涯に渡っての知識として植え付けられてしまうだけに
本当に恐ろしい話です。
占領というより征服
- 黒田先生
青田です。
ここまでくると
単なる占領というよりも、征服に近いですね。
考えてみれば、この時から、わずか、60年前まで、
やっていることは、違いますが
奴隷制度で、黒人を家畜のように扱っていたのが
アメリカなので、完全に日本人にたいする人種的な偏見があるように思います。
その洗脳に私は、完全に支配されていましたが。。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 教育、教科書そのものが改ざんされて
> 事実と異なることが書かれてしまうと、
> 目も当てられませんね。
> 青少年期に覚えたことはそのまま、その人の
> 生涯に渡っての知識として植え付けられてしまうだけに
> 本当に恐ろしい話です。
仰ることは当然であり、許しがたいことであるのは言うまでもありません。
しかし、もっと問題なのは、この流れが現代の教科書にも受け継がれていることなのです。
青田さんへ
黒田裕樹 そのとおりですね。
我々は一度事実上の制服を受けていると考えた方が良いのかもしれません。
オバrev 国民を洗脳していくやり方は背筋が寒くなりますね。でもアメリカだったからまだこの程度であって、これまで実際に戦争に負けた国はもっと悲惨な目にあってきたんでしょうね。
日本を取り戻すとは、日本人の先祖から受け継がれてきた精神を取り戻すことかもしれませんね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 国民を洗脳していくやり方は背筋が寒くなりますね。でもアメリカだったからまだこの程度であって、これまで実際に戦争に負けた国はもっと悲惨な目にあってきたんでしょうね。
> 日本を取り戻すとは、日本人の先祖から受け継がれてきた精神を取り戻すことかもしれませんね。
確かに「アメリカだったから」という点も大きいですね。
とはいえ、我が国を取り戻すのは尋常ではありません。
日本の民主化達成のためには「戦争協力者を公職(こうしょく)から排除(はいじょ)する」ことが望ましいと判断したGHQは、昭和21(1946)年1月4日に以下に該当(がいとう)する人物を公職から追放するように指示しました。
A項(こう) 戦争犯罪人(せんそうはんざいにん)
B項 職業軍人(しょくぎょうぐんじん)
C項 極端(きょくたん)な国家主義団体などの有力分子(ぶんし)
D項 大政翼賛会(たいせいよくさんかい)や翼賛政治会(よくさんせいじかい)などの有力分子
E項 日本の膨張(ぼうちょう)に関係した金融機関(きんゆうきかん)などの役員
F項 占領地(せんりょうち)の行政長官
G項 その他の軍国主義者および極端な国家主義者
政府はこれらの指示に基づき、同年2月28日にポツダム勅令(ちょくれい)として「就職禁止、退官、退職などに関する件」として公布(こうふ)したほか、3月には「軍国主義指導者の追放」を指令し、5月には教職員追放令、12月には労働追放令(第一次)と次々と発令しました。
こうしたいわゆる公職追放令によって、陸海軍の軍人ら各界の指導者約21万人が追放されるとともに、その地位を剥奪(はくだつ)されてしまったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
去年、「少年H」という映画を鑑賞したのですが、戦争が終わり、それまで徹底した軍国主義だった教師、教官が、アメリカ人が街を横行し始めた途端、人が変わった様に、民主主義万歳!アメリカ万歳と手のひらを返した様に、賞賛している姿をみた少年は、それまでは米英を憎め!米英のしていることを日本人はするべからずと禁止していたにも関わらず、その変わり身の早さや、大人がアメリカ人に迎合している姿に理不尽さや、憤りを感じて、大声をあげて、大人に食って掛かるシーンがありましたが、素直な少年の心は大いに傷ついたことでしょうけれど、大人は憤りを感じながらも、生き残る為の手段として、アメリカに賛同する振りをしなければならない苦悩が相当あったのだろうなと、今日のお話を伺いながら、そんな事を思い直しました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、ご紹介の映画もその点は上手に追及しているようですね。
追放されたくないと思えば、人間の行動は自然と制限されるものですから。
アメリカの本当に恐れたモノ
- 黒田先生
青田です。
私は、以前、この事にくわしい方が、
アメリカ在住に知った事実として
『アメリカが、恐れたのは、日本の陸軍士官学校、海軍士官学校のエリート達でした。』
彼らは、アメリカのエリートを凌ぐほどの優秀さでした。
そこで、アメリカとしては、
『自分で考えることが出来るエリートではなく
、
言われたことを言われた通りする程度の
優秀な人間が指導者に残ればイイと考えました。』
たとえば、アメリカには、ディベート(議論)の
授業は、
必須ですが、アメリカは、日本の教育に
ディベート(議論)をカリキュラムに入れませんでした。
結果的に戦後
外国から、言われたら『スグ謝る』という交渉事が出来ない日本人になりました。
そう考えると
今でも、日本の教育・政治・経済界で、
人材不足を起こしていると思います。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに我が国の人材不足は深刻ですね。
時間をかけてでも再構築すべきだと思います。
GHQによるこうした「名指しの追放」は、自分もいつ追放されるか分からないという底知(そこし)れぬ恐怖感(きょうふかん)を周囲(しゅうい)に与(あた)え、自分の地位を守るために臆病(おくびょう)になる者が増加した一方で、追放によって空(あ)いたポストには社会主義者や共産主義者、あるいはその共鳴者(きょうめいしゃ)たちなどの左翼言論人(さよくげんろんじん)がその大半を占(し)め、戦後の教育界や大学・マスコミなどに深く入り込(こ)みました。
公職追放令は我が国が独立を果(は)たした昭和27(1952)年に廃止(はいし)されましたが、一旦(いったん)追放された人々が戻(もど)ることができなかったことから、結果として「何でも日本が悪い」という自虐史観(じぎゃくしかん)が我が国にはびこることになってしまったのです。
また、それより以前の昭和20(1945)年10月には治安維持法(ちあんいじほう)・治安警察法(ちあんけいさつほう)・特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ、別名を特高=とっこう)が廃止され、徳田球一(とくだきゅういち)ら共産主義者の政治犯が釈放(しゃくほう)されました。
GHQがこのような処置(しょち)を行った背景には、占領軍民政局(せんりょうぐんみんせいきょく)には左翼思想の人間が多く、とりわけ民政局のホイットニー局長とケーディス次長が社会主義者であったことから、徳田らにシンパシー(同情や共感、共鳴のこと)を抱(いだ)いていたのではないか、と考えられています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
(※次回[2月4日]からは第40回歴史講座の内容の更新を開始します)





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ぴーち こんばんは!
見せしめを行うことで、緊張感や恐怖心を煽るのはよくある手段ではあると思いますが、ここまで徹底したアメリカの側のマインドコントロールに遭うと、敵いませんねぇ・・・まるでカルト教団が行うような手段にも思えて来ます^_^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり徹底していますよね。
それに加えて、公職追放で逆に利権を得た人物が我が物顔で業界を牛耳ったことが現在もなお大きな影響を与えていることが残念です。
1945(昭和20)年11月、連合国側は敗戦国となったドイツを裁(さば)くという名目(めいもく)でニュルンベルク国際軍事裁判(こくさいぐんじさいばん)を開廷(かいてい)しましたが、検察側(けんさつがわ)は「共通の計画または共同謀議(きょうどうぼうぎ)」「平和に対する罪」「戦争犯罪」「人道に対する罪」に基(もと)づいて被告(ひこく)を起訴(きそ)しました。
裁判では、文明に対する罪や平和に対する罪を大義名分(たいぎめいぶん)としたうえで「個人を罰(ばっ)しない限りは国際犯罪である侵略戦争(しんりゃくせんそう)を実効的に阻止(そし)できない」とされ、従来の戦争に対する概念(がいねん)では考えられないような主張が正当化されました。
裁判は1946(昭和21)年10月に結審(けっしん)し、12名の被告に死刑が宣告されたり、7名に終身刑や有期懲役刑(ゆうきちょうえきけい)が宣告されたりという、ドイツにとっては非常に厳しい判決が下されました。
しかし、ニュルンベルク国際軍事裁判と並行して行われた極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん)において、我が国はドイツとは比較(ひかく)にならないほどの理不尽(りふじん)な仕打ちを受けてしまうことになるのです。なお、当ブログでは極東国際軍事裁判に関して、今後は別称(べっしょう)である「東京裁判」という表記で統一します。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
なにやら今日の記事を読ませていただいただけでも
そうですが、これまでの流れの中で
アメリカが日本に仕向けた戦争から始まり、
終戦後にはここまで日本を陥れようとする
徹底振りに、激しい怒りを覚えますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 これまで私たち日本国民は、わが国の近現代史についてあまりにも無知でした。
言論の自由は非常に重要ですが、歴史の真実を理解したうえで自分なりに考察しなければいけません。