もっとも、我が国の将来を憂い、無私の行動を貫いて最期には潔く刑場の露(つゆ)と消えた吉田松陰が現在も多くの人々に慕(した)われ続けているのに対して、安政(あんせい)の大獄(たいごく)を断行してその松陰の生命を奪った井伊直弼は、一般的には評価されることが少ないように思われます。
しかしながら、当時の我が国の大きな歴史の流れをたどれば、松陰も直弼もある意味「犠牲者」としては同じ立場であるばかりか、幕府による数々の失策が、現代の私たちにまで暗い影を落としているという驚くべき事実を皆さんはご存知でしょうか。
今回の講演では、松陰と直弼のそれぞれの生涯を振り返りながら、我が国が今もなお抱え続ける大きな問題と、その解決方法について探っていきたいと思います。
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど、幕府の失策ですか。
どのようにこの二人の人物を絡め、展開していくのか
楽しみに拝見させて頂きたいと思います^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、幕府の失策ですか。
> どのようにこの二人の人物を絡め、展開していくのか
> 楽しみに拝見させて頂きたいと思います^^
有難うございます。
今回の結末ほど「大きな歴史の流れ」を実感できるのはなかなかないのではと思っております。
こんにちは
鬼藤千春の小説・短歌 はじめまして!あるブログを拝見していたら、このブログに出会いました。私もブログを開設しています。「鬼藤千春の小説・短歌」で検索できます。一度訪問してみて下さい。よろしくお願い致します。
鬼藤千春の小説・短歌さんへ
黒田裕樹 はじめまして、拙ブログへのご訪問並びにお言葉有難うございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
将来を嘱望(しょくぼう)された松陰は、西洋兵学の勉強のために嘉永(かえい)3(1850)年に九州へ遊学し、兵学者の宮部鼎蔵(みやべていぞう)に出会って友情を深めると、翌嘉永4(1851)年には江戸へ向かい、佐久間象山(さくましょうざん)に師事して熱心に勉強を重ねました。
その後、松陰は宮部らと東北旅行を計画しましたが、出発日の約束を守るために、長州藩からの通行手形の発行を待たずに脱藩しました。自分の将来よりも、他藩の友人との約束を優先したのです。
こうした松陰の崇高(すうこう)な精神が、いずれ彼の生命を縮めることになってしまうのでした。なお、松陰は旅行を終えて江戸に帰着後、罪に問われて士籍剥奪(しせきはくだつ)・世禄(せいろく、世襲の家禄のこと)没収の処分を受けています。
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
崇高な精神ですか・・
私事で恐縮ですが
父が以前
丁字路で前方一時停止線が有り
そこで一旦停止しようと減速した時に
たまたま右方向からこちらへ曲がろうとしている車が有ったそうです。
父が進んで来た道は、車二台すれ違うには
少しばかり狭いくらいの道路だったので、
まずは父の車が少し先に出ないとそちらの車が
曲がって来れないと判断した父は
停止線よりもわずか先に停止したそうです。
しかし、その左側に一時停止違反を取り締まるパトカーが見ていて、停止線をわずかに出て停止した
父は違反で減点されてしまいまして・・
他人の為に良かれと思ってとった行動が
自分には不利になってしまうという話を
思い出しました(^_^;)
余りに崇高過ぎるのも考えものなのかも
知れませんね(^_^;)
長々と失礼しましたm(__)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 それは大変な目にあわれましたね。
確かに崇高過ぎるのも考えものですが、だからこそ人は惹かれるのかもしれません。
そして翌嘉永7(1854)年、ペリーが日米和親条約を結ぶために再航した際に、伊豆下田港に停泊中のポーハタン号へ向かい、密航を訴えましたが、日本と条約を結んだばかりのペリーは松陰の願いを拒否しました。
夢破れた松陰は、潔く下田奉行所に自首しました。やがて長州へ護送された松陰は、安政2(1855)年に許されるまで投獄されました。以下は、江戸から長州へ護送される途中で、赤穂義士で有名な泉岳寺(せんがくじ)を通りがかった際に松陰が詠(よ)んだ和歌です。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そういえば、今年の大河ドラマの花燃ゆを
最初の頃だけチラ見していたのですが、
吉田松陰役の伊勢谷さんがペリーの船に乗り込んで直談判しているシーンが有ったのを思い出しました^^
自らの欲する思いは大和魂が成せる事だと
ご本人は思っていたのでしょうかね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 おそらくは仰るとおりではなかったかと思われます。
ある意味、見習うべき点が多いのではないでしょうか。
安政4(1857)年には久坂玄瑞(くさかげんずい)が松陰に弟子入りするなど、松陰のもとに来る若者が増えたため、杉家の敷地に新たに塾舎を開設し、叔父の玉木文之進がかつて主宰していた松下村塾の名を引き継ぎました。
松下村塾において、松陰は久坂玄瑞のほかに高杉晋作(たかすぎしんさく)、伊藤博文(いとうひろぶみ)、山県有朋(やまがたありとも)、吉田稔麿(よしだとしまろ)、入江九一(いりえくいち)、品川弥二郎(しながわやじろう)などを教育しました。また、松陰は塾生たちに一方的に教えるのではなく、弟子と一緒になって意見を交わしたりするなど、いわゆる「生きた学問」を重視するものでした。
しかし、松陰と塾生たちとの楽しい日々は長くは続きませんでした。安政5(1858)年に江戸幕府の大老である井伊直弼が、勅許(ちょっきょ、天皇による許可のこと)を得ずに日米修好通商条約を結んだからです。
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そうそうたる面々が松下村塾には集まったのですね!
いえ
ここで学んだからこそ、その名を残す人物になれたと言い換えたほうが良いのかも知れませんが^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 おそらくは両方とも当てはまるのではないでしょうか。
松下村塾での学びの日はわずかでしたが、そのインパクトは大きかったですね。
翌安政6(1859)年、井伊直弼による安政の大獄において、梅田雲浜(うめだうんぴん)との関係による嫌疑(けんぎ)をかけられた松陰は江戸に送られると、尋問(じんもん)の際に老中暗殺計画の詳細を自供してしまいました。
なぜ松陰は暗殺計画を自ら幕府に語ったのでしょうか。松陰は常日頃から「至誠(しせい)にして動かざる者は、未だ之(こ)れ有らざるなり」、すなわち「真心を尽くせば、感動しない者はいない」という孟子(もうし)の言葉を語っていました。
松陰は「我が国の行く末が気になるからこそ、本当のことを話さなければならない。幕府もきっとわかってくれるはず」という強い信念があったのかもしれません。
しかし、そんな松陰の真っ直ぐな思いは、幕府の上層部には通用しませんでした。松陰が告白した計画に激怒した井伊直弼が、見せしめとして松陰を死罪にすることに決めたのです。
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
さして差し支えない企てならば
そのように激怒もしなかったのでしょうけれど、
正論であるが故に怖さが倍増したのでしょうね。
正論はそれだけで刃のごとき威力を持つものですしね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 正論はそれだけで刃のごとき威力を持つものですしね。
仰るとおりだと思います。
松陰の真っ直ぐな思いが、逆に彼の生命を縮めてしまったのが何とも言えない皮肉ですね。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽(く)ちぬとも 留(とど)め置かまし 大和魂」
「たとえ自分の身体は死んで朽ち果てようとも、国を思う私の心はずっと留まって生き続ける」。松陰が死の直前に書きあげた「留魂録(りゅうこんろく)」は、遺された塾生たちに送り届けられ、幕末から明治維新にかけての歴史の大きな流れを構築するようになったのです。
自らの生きる道を信じ、それゆえに自身の生命を縮める結果となった吉田松陰。その潔い生涯は、いまもなお私たちに大きな影響を与え続けていますが、その一方で、松陰を「殺した」井伊直弼はどのような生涯を送ったのでしょうか。
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そうですね・
人間って、きっと自分の気持ちに正直に
生き抜こうとすると、命がいくつあっても
足りなくなるのかも知れません(^_^;)
皆多かれ少なかれ
自分の意向を曲げたり、時には相手に
合わせて折れたりする事で生命の
存続を図って生きているのでしょうね。
なかなか自分の意見を曲げずに貫き通す
勇気や気概というのは真似ることが出来ないのが
普通なので
松蔭の様な生き様に感動する人も
少なくないのかもしれません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私も同じ思いです。
松陰の生き様に多くの人が共感したからこそ、その後の道が開けたのだと考えられます。
その意味では、彼の死は決して無駄ではなかったのかもしれませんが…。