その後、谷垣総裁が、任期満了となった平成24(2012)年9月に退任を表明したため、新たに5名が総裁に立候補しましたが、その中に、かつて首相を務めた安倍晋三(あべしんぞう)氏の名前がありました。
9月26日に行われた総裁選挙において、安倍氏は1回目の投票で2位となりましたが、過半数を得た候補がいなかったため、1位だった石破茂(いしばしげる)氏との国会議員による決選投票となり、108票を得た安倍氏が逆転で総裁に選出されました。
かくして、総理大臣並びに自民党総裁を辞任してから、ちょうど5年の歳月を経て、安倍氏が政治の表舞台へと返り咲いたのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
首相になりたいと思う人は多いでしょうけれど、
希望と実行能力はまた別物ですものね。
今のこの日本を明るい未来へ導く舵取りをするには
ある種のカリスマ性を兼ね備えた首相で無ければ、
国民は国を任せる事に不安を感じます。
そういう意味では、安倍首相の中に潜むカリスマ性は光るものがあったのでしょうね。
けれど
国民が彼の行動力だけに注目し
それを手放しで評価しているうちに本意を見失って
しまうおそれも有りますので
本来進むべき道を、踏み誤る事の無いよう、常に冷静に客観的に見守っていく必要があると思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと私も思います。
安倍首相の再登板を喜ぶ声も多いですが、言うべきことはしっかりと批判することで、我が国を正しい方向へと導く必要がありますね。
安倍晋三氏の自民党総裁復帰に際して、歓迎する声が国民を中心に見られたのに対して、マスコミの多くが批判的にとらえたばかりか、「お腹が痛いと言って辞めた人間がなぜもう一度やろうというのか」という、難病である潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)を抱えた人間全体を侮辱(ぶじょく)する発言も見られました。
それから約1ヵ月半後の平成24(2012)年11月14日、国会内での党首討論において、安倍総裁は野田首相とのやり取りの中から「(11月)16日に(衆議院を)解散する」という首相の言葉を引き出すことに成功し、一気に解散モードが高まりました。
野田首相の宣言どおり、11月16日に衆議院が解散され、翌12月16日に総選挙が行われた結果、自民党は480議席中294議席を得て圧勝し、10日後の12月26日に安倍晋三総裁が第96代内閣総理大臣に就任し、公明党との連立で第二次内閣を組織しました。
一度辞任した内閣総理大臣が再就任したのは、戦後では吉田茂(よしだしげる)以来2人目であり、自民党では初の出来事でした。また、第一次安倍内閣の総辞職以来、6年連続で首相が毎年交代してきましたが、第二次以降の安倍政権は、平成26(2014)年12月に行われた衆議院総選挙でも圧勝し、第三次内閣を新たに組織するなど、長期政権の様相を見せ始めています。
戦後から70年が経過し、いまだ混迷が続く我が国において、国政のかじ取りを任された安倍政権は、我が国をどのように導いてくださるのでしょうか。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
そうですか。通史を6年も。
失礼ながら
歴史はまるで興味が有りませんでしたが、
黒田さんのブログで様々な時代の勉強をさせて頂いているうちに、少しずつ歴史に興味を抱く様になれましたこと、厚く御礼申し上げますm(__)m
これからも、宜しくお願い致します!
歴史は繰り返す
青田です。 黒田先生
青田です。
私が、政治に興味を持ったのは、この第二次安倍政権の誕生からです。
いろいろ理由は、ありますが、
幕末の長州藩がボロボロになりながら、維新回天を成し遂げました。
その時の長州藩と
第一次安倍政権の満身傷痍になり、1年で、退陣した安倍氏の復活が自分の中で、結び付いたからです。
ちなみに、幕末長州藩を立て直した高杉晋作の
『晋』の字から、安倍晋三氏の名前が付けられたそうです。
まだ、安倍政権の今後で、結果は出てませんが、
もし、この安倍政権が頓挫した場合、日本は、本当にヤバイと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 こちらこそ、丁寧なお言葉をくださり有難うございます。
通史は一旦完結しますが、今後も更新を続けますので、どうぞよろしくお願いいたします。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに第二次以降の安倍政権は仰る内容が被りますよね。
今後の政権の運営も大変ですが、我が国の国益のためにも全うしていただきたく思っております。