しかし、デタントによってアメリカの国防費が低く抑えられたのに対して、ソ連は1970年代にかけて大幅な戦略核兵器の増強を行い、ICBM(大陸間弾道ミサイル)やSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の保有量がアメリカを上回るようになりました。
戦略核兵器でアメリカを抜き去り、優位に立ったソ連は、返す刀で石油の供給地である中東に包囲網(ほういもう)を仕掛けるため、1977(昭和52)年にはエチオピア、1978(昭和53)年には南イエメンとアフガニスタンでクーデターを起こさせ、親ソ政権を樹立させました。
ソ連の野望は極東(きょくとう)にも向けられ、昭和53年には、我が国固有の領土である北方領土のうち、国後(くなしり)・択捉(えとろふ)・色丹(しこたん)島に一個師団(兵力約12,000人)に相当する地上部隊を再配備したほか、長距離砲や対地攻撃用ヘリコプターまで配備するなど、極東における緊張感が高まりました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
すごく単純な質問で恐縮ですが、
そもそも戦争を行う理由は何なのでしょうかね?
領土拡大する事により、天然資源を確保して自国の生き残りを図る為だけなのでしょうか。もしかしたら、戦う相手国を倒し、支配する事による優越感だけを
味わいたいが為?
結局、戦う人間の心理と言うのは、自国のことだけ。あるいは自分の事だけしか考えられなくなる思いが渦巻いているからなのでしょうけれど・・。
オバrev ウクライナ問題をきっかけに、また欧米とロシアが対立。そして経済制裁されたロシアは中国に接近。中ロが手を組むと、尖閣や北方領土問題を抱える日本には大きな脅威となります。
ロシアや中国は近隣の国や反米勢力と手を結び・・・新たな冷戦の始まりか!・・・って可能性は、これまでの歴史的見地からありますかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 欲望と欲望のぶつかり、あるいは一方的な相手に対する防衛のための先制攻撃などによって、人間同士の争いが絶えませんが、この人間を国家に例えれば分かりやすいかもしれませんね。
特にこの当時は、世界の覇権をめぐって米ソが激しく対立していた時期でしたし、騙し合いなど当然でもありました。だからこそ、出し抜けにソ連が攻勢を強めたのでしょうね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 ロシアとチャイナは国境を隔てた敵同士でもありますし、我が国もロシアとの関係を維持しようとしていますから、どう転ぶかはまだ見えてきませんね。もっとも、我が国は「あらゆる場合」を想定して国家間の関係をしっかりしておくべきだと思います。その意味でも今の安倍首相の「全方位外交」はうってつけですね。
ソ連による軍事介入は、中東包囲網(ちゅうとうほういもう)の一環(いっかん)であるアフガニスタンを手放さないというソ連の意思を世界に示すとともに、ソ連の武力進攻がこの後もあり得るという厳然(げんぜん)たる事実を明らかにしましたが、北方領土におけるソ連の軍事力増強を見せつけられていた我が国は、より一層の強い危機感を抱(いだ)くようになりました。
また、ソ連の野望が世界に示されたことは、同時に米ソ間の緊張が再び高まったことを意味しており、デタントが崩壊(ほうかい)するとともに、翌1980(昭和55)年に行われた、ソ連でのモスクワオリンピックに対して、アメリカや我が国を含む西側諸国の多くが、アフガニスタン侵攻(しんこう)への抗議を理由にボイコットしました。
なお、1980年夏にポーランドで自主独立の労働組合として「連帯」が結成され、政治の民主化を求めましたが、これに対してソ連が軍事介入をほのめかして圧力をかけると、翌1981(昭和56)年にポーランド軍部がクーデターを起こして、ワレサ(ヴァウェンサ)氏を中心とする「連帯」の幹部が逮捕(たいほ)されるなど、ソ連による脅威(きょうい)は東側諸国にまで容赦(ようしゃ)なく及びました。
ちなみにワレサ(ヴァウェンサ)氏は、その後1983(昭和58)年にノーベル平和賞を受賞したほか、民主化後の1990(平成2)年には、選挙によってポーランドの大統領に就任しています。
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ぴーち こんばんは!
ワレサ氏の存在は今回初めて
お伺い致しましたが、素晴らしい人物だったのですね。
こういうご自分の考えを貫き通す強靭な精神力。
こういう方の生き方に学びたいものです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ワレサ(ヴァウェンサ)氏の精神力と情熱は確かに素晴らしいと思います。彼のような人物がいたからこそ、この後にポーランドが無血で民主化に成功したのではないでしょうか。
また、当時のイギリスのサッチャー首相(保守党)は、経済に対する政府の過度の介入を避(さ)け、民間の活力に重きを置いた「小さな政府」をめざそうとする「新保守主義」を唱えていましたが、レーガンはサッチャー政権と協調したうえで、「強いアメリカ」を標榜(ひょうぼう、主義・主張や立場などを公然と表すこと)して、ソ連に対する強硬姿勢を見せました。
レーガンによる軍備の拡大は、必然的にソ連との軍拡競争をもたらしたため、米ソによる「新冷戦」と呼ばれましたが、果てしない軍拡競争によって、経済が急速に悪化したアメリカは、海外製品の流入などによる国内産業の空洞化(くうどうか)や、国家財政と国際収支のいわゆる「双子の赤字」に苦しんだのみならず、世界最大の債務国へと転落してしまいました。
先述したアメリカによる、我が国に対して自動車などの輸出自主規制や、農産物の輸入自由化を強く求めるといった貿易摩擦(ぼうえきまさつ)は、こうした背景から生まれたものでした。アメリカからすれば、「誰がお前の平和を守ってやっているんだ」という思いがあったのかもしれませんね。
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ぴーち こんばんは!
win-winの関係が齎されれば、お互いの思いが遂げられて良いかも知れませんが、アメリカのこういう思惑の上で日本との関係を引き留めようとする
考えははどうも好きになれませんね(^^ゞ
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > win-winの関係が齎されれば、お互いの思いが遂げられて良いかも知れませんが、アメリカのこういう思惑の上で日本との関係を引き留めようとする
> 考えははどうも好きになれませんね(^^ゞ
お気持ちはよく分かります。ただ、その関係を辞めようと思えば、日米安保条約に頼らないだけの軍事力を我が国が持たねばならなくなるのもまた事実なのです。
当時の我が国は中曽根康弘(なかそねやすひろ)首相の時代でしたが、中曽根首相はレーガンと愛称で呼び合う(いわゆる「ロン・ヤス」)ほどの関係を構築し、日米関係は一気に緊密化(きんみつか)しました。
レーガンが日本を味方に引き入れたのには大きな理由がありました。円高不況を乗り越え、バブル景気を迎えつつあった当時の我が国の国内総生産(=GDP)は、アメリカに次いで世界第2位であり、しかもそのアメリカに迫(せま)る勢いを見せていました。
アメリカは我が国の力を警戒するとともに、「強い日本」と連携(れんけい)することで、ソ連との果てしない軍拡競争を有利に展開しようと算段したのです。そして、そこに世界に大きな影響力を保持していた、かつての「大英帝国」が加われば、まさに「鬼に金棒(かなぼう)」でした。
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ぴーち こんばんは!
世界が認めざるをえない存在にまで
登り詰めた我が国を腹の底では
気に入らない存在だと思いながらも、
その成果を認め、また利用価値があると判断した
アメリカの強かさには、天晴と思いたい
気持ちもありながら、私も腹の底では
そういうアメリカの態度に閉口致します。
日本ばかりではなく、他の国もアメリカに
認められたくて、また、認めさせたくて
経済成長を図って居る訳では無い事を祈りたいのですが、やはり、アメリカと言う存在を
無視する事は出来ないというのが現状なのでしょうかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
世界は我々日本人の想像がつかないほど腹黒い。
だからこそ、我が日本は強くならなければならないのです。
ぴーち 腹黒いと言えば・・・
昨日あたりから、大相撲を観戦していて
思いましたが、
照ノ富士という力士の相手を挑発する様な
手法の相撲に、思わず
日本人力士が行う相撲とはやはり違うなと
感じました。
第二の朝青竜の出現・・なのかとも思うほど
です。
勝つためなら、どんな技でも仕掛けて行き
さほど苦労せずにいかに勝てるかという事だけに
特化している相撲にも見えました。
しかし、そんな照ノ富士の前に、
白鵬の力技は勝っていましたね・
さすがという感じです。
これが本当の相撲というものなんだと言わんばかりの押しの効いた相撲には
どんな汚い手も利かないと言った所が
痛快でした(^^ゞ
話が脱線してしまい、申し訳ありませんm(__)m
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 腹黒い世界だからこそ、正攻法の強みと良さが理解できますよね。
我が国の今後も、可能な限り卑怯な手段は使いたくないものですが…。
なお、我が国が戦後に「国際情勢をも動かすことができる大国」として本格的に復活したのは、中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣の頃からです。中曽根氏には「靖国神社への参拝を取りやめた」という大きな失点があり、評価の分かれるところではありますが、レーガンやサッチャーとともに一時代を築き上げたという歴史的意義に関しては、もっと語られてよいと思います。
それでなければ、我が国の最高勲章の一つである大勲位菊花大綬章(だいくんいきっかだいじゅしょう)を、存命中に授与されるということもなかったでしょう。
昭和54(1979)年に社会学者エズラ・ヴォーゲル氏の著書である「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が発表され、世界的ベストセラーとなりましたが、中曽根内閣の頃には「日本はアメリカ以上の大国になるかもしれない」と世界中の人々が本当に考える時代を構築していたのです。
ちなみに、我が国が安定成長期からの円高不況を乗り越え、空前の好景気を迎えた1980年代に関しては、一般的には「バブル景気」と否定的に語られることが多いですが、その一方で「黄金の80年代」という呼び方も有名です。
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ぴーち こんばんは!
栄枯盛衰とはいえども、
日本も僅かながらの時期なれど
世界の頂点近くまで伸し上がったという
経歴は決して消えることはない事実ですので、
きっといづれ皆が足並みそろえて頑張れば、
他国を凌ぐ勢いで上昇出来る国であると
信じています。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 また明日に続きを書くことになりますが、我が国はこの20年間、余りにも足踏みし続けすぎました。
「日出ずる国」の勢いを今こそ取り戻したいですね。
オバrev う~ん、黄金の80年代?
バブルとは無縁の田舎ですので全く実感ありません orz
オバrevさんへ
黒田裕樹 そうでしたか(^-^;
一般的には異常さのみが強調されるバブル景気ですが、好景気が続くことは、国家にとって良いことですからね。全体的には素晴らしかったと思います。
我が国もバブル崩壊(詳しくは後述します)後の不況が長引いたこともあって、国内総生産(=GDP)が20年以上前からほとんど上昇していないほど経済が停滞(ていたい)していますし、またイギリスもヨーロッパ連合(=EU、詳しくは後述します)の設立以後はその影響力が低下するなど、世界の情勢はすっかり様変わりしました。
そんな中、勢いを増しつつあるのが、日米英の連携(れんけい)時代にはGDPが日本の10分の1ほどしかなかった中華人民共和国です。GDPで既に我が国を上回った中華人民共和国は、年間予算の多くを軍事費に回すことで、世界での影響力をますます強めています。
それに対して、GDPが横ばいのままのみならず、後述する歴史問題での「いわれなき誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)」を受けている我が国の停滞ぶりが、中華人民共和国の増大にますます拍車(はくしゃ)をかけているのが今の世界情勢であることを、私たち日本国民はもっと理解すべきではないでしょうか。
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- 黒田先生
青田です。
私は、経済大国(エコノミックアニマル)という言葉は、大好きでした。
それは、何の資源もない小さな日本は、経済力で、他国を圧倒していることが厳しい国際社会を生き抜くうえで、必要だったからです。
そして、
日本は、中華人民共和国よりも経済力があることが強みでした。
それなのに、現在は、
① GDPを中国に追い抜かれる。
② 日本の経済人は、企業の利益優先で、経済での中国依存で、愛国心がない。
③ その経済人につけこんで、中国が高圧的な態度に出ても、日本人は、何も言えない。
④ さらに、経済評論家は、『これからは、中国の時代!』と無責任に日本人の意識を中国に向ける。
しかし、そのことに危機感を感じている日本人は、少ないです。
もし、このような状況がこれから、ますます、大きくなると日本は、本当に危険だと思います。
私は、単なる悲観論は、嫌いで、『どんな時でも希望の光』は、見つかるはずだと思いたいですが、まずは、日本人自身の「愛国心」という共通意識がないとこの状況は、変わらないと思います。
ぴーち こんばんは!
自己主張だけ激しくて、相手の言い分を
全く受け入れようとしない国は
最初だけはとりあえず、勢い良く燃え上がる炎の如く、活気づきますが、その勢いはいづれ
鎮火してしまうことでしょうね。
最後に残るのは、やはり自分も主張しつつも、
相手の意見にも耳を傾け、痛みも分かち合える
存在だと思っております。
青田さんへ
黒田裕樹 経済は、武器同様に「国家の強さ」のバロメーターです。
憲法の制約のある我が国が、経済さえも奪われたままでは、「かの国」に勝てるはずがないですからね。
某首相の「日本は消えてなくなる」の暴言は、ここからくる自信の裏返しだったのかもしれませんが、もしそうであれば、なおのことこのままでは済まされません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそうあってほしいと願っていますが、そのためにも「いつまでの相手の言いなりにはならない」という気概を持ってほしいですね。
なぜなら、自由主義社会を本当に回しているのは、他でもない資産家、すなわち「金持ち」だからです。金持ちが産業を創造し、人を雇(やと)い、また贅沢(ぜいたく)をすることによって、国の資産が循環(じゅんかん)するとともに、新たな文化が栄えて、さらなる経済発展が望めるのです。
しかし、軍拡競争によって軍事費が増大したことで、アメリカと同様に財政状況が悪化したソ連は、もっと深刻な問題と化しました。なぜなら、ソ連の国家体制が「社会主義(共産主義)」だったからです。
本来であれば、金の産出や石油の埋蔵(まいぞう)といった資源に恵まれ、世界有数の大穀倉地帯(だいこくそうちたい)であるウクライナを支配に置き、無限大に広がる森林や広い国土を有していたソ連は、世界一の裕福な国家になれる素地(そじ)を充分に持っていました。
ところが、私有財産を敵視し、富を国家で分配するという社会主義体制において、自らの能力で稼(かせ)いだ資産がすべて「悪」とみなされたことが、ソ連にとって致命傷(ちめいしょう)となったのです。なぜそう言い切れるのでしょうか。
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ぴーち こんばんは!
富を得ることが国を豊かにし、人々の暮らしを
より良いものにすることが出来る事を前提にして考えれば、
アメリカ的な考え方の方が
断然有利であることは間違いないという事ですね。
そうですね。。
あくまでわたし個人の考えで恐縮ですが、
この地球上でこれからも生きていく上で、少しでも
長く、何代もの先の子孫まで安泰に暮らしていには、少しでも多くの手付かずの自然をそのままに
残しておく方が、大切なことに思えます。
きっと私のような意見は、閉鎖的で平和主義者の
極みだと言われてしまうかもしれませんが、
余りに世の中を変えすぎて、後で痛い目に遭うのは結局、自分たち人間だけでは無い事を忘れてはいけない。。そんな思いがあります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 社会主義と比べれば、やはり富の再生産が可能な資本主義の方が、軍拡競争には有利だったということですね。
もっとも、行き過ぎた開発は環境問題などのしっぺ返しを受けますから、今後は「持続可能な開発」の可否が重要性を増すことでしょう。
ということは、仮に事業に成功しても、国民は私産を一切得られませんし、それどころか、どれだけ頑張(がんば)って働いたとしても、計画経済の下では、ノルマのみを実現させた人間と同じ価値としか見られないのです。
このような体制で、どうやって労働意欲を高められるというのでしょうか。計画経済が長く続いたことは、必然的に労働力の低下をもたらしたことで、結果として「計画が実現できない経済」と化しました。
それでも、かつての五ヵ年計画のように、資源が豊富な間は、まだ国家として十分に機能していました。しかし、有り余る資源を使い切るか、あるいは国家として使えなくなるまでに体制が低下したことによって、もはや修復が不可能になるまで財政状況が悪化してしまったのです。
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- 黒田先生
青田です。
政府が、どこまで、経済に介入するかは、難しい問題ですね。
資本主義の国のアメリカも、
政府が全く、経済に介入せず、市場のままにまかしていると、株価の大暴落が起こり、大不況になり、結局、アメリカは、ニューディール政策で、政府が経済にある程度介入するようになりました。
かといって、ソ連のように、政府が何から経済に介入する
国家主義の計画経済では、『量』(ソロバン)の概念だけで、経済を考えることしか出来ません。
そこには、質の概念が欠落していまいます。
結局、メイド・イン・ソ連は、粗悪品の代名詞になってしまっていることに、官僚化した社会主義国家では、気づかなくなります。
ただ、これは、日本にとっても、難しい問題です。
政府が、どこまで、経済に介入するのがイイかの匙(サジ)加減があるからです。
明治維新の三傑の一人の大久保利通は、日本が近代化する方法として、
〇 全て国営企業にすると、民間企業が育たない。
〇 民間企業が育つのを待っていたら、日本の近代化は、大幅に遅れる。
→ 民活(これから有望な会社に政府が支援する。)というやり方を考えました。
私は、このやり方に近いカタチが、日本には合っていると思います。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに仰るとおりですね。
大久保利通は実に巧妙な手法をとったと思いますし、こういったことも「歴史に学ぶ」べきでしょう。
ぴーち こんばんは!
確かに仰るとおり、
一生懸命に頑張ってもその成果や努力が認められない状態だと人間はやる気さえ削がれてしまい、怠慢になってしまいますものね。
難しいものですね(^^ゞ
余りに社会主義に傾倒し過ぎても、逆に余りに自由主義に傾倒しても、上手くいかないと言うことは
何にもで言える事なのでしょうけれど、
その現象をいかに時の政治家が客観視出来るかが
その国の運命を左右するのではないかと思うのです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、難しいです。
どちらかに傾倒するのではなく、客観性が求められますが、そのような政治家は世の中にどれだけ存在するでしょうか…。
就任当時54歳の若さだったゴルバチョフは、それまでの社会主義体制の立て直し(これを「ペレストロイカ」といいます)に着手し、情報公開(これを「グラスノスチ」といいます)を軸とした政治や社会の自由化を推進しました。
また、アメリカとの軍拡競争が国家財政の危機を招いたことから、ゴルバチョフはアメリカなどの西側諸国と折衝(せっしょう)を重ね、1987(昭和62)年に中距離核戦力(IMF)全廃条約をアメリカと調印したほか、翌1988(昭和63)年には国連総会に自ら出席して50万人の兵力削減を約束し、また同年には軍事介入したアフガニスタンからの撤退(てったい)を始めました。
さらには、1989(平成元)年12月に地中海のマルタ島で、アメリカのブッシュ大統領(共和党)との会談に臨(のぞ)んだ後に、米ソ両首脳による「冷戦の終結」が宣言され、東西冷戦が事実上の終止符を打ちました。これをマルタ会談といいます。
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- 黒田先生
青田です。
私は、ゴルバチュフは、今世紀、最高の政治家の一人だと思います。
彼は、ソ連が今までのような共産主義社会では成り立たないことを知っていました。
しかし、だからといって、アメリカ型の民主主義の問題点も理解していました。
そもそも、ソ連は、帝政ロシア時代から、共産主義国家になったので、アメリカとは、国の成り立ち方が根本から、違います。
おそらく、ゴルバチョフは、社会民主主義(極端な民主主義社会ではなく、ゆるやかな民主化へのソフトランディング)を考えていたと思います。
日本の隣国の某チャイナのようにマルクス=レーニン主義国家と言いながら、その内実は、???な体制な国を考えると、しっかりと目指すモノがないと国として、おかしくなることが、わかります。
ぴーち こんばんは!
ゴルバチョフ氏のお名前は有名ですが、
実際の功績も素晴らしい手腕を振るった人物だったのですね!
また1つ勉強させていただきありがとうございます!
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、ゴルバチョフの政治力はずば抜けていたと思います。
惜しむらくは、彼が政治の実権を握った際に、ソ連がもはや修復不可能なほどに経済が悪化していたことですね。
せめてあと10年早ければ、これから述べるような結末にはならなかったことでしょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 こちらこそ有難うございます。
別のコメントでも述べましたが、ゴルバチョフ氏の政治手腕は、もう10年早く発揮してほしかったですね。
オバrev このソ連崩壊は、社会主義経済は破綻するということを、まさに壮大な社会実験で示したと言っていいんですかね?
54才というと自由主義国では若いけど、平均寿命の短いソ連の中ではそんなに若くなかったと記憶しています。
ソ連の通った道を、今中国が渡ろうとしていますが、その道は違うのか、同じ結末なのか?
歴史的に見てどうなんでしょう^_^;
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、壮大な実験に思えましたね。ゴルバチョフ氏の54歳は、それまでの書記長(ブレジネフ・アンドロポフ・チェルネンコ)に比べたら、飛躍的に若かったです(いずれも70代後半あたりでした)。
チャイナに関しては、改革開放路線やODAなどによる資金で延命を図っているように見えますね。いつまで続くのでしょうか…。
しかし、アメリカと和解するために軍縮に踏(ふ)み切ったことは、ソ連の軍事力が低下したと同時に、他の東欧諸国に対する締(し)め付けが弱くなったことを意味していました。このため、東西冷戦の終結と相(あい)まって、ソ連という「支柱」を失った他の東欧共産主義国家は、雪崩(なだれ)を打って崩壊(ほうかい)への道を歩むようになりました。
例えば、東西冷戦の象徴(しょうちょう)とされてきた「ベルリンの壁」が1989年11月に崩壊したほか、翌1990年には東西ドイツの再統一が実現しました。また、ポーランドやハンガリー、チェコスロバキアなどが無血で民主化が成し遂(と)げられた一方で、ルーマニアではチャウシェスク大統領が公開で銃殺刑に処されるなど、流血の革命となりました。これら一連の流れを東欧革命(とうおうかくめい)といいます。
さて、東欧で共産主義国家が次々と倒れていったのには、ソ連と同様に経済状況が悪化したことや、ソ連自身の弱体化による民主化運動の高まりがあったのは間違いないですが、もう一つの「隠(かく)された理由」があることをご存知でしょうか。
実は、冷戦の終結に最も貢献したのは我が日本なのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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万里ママ 冷戦終結に日本が大きく関係していたとは。
私はどうしても国内のことに目が行き、
他国への影響には気づきにくいです。
続きも楽しみにしています^^
ぴーち こんばんは!
ソ連に対して、こんなにも依存していた国が
存在していたとは、思いませんでした。
それと日本の役目が気になります^^
万里ママさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
世界史レベルで考えると、我が国が東欧革命に深くかかわっていたことがよく分かります。
詳しくは22日以降の更新をご覧ください。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 共産主義の支配は、所詮は軍事力=暴力によるものでしかない、ということだったのでしょうね。
現代にも似たような国家があるようですが…。
その後、占領期から朝鮮特需(ちょうせんとくじゅ)、そして高度経済成長を経て、見事に復興を成し遂(と)げ、世界有数の経済大国となった我が国は、二度にわたる石油危機も乗り越え、次々と新商品を開発するようになりました。
日本の優(すぐ)れた製品は、やがて東欧諸国にも輸出されるようになりましたが、共産主義国家で経済が悪化し、技術力も停滞(ていたい)したままの東欧諸国では、「Made in Japan」のハイテク製品をつくることができませんでした。
かつての歴史を知る東欧諸国民にとって、見下(みくだ)していたはずの黄色人種国家である日本の製品が、自国産のものよりも優れているというのは、たとえ日本が日露戦争でロシアに勝った国であるということが分かっていても、それはそれで屈辱的(くつじょくてき)なものでした。
ところが、日本と同じだけのハイテク製品を、マレーシアやインドネシアなど、かつて白人国家の植民地であった国々がつくっていることが分かると、東欧諸国民はより激しい衝撃(しょうげき)を受けるようになったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
結局は、最初から
相手国を見下さない事なんだと
思います。
見下した相手(相手国)が自国を上回れば、
最初は驚き、次第に怒りがこみ上げ、
おしまいには恨みに変化していく。
見下した国の考え方次第で、相手国は
良い方にも悪い方にもなる。
けれど、そこはやはり人間ですので
仏の様な境地には到底なれないのが
常なのでしょうけれどね(^_^;)
オバrev やはり社会主義国と自由主義国での圧倒的な技術力の差というのを知らしめたというのは大きかったんでしょうね。その最大のものは米ソの軍事力の差だったんでしょうけど。
自由競争による技術力の進歩が、社会主義の限界を知らしめたとは皮肉なもんですけど、大きな社会実験の結果は明らかですよね。
さあそこで、この歴史的事実が現在の中国に当てはまるのかどうかを、実は知りたいです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
まして「白人」であるがゆえに、同じ人間扱いしてこなかった有色人種が、自分たちよりも実はすぐれているという現実は、到底受けいれられなかったであろうと推察できます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > さあそこで、この歴史的事実が現在の中国に当てはまるのかどうかを、実は知りたいです。
私も知りたいです(笑)。
冗談はともかく、現在のチャイナについては、通史終了時に改めて振り返る予定ですが、社会主義に資本主義を含めるという「裏技」で当面は乗り切っても、いずれその矛盾が彼の国を苦しめることでしょう。
黄色人種どころか、自分たちが人間扱いしてこなかった、旧植民地の被支配者層がつくった製品ですら、自国ではつくることができない。この残酷(ざんこく)な現実を突き付けられたとき、東欧諸国民は「自分たちがこうなってしまったのは、共産主義体制に問題があるに違いない」という「真実」に気づきました。
東欧共産主義国家が相次いで倒れたのは、単なる経済破綻(はたん)でもなければ、民主化運動の高まりだけでもありません。「百聞は一見に如(し)かず」ということわざがあるように、東欧諸国民がハイテク製品を見たことで、自国の国家体制に疑問を抱(いだ)いたからこそ、内部からあっけなく崩壊(ほうかい)してしまったのです。
そして、その崩壊のきっかけとなったものこそが、日本がつくったハイテク製品でした。すなわち、東欧共産主義国家の破綻は我が国にこそその遠因があり、また、それは大国ソ連といえども例外ではなかったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
今や、インドネシアや、タイ、中国を初め、アジアから輸入されてくる商品の精度の良さには
驚かされる事も増えて来ましたよね。
逆に「この雑な箱詰めに、雑な商品は何処の国の
商品かな?」と裏を観てみると
「メイドインアメリカ」だった・・なんて事がしばしば・・
日本が教えた技術力の高さが伺え知れます。
食品偽装に関しては、論外ですが(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、アジア系(特に東南アジア)の商品の精度の高さには驚かされますよね。
我が国ももっと磨きをかけた製品を今後も作り出してほしいものです。
また、第二次世界大戦中にソ連に併合された、エストニア・ラトビア・リトアニアのいわゆる「バルト三国」がそれぞれ独立を主張するようになり、ソ連は軍事介入によって鎮圧を図ったものの、1991(平成3)年3月にはリトアニアが独立を宣言しました。
バルト三国の独立は、ソ連の連邦体制の崩壊(ほうかい)を意味していたのみならず、同年7月には、ソ連が主導して設立されたワルシャワ条約機構が解散するなど、ソ連の国家体制がますます揺(ゆ)らぐようになりました。
こうした状況に危機感を強めた、ヤナーエフ副大統領らの共産党保守派は、ゴルバチョフがモスクワを離(はな)れた隙(すき)を突いて、1991年8月19日にクーデターを起こし、国家非常事態委員会が実権を握りました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
素人考えですが、
こうしてある国から独立しよう考えた場合
通常はこうした紛争を起こして、必死な思いで
独立を奪い取ることが多い中、
今回のイギリスからスコットランドが独立を
主張した際に、国民投票という手段を用いて
決めようとした事に関しては、さすがは先進国の
お手本だなと思ったものでしたが、
投票によって独立を決める方式というのは、
過去にも多く存在したのでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 投票で決める、というのは聞いたことがないですね。
一見平和的ですが、その後に予想される混乱を考えると難しい話ではあります。
そして、同年12月までに「ソビエト連邦」を構成していた共和国のすべてが独立を宣言したことで、ソ連は崩壊(ほうかい)し、新たにロシア共和国などからなる独立国家共同体(=CIS)が誕生したのです。
ソ連崩壊後の新生ロシアでは、1917(大正6)年のロシア革命以前の三色旗(白・青・赤の横長)が復活し、あちらこちらに建てられていたレーニン像が取り壊(こわ)されたほか、「レニングラード」が「サンクトペテルブルク」に戻るなど、旧名称が復活した都市も存在しました。
かくして、ロシア革命から74年、1922(大正11)年の設立から69年を経て、ソビエト連邦が崩壊したことで、東西の冷戦構造は完全に消滅しました。
ところが、ソ連の崩壊によって、世界中の左翼の学者や評論家がその存在価値を失ったにもかかわらず、我が国においては、むしろ「左傾化(さけいか)」あるいは「赤化(せきか)」が加速するという皮肉な結果となったのです。その背景には「保守の油断」と「左翼の方針転換」がありました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
ただ元を正せばそれで丸く治まるという
ものでも無いんですね・・(^_^;)
長い年月の間には、その考えに同調し
同じ目的を持って活動しようとする
人々が出てきますものね。
虱潰しに根絶したつもりでも、思わぬ所に
逃げ道があり、完全に無くなることは
有りませんね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国では共産主義思想が巧みにすり抜けて、より強化することになってしまいました。
次回の更新で詳しく紹介したいと思います。
しかし、そんな保守系の「油断」の隙(すき)を突くかたちで、左翼系の「進歩的文化人」と呼ばれた人々は、自らの思想を満足させるために、ソ連崩壊(ほうかい)以前から続けていた「日本の歴史から、中華人民共和国や韓国の好みそうな問題を取り上げ、両国に『御注進』する」という流れを一気に加速し始めました。
こうした我が国の左翼からの誘いに、中華人民共和国や韓国が乗ったことによって、「日本はアジアの人々を中心に、世界中の人々に耐(た)え難(がた)い苦痛を与えた」という自虐史観(じぎゃくしかん)が、ソ連崩壊以前より強固に定着してしまいました。
加えて、単なる自虐史観で飽(あ)き足らない左翼の人々が、歴史的に有り得なかったり、そもそも虚構(きょこう)から始まったりしている、「南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)」や「従軍慰安婦(じゅうぐんいあんふ)」といった問題をでっち上げたことで、我が国に今もなお深刻な影響を与えているのです。
さらには、25年前の中華人民共和国で現実に起きた「悲惨(ひさん)な事件」の存在が、現在の我が国の公営放送で「なかったことにされている」という、異常な事態となっているのをご存知でしょうか。いわゆる「天安門事件(てんあんもんじけん)」のことです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
素朴な疑問ですが
左翼とは、何でしょうか?
マルクス=レーニン主義者のことでしょうか?
どこの先進国でも、右派、左派は、存在しますが
どちらかと言えば、いつも、この左翼、保守という言葉で???になります。
というのも、どこの国にも議会では、保守、左派があり、アメリカも二大政党制で、どちらかと言えば、保守的な政党が共和党、リベラルな政党が民主党という感じがします。
見方によったら、それも逆だという意見もありますが、
そういった、他の先進国での左翼、保守と
日本の左翼、保守とは、かなり、違うものなのでしょうか?
青田さんへ
黒田裕樹 我が国の場合、いわゆる「愛国的なリベラル」はむしろ保守の中にこそ存在するのかもしれませんね。
イデオロギーに凝り固まり、我が国の将来を考えることの全くない人々は、もはや「売国奴」の域に達しているのかもしれません。
ぴーち こんばんは!
なるほど。。。
未だに韓国、中国が日本の歴史問題に
有ること無いこと口出しをしてくる背景には
日本人側の僅かながらも、そうした思想が
声を大にしていた為に
他国から余計な事を言われる羽目に陥っていると言う事でしたか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 未だに韓国、中国が日本の歴史問題に
> 有ること無いこと口出しをしてくる背景には
> 日本人側の僅かながらも、そうした思想が
> 声を大にしていた為に
> 他国から余計な事を言われる羽目に陥っていると言う事でしたか・・
まさしくその通りです。
日本側から火をつけて、ありもしない捏造された歴史観が我が国を苦しめる。
「まさかここまでとは」という油断がここまで傷口を広げているのです。
しかし、中華人民共和国は、同年5月20日に北京に戒厳令(かいげんれい)を発すると、6月4日には人民解放軍が学生や市民に対して無差別に発砲するなどの武力弾圧(だんあつ)を行い、多数の死傷者(ししょうしゃ)を出しました。これを天安門事件といいます。
天安門事件は、当時のメディアを通じて世界中へ発信され、我が国を含めた西側諸国が中華人民共和国政府に対して抗議や経済制裁を行うなど、中華人民共和国は国際的な非難を浴び、世界から孤立(こりつ)しました。
ところが、そんな「追いつめられた」国家に対して、わざわざ「救いの手」を差し伸べた国が存在したことで、中華人民共和国は息を吹き返したのです。その「救った」国家こそが日本であり、またその手段とは「天皇陛下の訪中」でした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
日本人の考え方は、世界的にみても
非常に成熟していると思います。
しかしながら、その成熟した民度の高さは
ある面では、お人好しにとられてしまったり
あるいは、上手く利用されてしまったりという
悲劇に遭うことも少なく無いと思われます。
確かに慈愛に満ちた考え方は、人類が本来
目指すべきあり方であって欲しいですが、
現実問題、自分が生き残るためには手段を
選ばないと思う人間の数の多さが目立ちますし、
中途半端な覚悟では乗り切れないものだと
思います。
なるべくなら、この民度の高さは日本の誇りでも
あるので、そう簡単には失いたく有りませんが、
保ち続けるには、それ相当の努力も
必要になるので大変ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
民度の高さを失わずに、またお人よしに付け込まれないように。
我が国全体の国益のためにも、国外と国内でしっかりとした使い分けをすべきなのですが…。
なぜなら、東アジアにおいて、周辺の国が「中国」を訪問することが「朝貢(ちょうこう)」とみなされていたからです。ということは、もし天皇陛下が「中国」の都を訪問されれば、それは我が国が「中国」の傘下(さんか)に入ることを意味していました。
にもかかわらず、当時の宮澤喜一(みやざわきいち)首相と加藤紘一(かとうこういち)内閣官房長官は、中華人民共和国側の誘いにあっさりと乗ってしまい、平成4(1992)年に天皇陛下の訪中が実現してしまいました。
中華人民共和国は天皇のご訪問に「感激」して、「今後は歴史問題について言及(げんきゅう)しない」と我が国に約束しましたが、日本を「家来」扱いした「中国」が、そんな口約束を守るはずがありません。
かくして、天皇陛下の訪中をきっかけとして、以後の中華人民共和国は、平成21(2009)年に、習近平(しゅうきんぺい)国家副主席(現在は国家主席)が無理やり天皇陛下との会見をねじ込むなど、我が国に対して傲岸不遜(ごうがんふそん)な姿勢をとるようになってしまったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
この内容に関しては、チャイナには、あまり、怒りを感じません。
というのは、チャイナとは、元々、無茶苦茶な国(??国民国家という定義では、国ではありませんが)
だからです。
それに、元々、日本の敵だからです。
それよりも、日本の当時の政府の首脳部の無知に怒りを感じます。
河野談話と言い、この当時の日本の政府の首脳部と言い、
〇 無知な味方は、ずる賢い敵よりもタチが悪い。
〇 味方の中の敵は、目の前の敵よりもタチが悪い。
〇 弱い味方は、強い敵よりもタチが悪い。
という格言は、ズバリだと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、当時の政府首脳の「お花畑全開」ぶりの方が腹立たしく思えますよね。
情けない限りです。
ぴーち こんばんは!
宮澤さんと言えば、
外国生活も長い方だと認識しておりましたが、
案外、考え方は日本人独特な方だったのですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 宮澤氏には色々な考えがあるとは思いますが、今回の件については厳しい評価をせざるを得ないと思います。
詳しくは次回の更新をご覧ください。
かつて官房長官時代に起きた「教科書誤報事件」をきっかけとして、近隣諸国条項(きんりんしょこくじょうこう)を勝手に創設し、我が国の歴史(あるいは公民)教科書の検閲権(けんえつけん)を中華人民共和国や韓国に売り渡した宮澤首相は、天皇陛下まで「中国」に売り渡したのです。
しかも、宮澤首相はこの後、平成5(1993)年に河野洋平(こうのようへい)内閣官房長官(当時)を通じて「河野談話」を発表させ、我が国がいわゆる「従軍慰安婦(じゅうぐんいあんふ)」問題に関していわれなき誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を、今もなお受け続けなければならないきっかけすらつくってしまっています。
なお、中華人民共和国が多数の市民を一方的に殺傷(さっしょう)した天安門事件ですが、これだけの大事件にもかかわらず、我が国で多くのシェアを誇っている日本史の歴史教科書には一切の記述がありませんし、先述のとおり、我が国の公営放送のある番組では、天安門事件の存在そのものが「なかったこと」にされています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
『兵は詭道なり』(戦いとは、騙し合い。)ということで定石と考えると
一言で言えば、
北京にいるキツネのほうが、日本の政治家よりも
一枚も二枚も上手だったということですね。
おそらく、日本の政治家は、(外交=戦い)という概念すらなかったと思います。
政治家も平和ボケになっていた気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、平和ボケの毒が当時の政治家に完全に蔓延していたような気がしますね。
そのうえ、ついに歴史的事実を「なかったこと」にするようにもなりましたが、ここから何としても巻き返したいものです。
これに対し、1989(平成元)年には、チベットのダライ・ラマ14世が、世界平和やチベット宗教・文化の普及に対する貢献が評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。
また、2010(平成22)年には、天安門事件の主導者であった作家・人権活動家の劉暁波(りゅうぎょうは)氏が、一連の民主化への活動を評価されてノーベル平和賞を授与されましたが、中華人民共和国政府は、この受賞に対して強い抗議を行いました。
中華人民共和国によるこれらの強引な政策あるいは手段は、国際社会における深刻な人権問題であるはずですが、日本国内の各種人権団体のほとんどが、なぜか今日まで沈黙を守り続けています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
抗議の為に自殺を図る。。。
こういう内向的とも言える訴え方と言うのは、
アジア人の共通した考え方なのでしょうか?
何かを訴える為に自分の命を捧げるという意味は、
良い意味で捉えるとしたら、人命というのは
非常に尊いものであり、その大切なものを
失うという事の重大さを知ってもらいたいが故の
行動なのでしょうけれど、
時にその訴えは単なる無駄死であると軽視されてしまうとも限りません。
こうした命を代償に何かを訴える事のリスクの高さを考えると、最終手段としても取るべき行動ではないように思えてなりません。
勿論、反対意見もあるでしょうけれど・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るお気持ちは良く分かります。
ただ、自国に武力などの抑止力がなかったがゆえにチャイナに侵略され、自分の目の前で同胞が無残にも殺戮されるのを黙って見るしかなく、しかもそれを他国がいくら非難してもチャイナは涼しい顔で、我が国のように人権に対してことさら厳しいところもなぜか沈黙を守るという、まさに八方ふさがりで絶望しかないような状況に追い込まれれば、たとえ無駄死にといわれようが、最後の手段としての焼身自殺を選択しなければならないという事情も、私たちは理解すべきなのかもしれません。