文学では、社会常識や既成(きせい)のリアリズムに挑戦したり、自身の戦争体験を表現したりするといった、戦後の新しい価値観を代表した、太宰治(だざいおさむ)や坂口安吾(さかぐちあんご)、大岡昇平(おおおかしょうへい)や野間宏(のまひろし)などの作品が、当時の人々の話題を呼びました。
その一方で、三島由紀夫(みしまゆきお)や川端康成(かわばたやすなり)といった、日本民族の独自の美的感覚を追求した小説や、日本における近代批評の先駆者(せんくしゃ)となった、小林秀雄(こばやしひでお)による我が国の古典や芸術を題材とした評論文など、古来の伝統を重んじる作品も発表されました。
この他、保守主義の論客として、安易な進歩主義を批判した福田恆存(ふくだつねあり)や、松本清張(まつもとせいちょう)や司馬遼太郎(しばりょうたろう)、あるいは池波正太郎(いけなみしょうたろう)といった、大衆向けでありながら芸術性を失わない小説である、いわゆる中間小説や、星新一(ほししんいち)や筒井康隆(つついやすたか)、小松左京(こまつさきょう)のようなSF小説なども、多くの人々に広く読まれました。
なお、昭和45(1970)年11月25日に、三島由紀夫は東京の市ヶ谷駐屯地で、日本民族の精神的覚醒(かくせい)を強く訴えた後に自決し、国民に大きな衝撃(しょうげき)を与えています。
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ぴーち こんばんは!
星新一作品は昔から大好きでした!
星先生自身もお父様が薬科大学の創始者で
いらっしゃった関係上、薬に関しての
作品が多く、(製薬会社の後継も勤め)
一時期、薬局勤務をしていた私には
とても興味深く読ませていただきました^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私も星新一氏のショートショートは中高生時代に愛読しました。
この頃の文化になると、私たちが知っている作家が増えてきますよね(^^♪
また、昭和24(1949)年には、理論物理学者の湯川秀樹(ゆかわひでき)が日本人で初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞し、敗戦後の国民に大きな勇気を与えました。同年には、あらゆる分野の科学者を代表する機関としての日本学術会議が設立されています。
同じ昭和24年には、法隆寺金堂壁画(ほうりゅうじこんどうへきが)が火災で焼損するという出来事がありましたが、これをきっかけとして、翌昭和25(1950)年に文化財保護法が制定され、国宝などの貴重な伝統的文化財が保護されるようになりました。
なお、日本人のノーベル賞受賞者はその後も様々な分野で増え、平成26(2014)年現在、5分野で22人(ただし、うち2名は日本出身のアメリカ国籍)が受賞しています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
確かに日本にとって重要なものが損失してしまう
事は大きな痛手であり、また悲しみでもありますが、
それをその後の教訓として活かす事が出来るかどうか。。という事の方が、やはり
重要なのかも知れませんね・・。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと私も思います。
あってはならないことが起きてしまうのが世の常である以上、再発防止に全力を挙げるのも人間の智慧ですからね。
歌謡曲では、終戦後の混乱期に並木路子(なみきみちこ)の「りんごの唄」に代表される、軽快かつ明るい歌が流行したほか、美空(みそら)ひばりが多くの流行歌を生み出し、国民に長く愛されました。
大衆娯楽としての映画は、戦後に黄金時代を迎えました。昭和29(1954)年には、黒澤明(くろさわあきら)が「七人の侍」で、溝口健二(みぞぐちけんじ)が「山椒大夫(さんしょうだゆう)」で、それぞれヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得(かくとく)しました。また、小津安二郎(おづやすじろう)は「東京物語」などによって、伝統的な日本の家族の美風を、独自の視点で表現しました。ただし、テレビの一般家庭への普及によって、映画界は次第に斜陽(しゃよう)産業と化していきました。
スポーツの分野では、水泳の古橋広之進(ふるはしひろのしん)が「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた泳ぎで世界の注目を集めたほか、プロレスで一時代を築いた力道山(りきどうざん)や、東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉(つぶらやこうきち)、プロ野球で読売ジャイアンツの黄金時代の主力となった長嶋茂雄(ながしましげお)や王貞治(おうさだはる)など、次々と新たなスターが誕生しました。
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ぴーち こんばんは!
美空ひばりさん、今でも目標にされている歌手の方は多いと思いますし、根強いファンも沢山いらっしゃいますよね。
ひばりさんという100年に一人しか出てこない様な歌手は、この娯楽の少ない時代であったからこそ、これほどまでに偉大になったのか・・・あるいは
いかなる時代であっても
その並ならぬ歌唱力や声質の良さが
彼女を伝説にまで押し上げたのか。。
もしかしたら、それらの要素全てが重なって
の理由なのか。。
良くは存じませんが、
いづれにせよ、次第に人々の心の中にも
歌を堪能出来る余裕が出てきた時代の到来が
感じ取れますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 美空ひばりさんは、子供の頃からずっと第一線でスターでしたよね。
何が彼女をそこまで押し上げたのかはよく分かりませんが、彼女の歌声とともに時代を生きてきた人々にとってはー、素晴らしい存在であったことは間違いないと思います。
安保闘争(あんぽとうそう)が激化した1960年代には、革新的な立場の「朝日ジャーナル」や、保守的な立場の「諸君!」が創刊され、高度経済成長後に全盛期を迎えた、学園紛争や進歩的文化人といった左派勢力の台頭の中で、昭和48(1973)年には、産経新聞社から保守的な雑誌である「正論」が創刊されました。
出版界では、昭和20年代後半から週刊誌ブームが起こり、「週刊文春」や「週刊新潮」など、多くの出版社が週刊誌を発行しました。また、少年向けの漫画週刊誌も登場し、手塚治虫(てづかおさむ)や長谷川町子(はせがわまちこ)などの漫画が広く読まれたことで、本来は子供向けの娯楽(ごらく)であった漫画が、次第に大人にも親しまれるようになりました。
その後、日本の漫画家が描いたキャラクターの中から、世界中の子供に好かれるものも数多く生まれ、我が国の漫画文化は世界を席巻(せっけん)するまでの成長を遂(と)げたのです。
なお、クラシックの音楽の世界では、伊福部明(いふくべあきら)や黛敏郎(まゆずみとしろう)といった作曲家があらわれ、日本的な素材や美化を生かした曲が、幅広い国民の支持を受けました。
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ぴーち こんばんは!
江戸時代の平和な時期も
江戸文化によって、花開いた文芸が
今でも海外で高い評価を得ている様に
争い事も無く、平和が訪れて
心が落ち着き安定して来ると、
日本人の持って生まれた感性が研ぎ澄まされ
独特な文化が生まれるものなんですね。
日本人のこの奥深さは、日本の気候
つまり「四季」の変化から生まれたものだと
一節で伺ったことがありますが、
最近の様に、はっきりとした季節の変化が
みられない日本に、今後、
豊かな文化が育っていくのか、老婆心ながら
心配になります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国の文化は移りゆく四季がつくったと言っても過言ではありません。
最近の地球レベルの異常気象が、いずれはボディーブローのように我が国に影響を与えるかもしれませんね。
オバrev この頃は小学生で、学校が終わると近所の悪ガキ達と近くの川で泳ぎ、田畑でカエルや虫を追いかけ、山を駆けまわり、夕暮れ時になると各家から夕飯の用意をする煙があがりいい匂いが漂ってきて、皆家に帰るという、世の中の動きなんか全く無関係の田舎っぺでした^_^;
でもこの田舎でも高度経済成長は実感できました。
安保闘争や学園紛争はTVでしか知らないです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 私の世代も似たり寄ったりですね(^^;
幼い頃の強烈な記憶と言えば、オイルショックによる極端なモノ不足でしょうか。