1980年代前半の我が国は、第2次石油危機を省エネルギー化の成功で乗り切ったこともあり、低率ながら安定した成長を続けました。
また、省エネルギー化をもたらした、優れた技術を持つ日本製の工業製品が世界を席巻(せっけん)したことで、我が国の輸出が拡大しましたが、それは同時に、欧米先進国の日本に対する輸入超過となり、特にアメリカは、毎年膨大(ぼうだい)な額の対日貿易赤字を続けました。
このため、アメリカは我が国に自動車などの輸出自主規制を求める一方で、農産物の輸入自由化を強く迫るようになりました。これを貿易摩擦(ぼうえきまさつ)といいます。
アメリカの要求に対して、我が国はウルグアイ=ラウンドでの交渉を通じて、昭和63(1988)年には牛肉とオレンジの輸入自由化を、平成5(1993)年にはコメ市場の部分開放を決定しました。
こうして、我が国に外国産の農作物が広く輸入されるようになりましたが、確かに外国産には価格の安さというメリットがあるものの、コメを中心としていわゆる「国産信仰」も同時に高まったことで、当初のアメリカの思惑(おもわく)は、必ずしも実現したとは言えない状況となっています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
外国とのお付き合いって、本当に難しいですね。
ある分野では有益に働いても、何処かで
足を引っ張られてしまったりと・・
何でもかんでも上手く行くわけではありませんが、
食の問題は直接、人間の健康に関係してくる
ものですので、慎重な判断を有しますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 食の問題は、日本人は特に敏感ですからね。
だからこそ、本文のとおり、輸入自由化になっても「国産ブランド」への信仰が高まっているのだと思います。
また、それ以前の昭和60(1985)年には、アメリカの呼びかけでIMFの五大国(日本・アメリカ・西ドイツ・フランス・イギリス)による五ヵ国財務相会議(G5)が開かれ、ドル高是正(ぜせい)のための「プラザ合意」が結ばれました。
プラザ合意が成立した背景には、円高ドル安を誘引(ゆういん)することによって日本製品の勢いを挫(くじ)き、対日貿易赤字を減らすと同時に、円高で日本製品が高くなれば、輸出で富を得ている日本経済に大きな打撃を与えられるであろう、という欧米先進国の思惑(おもわく)がありました。
事実、その後の円の価値が2倍近くに跳(は)ね上がり、我が国は一時期「円高不況」と呼ばれた不景気に苦しむことになったのですが、ここから「V字回復」の復活を遂(と)げて、空前の好景気を迎えることになるのです。
なお、G5はその後にカナダ・イタリアを加えて、現在は七ヵ国財務相会議(G7)が開かれるようになっています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
他人(他国)の為になる様な思惑なら
いづれ報われるでしょうけれど、
相手の頭を抑えこもうとする思惑は
やはり報われないことが多いでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 他人(他国)の為になる様な思惑なら
> いづれ報われるでしょうけれど、
> 相手の頭を抑えこもうとする思惑は
> やはり報われないことが多いでしょうね。
そのとおりですね。日本を懲らしめるつもりだったのでしょうけれども、我が国がその上をいく回復ぶりを見せたあたりが素晴らしいと思います。
また、円高の加速によって、我が国は内需(ないじゅ)拡大型の経済転換を強(し)いられたことで、公共事業の拡大や、所得税減税による内需拡大・低金利政策などが矢継ぎ早に実施されました。
これらの政策が功を奏(そう)すると同時に、輸出産業がマイクロ=エレクトロニクス技術の導入や、コンピュータや通信機器を用いた生産・流通・販売のネットワーク化を行うことによって、我が国は不況を克服したのみならず、貿易収支も大幅な黒字を記録しました。
円高不況を乗り越えた我が国では、膨大(ぼうだい)な資金が余剰(よじょう)となりましたが、これらが株や土地に投入されたことによって、地価や株価が右肩上がりに上昇して、我が国は空前の好景気を迎えることになりました。いわゆる「バブル景気」の始まりです。
なお、バブル景気を迎えて経済大国となった我が国は、1980年代に発展途上国への政府開発援助(=ODA)が世界第1位となったほか、好景気で日本人の生活が豊かとなったことで、労働運動が衰退(すいたい)し、平成元(1989)年には労使協調路線の日本労働組合総連合会(=連合)が成立し、従来の総評も合流しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
バブルの頃の話ですね。
あの頃はちょうど
私が学校を卒業し、勤め始めた頃でした。
私はほとんど、バブル景気の恩恵を受ける事が
出来ませんでしたが、自動車会社に就職した友達は、
初年度のボーナスをいきなり50万くれたと
驚いていた話をしていましたっけ・・
また他の友だちも
20代早々で持ち家を建てたようで・・
後からそんな話を聞いて、
その頃、少しでも欲を出して頑張っていればなと
今更ながら、反省しきりですww
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私も世代的にバブルの恩恵はほとんど受けておりませんが、あの頃の日本経済は力強かったですよね。
バブル景気の評価については、次回の更新で考察します。
確かに、バブル景気には経済の実態を反映していない側面がありましたが、自由経済の下では、こうした事態は有り得ない話ではなく、時間が経てば自然に落ち着くか、あるいは政策によって緩(ゆる)やかに収束(しゅうそく)させれば良いのです。
バブル景気で株価や地価が上がって、大儲(おおもう)けをした人がいたのも事実ですが、それも資本主義経済の原則の一つに過ぎず、逆に言えば「誰しもが利益を上げる機会がある」という面では平等といえました。
また、土地の値段が暴騰(ぼうとう)して、一般庶民(しょみん)にとって「高嶺(たかね)の花」となったとしても、需要と供給のバランスがある以上は、いずれは妥当(だとう)な値段まで下がったはずです。
こういう場合、一番やってはいけないのが、「一部の人間が私有財産を蓄(たくわ)えることは悪である」という、平等主義あるいは社会主義思想によって、人為的など外部の力で無理やり景気を終結させることだったのですが、我が国は実際にその「禁じ手」を行ってしまうことになるのです(詳しくはいずれ後述します)。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
なるほど、禁じ手ですか
確かに勢い良く鍋から吹きこぼれんばかりの
お湯にいきなり冷水を入れると
ウソのような勢いが封じ込められますもんね。
けれど、びっくり水を入れるのは
料理の方法だけで良い訳で、実際的には
また再び景気を回復させるのは、
かなりの労力が必要になるのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、バブルとはいえ無理に冷や水を浴びせる必要はありませんでした。
一つの政策の誤りが、その後何年も苦しめることになるのです。